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2019年08月27日

助けて。

助けて

お願い助けて

もう殺して

誰でもいい

もう終わらせて



誰にも届かない

わかってる

お願い助けて

矛盾してる



お腹がすく

痛みを感じる

それが許せない

生きたいと欲しないでくれないか



中に眠ってる人格とやら

いるなら出て来て

もう代わって

何も感じたくない

分離でも何でもいいから

代わってほしい

もう眠らせて



いないならいないと言って

代われないとはっきり言って

一人ではもう受け止め切れない

せめて何も感じないように

誰にも迷惑かけずに終わらせて



もう殺して

お願い助けて
posted by 理琉(ワタル) at 23:45 | TrackBack(0) | 人生観

2019年08月26日

潔く捨てて、捨てて。

まだ動く気力がある内にと、
午後いっぱいかけて家の中の不要なものを整理した。

せっかく家と身体以外を一通り失うなら、
すっきりさっぱりしようと思ったのか、
手放すならゼロに近くしようと思ったのか。

わからないが、ひとまず潔く、きれいさっぱり行こう。



雑紙や、古布、ダンボールなど、
資源として出せるものは
すぐ近くにある無料の資源回収施設へ。

それ以外は大きなごみ袋にまとめる。



大好きなKERAブランドのブレスレットやチョーカー、
やっと集めたものなので惜しい気持ちが出てくる。

だけど今はKERAのアイテムを買ったり
ファッションを楽しむ時ではない。

泣きたくなる気持ちを抑え、
心を鬼にしてごみ袋へ。



ほとんど空にしたと思ってた押し入れから、
結婚式の時にもらった大きなキャンドルが出てきた。

誰のせいでもないとわかっていても、
人間はそこまで高潔な聖人ではなく、
黒々とした毒が自分の中から生まれてくる。

負の感情に支配されてしまいそうになったので、
早急にごみ箱へ。



今年の冬に届いた、
障害年金の不支給決定通知書。

さっきのキャンドルとは違う意味での
漆黒の毒感情が湧き上がってくる。

だけどこれは、迫りくる生活保護の申請時に
他の手当ての利用をすべて検討し尽くした証明なので
残念ながら捨てられない。

狂ったように破り捨てたい衝動を抑え、
できるだけ目に留まらないよう、
「大切な書類置き場」の一番隅っこに隠した。

※「障害年金、落ちた。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/99/0



大きなごみ袋の塊がたくさんできたが、
部屋の見た目はそこまで変わっていない。

まだ空っぽという印象は薄い。

やり始めるとスイッチが入ってしまうので、
まだ捨てたい願望は強いが、

今日はひとまずこのくらいにしておこう。



家の中を引っ掻き回してモノを捨てるのは、
その時々のライフイベントを思い起こさせて
なかなかに感情が上下する。

次の休日、もしその感情の上下に耐えられるなら、
また断捨離大会を再開しよう。
posted by 理琉(ワタル) at 00:06 | TrackBack(0) | 人生観

2019年08月25日

お金への欲が減った。

失うものを一通り失い、
今は少し活動できるものの無気力になり、
生活保護の申請間近という状況になった。

今のところ残っているのは身体と家だけになり、
いいのかどうなのかわからないが、
一つ大きな心境の変化がある。



お金に対する欲が減ったこと。



前回、祖母の家に帰省し
大掃除を手伝った後でお小遣いをもらった時、

就労移行支援事業所に通い、
毎月の工賃をもらった時。

もちろん嬉しいけど、例えば
「これで今月乗り切れる」という安心感や
「今ピンチで助かった」という安堵感は特にない。



諦めと投げやりな気持ちは多分にあるだろう。

今、いくばくかの額を持っていようと、
生活するにはどうせ足りないし、

生活保護を申請する時に
すべて無くしてしまうんだから、と。

極端な言い方をしてしまえば
”焼け石に水”なのかも知れない。



むしろ、いや実際そうなのだが、
お金がただの引換券にさえ見える。

何に換えておこう、
しばらく生き繋ぐための米かな、

商売道具のPCに万が一があった時のために、
もう一台ノートPCを揃えておこうかな、
という程度。



先だって、ついに最終回を迎えた”こち亀”に
こんな名言がある。
金をよくみろ日本銀行券とかいてあるだろ
すなわちこれは馬券や入場券となんらかわりない

ある日突然無効となったらただの紙だ
だからこそ使えるうちに思いきり使うのだ!


