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2019年05月03日

唯一の、手を上げられた記憶。

小中学生の頃、毎年の正月は
祖父が他界し一人暮らしとなった父方の祖母宅へ帰省し
元日には古い臼と杵を持ち出して餅つきをしていた。

僕がかつて作ったオリジナル曲にも、
当時の思い出を綴った曲がある。

→「【オリジナル曲】「セピア色の約束」。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/126/0



憶えている限り、僕は親から殴る蹴るといった
直接的な暴力を日常的に受けていた記憶はないが、

唯一、父に殴られた記憶は
まさにこの祖母と餅つきをしている最中のものだ。



小学校5〜6年か、中学生になったあたりだろうか。

母方の実家は車で5時間ほどかかる山村で遠いのと、
祖父母も親戚も健在だったとはいえ、

どうして毎年父の実家にしか来ないんだろう、
母だって年に一度くらいは実家に帰れてもいいのに
不公平だと僕の中に不満が募っていた。

※父の実家の漁村は車で1時間前後の距離。



祖母に逢えるのはそれなりに楽しみではあったが、
とにかく父への不満、憎しみ、不信感が溜まりに溜まって
この漁村には来たくない、餅つきもしたくないと
かなりひねくれていた。

加えて
「学校を休むな!」
「言いたいことがあるなら黙ってないでしゃべれ!」
と怒鳴る父に対して

恐怖で何も言えないジレンマも抱えていた。



そんな悶々とした気持ちで迎えたこの年の元日、
例年通り餅つきをするのだが、

僕の表情は自覚できるくらい明らかに不満そうで、
かなりぶすっとしていたのを憶えている。

ついには餅つきの手を止めがちになり、
祖母は「理琉、どうしたの」と聞いてくれたが
餅つきの様子をどっかり座って見ていた父の口が動いた。



「ーーー!!!!」「ーー!!」



誰が見てもふくれっ面で不満そうな僕に
怒りがこみ上げたんだろう。

「」の中の台詞は忘れてしまったが、
小学生の頃から毎日のように晒されてきた怒声、
身体は相変わらず震えるが、半分どうでもよくなっていた。



餅つきの合いの手を入れていた祖母は困惑、
周りで様子を見ていた母、妹、弟は凍り付き、
誰も動かない瞬間が生成された。

僕はもはや完全に手を止めてしまっていたが、
次の瞬間、僕の左頬に父からの張り手が炸裂した。



当時かけていた眼鏡が吹き飛び、
僕は床に倒れるのはこらえたが、
左目に少しヒットし左半分の視界がぼやけた。

僕は玄関の引き戸を乱暴に空け、
床に転がった眼鏡を回収し外へ飛び出した。



玄関を出れば砂浜まですぐに行ける。

海風の影響で雪はほとんど降らないが、
何しろ1月1日、南国ではないのでそれなりに寒い。

この時、外に飛び出してから数時間は
海と反対方向の村の中心部へ行ったり、
小さな公園や小学校のグランドへ行ったりしたが、
何故か寒さで震えたイメージはない。



ともかく、そうやって村の中をうろついた後、
これも理由がわからないがここで僕の記憶が途切れている。

当日中に祖母宅へは戻っただろうが、
その後どうなったかが記憶からぽっかり抜け落ちている。

追加で手を上げられてはいないだろうし、
何か刑罰を追加されたこともない、と思う。

抜け落ちているので本当にわからない。



僕は今も、自他を問わず
誰かが叱責されたり怒鳴られている場面に遭遇すると
高確率で「ごめんなさい、ごめんなさい」とうずくまるか
その場でフリーズし動けなくなる現象に悩まされている。

→「誰かが叱られる場面に遭遇。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/66/0

 「公式戦から一旦離れる。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/129/0

 「恐怖のフラッシュバック。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/106/0

これをいわゆるトラウマやPTSDというのかはわからないが
思い返せばこの時、真っ先に左腕で顔の左半分をかばう。

幸いにも視力が極端に下がったり
視界が欠けたりはしていないが、

もしかすると、無意識に
利き手と利き目を守ろうとしているのかも知れない。

”子供時代のトラウマとその影響”

トラウマとなった出来事を象徴するような出来事や、
それと似た出来事があると、反射的に、敏感に反応する。

たとえば、人が怒りの感情を見せていると反射的に怯えたり、
人から支配されたり無視されると敏感に反応するなど。


『不幸にする親』 第四章 より




親、特に「父親」と呼ばれる者からの行為として、
漫画の世界ではしばしばこのような意見が散見される。

「親父にもぶたれたことないのに!」

機動戦士ガンダム アムロ・レイ


「親父にだって一度も殴られた事ねェのに…!!」

「ONE PIECE」 1巻 ヘルメッポ

僕がこの当事者となったのは
憶えている限りこの一度だけとはいえ、

「親父に殴られたこと」など
無くて当たり前になってほしいし、
美化されるようなことにはなってほしくない。



”底に沈んだ記憶”

記憶を重りにたとえた場合、
重りで自分自身というはかりが壊れたら困りますから、
はかりが壊れてしまうような重りは乗らないようになっています。

そういう記憶は全部忘却、あるいは否認という形で底に沈んでいて、
その人がだんだん力をつけてきて、はかりの耐える重量が
上がってくると、底にある記憶が浮かんできます。

だから、新しいことを思い出すということは、
その人がある記憶を抱えられるだけに回復したり、
変化したことの証です。


『「アダルト・チルドレン」完全理解』第五章 より

この日の記憶は後半部分がごっそり抜け落ちているのと、
この件に関する自分の感情は正直、今はよくわからない。

殴られたことが憎いのか、怒りなのか、ただの出来事なのか、
何も感じていないのか、思い出そうとしても
上手く言葉にするのが難しい。

何も感じないように、心の奥底へ封印したのか、
それとも諦めやどうでもよさに塗りつぶされたのか。

後半の記憶が蘇ったり、何か思い浮かんだら、
その時は正直な感想を書いてみようと思っている。


posted by 理琉(ワタル) at 17:36 | TrackBack(0) | 家族

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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