2019年07月30日
音楽活動を始めた本当の理由。
僕の音楽活動歴の中で今のところ最大規模、
東京、渋谷のライブステージで300人の前での演奏。
その時のMCで、僕が音楽活動を始めたきっかけを話した。
「僕はここに居る」ことを知らせていきたい、
自分は確かにここに存在していることを示していきたい、
そう語ったことを憶えている。
社会人になり、就職、鬱病になり退職と辿った後、
前々からやりたかったけどできなかったことをやろうと
シアーミュージックへ通い、音楽を学び始めた。
だから最初は、純粋に「やりたかったから」
音楽を始めたんだと自分では思っていた。
活動の場が広がるにつれ、別の目的も生まれていった。
始めて作詞に挑戦し、ノートが何冊も増えてくると
これは今まで抑えていた自己表現なんだと気づいた。
→「作詞は最初の自己表現だった。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/47/0
病院演奏会のボランティアに参加し、
患者さんの前でオリジナル曲を披露した時は、
僕と同じように鬱病や精神疾患に苦しむ人を癒せる曲を
書きたい、届けたいという思いが生まれた。
→「病院演奏会。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/44/0
だけど、これらを辿ってみると、
僕の心の奥に隠された本当のきっかけは、
作詞作曲やステージでの演奏などの自己表現を通じて
自分の存在を認めてほしかったからだと気づいた。
他のライブでも、MCや関係者さんとの会話などで
音楽を始めたきっかけについて話す時、必ず
「僕はここに居る」ことを示していきたいと
語っている自分がいた。
僕はここにいて、こう思ってる、こう考えてる、
こういう気持ちでいるんだよってことを
どうか聞いてほしい、認めてほしいという思い。
ちょっと卑屈な言い方だと、
僕の考えを誰か肯定してほしい、否定しないで聞いてほしい、
頭ごなしに押さえつけずに最後まで表現させてほしい、
そんな自分の存在に対する自信の無さ、
自分は無条件でここに居ていいんだという確信の無さを
自作の曲を通して表現していきたかったんだ。
今でもそうだが、僕はそれだけ自己肯定感が低くて、
根本的な問題である存在自体への確信を
自分1人では持ち切れていないんだ。
→「無条件の愛情とは何だろう。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/244/0
こういう理由があったからか、僕は音楽活動で
色んなステージに呼んでもらえるようになってからも、
自分の存在や考えをもっと知ってほしい一方で、
有名人になりたくない思いも抱えていた。
とある市の地域アピールのPVに出演した時、
インターネットTV番組やラジオ生放送に出演した時、
初めて東京でのライブに呼ばれた時、
すごく嬉しかったし光栄なことと喜ぶ反面、
喜び一色でない自分、目立ちたくない自分もそこに居た。
たくさんの人に自分の存在、考え、意思を
知ってもらえるチャンスをもらったのに、
自分の存在を知ってもらうことへの罪悪感や
葛藤を抱えたまま出演してきた。
音楽をやっていてステージに上がったことのある人なら
一度は抱いたであろう「注目されたい」という思い。
僕も例外なくその思いも抱えて出演してきたが、
こうやって分析すると「目立ちたい」とは少し違った。
もちろん、作詞作曲はボイストレーニングなどを学んだのは
心の底から「自分がやりたくて」始めたこと。
だけど根底では、自分自身の存在への自信のなさや疑い、
そして、何もしなくてもここに居ていいと許されたかった。
自分自身でそれを許せていなかったから、
音楽を作ることで求めたんじゃないかなぁ。
東京、渋谷のライブステージで300人の前での演奏。
その時のMCで、僕が音楽活動を始めたきっかけを話した。
「僕はここに居る」ことを知らせていきたい、
自分は確かにここに存在していることを示していきたい、
そう語ったことを憶えている。
社会人になり、就職、鬱病になり退職と辿った後、
前々からやりたかったけどできなかったことをやろうと
シアーミュージックへ通い、音楽を学び始めた。
だから最初は、純粋に「やりたかったから」
音楽を始めたんだと自分では思っていた。
活動の場が広がるにつれ、別の目的も生まれていった。
始めて作詞に挑戦し、ノートが何冊も増えてくると
これは今まで抑えていた自己表現なんだと気づいた。
→「作詞は最初の自己表現だった。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/47/0
病院演奏会のボランティアに参加し、
患者さんの前でオリジナル曲を披露した時は、
僕と同じように鬱病や精神疾患に苦しむ人を癒せる曲を
書きたい、届けたいという思いが生まれた。
→「病院演奏会。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/44/0
だけど、これらを辿ってみると、
僕の心の奥に隠された本当のきっかけは、
作詞作曲やステージでの演奏などの自己表現を通じて
自分の存在を認めてほしかったからだと気づいた。
他のライブでも、MCや関係者さんとの会話などで
音楽を始めたきっかけについて話す時、必ず
「僕はここに居る」ことを示していきたいと
語っている自分がいた。
僕はここにいて、こう思ってる、こう考えてる、
こういう気持ちでいるんだよってことを
どうか聞いてほしい、認めてほしいという思い。
ちょっと卑屈な言い方だと、
僕の考えを誰か肯定してほしい、否定しないで聞いてほしい、
頭ごなしに押さえつけずに最後まで表現させてほしい、
そんな自分の存在に対する自信の無さ、
自分は無条件でここに居ていいんだという確信の無さを
自作の曲を通して表現していきたかったんだ。
今でもそうだが、僕はそれだけ自己肯定感が低くて、
根本的な問題である存在自体への確信を
自分1人では持ち切れていないんだ。
→「無条件の愛情とは何だろう。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/244/0
こういう理由があったからか、僕は音楽活動で
色んなステージに呼んでもらえるようになってからも、
自分の存在や考えをもっと知ってほしい一方で、
有名人になりたくない思いも抱えていた。
とある市の地域アピールのPVに出演した時、
インターネットTV番組やラジオ生放送に出演した時、
初めて東京でのライブに呼ばれた時、
すごく嬉しかったし光栄なことと喜ぶ反面、
喜び一色でない自分、目立ちたくない自分もそこに居た。
たくさんの人に自分の存在、考え、意思を
知ってもらえるチャンスをもらったのに、
自分の存在を知ってもらうことへの罪悪感や
葛藤を抱えたまま出演してきた。
”自己承認への欲求”
自分が自分として承認されることが
あまりにも少なかった人生を通して、
ACは自分で自分を承認することすらできないで生きてきました。
それは彼らのしばしば口にする「居場所のなさ」の感覚、
「生きていてもいいのだろうか」
「この世の中に存在してもいいのだろうか」
という感覚とまったく重なるものなのです。
『「アダルト・チルドレン」完全理解』 第三章 より
音楽をやっていてステージに上がったことのある人なら
一度は抱いたであろう「注目されたい」という思い。
僕も例外なくその思いも抱えて出演してきたが、
こうやって分析すると「目立ちたい」とは少し違った。
もちろん、作詞作曲はボイストレーニングなどを学んだのは
心の底から「自分がやりたくて」始めたこと。
だけど根底では、自分自身の存在への自信のなさや疑い、
そして、何もしなくてもここに居ていいと許されたかった。
自分自身でそれを許せていなかったから、
音楽を作ることで求めたんじゃないかなぁ。
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