『こちら葛飾区亀有公園前派出所』74巻 より

「使えるうちに思いきり〜」のくだりはともかく、
お金の本質を突いている。

幸せや充実感、生きがいはお金そのものじゃない。

お金を引換券として得られる何かだってこと。



今、手元にある幾らかのお金を何に換えるかを
ようやく考えられるようになった昨日今日だが、

その前までは必要なものどころか
欲しいもの、食べたいものすら思い浮かばなかった。

”マズローの欲求五段階説”は今の僕を実に的確に表している。

今持っている”日本銀行券”では
第二段階の”安全欲求”が満たせないのだから、

自己実現や承認欲求など、
上の階層の欲求が出てくるはずもなかった。

だからお金に対する欲が減り、
目標を見失って無気力になったのかも知れないなぁ。



肯定的に言えば、お金に執着しなくなった。
否定的に言えば、”焼け石に水”状態に投げやりになった。

日本銀行券に対する欲求や捉え方が
今度どう変化するのかはわからない。

けどとりあえず、一度でもお金への不安や執着を
捨てるに近い感覚を持てたことは良かったと言っておこう。


posted by 理琉(ワタル) at 20:48 | TrackBack(0) | 人生観

2019年08月24日

失業保険の給付終了。

失業保険の給付、残り19日。

最後の認定日、ハローワークへ行った。



起き上がるのすら面倒なくらいの無気力さ。

午後から就労移行支援事業所へ行くので
何とか午前中に行かねばと、
重い身体を引きずって行った。



何日分の収入かの数字を書き間違えた。

そのことを窓口で聞かれるも、
まともに受け答えができない。

就労移行支援事業所へ通所していない日も
まさか通所したと申告したのでは、
という疑いをかけられたが、

そこだけは何とか否定し、
書き間違えましたと言って何とか手続きが終わった。



もうこれで来月までに生活保護を申請しなければ
逃げ道がなくなった。

現在の収入は家賃のおよそ4分の1。

家すらも確保できない。

あまりの絶望感から、
そのまま行った就労移行支援事業所では
作業開始5分で倒れてお役御免。

抜け殻のまま帰宅の途についた。



雨が強く降っていた。
近くのベンチで少し雨宿りした。

最近、何かで読んだ短編小説の一節を思い出した。

死神は「死にたい」「生きたくない」
と言ってるようなやつは殺したがらない、

本当に死にたいなら、
死神が殺したくなるくらいに生き続けろ、

そんな内容だった気がする。



その日、朝から何も食べていなかった。

実の家族と不仲、離婚、失業、障害年金に落ち、
行政的に最後の手段(と言われている)生活保護も間近。

さらに気力もなくし、
起き上がるのも一苦労なくらいに無気力。

あぁ、失えるものは一通り失ったなぁ。

何もないや、と思ったらスッキリしたのか、
開き直ったのか、少しだけ気力が戻り、
食事をとることができた。

「生きていたくない」と言ってる僕のところには
死神は来てくれないかも知れないじゃないか。

そう思うと、生き続けることを止めたいと思ってる自分は
損をしていたんだな、などと皮肉に思えた。

とぼとぼした足取りが少し、足早になっていた。



今、これを書いている時点では
まだ開き直りの余波があるのか、
少し気力が戻り、何かをしたがっている。

だけど、いつまた無気力に戻り、
孤独感と八方塞がりな状況に絶望し直すかわからない。

だから再び無気力になり、何も書けなくなる前に
これを記しておきたい。





posted by 理琉(ワタル) at 20:15 | TrackBack(0) | 人生観

2019年08月23日

自分の横顔が視界に映りながら生きている。

自分を右側から見た横顔を見ながら生きている。

こう書くと不思議に聞こえるかも知れない。

以前、自分が世界から浮かんでいるような感覚だと
書いてみた時に、自分の横顔が見えることに少し触れた。

「浮かんだ世界。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/270/0

自分の視界に映る横顔を詳しく表してみる。



視界に現れては消える自分の横顔は
前髪で目が隠れている。

顔の輪郭はくっきりした線ではなく
ぼんやりぼかしたように曖昧。

円い額縁に飾られた絵画かスタンプか、
そんな雰囲気も出している。



電気がついた部屋のはずだが、
顔の周りは深緑色が強い。

そのせいか、肌の白さが余計に目立つ。

円い額縁の内側は黒い線が引かれ、
その外側をやや鈍い金色の金属が覆う。

昔どこかで描かれた古い肖像画に見えなくもない。



視界のどこに映るかと言えば、
右目側にはなぜか映らず、左目でだけ見える。

ぱっと現れるとすぐに左下か、右下へ移動し
やがて消える。

目の前に見えているものを遮るわけでなく、
目の前のものに重ならないように浮かんでくる。
(何だか変な表現だ)



