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2019年01月23日

作詞は最初の自己表現だった。

大学→新卒で就職→サラリーマンというレールを、
23歳で鬱病となり脱落しました。

直後から音楽を始め、自分の曲を作りたくなり
作詞を始めていきますが、

僕にとって作詞を始めたことが
自分の中でどのような位置付けだったかを
今回はお話したいと思います。
自分の曲を作りたくなったのがきっかけ

僕の音楽のスタートは
当時たまたま開校間近だったボイストレーニングスクール
シアーミュージックを見つけ、開校と同時に入学、

発声の基礎を学びながら
既存の曲を歌うことからでした。

1か月くらい経つと、既存の曲に飽き足らず
自分で曲を作りたい気持ちが強くなりましたが、

楽器経験がなかったので、
ペンとノートがあればできる作詞をとりあえず始めました。

なので当時は、
作詞をすることで何が変化するかを何も考えておらず、
ただオリジナル曲を作りたい一心でした。
溢れ出る言葉たち

僕は小学生の頃から
CDジャケット裏面の歌詞を読むのが好きでした。

人生で初めて触れたCDは
大黒摩季さんのアルバム「BACK BEATs 1」

※一番好きな曲は「夏が来る」
 人間くささというか、焦りや周りからの圧力に対し
 気丈に振る舞う現実感になんとなく惹かれました。



曲はもちろん聞いてたけど、
裏面の歌詞ノートをずっと読んでました。

作詞の専門的な勉強をすることはありませんでしたが、
歌詞の区切りや流れにずっと触れてきたので、
こういう区切りでまとめる、という感覚はありました。

いざ作詞を始めてみると、一番困ったことが
言葉が溢れ出てきて1曲に収まりきらないことでした。

最初はどうしても長くなってしまい、
まとめるのが大変でした。

作詞の勉強なんかしたことがないし、
歌詞が降りてこなくて苦労する話はよく聞くのに、

どうしてこんなに言葉が溢れるのか、
自分で気付いていませんでした。
気持ちを表現する場を求めて

溢れ出て書ききれないほどの言葉たちはどこからきたのかと
僕の半生と照らし合わせてみたところ、

父との関係(1) -小学校-」でお話した
自分の気持ちを押し殺す習慣が付いてしまったこと、
表現してこなかった家庭環境の影響がすごく強いと思います。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/12/0

自閉してしゃべらない僕と、話を聞く習慣のない父
という組み合わせは会話の諦めを生み出し、

話が通じない人とわかった時点で口を開くことを放棄、
自分の気持ちを押し殺す児童が完成してしまったんですね。

作詞を始めた動機の中に、最初からあったわけじゃないけど、
僕は自分の気持ちを表現する場を求めていたことがわかりました。

黙って自閉してばかりで感情を表に出さず、
能面のように表情も消して、

誰かに気持ちを伝えることを諦めていたようで
実は伝えたくて仕方なかったんです。

作詞を始めたことで、こんな自分に出逢えるなんで
夢にも思っていませんでした。
僕にとっての作詞の位置づけ

気持ちを表現する場、というのは後付けで、
やってみる過程で見つかったものですが、

心の奥底で、
自分の気持ちを伝えたいと思っていたことは
誰よりも僕自身が気付いていませんでした。

気持ちに蓋とよく言われますが、
無意識に蓋をしたまま15年以上過ごしてきたことに
図らずも気付きました。

作詞作曲をする人の目的は本当に様々だろうけど、
僕にとって作詞は、

目を背けていた自分の気持ちと向き合うこと
嘘を付いていた気持ちの蓋を外すこと


という位置づけで、とても大切な時間です。

作詞ノートの初期の作品、
読み返すと恥ずかしいくらいの駄作もあるけど、

決して消さずにとっておきます。
同じ言葉は二度と出てこないから。




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理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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