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2019年08月20日

姑と、嫁だった祖母の我慢。

母方祖母はいつもにこにこしている。

祖父が亡くなって以来、
寂しそうな笑顔と笑い声を頻繁に見せるが、

決して怒った顔やふてくされた態度を
特に僕ら孫の前では表に出さない。

そして、僕らの前では決して愚痴や小言を言わない。



そんな祖母に気づいたのは最近になってからだが、
祖父が亡くなった時でさえも号泣することなく、
ほとんど表情を変えずにすすり泣くに留まった。

ちょっと怖いぐらいに穏やかな表情を崩さない祖母を見て、
もしかすると祖母はにこにこした表情以外を許されない環境で
長年自分を抑えてきたのでは、と思い始めた。

怒ったり悲しんだりする表情を押し殺し続けた結果、
我慢し過ぎて表情が消えてしまったのではないかと
不自然に思うようになった。



この家はもともと舅、姑、祖父母、
そして母ら弟妹が同居していた。

姑である曾祖母は活発で何事にも厳しく理想の高い、
悪く言えば小言が多く人を支配しがちな人だったらしい。

嫁としてこの家に来た祖母は長い間、
姑である曾祖母に仕えていた。

叔母の話によると、昔の感覚では
嫁は我慢してなんぼの世界であり、
姑とは完全なる上下関係が当たり前だった。

曾祖母が存命中、祖母は叔母に
「私だから曾祖母に仕えていられる」と
こぼしていたそうだ。



そんな状況で、嫁として家に入った祖母にとって、
姑に逆らうことは許されなかっただろう。

お手伝いさんのように働かされ、
機嫌を取るために明るい表情を作らされ、
それが何十年と続いたとしたら、

怒りや憎しみは抑え込むことが普通になり、
怒りの表情をしないことが当たり前になっても
何ら不思議ではない。

当時、僕は当然生まれていないので、
嫁姑問題の現場を知るよしもないが、

祖母の穏やかな笑顔が
そうやって自分を押し殺してきた結果なんだとしたら、
今さらながら祖母の悲痛な心の叫びが聞こえるような気がした。



耳が遠くなった祖母に対して、
女性陣が声のボリュームを上げがちになる。

言われた直後はマイペースにやり過ごすように見えるが、
その後「ちょっと大きな声がきついねぇ」と
独り言をこぼす祖母に僕はようやく気づいた。

だが、そういう小さな愚痴をこぼす時でさえ
怒りや苛立ちの表情ではなく、いつもの平静な顔のままだ。

子どもが、孫が笑顔でいられるために
祖母は一人で犠牲を払っていたのだろうか。

だとしたら、穏やかな仮面の下に埋もれてしまった
祖母の本当の気持ちを、孫の僕は知ることはできないんだろうか。



人が一緒に住むのは、結婚するのは
それが心地よくて幸せだから。

なのに、いつしか我慢大会になっている。

あるいは上の立場(と思い込んでいる者)が
下の立場の者に我慢を強いたり、こき使ったりする。

そして、この我慢大会が”美徳”とさえ言われ
何代にも渡って下の世代を我慢の渦に巻き込む。

どうしてだろう。

どうして我慢が”当たり前”なんだろう。

我慢が当たり前だなんて、誰が作ったんだろう。
なぜ代々受け継ぐんだろう。



帰省するたび、にこにこと迎えてくれる祖母の表情を
素直に見られなくなった僕は、

そんな我慢大会への疑問を抱きながら
次に帰省する日を楽しみにしている。


posted by 理琉(ワタル) at 23:10 | TrackBack(0) | 家族

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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