なぜいつも右側から見た横顔かはわからない。

だけど角度も背景も決まっている。

目が隠れているのも、輪郭がぼやけているのも
決まっている。

視界に現れるとそこへじっとしてはおらず、
左右の下側へ移動して消える。

上に移動することはめったにない。

まばたきした瞬間に割と現れやすいが、
じっとしていても不定期に出現する。



何を夢みたいなことを、と言われるかも知れないが、
これが僕の視界に映っている事実。

他人に話したことはない。

理解されないことが怖いんだろう。



僕は理由を調べたり分析するのは好きだが、
運勢やスピリチュアル的なことはあまり信じていない。

だけど自分の目にいつも映ることだから、
理由や原因を知りたくてたまらない。

病院の先生に話したら
「幻覚」と言われるかも知れない。

自分の横顔をいつも見ながら生きている人が
もし僕の他にいるならば、語り合ってみたい。


posted by 理琉(ワタル) at 23:11 | TrackBack(0) | 人生観

2019年08月22日

生きていたくない矛盾。

もう生きていたくない



こんなに言いようのない寂しさがずっと続くなら

自分の世話も、何もかもに意味を見出せず

誰に助けを求めることもできず

生きている時間分、苦しい気持ちがずっと続くなら



もう生きていたくない

だけど自殺する勇気もない

いくじなしで、矛盾している。



自宅で首でもくくったら

ここが事故物件になって多くの人に迷惑をかける

電車の人身事故や交通事故なんて

もっと多くの人に迷惑をかける

自分の”生きていたくない”という勝手な願望のせいで

人に迷惑をかけたくない



どうやったら誰にも迷惑をかけず

生きることを止められるんだろう

家に残っている精神安定剤を全部飲む

過去にやったことがあるけど

意識を失いかけただけで終わった



リストカットくらいでは致命傷なんて付かない

そこで致命傷を付けられるくらい度胸があるなら

もっと早くにやってるはずだ

生きていたくない目標を達成したいはずなのに

それすらできないなら

本心では死にたくないんだろう

だけど生きているのもただ辛いんだろう

生き続けること、生きるのを止めること

どちらに進んでも苦しいんだろう

だから悩んでるんだろう



親にとって僕は依存の対象であり愛される存在ではなかった

それがわかった時から、人との結びつきとやらが空虚になった

人を信頼すること、絆、愛情、そんなものは上っ面だと

だったら最後に自分を救えるのは自分

そう思うと余計苦しくなる



自分だけでは生きていたくない気持ちに抗えなくなった時

人との結びつきを信頼できないと助けを求めることもできない

全部自分で何とかしないといけないのか

そんな八方塞がりが続くともうどうでもよくなる

自分の中でいくら辛いと連呼したところで

誰にも響かないし状況は好転しないとわかると

何をやっても虚しくなり、生きたい理由がなくなっていく



こんなに苦しいまま延命して何になる

この苦しさを感じる時間をわざわざ延ばすなんて

何をやってるんだろう

そんな虚しさが止まらないのに

生きている証である空腹に襲われると

それすらも嫌になる

このまま食べなければ終われるのか

そんな思いすら大きくなる



生きていたくない

この苦しみから抜け出したい

生きている限り続くなら

生き続けていなくてもいい

もう楽になりたい

その方法は生きる先にあるのか

生きるのを止めたその先にあるのか

どちらでもいい、連れて行ってほしい



もう楽になりたい
posted by 理琉(ワタル) at 17:28 | TrackBack(0) | 人生観

2019年08月21日

無気力な日々。

2週間くらい前から、何にもやる気が出ず、
身体が重くてだるい無気力な状態が続いている。

かつて、大学卒業後まもなく鬱病になり、
入院はしなかったが1ヵ月くらい寝たきりになった、
その時と同じような感覚で生きる理由が見つからない。

→「父との関係。(5) -大学〜就職-
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/43/0



家事でできているのは洗濯。

食事の準備、掃除、片付けができなくなり、
ほとんど何もなかった部屋のそこかしこに
置きっぱなしのものが雑然と置かれている。

通所している就労移行支援事業所も、
ここ1週間は朝から通うことができず、
午後からの通所となってしまっている。



洗面や入浴は毎日できてはいるが、
自分の世話をするのすら面倒になり、
生き続けることすらも面倒になっている。

非常にまずい兆候だと実感してはいるが、
どうすれば抜け出せるのか見当がつかず、
抜け出せなくてもどうでもいいと思ってすらいる。



まずい…。



目前に迫った生活保護の申請に対する不安、
就労移行支援事業所にすらまともに通えない自分、
稼ぐ力、生き続けたいという気持ちすら湧かない自分、

そして、きつい時に誰にも頼れない孤独感。

こんな八方塞がりな状態がずっと続くなら
生きていたくない、生き続けるのが面倒、

そんな投げやりな気持ちが、
何とか変えてやろうという気持ちを簡単に押し潰している。



あれほどやりたいことがたくさんあった自分は
一体どこに行ってしまったんだろう。

自分の世話すらも面倒になって、
現実感のないぼんやりした世界を虚ろに見ている、
どうしてこんなことになってしまったんだろう。

かつて鬱病になった時は時間をかけて立ち直れたが、
今回はさすがに頼る人が誰もいない中、
自分だけで何とかできる気がしていない。



どうしてこんなことになってしまったんだろう。

やりたいことに溢れていた自分は、
どこに行ってしまったんだろう。
タグ:鬱病 無気力
posted by 理琉(ワタル) at 23:55 | TrackBack(0) | 人生観

