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2018年12月21日

親に褒められたかった。

ちょっと2日ほど泣き明かしてしまい、まぶたが腫れ気味です。



つい先日、母と電話でやり取りしていて、
今は就職せずにお金を稼ぐ活動に色々挑戦していると伝えたところ、

「へぇ、そうなんだ」と一旦受け止めるではなく、
数字=結果が出ていないのを咎められたことが発端で
喧嘩というか揉めてしまいました。

「あなたの生活のここがダメ」
「収入がないんだからこれこれこうしなさい」
「資格の勉強をするなら実家に置いてあげる」



これまで親に対し、嫌なことをはっきり嫌と言えず
呑み込んだまま黙って睨みつけることを繰り返してきた僕は、

タイミングが良かったかはともかく、
初めてストレートに「嫌です」と返しました。

僕はこの時、いささか冷静さを欠き、
怒りに支配されかけていることは自覚していましたが、

この直後に母から放たれた言葉は
これまで散々言われてきたとわかってはいても、
二晩泣き明かすには充分な破壊力を持っていました。

「少しは周りに合わせることを考えなさい」
「貴方はあまりに自己中心的」

これに過剰反応し、一人口論のような様相を呈したまま
電話を切ってしまい、今に至ります。



就職以外の方法で、という話に戻りますが、
今年の夏に会社員を辞めてから、
僕が新しく取り組んでいるお金の稼ぎ方は以下です。

・失業保険

・クラウドソーシング「ランサーズ」でのWebライター(半年で25000円程度)

・クラウドソーシング「クラウドワークス」でのWebライター(半年で10000円程度)

「A8.net」を利用したアフィリエイト(まだ0円)

・仮想通貨(まだ数100円)

3ヶ月くらい派遣アルバイトもやりましたが、
あいまいな指示が理解できなかったことでミスを重ねてしまい、

ついには大勢の前で吊るし上げられてから
怖くなって行けなくなりました。



なので、来年夏に失業保険が切れた時、
もし目立った行動や実績を何も上げられなければ
最悪の場合、家賃払えなくなって終了です。

※障害年金は申請しましたが、
 大学卒業と一般枠の就労実績という傷経歴、
 そして何より一人暮らしという点が仇となり

 診断書裏面の生活への支障度の点数のみで判断される現実では
 落ちるのがほぼ確定でしょう。

※住宅確保給付金は申請まで行きましたが、
 ある月の合計収入が行政の規定額を超えたため
 申請取り下げとなってしまいました。



ただ、そんな状況であろうと僕にとっては

「家がなくなる恐怖<<<会社で働く苦痛」

そしてかなり投げやりなことを言うと
これ以上否定と罵倒され続ける人生なんか
いつ終わってもいい、と思ってる自分がいます。

みんなできることができず、「普通」になろうと食らい付いても
せいぜい1〜2日くらいミスせずにやり過ごせる程度。

怒られる地雷の場所と、踏んだ地雷が爆発する理由がわからない。



僕にとって、
「生きるということ=否定されること」
という、自分でもわかるぐらい偏った捉え方をしており、

否定される場所に身を置くくらいなら
生きることが終わってしまった方が楽でいい、
と考えている節があります。

そしてその根底には、僕がこれまで属してきた集団の中で
社会人バスケ以外では決して得られなかった
「褒められる」「認められる」ことを
何より求めている自分がいます。



父との関係。(2) -中学校-」で触れた通り、
僕は家族から褒められる、認められるという記憶がありません。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/13/0?1545401648

それと、僕から親に甘えに行ったり、泣き付いた記憶もありません。

最近知ったことですが、あの家庭の教育方針としては
小さい時は厳しく、成長するにつれて緩くしていき、

特に父は厳しく育てられる中でとことんぶつかって言い争って、
何度跳ね返されても向かって来てほしかったそうです。
(又聞きなので真相不明)

