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2018年12月07日

父との関係。(2) -中学校-

幼少から自閉傾向のあった僕と父との関係シリーズ。

今回は僕が思春期に突入して余計こじれた
中学生の時のお話をしようと思います。

→「父との関係。(1) -小学校-
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/12/0

この頃の僕はグレていましたが、その対象は
学校という枠組みの中では褒められるものだったので、
恐らく周りの誰も、僕がグレている認識はなかったでしょう。

褒められず、会話の諦めが加速


小学生時の登校拒否を巡るバトルが発端で
年齢1桁のうちから父との会話がゼロとなり、
すれ違いの極致にいました。

これは僕の自閉傾向と父の性格の相性もあるでしょうが、
僕の中で「怖い」と並んで、話したくなかった理由は
「決して褒められない」ことでした。



僕は幸運にも分数や少数の習得でつまづかず、
学校の勉強はなぜか進んでやっていたので、

この時点ではどの教科でも
父の眼鏡に叶う程度の成績は取れていました。

中学に入っても相変わらず勉強だけは自分でやっていたので、
「勉強しろ」と言われることはなく、

例えばテストで学年2位を取ったり
技術家庭科の先生に作品を褒められたりした時に
当初は褒められることを期待して報告していました。



しかしその度に、僕のことを褒めるどころか
「父さんが子供の頃はな」というような
終わりの見えない自分語りを延々と聞かされました。

成績表を見て、相槌も「おぉ〜」の一言もなく
いきなり長い演説が始まるパターンにうんざりした僕は

登校拒否を試みて諦めた時と同様、
父に何も話さなくなりました。



小学生の時点ではあまり意識していませんでしたが、
褒められないどころか自分を話題にすらされない経験が
積み重なったことで、

この人に何を話しても無駄だという諦めの図式が
早期から成り立ってしまいました。

多感な年齢になって顕在化したんですね。

勉強にグレる


僕は小学校の時、学区からちょっと離れた
ミニバスケット少年団でバスケを始めていました。

少し離れた地域から来た「よそ者」という雰囲気と、
やはり周りに上手くなじめなかった僕は
ここでも孤立してしまいました。

特に1つ上の先輩たちのからかいや、
わざとボールをくれなかったのが嫌で
意図的に練習に遅刻する時期が1年ほど続きました。



6年生になり、先輩が卒業したことで
解放された気持ちでいた僕は
中学校でバスケ部に入りました。

しかし、小学校では学区外のはずが、
入部してみると僕をからかった先輩が
ほぼ全員在籍していました。



さらに、同期の中で気が強い2〜3人が
先輩に怯える僕を目ざとく見つけ出しました。

ボールをぶつけられる、パスをくれない、
無視、蹴られるのが日常になり、

バスケをしているのか、何をしているのか
自分でもぼんやりと不確かになっていきました。



一方、学校の勉強は、
やればやるだけ順位や点数に反映されて、
その時だけでも結果を出した気分になれました。

家にもバスケ部にも居場所がなく、心を閉ざした僕は、
結果を出せる場所へ逃げ込むように、

授業、バスケ部の練習、帰宅、
部屋にこもり勉強するだけの毎日を送っていました。



その矛先が夜遊びやお酒、煙草ではなく
勉強だったというだけで、この頃の僕はグレていました。

帰宅までに表情スイッチを切り替える


帰宅してからの僕は
それこそ能面のように無表情でしたが、

バスケ部の練習帰りは毎日
「もう辞めたい、死にたい」と泣きながら歩いていました。

家に入るまでにどうやって表情を整えていたか
よく覚えていませんが、

僕の中には帰り道でどれだけ泣いても
家のドアを開けるまでにきっちりと無表情に戻すという
謎のスイッチがありました。



小学生の時、学校へ行きたくない気持ちを
ふてくされた態度では何とか示していましたが、

この時点で僕は言葉にも態度にも反応を示さない
完全なロボットのようでした。

僕のそんな様子に苛立った父は、今度は
「しゃべれ!」と怒鳴りつけるようになりました。

学校には休まず通い、それなりの成績は取ってくる、
しかし何も話さないばかりか態度すら変わらない。

家では部屋にこもりきりで顔も見せない、
たまに怒鳴りつけても無言、無反応。

さすがの父も困惑したでしょうが、
中学校3年間、怒鳴る台詞は変わりませんでした。

”アダルト・チルドレンは表情に乏しい”

感情をいちいち認知したり表現したりしていては、
生き残れないようなところで暮らしてきたからですが、

その結果、彼らの表情は不活発で、
なかには能面をつけたかのような人もいます。


『アダルト・チルドレンと家族 心のなかの子どもを癒す』
第3章 ”アダルト・チルドレン” より



3年生の最後の大会が終わり、部活を引退してからは
学校の自習室で勉強、帰宅し部屋にこもり勉強
ただこれだけの毎日が卒業まで続きました。

苦手は顕在化、冷戦は加速


高校は市立の私服校に合格し、
一見するとここまで問題なく進学しましたが、

家では相変わらず父とは会話がゼロ、
ほとんど顔も見ず、態度すら変わらずと、
親子関係は完全に冷え切っていました。

さらにこの頃から、今まで問題なかったはずの勉強、
特に理科と数学の成績や手応えが緩やかに落ち始めました。

中学校卒業の時点では点数にこそ反映されませんでしたが、
特に物理や化学の計算系に限界を感じ始めました。

数学教師の父と、理科数学が苦手になりつつあった僕、
この「冷戦に拍車」状態の高校時代については、
次回また書こうと思います。


posted by 理琉(ワタル) at 19:41 | TrackBack(0) | 家族

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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