2019年08月20日

姑と、嫁だった祖母の我慢。

母方祖母はいつもにこにこしている。

祖父が亡くなって以来、
寂しそうな笑顔と笑い声を頻繁に見せるが、

決して怒った顔やふてくされた態度を
特に僕ら孫の前では表に出さない。

そして、僕らの前では決して愚痴や小言を言わない。



そんな祖母に気づいたのは最近になってからだが、
祖父が亡くなった時でさえも号泣することなく、
ほとんど表情を変えずにすすり泣くに留まった。

ちょっと怖いぐらいに穏やかな表情を崩さない祖母を見て、
もしかすると祖母はにこにこした表情以外を許されない環境で
長年自分を抑えてきたのでは、と思い始めた。

怒ったり悲しんだりする表情を押し殺し続けた結果、
我慢し過ぎて表情が消えてしまったのではないかと
不自然に思うようになった。



この家はもともと舅、姑、祖父母、
そして母ら弟妹が同居していた。

姑である曾祖母は活発で何事にも厳しく理想の高い、
悪く言えば小言が多く人を支配しがちな人だったらしい。

嫁としてこの家に来た祖母は長い間、
姑である曾祖母に仕えていた。

叔母の話によると、昔の感覚では
嫁は我慢してなんぼの世界であり、
姑とは完全なる上下関係が当たり前だった。

曾祖母が存命中、祖母は叔母に
「私だから曾祖母に仕えていられる」と
こぼしていたそうだ。



そんな状況で、嫁として家に入った祖母にとって、
姑に逆らうことは許されなかっただろう。

お手伝いさんのように働かされ、
機嫌を取るために明るい表情を作らされ、
それが何十年と続いたとしたら、

怒りや憎しみは抑え込むことが普通になり、
怒りの表情をしないことが当たり前になっても
何ら不思議ではない。

当時、僕は当然生まれていないので、
嫁姑問題の現場を知るよしもないが、

祖母の穏やかな笑顔が
そうやって自分を押し殺してきた結果なんだとしたら、
今さらながら祖母の悲痛な心の叫びが聞こえるような気がした。



耳が遠くなった祖母に対して、
女性陣が声のボリュームを上げがちになる。

言われた直後はマイペースにやり過ごすように見えるが、
その後「ちょっと大きな声がきついねぇ」と
独り言をこぼす祖母に僕はようやく気づいた。

だが、そういう小さな愚痴をこぼす時でさえ
怒りや苛立ちの表情ではなく、いつもの平静な顔のままだ。

子どもが、孫が笑顔でいられるために
祖母は一人で犠牲を払っていたのだろうか。

だとしたら、穏やかな仮面の下に埋もれてしまった
祖母の本当の気持ちを、孫の僕は知ることはできないんだろうか。



人が一緒に住むのは、結婚するのは
それが心地よくて幸せだから。

なのに、いつしか我慢大会になっている。

あるいは上の立場(と思い込んでいる者)が
下の立場の者に我慢を強いたり、こき使ったりする。

そして、この我慢大会が”美徳”とさえ言われ
何代にも渡って下の世代を我慢の渦に巻き込む。

どうしてだろう。

どうして我慢が”当たり前”なんだろう。

我慢が当たり前だなんて、誰が作ったんだろう。
なぜ代々受け継ぐんだろう。



帰省するたび、にこにこと迎えてくれる祖母の表情を
素直に見られなくなった僕は、

そんな我慢大会への疑問を抱きながら
次に帰省する日を楽しみにしている。


posted by 理琉(ワタル) at 23:10 | TrackBack(0) | 家族

2019年08月19日

愛車とお別れした日のこと。

車を持ったことのある人なら、
同じ思いをしたかも知れない。

僕がかつて、車を持っていたときに、
何よりも辛かった日。

それは
愛着のある車を手放し号泣したあの日。



どこにでもある、中古の軽自動車だった。

当時、もともとカツカツだった僕の生活が
精神状態の悪化とともに苦しくなり、
毎月の駐車場代も負担となっていった。

迫る次の車検費用がとても出せないことから、
車検を通さず、涙ながらにお別れすることになった。



次の車検の日、それがきみと一緒にいられるリミット。
1年ほど前から、何となく予感はしていた。

