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2019年01月20日

父との関係。(5) -大学〜就職-

自閉傾向の僕と父との関係シリーズ
久しぶりの連載(?)再開です。

↓これまでの父との関係シリーズ↓

「父との関係(1) -小学校-」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/12/0

「父との関係(2) -中学校-」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/13/0

「父との関係。(3) -高校1〜2年-」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/16/0

「父との関係。(4) -高校3年-」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/21/0

合格した大学は実家から2000キロ遠方、
この間はほぼ会わなかったので、
第5弾はどこまでで区切ろうか悩みました。

書きたいエピソードが多すぎて長編になるので、
ひとまずは大学卒業〜最初の就職までを
ひとくくりにしてお届けします。

父の一言にショックを受けたまま引っ越し


大学に合格した直後、何気ない会話で聞いてしまった
「ここしか受からなかったんです」という父の言葉。

意味をそのまま飲み込んでショックを受けたまま
大学近くのアパートへ引っ越しました。

もっとも、見知らぬ土地へ引っ越すと、
僕をいじめた連中から離れられたこと、
自分を知る人間が誰もいないことへの安堵感から、

ショックを受けた傷が埋もれていきました。



高校までで懲りたのかと思いきや、
バスケをやりたいと大学でもバスケ部へ入り、
入学式前からびっちり練習に明け暮れる生活になりました。

かなり遠距離で交通費が高額となるため、
実家への帰省は1年に一度、夏休みか冬休みのどちらか、

父どころか家族へこちらから連絡することは一切なく、
完全に音信不通となりました。

母は当時から現在に至るまで携帯を所持しておらず、
たまに実家の固定電話から来る着信が唯一の連絡でした。

バスケ部飲み会での追い出され事件


毎年どこかの学校で発生する、
痛ましい新入生の急性アルコール中毒。

僕の大学はそこまで過激な風潮はなかったものの、
大学に入ると避けて通りづらいのがお酒デビュー。

僕はアルコールの味が苦手で現在も好んで飲みませんが、
大学2年の時、「飲み二ュケーション」の餌食となりました。



ある時、バスケ部の飲み会で盛り上がった最中、
ノンアルコールカクテルを注文したことがきっかけで
かなりお酒が入っていた同級生に絡まれました。

ここで「お酒は苦いからノンアルがいい」
と飲酒を断ったところ、同級生と先輩が逆上、

「つまらんヤツは帰れ帰れ!」

と突き飛ばされ
裸足のまま席を追い出される事件へ発展しました。

寒い季節ではありませんでしたが、
突き飛ばされた理由がわからない理不尽さと
追い出されるのを誰も止めなかった狂気への恐怖から、

靴を回収できないまま
靴下でアパートとぼとぼ歩いて帰りました。



翌日の練習からは、先輩はともかく
同級生からは完全にいないものとして扱われます。

無視、口を利かれないのはもちろん
練習で必要なコニュニケーションも拒否、

卒業間近までずっと練習に参加していましたが、
結局それは最後まで変わることはありませんでした。

そんな状況なのにどうして辞めなかったのかと
今考えても本当に不思議で仕方ありません。



この事件により、
安くない金銭負担で大幅に精神力を消耗する不条理、
そして酒の席での振る舞いや断り1つが
こうも人間関係を左右するのかという不信感から、

飲み会という儀式への嫌悪感が決定的になりました。

アルコールの苦みや強い味になじめない中で飲酒の強制、
ノリ重視の集団圧力も苦痛でした。



就職してサラリーマンになると、
こんな無意味な儀式に強制参加させられるのか、
というところへ発想は飛躍し、

漠然とながら、
就職してサラリーマンになる生き方に
意味を見いだせなくなりつつありました。

なお、僕から実家へ連絡することがない以上、
当然ながらこの事件も伝えることはありませんでした。

就職への疑問、しかしやりたいことも定まらず


大学院への進学組を除いて
周りはこぞって就職活動を始めていきました。

どうしてみんな就職していくんだろう、
自分も就職しなければならないんだろうかと
疑問は日々増していきますが、

当時は他にお金を稼ぐ術や生き方を知らず、
卒業後にやりたいことを考えるでもなかったので、

何となくファッションになら興味ある、くらいで
当時アルバイトしていたレディスアパレルショップに
流れのまま就職を決めてしまいました。



飲み会での事件や、会社員として働くことへの疑問など
大学4年間で感じた社会への理不尽さや不条理は
当然のように親へ一切話していませんでした。

大学院へ進学したければしてもいいと
母を通じて言ってもらいましたが、

当時はぼんやりした人生への疑問以外に何も定まらず
修士課程へ進むわけでもなく、働く意味も見出だせないまま、

単位を1つも落とさなかったことを唯一報告し
卒業を選びました。



※「親に誉められたかった。」で熱く(?)語りましたが、
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/17/0
 学生生活が終わるこの期に及んでもまだ、
 僕は親に誉められたい思いを捨てられずにいました。

