2019年12月09日
立ち食いそばで涙。
なんだかすっかりシリーズ化している
たまにごちそうを食べて号泣する話。
今日は、いわゆる給料日を迎えたので、
しばらく行っていなかった、お気に入りの立ち食いそば屋へ。
→「お寿司で泣いた。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/177/0
→「半年ぶりのマックで涙。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/327/0
就労移行支援での工賃支給日。
11月は朝からフルタイムで通えたのと、
庶務などの事務業務を多くこなしたおかげか、
けっこうな額が入っていた。
1万円札が複数入っているのを確認した時、
僕がこんなにお金をもらっていいんだろうか、
誰かの金額と間違えたのではないだろうかと、
スタッフさんへ2回ほど質問してしまった。
なんにせよ、お疲れさま会ということで、
地下鉄駅と地下街の接続部分にある
お気に入りの立ち食いそば屋へ。
330円のかけそばを大盛りにして390円。
一食に300円もかけることと、
券売機の前に立っていることで、
すでに後ろめたくなっている自分。
こんな贅沢していいんだろうかと、
お金を入れる手に躊躇がにじみ出る。
のれんをくぐっていいんだろうか、
外食なんてしていいんだろうか、
そんな迷いが歩幅に表れている。
この店はゆでそばではなくて、
たぶん乾麺を使っている。
ゆでそば特有の柔らかみがなく、
新鮮(?)なそばを安く食べられるので、
何年も前からたまに通っていた店。
椅子はなく、満席でも10名くらい。
お茶や水はセルフ。
あたたかい器を持ち上げながら、
一口目をすすった瞬間に涙。
「おそば…おいしいなぁ…。」
目の前には壁。すぐ横にキッチン。
見られたかも知れない。
お寿司の時、マックの時と同じように、
慌てて何事もなかったフリを取り繕う。
就労移行支援にしては
けっこうな工賃をもらったとはいえ、
5万に届かないどころか、
1ヵ月分の家賃にも足りない金額。
しかも今、生活保護が停止になるかどうかで
親とごたごたしている最中。
保護停止になったら、このお金は
区役所に返さないといけない可能性があるので、
お金をもらっても嬉しくない昨今。
→「余計な一言で…涙が怒りに変わる。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/380/0
「罪悪感との延長戦。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/383/0
ほとんど消し飛んだはずの、
稼いだ金額への執着やありがたみ。
なのに、自分で稼いだお金で
たまにこうやって好きなものを食べる時、
込み上げるものが抑えられなかった。
「うわー…激動の1ヵ月だね…。」と
病院の先生も驚くような、エキサイティングで
予想外の出来事だらけだった先月。
自分の中の空き容量が急速に減っていく感覚から、
溢れ出して叫び倒したこともあった。
→「「心の平穏」は贅沢な要求なのか。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/366/0
だけど、この1ヵ月、
思い返せば泣いていない。
それまでは、ことあるごとに泣き崩れてきたというのに。
一杯のかけそばで、防波堤だった涙腺が決壊。
自分なりに耐えて、抑えてきた感情が
一気にあふれ出したのかも知れない。
よく耐えてきたね、って。
マックで泣いた時も書いたけど、
人によっては「立ち食いそばで?」と思うかも知れない。
マックと同じように、所持金の数字面では
週1回来ても問題はない。
金額面よりも、外で食べること自体を
自分自身に許可していない、
貧乏性によるところが大きい。
だから、お店に入るということは
僕にとって少し勇気のいること。
そこで食べるものには
「これで最後かも」という一期一会のような気持ちと、
「また来れた」という感謝が一層強くなる。
僕は社会人になって以来ずっと、
日本の年収分布グラフの中では最貧困層の一人。
常にギリギリで苦しかったし、
稼ぐ能力のない自分を責めたことは数知れず。
だけど、手に入るものが少ないからこそ、
僕は少しの特別も、小さな幸せも見逃さず、
大げさなくらい感謝できるようになったと思っている。
そんな自分のマインドを貧乏性と呼ぶのだとしても、
たまに食べる立ち食いそばで泣ける人間であることを
誇りに思っている。
「おそば…おいしかったなぁ。また行きたいなぁ。」