実の家族と上手くやれず孤立無援、
懸命に一人暮らしするので精一杯だった僕は、

お別れするなら行ける場所にはとことん行ってやろうと、
出せる遠出の計画をすべて出し切ることにした。

人間と、もの。それがわかっていてなお、
行った先で見た景色、空気を共有したいと、
”二人”での旅と勝手に思い走り続けた。



お別れする前夜、最後のドライブに行った。

きみを停めてある駐車場、この夜が明けて
次の夜が来る頃は空っぽになってるんだと思うと、
運転中に涙がぽろぽろと溢れてきた。

僕にもっと稼ぐ力があれば、
すぐに精神が崩れて仕事が続かなくなることがなければ、
きみとお別れせずにもっと一緒にいられたのにと、

まだ走れるのに自分の都合で所持できなくなったことを
激しく悔やんだ。

ごめんね、ごめんね、僕はきみにとって
決して良い持ち主ではなかったねと何度も繰り返した。

別れたくない、と叫んでいた。



無事故、無違反、免許はゴールド、
最高速度50キロ、”超”がつくほどの安全運転。

急発進や急ブレーキをせず、
車体に負担をかけないように乗ってきたが、
不覚にもパンクやガス欠で複数回、JAFのお世話になった。

コンビニやドラッグストアの駐車場に避難し、
JAFを待ったあの時間。

一度だけ交差点の真ん中で立ち往生し、
周りに大迷惑をかけてしまったあの時間。

苦い思い出が次々と蘇り、またごめんねを繰り返した。



大雪が降った翌日、ただの雪山になった愛車の救出に、
必死で雪かきをしたこともあった。

マイナス10度を下回る日が続くと
エンジンがかからなくなる恐れがあるので、
毎朝毎晩エンジンをかけては、車内でだらだらした。



あたたかい季節に遠出しては、車中泊したこともあった。

軽自動車は当然広くなく、充分に足を伸ばせはしないが、
その狭さも僕にとっては心地よかった。

シートを倒して寝るのは初めこそ痛かったが、
徐々にあの硬さに慣れ、熟睡できるようにすらなった。

親と言い合っては家を飛び出した夜も、
絶妙な狭さの空間は寝ぐらになってくれた。



思いつきの弾丸旅行にたくさん行き、
海を見たい、自然に浸りたいという思いつきにも
付き合ってくれて、一緒に景色を見た。

きみが居なかったら絶対に行かなかった場所、
乗せなかった人、運ばなかったもの、

ものに感情移入をかなりしてしまう僕は
あまりにも多くの思い出を作り過ぎてしまった。



最後のドライブから帰り、いつもの駐車場に停めた時、
すっかり夜が更けていた。

運転中に嫌というほど号泣したから、
もうさすがに大丈夫だろうと思ったが、
惜別の思いで、車からしばらく降りられなかった。

これまでいっぱい運んでくれてありがとう、
楽しかったよ、幸せな時間だったよ、
運転席から見る景色が大好きだったよ、

ごめんねではなく、ありがとうになった会話は
しばらく続いた。

また、ぽろぽろ泣いていた。



1キロくらいの引取り先へ
愛車を運転して持って行く当日、
寂しさにかられながらエンジンをかけた。

すると、いつもの起動音ではない、
弱弱しいエンジン音が聞こえたかと思うと、
エンジンの異常を示すランプが点灯した。

アクセルを踏んでも30キロ出ない。

それどころか前後にガクガクと揺さぶられ、
引取り先に辿り着けるかも危うい状態だった。

突然だが、明らかにエンジンがおかしくなっていた。



あまりにもタイミングが絶妙過ぎる、きみの故障。

あぁ、もしかしてきみは、限界だったのかなぁ。

前日の夜、最後のドライブに連れて行ってくれたのは、
もしかすると最後の力を振り絞って、気丈に振舞って、
僕とのラストランを安全に過ごさせてくれたのかなぁ。

本当はもう疲れ果てて、眠りたかったけど、
そんなお別れはしたくないと思ってくれたのかなぁ。

やっと到着した引取り先をあとにする時、
そんな偶然の重なりがまた僕を、涙に暮れさせた。



ONE PIECE の名場面で、限界を超えた麦わらの一味の船
ゴーイングメリー号が仲間救出に成功した直後に