 要領の悪さから和訳に膨大な時間がかかり
 研究室へ連日泊まり込んで勉強した
 古代ギリシア語をなんとかクリアし、

 大学で取った全ての授業の単位を落とさなかったこと、
 空きコマを作らず、卒業に必要な単位+40単位を取ったことを
 僕は少しでも認めてほしかったんですが、

 「勉強しに行ったんだから当たり前だ」
 という返事だったと、母から聞きました。



 9割諦めてはいても、いつの日か父から認められる希望を
 捨てなければいけないと、自分自身が認め始められるようになるのは
 もう少し先になりそうだと実感しました。

彼の父親は、家業の商売を通じて彼に能力が足りないように感じさせ、
それによって自分はすぐれているという満足感を保ってきたのである。

彼はその後、少し時間はかかったが、
父がいつの日か変わってくれたらという希望を
捨てなければならないことを理解することができた。

現在は、そのような父に対する対処の仕方をどう変えていくか、
つまり、自分がどう変わればいいのかという課題に取り組んでいる。


「毒になる親」 第三章 コントロールばかりする親
”子供の能力を永久に認めないタイプ” より


就職へ疑問を抱いたまま就職


就職したアパレルショップは
全国に店舗がある業界大手でした。

何となく地元勤務を希望するも叶わず、
住んだことのない地方の店舗に配属となりました。

レディスとはいえアパレル販売員として
1年間アルバイトで経験を積んでいたので、

業務内容そのものでつまづくことはなく
これまでの延長のような形でそれなりにやっていました。



しかし、そこは社会からのはみ出し歴=年齢。

順調にいくはずもなく、
不条理に対してまたも変な形で逆らっては
調子を崩していくことになります。



なお、初任給で僕は両親へ
お茶の急須セットを贈りました。

離れて感じたありがたみは少なからずあったし、
本心では働いてほしかったのかどうかはともかく

「国立なら全国どこでもいい」と、
遠方の大学へ送り出してくれたことに恩義を感じていました。

髪型、髪色の男女差別に噛み付く


レディスアパレルショップなので
男性の店員は僕だけ、

女性はみんな茶髪、金髪に染めたり、
長く伸ばしたりピアスなどアクセサリーを付けたり自由。

アルバイト時代は何も言われなかったのに
就職した途端、いきなりこう言われました。

「男は真っ黒、短髪にしろ、アクセサリー禁止」

これに対し、なぜ男だけダメなんだと納得いかず、
エリアマネージャーに噛み付いてしまいました。

・入社時に渡された社内規則に書いてのにどうして?
・周りを見渡してください、黒髪短髪の女性スタッフいます?
・女性はあんなに自由な格好に髪型なのにどうして僕だけダメなんです?
・僕以外の貴方の部下たちの格好を見ても言えますか、男女差別ですか?



エリアマネージャーは40後半〜50歳くらいの小太りな男性、
スタッフの間では「おにぎり」と呼ばれていました。

彼が県内の店舗を巡回し、僕が在籍する店舗に来るたびに
同じことでバックヤードで言い合いになりました。

「男とはそういうものだ
君が間違ってるんだから君が正せばそれでいい
黒髪短髪にしない限り店長にさせんぞ!」

毎度バックヤードで言い合いの末に号泣する僕に
エリアマネージャーが繰り返しこう言ってきました。

男性は黒髪短髪でないと嫌悪される現代日本の風潮
言わなくても暗黙の内に同調させようとする圧力。

思えばこの頃から、
暗黙や曖昧がわからない特徴が全面に出てました。

就職してからずっと、わざとダークブラウンを貫いたのも
反抗的な態度の表れでした。

昇格、異動、鬱病


こんなやり取りが続く中、新店への異動が決定、
しかもなぜか副店長に昇格しました。

徒歩5分だったこれまでから、
隣町まで車で2時間半、高速を使って1時間ちょっと。

120坪を超える新規オープンのショップを
スーパーバイサー(SV)兼任の店長と僕の2人で回すことに。



長い通勤時間はきつかったけど、

店長1人で回す「ワンオペ」の店舗が県内に複数あり
そこの店長が体調を崩して倒れるたびに
僕がその店舗へヘルプに行って代わりにワンオペ
それが終わってから自店に移動して閉店作業を手伝う

