2019年07月14日
親から残酷な言葉が出る時の共通点。
・自己中心的
・自分勝手
・問題ばかり起こすダメな奴
親から言われ、今も深い傷として
心に残っている残酷な言葉は多い。
できれば思い出したくない気持ちもあるが、
向き合って格闘している内に、
こうやって罵られるタイミングには
共通点があったことに気づいた。
その時どちらが正しい、間違っているかは関係なく
全て親自身の意見と食い違うことを僕が言った直後に
決まってこういう人格否定の言葉が出てきた。
【例1】
親「これと、これと、節約して
できるだけ質素に生活しなさい
何々を売って、手放しなさい」
僕「嫌です」
→親「お前はあまりに自己中心的」
【例2】
親「どこそこの面接を受けなさい
何々の試験を受けなさい
公務員●●を目指しなさい
大学では必ず教員資格を取ってきなさい」
僕「いえ、結構です。教員に興味ないし、
面白そうだった博物館学芸員資格を取りました」
→親「貴方はあまりにも自分勝手」
否定の方法にも共通点がある。
僕の意見の一部、例えば
「どうして教員免許を取らなかったの」
という枝葉の指摘ではない。
必ず「自己中心的」「自分勝手」という
人格全体の否定、頭ごなしだったのだ。
まさに0か100か、良いか悪いか、
”彼らにとって”正しいか間違っているかの
極端な二択で語られていた。
・すべてを切り詰めた質素な生活をしなさい
→あなたの経済状況を心配して
ではなく、
「貧しいのに頑張っている息子を持つ親」のため。
・教員免許を取って公務員になりなさい
もしくはどこそこの会社の面接を受けなさい
→あなたの収入や仕事のことを心配して
ではなく、
「教員資格を保持し●●勤務の立派な息子の親」のため。
言っている本人たちは恐らく自覚がないだろうが、
僕への心配というよりは自分の都合、世間体のため、
という心理が奥底にあったんじゃないだろうか。
そしてひとたび理想を翻されると、まさに
「夜遊びする子はうちの子じゃありません」と言うように
思い通りにならない子どもは認めないと
宣告していたのではないだろうか。
理想通り、さもなくばうちの子じゃありません
という0 / 100思想、完全主義思想は彼らの親、
つまり僕の祖父母によって作られたんだろうか。
母方は、先日亡くなった祖父と祖母は
少なくとも孫の僕は受け入れてくれたし
よくしてくれたが、
母や叔父、叔母たちと
どういう親子関係だったのかは聞いていない。
何でも過剰にあげたがる傾向があるので、
厳しかった曾祖母にしごかれる毎日の中、
人の役に立つことで自分を保ってきたのかも知れない。
父方は、祖父は父と叔父に「大学へ行かせたい」と
有形無形のプレッシャーをかけ、
炭鉱や青函トンネル工事へ行った人。
祖母は孫の僕には優しかったが、
僕以外にはとにかく話が演説のように長い人。
だから父は、それが狙って行われたかはともかく
「成績という結果を出すか、出さないか」という
0 / 100思想が身に付いてしまったのかも知れない。
というように分析すると、僕の親だって
その親世代から0 / 100思想を色んな形で叩き込まれて、
正しいか、自分の理想に合致するか、しないか、
という極端な目で子どもを見るようになったんだろう。
そんな子ども時代を送った彼らには同情するが、
無意識的にでも次の世代に伝えてしまったこととは
話が違う。
僕は今のところ、100パーセント子どもが欲しくないので、
偉そうなことは言えないかも知れないが、
こんな極端な条件付きの愛情が充満する連鎖は
僕の世代で断ちたいと思ってる。
そして、断つだけでなく僕自身がこうやって勉強し、気づき、
僕や彼らの言動の起源を深く知り、
悲しみを乗り越えた人間になりたい。
・自分勝手
・問題ばかり起こすダメな奴
親から言われ、今も深い傷として
心に残っている残酷な言葉は多い。
できれば思い出したくない気持ちもあるが、
向き合って格闘している内に、
こうやって罵られるタイミングには
共通点があったことに気づいた。
その時どちらが正しい、間違っているかは関係なく
全て親自身の意見と食い違うことを僕が言った直後に
決まってこういう人格否定の言葉が出てきた。
【例1】