たまにごちそうを食べて号泣する話。
今日は、いわゆる給料日を迎えたので、
しばらく行っていなかった、お気に入りの立ち食いそば屋へ。
→「お寿司で泣いた。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/177/0
→「半年ぶりのマックで涙。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/327/0
就労移行支援での工賃支給日。
11月は朝からフルタイムで通えたのと、
庶務などの事務業務を多くこなしたおかげか、
けっこうな額が入っていた。
1万円札が複数入っているのを確認した時、
僕がこんなにお金をもらっていいんだろうか、
誰かの金額と間違えたのではないだろうかと、
スタッフさんへ2回ほど質問してしまった。
なんにせよ、お疲れさま会ということで、
地下鉄駅と地下街の接続部分にある
お気に入りの立ち食いそば屋へ。
330円のかけそばを大盛りにして390円。
一食に300円もかけることと、
券売機の前に立っていることで、
すでに後ろめたくなっている自分。
こんな贅沢していいんだろうかと、
お金を入れる手に躊躇がにじみ出る。
のれんをくぐっていいんだろうか、
外食なんてしていいんだろうか、
そんな迷いが歩幅に表れている。
この店はゆでそばではなくて、
たぶん乾麺を使っている。
ゆでそば特有の柔らかみがなく、
新鮮(?)なそばを安く食べられるので、
何年も前からたまに通っていた店。
椅子はなく、満席でも10名くらい。
お茶や水はセルフ。
あたたかい器を持ち上げながら、
一口目をすすった瞬間に涙。
「おそば…おいしいなぁ…。」
目の前には壁。すぐ横にキッチン。
見られたかも知れない。
お寿司の時、マックの時と同じように、
慌てて何事もなかったフリを取り繕う。
就労移行支援にしては
けっこうな工賃をもらったとはいえ、
5万に届かないどころか、
1ヵ月分の家賃にも足りない金額。
しかも今、生活保護が停止になるかどうかで
親とごたごたしている最中。
保護停止になったら、このお金は
区役所に返さないといけない可能性があるので、
お金をもらっても嬉しくない昨今。
→「余計な一言で…涙が怒りに変わる。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/380/0
「罪悪感との延長戦。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/383/0
ほとんど消し飛んだはずの、
稼いだ金額への執着やありがたみ。
なのに、自分で稼いだお金で
たまにこうやって好きなものを食べる時、
込み上げるものが抑えられなかった。
「うわー…激動の1ヵ月だね…。」と
病院の先生も驚くような、エキサイティングで
予想外の出来事だらけだった先月。
自分の中の空き容量が急速に減っていく感覚から、
溢れ出して叫び倒したこともあった。
→「「心の平穏」は贅沢な要求なのか。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/366/0
だけど、この1ヵ月、
思い返せば泣いていない。
それまでは、ことあるごとに泣き崩れてきたというのに。
一杯のかけそばで、防波堤だった涙腺が決壊。
自分なりに耐えて、抑えてきた感情が
一気にあふれ出したのかも知れない。
よく耐えてきたね、って。
マックで泣いた時も書いたけど、
人によっては「立ち食いそばで?」と思うかも知れない。
マックと同じように、所持金の数字面では
週1回来ても問題はない。
金額面よりも、外で食べること自体を
自分自身に許可していない、
貧乏性によるところが大きい。
だから、お店に入るということは
僕にとって少し勇気のいること。
そこで食べるものには
「これで最後かも」という一期一会のような気持ちと、
「また来れた」という感謝が一層強くなる。
僕は社会人になって以来ずっと、
日本の年収分布グラフの中では最貧困層の一人。
常にギリギリで苦しかったし、
稼ぐ能力のない自分を責めたことは数知れず。
だけど、手に入るものが少ないからこそ、
僕は少しの特別も、小さな幸せも見逃さず、
大げさなくらい感謝できるようになったと思っている。
そんな自分のマインドを貧乏性と呼ぶのだとしても、
たまに食べる立ち食いそばで泣ける人間であることを
誇りに思っている。
「おそば…おいしかったなぁ。また行きたいなぁ。」
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