これが一番堪えました。



さらに、女性社会特有と言うと語弊がありますが、
直接言って来ないけど陰ですさまじく言われていて
たった一言でも全て店長、エリアマネージャーへ報告され、

後から店に電話がかかってきて怒鳴られる
でも営業中だから絶対泣くんじゃねぇぞ、ガチャ。

こんなことが続いてとうとう限界を感じ、
藁を掴む思いで精神科を受診しました。



鬱病でした。

男とは、という洗脳


身体が重い、耐え難い眠気、無気力感、
しかし鬱病になったことは親に知らせず、

就職して2ヶ月目くらいに
「仕事を辞めたい」という内容のメールを送りました。

その日の夜、
父から返って来た返信に愕然。

2ヶ月しか働いてないくせに何を甘いことを言っている。

その程度で仕事を辞めたいなど、社会を舐めてるのか
男とははどれだけ仕事が苦しくても家族のために耐えて働くものだ。

こんなことで連絡してくるなど、
お前には社会人としての覚悟と忍耐力と根性がない。


完全に頭が回ってなかった僕は
「社会人とはそういうもの」という洗脳にまんまとハマり
以降、誰にも助けを求めないまま更に2ヶ月、この生活を続けました。

挙動がおかしくなり強制休職、退職へ


遅刻、欠勤はゼロ、
自店勤務、他店ヘルプを問わずきちんと出勤はしますが、
明らかに様子がおかしくなり始めていました。

日中、商品を畳みながら眠気で倒れかける
他店ヘルプ時、会計に呼ばれても上の空

しかしワンオペであることはお客さんの目にも明らかで、
クレームどころか「大変だねぇ1人で…。」と同情されました。

自店勤務の際も同じようなことが目立ち始め
さすがに様子がおかしいという話になったらしいです。

「なったらしい」というのは
僕自身がそれを認識できてなかった故です。



ある日、
「健康に見えない店員をショップの看板として立たせられない」
というようなことを言われ、

店長とエリアマネージャーから実家へ連絡が行き、
両親がはるばる訪れての面談となりました。

これにより3ヶ月間の強制休職が決まり、
一旦は実家で療養することとなります。



仕事のプレッシャーから一時は解放され
復帰を目指していましたが、休職期間の終わり頃になると悪化。

「おにぎり」と呼んでいた
エリアマネージャーの元へ帰りたくないあまり、

「おにぎりやだ…。」

と終日つぶやいては寝たきりとなったため、
半ばドクターストップのように退職となりました。

実家へ、そして闘病開始


新卒入社した会社の在籍期間は7ヶ月、実働期間は4ヶ月。

玉砕した僕に対し、メールでは「男とは」と言った父は
責めるようなことは言ってきませんでした。

根性が、耐えるのが、という思想の父には
精神疾患という概念が当時はありませんでしたし、

恐らく父の中にある病人のイメージとかけ離れ過ぎて、
かける言葉が見つからなかったのかも知れません。



実家に帰って2ヶ月くらい、僕は寝たきりだったので、
やはり父と会話する機会はほとんどありませんでした。

責めるでもなく、慰めや励ましを口にするでもない。
きっと父だけでなく、家族全員が戸惑いの中にいたでしょう。

両親からすれば、大学まで行ったのだから、
期待していたのにこんなはずじゃなかった、
という思いは少なからずあったかも知れません。



リビングから少し離れた、畳の一室。

昼間と夜とも取れないような、
時間の概念すら忘れるような、
布団と天井と暗がりだけが広がっていた2ヵ月。

何を食べて、いつ入浴して、誰と話して、
どうやって過ごしていたかは霧の向こうに見えました。



割と短い期間で区切ったつもりが、
案の定、大長編となってしまいましたね。

今作はひとまずここまでとしますが、
こんな状態だった僕はどうやって再起できたのかを
おいおい書きたいと思います。


posted by 理琉(ワタル) at 13:28 | TrackBack(0) | 家族

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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