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2018年12月19日

【アダルトチルドレン】父との関係。(3) -高校1〜2年-

ずいぶんと間が空いてしまいましたが、
自閉傾向のある僕と父とのノンフィクション
第3弾は高校1年〜2年生です。

父との関係(1) -小学校-
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/12/0

父との関係(2) -中学校-
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/13/0

本や漫画を読んだり、
地図や年鑑を眺めたりするのが好き、

一方で理科数学への興味が薄れつつあったこの頃、
本人出演でお届けします。それではどうぞ。

私服の高校だけに絞って


高校でもっと勉強したい、
などという気持ちは微塵もなく、

ただ週の大半バスケできる環境を求めて
なんとなく高校受験に臨んでました。

ただ、この頃から既に
みんなと同じ制服を着たくなかったので

制服のない私服の学校だけに絞ってました。



当時、市内で点数的に1、2番だった公立高校が
幸いにも合格圏内、ともに制服がなかったんですが、

父との冷戦状態の無言中学生は
ここで以下の選択を迫られました。

・1番の高校
 父の勤務先でありバスケ部コーチ、徒歩10分

・2番の高校
 父の母校、自転車で10分



父と同じ体育館でバスケしたくない、
廊下ですれ違いたくない思いから
2番だった市立高校へ進むことになりました。

※後から知りましたが、
 「制服のない公立高校」というのは
 あまり多くないみたいですね。

 当時住んでいた市内ではなぜか
 制服のない高校の方が多かったです。

化学と物理に興味が持てず


入学後いきなり発動したのが
半年間クラスの誰とも話せなかった
孤立スキルでした。

それでも地理歴史は「国旗マニア」と揶揄されるほど
好きで意欲的に取り組んでましたが、

もう高校レベルになると
理科数学の難しさにやる気を失いました。



しかし家では一切の会話なし。

成績表を見せる、学校であったことを話す、
父帰宅を玄関でお出迎え、こんなことは皆無。

よって、高校の数学教師である父と
「ここわからないから教えて」
などというやりとり発生確率ゼロ。



それでも無意味な暗記テストというのはあるわけで。

国、英、地歴に比べて
理数は当然のごとく下降線。

特に化学、物理の計算系がひどく、
教科書を丸暗記して赤点だけ回避は
最終どころか常用手段でした。

成績の落差が激し過ぎたため、
さすがにこの頃は父も勘付いていたかも知れません。

しかし、教えてくれとは一切言ってこないし、
まして帰宅する頃には勉強部屋にこもっていて
顔すら合わせないまま

1年、2年と過ぎていきました。

朝5時に起き、隠れてTVゲーム


当時、
父はTVゲームのドラゴンクエストにはまっていて
みんなが寝静まった後、1人でメモを取りつつ
毎晩プレイしてました。

僕も小学生からドラクエが好きで、
話題となっていたドラクエ7は
最終的に300時間以上やりこみました。



ただ、この300時間のほとんどは
早朝5〜6時までにこっそりと。

・TVとゲーム機は居間にのみ1台、
・日没以降と父が在宅時は基本ゲーム禁止

という謎のルールがあり、
更に誰かがプレイしてると必ず口出しする父には
見られたくなかったのもあって、

家族が起きてくる前に
こっそりやるしかありませんでした。

たまに母が起きてきて
寝室の戸がいきなり開いた時には
いつも心臓が飛び出る勢いでした。



こんな早朝のゲームウォーもあり、
成績に落差はあったものの、

大学を目指せる程度は維持していたので
勉強しろに準じたことは言われませんでした。

※むしろ何も言えなかったのでしょうね。
 お互いの距離が遠すぎて。

数学教師の息子なのに、と言われる


僕は文型、理系という言葉は意味がないと思ってますが、
苦手が極端になってしまったために
周囲からいつも言われたのがこれ。↓

「数学教師の息子なのにどうして理数が苦手なの?」

それも、僕に直接ではなく、
例えば母がPTAその他の席で話していて
その場の誰かがぽろっと言った、とか

学校で担任その他の教師たちが
立ち話しているのをふと聞いた

といった間接的なものでした。



一番ひどかったのは数学より物理でしたが、
中1の時に1回だけ数学のことで父に相談した時、

1問につき1時間、長い自分語りをされるのが嫌で
わからないから父に聞くという選択肢は
とっくになくなっていました。



今考えると、
たかが高校のテストの点数だけの話です。

でも当時の僕は
どうしてできないんだという劣等感と
直接言ってこない周りへの不信感に
半ば支配されていました。

この段階まで来ると思春期の親子の冷戦ですらなく、
ただの同居人となったまま、大学受験に向かっていきました。

進路相談なしで受験生へ


本当は高校3年間をこの記事1本で
書ききるつもりでしたが、

やっぱり内容がぶ厚くて書ききれませんでした。

長くなったのと、お腹いっぱいになりかけてきたのと、
受験生の盛り上がりは別記事でじっくり書きたいので

連載(?)3弾目は一旦この辺で。


posted by 理琉(ワタル) at 14:09 | TrackBack(0) | 家族

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理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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