千尋の谷から這い上がれと「明確に言わずに」態度のみで示す
親ライオンのようでした。

僕は幼少でぶつかるのを諦め、
突き落とされた千尋の谷から立ち去ってしまったので、
その点では親の思惑は完全に裏目に出ていました。



それでも僕は1度でいいから
親に褒めてもらいたくて、認めてもらいたくて

テストの点数を取ったり、
受験に合格したりしてきたところがあります。

結果を出せば、褒めてもらえるかも知れない。
結果を出せないから褒められないのかも知れない。
でも結果という条件付きであってほしくもない。
自分は本当にここに存在していいのか。

いろんな欲求と憶測が錯綜してました。

当時の僕と重なる曲が、解散してしまったけど
「カメレオ」というヴィジュアル系バンドの

『検索結果0』

何度聴いても目頭が熱くなります。

痛い 辛い 怖い 死ぬ勇気がある方がマシ…
「私、なんで生まれてきたんだろう…」




歳を重ね、両親は昔よりかなり丸くなりました。

発達障害が次第に市民権を得てきてくれたこともあって、
けっこうな数の本を読んで勉強もしたそうです。

ただ、僕がずっとほしかったのは、
ちゃんと自分を見て、愛情を注いでくれていることを
言葉とスキンシップで伝えてもらうことでした。

日本は謙遜の文化、「照れ隠し」という単語もある、
それは成長につれて少しずつ学んできましたが、

僕は冗談や皮肉が理解できなかったので、
否定された言葉は全て真に受けてきました。



父は真意はどうあれ、決して人を褒めることをしないし、
母は父ほど頭ごなしに言う頻度は低いけど、
やはりはっきりと褒めることはありません。

そして何より2人とも、「こうしなさい」とは言いますが、
「どうしたの?」と相手に興味を持つ言動を決してしません。

何十年も培われた人の価値観が変わることは難しい、
期待しても傷付くだけと頭ではわかります。



仮に今から、ものすごく褒められたとしても
僕が求めていたものが手に入らないことも理解しています。

小さい頃、まだ親が大人の世界の代表だった頃に
親に褒められて、認められるというのは

例え若返ったとしても、タイムマシンを使ったとしても
絶対に手に入りません。

冒頭で書いた母との電話のやり取り、
客観的に見ればそこまで熱くなるようなことでもないです。

でも僕は、手に入らないとわかっていてなお、
まだ親に褒められたい欲求が残っていて、
心の底で期待してしまってるんです。

親に愛を求めるのは、
「いまの自分」ではなくて「子どものころの自分」。

過去の思いがいまだに解消されていないから、
子どもであったときの自分の気持ちを、子ども目線で求めてしまう。
だからつい必死になってしまう、ということなのです。

悲しいことに、そうやって
「わかってほしい、認めてほしい、愛してほしい」
という気持ちを親に求める人ほど、

親子関係で満たされた経験が乏しかったことが多いのです。


「母と娘の「しんどい関係」を見直す本」 より



ちょっと冷静になれば、軽く流しとけばいい、
当面のためだったら適当にバイトすりゃいい、で終いです。

始めてから1年も経っていないとはいえ、
”親の価値観”をベースに考える働き方とは違うことを僕がしていて
彼らが満足する数字=収入に満たないから突っ込まれ易かったこと、

それから僕の人生で散々言われてきた
「自己中心的」をまた言われ、傷付いたこと、

どこまでも折り合いの付かない気持ちの暴走から、
半ば喧嘩別れのように振舞ってしまったんです。

※こうやって分析できる程度には冷静さを取り戻した自分がいます。



またバイトなり何なり、
想像できないけどやってるかも知れません。

就職せずに、何か未知の方法で
食い扶持を稼げるようになってるかも知れません。

どうなってるかは誰にもわからないけど、
親から褒められたかった感情とは
たぶん僕が生きてる限り付き合うでしょう。

ひとまずは「褒められたかったんだな」という思いを
受け入れられただけでもよしとします。


posted by 理琉(ワタル) at 23:16 | TrackBack(0) | 家族

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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