親「これと、これと、節約して
できるだけ質素に生活しなさい
何々を売って、手放しなさい」
僕「嫌です」
→親「お前はあまりに自己中心的」
【例2】
親「どこそこの面接を受けなさい
何々の試験を受けなさい
公務員●●を目指しなさい
大学では必ず教員資格を取ってきなさい」
僕「いえ、結構です。教員に興味ないし、
面白そうだった博物館学芸員資格を取りました」
→親「貴方はあまりにも自分勝手」
否定の方法にも共通点がある。
僕の意見の一部、例えば
「どうして教員免許を取らなかったの」
という枝葉の指摘ではない。
必ず「自己中心的」「自分勝手」という
人格全体の否定、頭ごなしだったのだ。
まさに0か100か、良いか悪いか、
”彼らにとって”正しいか間違っているかの
極端な二択で語られていた。
子供の幸せを取り上げる親
”トレードマークは「条件つきの愛」”
「条件つきの愛」とは、見返りを要求する愛です。
それが本当の愛情でないことはいうまでもありません。
こういう親は、
子供が期待通りにやっていれば心のサポートを与えますが、
ひとたびがっかりするようなことがあると、
たちまち愛情を引っ込めてしまいます。
『不幸にする親』 第二章 より
・すべてを切り詰めた質素な生活をしなさい
→あなたの経済状況を心配して
ではなく、
「貧しいのに頑張っている息子を持つ親」のため。
・教員免許を取って公務員になりなさい
もしくはどこそこの会社の面接を受けなさい
→あなたの収入や仕事のことを心配して
ではなく、
「教員資格を保持し●●勤務の立派な息子の親」のため。
言っている本人たちは恐らく自覚がないだろうが、
僕への心配というよりは自分の都合、世間体のため、
という心理が奥底にあったんじゃないだろうか。
そしてひとたび理想を翻されると、まさに
「夜遊びする子はうちの子じゃありません」と言うように
思い通りにならない子どもは認めないと
宣告していたのではないだろうか。
コントロールばかりする親
”自分の都合を押し付けるタイプ”
子供がしたいことをしていると
自分が置き去りにされたような気分になり、
子供が離れていくことに脅威を感じるため、
そういう子供を自分勝手だと言って責める。
このような親にとっては、子供がやりたいと思うことでも
”自分が”子供に望むことと一致しなければ意味がないのである。
その結果、自分の望むようにならないことは
すべて悪いほうに解釈する。
『毒になる親』 第三章 より
理想通り、さもなくばうちの子じゃありません
という0 / 100思想、完全主義思想は彼らの親、
つまり僕の祖父母によって作られたんだろうか。
母方は、先日亡くなった祖父と祖母は
少なくとも孫の僕は受け入れてくれたし
よくしてくれたが、
母や叔父、叔母たちと
どういう親子関係だったのかは聞いていない。
何でも過剰にあげたがる傾向があるので、
厳しかった曾祖母にしごかれる毎日の中、
人の役に立つことで自分を保ってきたのかも知れない。
父方は、祖父は父と叔父に「大学へ行かせたい」と
有形無形のプレッシャーをかけ、
炭鉱や青函トンネル工事へ行った人。
祖母は孫の僕には優しかったが、
僕以外にはとにかく話が演説のように長い人。
だから父は、それが狙って行われたかはともかく
「成績という結果を出すか、出さないか」という
0 / 100思想が身に付いてしまったのかも知れない。
というように分析すると、僕の親だって
その親世代から0 / 100思想を色んな形で叩き込まれて、
正しいか、自分の理想に合致するか、しないか、
という極端な目で子どもを見るようになったんだろう。
そんな子ども時代を送った彼らには同情するが、
無意識的にでも次の世代に伝えてしまったこととは
話が違う。
僕は今のところ、100パーセント子どもが欲しくないので、
偉そうなことは言えないかも知れないが、
こんな極端な条件付きの愛情が充満する連鎖は
僕の世代で断ちたいと思ってる。
そして、断つだけでなく僕自身がこうやって勉強し、気づき、
僕や彼らの言動の起源を深く知り、
悲しみを乗り越えた人間になりたい。
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