崩れ落ちてしまうシーンがある。

限界を超えていたはずの愛車がそんな素振りを見せず、
お別れするその日になって急に故障したのは、

きっとメリー号と同じように
最後まで僕を安全に運ぼうとしてくれたのかと思うと、
愛車とメリー号がどうしても重なって見えた。

走行距離13万6千キロ、
大切な相棒の、見事な生き様だった。
おれは今 奇跡を見てる
もう限界なんかとうに越えてる船の奇跡を

長年船大工をやってるが
おれはこんなにすごい海賊船を見たことがない

見事な生き様だった


『ONE PIECE』44巻 430話 より



人、もの、出逢いがあれば必ず別れがある。

そんなことはわかってる。

深過ぎる思い入れと愛着は
相手がものだろうと涙を溢れさせる。

好きな時に好きな場所に行けなくて不便、
これで維持費にかかっていた分をどうこうできる、
手放す時にそんな打算は消し飛んでいた。

ただ、お別れの悲しみと寂しさで、
溢れる涙を受け入れるしかなかった。



わりと古い年式の中古車だったから、
次の買い手を待つのではなく、
廃車にされてしまったかも知れない。

僕はあえて、その後の運命を聞かなかった。

自分に稼ぎと力がなかったせいで廃車に…
という後悔の念はとめどなく押し寄せた。



だけど、お詫びの言葉ばかり浮かんで来ても、
最後は無理やりお礼の言葉に変えた。

月並みで、シンプルな言葉に。

「今までありがとう。」


posted by 理琉(ワタル) at 23:28 | TrackBack(0) | 生き方

2019年08月18日

帰り際の涙。

母方祖母の家を離れる時、
小さい頃から今に至るまで必ず
別れ際とその後しばらく涙を流す。

それは今回の帰省時も変わらなかった。



子どもの頃、父方祖母の家をあとにする時
泣いたことはなかった。

まだ実家を縁があった頃、
実家をあとにする時も涙は出なかった。

どうして母方祖母の家から離れる時だけ
こうも毎回泣いてしまうんだろう。



祖母の家の大掃除をした時、
産湯というか、乳児用のお風呂が出てきた。

このお風呂に入れられている僕の写真は
遠い昔に見せてもらったことがある。

それを思い出して一つ考えたのは、
この家では少なくともお風呂に入れてもらう時は
僕は抱っこをされていたんじゃないかってこと。



僕の母がまったく抱っこをしなかったとは思わないが、
もしかすると僕のことを一番多く抱っこしてくれたのは
母ではなく祖母だったんじゃないだろうか。

もちろんそんなことは憶えていない。けど、
毎回祖母の家を離れる時だけ涙が出るのは
抱っこされたり安心できる唯一の場所がここだから
離れたくない思いが根底にあるんじゃないだろうか。

確かめる術がない中、僕は掃除を手伝いながら
一人でそんなことに考えを巡らせていた。



僕は残念なことに、実の親を信頼できていないし
味方とも思えていない。

だけど母方祖母の家だけは、これまで一度も
来たくないと思ったことがない。

それは、ここにいれば大切にしてくれる、
ここにいればひとまず安心だという思いが
無意識に涙を流させているのかなぁと推測していた。



僕はなぜか時々、「抱っこされたかった」
という思いが湧き上がってくる。

「無条件の愛情がほしかった」に混じって時々。

もしかすると、それらは実の親からでなく、
祖母の家に来た時に貰えていたのかも知れない。

確かめようもないけど、ここへ来るといつも
もっと居たい、帰りたくないと思ってしまうのは、
僕にとっての拠り所だから、なのかも知れない。


posted by 理琉(ワタル) at 22:39 | TrackBack(0) | 家族
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理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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