2019年12月06日
どうして親は子どもの気持ちを知ろうとしないの?
僕には子どもがいないから、親の目線は未経験。
そんな僕でも、自分の親の言動を思い返したり、
うまくいっていない親子の話を聞くたびに
質問したくて仕方ないことがある。
それが、
どうして親は、子どもがどう思っているかを知ろうとしないの?
という質問。
ー目次ー
僕の親は暴力や育児放棄をしたわけではなく、
学校や家や食べ物は与えてもらった。
離れてからも、疎遠になる前は食糧をもらったり、
仕事、稼ぎがあるかを気にかけてきた。
「稼いで、食べて、命を維持する」という
物質的、機能的なことは満たしてもらった。
だけど、モノをくれても、僕の親は
一度たりとも「僕がどう思っているか」を聞いてこない。
どうして?
その人に興味があれば、もっと知りたい、
どういう考えなんだろうと気になってもよさそうなのに。
友達関係だって恋愛だって、始めはその人への興味から、
気が合うかを知りたい思いから発展するだろうに。
僕が幼少から父のことをシャットアウトしたり、
どれだけ怒鳴られても無言を貫いたりした時、
それがどうしてなのかを決して聞かれなかった。
毎晩のように母と喧嘩したり、
大人になってからは家を飛び出したり、
結婚や離婚、果ては名前を変えた時でさえ、
理由を尋ねられるどころか、反応すらもなかった。
※旧名:『航(ワタル)』→現在の名前:『理琉(ワタル)』
「戸籍”改名”、その先へ。」
そういう大きな事件があった後で、会う機会があっても、
仕事や食べ物などの機能的な部分を満たそうとするばかりだった。
僕が何をしようと、ひたすらモノを与え続けるのは
「生きてさえいればいい」というサインなんだ。
そんな前向きな捉え方をしようとしたことは何度もある。
そうであってほしい、たとえ淡い期待だったとしても、
そう捉えなければ崩れてしまうと言い聞かせてきた。
だけどやっぱり、物質的にいろいろもらっても、
自分の内面、心の内と向き合おうとしてこないことで、
「僕がどう考えているかに興味がないの?」
という疑念は嫌でも浮かんでくる。
親子という義務感や責任で生かしてるの?
僕がこの性格で、この姿だから関心を持たれないの?
妹弟や他の誰かだったら聞きたいと思ってたの?
僕が何を考え、何に悩み、どんなことで泣いたか、
あなた方にとっては知る価値のない情報なの?
彼らにどれほど崇高な本音が隠されていようとも、
そんな疑念ばかりが心に積もっていく。
子どものいる人に、こんな質問はしにくい。
「どうして子どもの気持ちを知ろうとしないんですか?」
などという挑発めいた、怒らせるような質問は。
だけど、できるならインタビューしてみたい。
理由が知りたい。
物質的に満たされるのは、もちろんありがたい。
だけど、モノは与えても心に興味を示さず、
機械的に生かすだけの対応をどうしてするのか、聞いてみたい。
たとえ、そのインタビューへの回答が
「お前の考えに興味はないから」だったとしても。
僕は矛盾したことを言ってる。
「お前の考えに興味はないから」と答えられたら、
悲しみ、怒り、泣くくせに、それでもいいと言ってる。
実に矛盾したことを言ってる。
心のどこかで、都合のいい回答を期待してる。
「私の親からもそう育てられたの。
子どもの心に関心を向けるという概念を学ばないまま
あなたを育てることになったの。」
こう答えてほしいなどと考えてる。
そんな、やり場のない「子のエゴ」の終着点を、今日も探している。
そんな僕でも、自分の親の言動を思い返したり、
うまくいっていない親子の話を聞くたびに
質問したくて仕方ないことがある。
それが、
どうして親は、子どもがどう思っているかを知ろうとしないの?
という質問。
ー目次ー
- どう思っているかを一度も聞かれたことがない
- 結婚、離婚、改名。何をしてもモノを与えてくるだけ
- "親の義務感で生かしてるだけなの?"という疑念が積もる
- 怒られてでも、子どものいる人にしてみたい質問
- 見つからない"子のエゴ"の終着点
1.どう思っているかを一度も聞かれたことがない
僕の親は暴力や育児放棄をしたわけではなく、
学校や家や食べ物は与えてもらった。
離れてからも、疎遠になる前は食糧をもらったり、
仕事、稼ぎがあるかを気にかけてきた。
「稼いで、食べて、命を維持する」という
物質的、機能的なことは満たしてもらった。
だけど、モノをくれても、僕の親は
一度たりとも「僕がどう思っているか」を聞いてこない。
どうして?
その人に興味があれば、もっと知りたい、
どういう考えなんだろうと気になってもよさそうなのに。
友達関係だって恋愛だって、始めはその人への興味から、
気が合うかを知りたい思いから発展するだろうに。
2.結婚、離婚、改名。何をしてもモノを与えてくるだけ
僕が幼少から父のことをシャットアウトしたり、
どれだけ怒鳴られても無言を貫いたりした時、
それがどうしてなのかを決して聞かれなかった。
毎晩のように母と喧嘩したり、
大人になってからは家を飛び出したり、
結婚や離婚、果ては名前を変えた時でさえ、
理由を尋ねられるどころか、反応すらもなかった。
※旧名:『航(ワタル)』→現在の名前:『理琉(ワタル)』
「戸籍”改名”、その先へ。」
そういう大きな事件があった後で、会う機会があっても、
仕事や食べ物などの機能的な部分を満たそうとするばかりだった。
3."親の義務感で生かしてるだけなの?"という疑念が積もる
僕が何をしようと、ひたすらモノを与え続けるのは
「生きてさえいればいい」というサインなんだ。
そんな前向きな捉え方をしようとしたことは何度もある。
そうであってほしい、たとえ淡い期待だったとしても、
そう捉えなければ崩れてしまうと言い聞かせてきた。
だけどやっぱり、物質的にいろいろもらっても、
自分の内面、心の内と向き合おうとしてこないことで、
「僕がどう考えているかに興味がないの?」
という疑念は嫌でも浮かんでくる。
親子という義務感や責任で生かしてるの?
僕がこの性格で、この姿だから関心を持たれないの?
妹弟や他の誰かだったら聞きたいと思ってたの?
僕が何を考え、何に悩み、どんなことで泣いたか、
あなた方にとっては知る価値のない情報なの?
彼らにどれほど崇高な本音が隠されていようとも、
そんな疑念ばかりが心に積もっていく。
4.怒られてでも、子どものいる人にしてみたい質問
子どものいる人に、こんな質問はしにくい。
「どうして子どもの気持ちを知ろうとしないんですか?」
などという挑発めいた、怒らせるような質問は。
だけど、できるならインタビューしてみたい。
理由が知りたい。
物質的に満たされるのは、もちろんありがたい。
だけど、モノは与えても心に興味を示さず、
機械的に生かすだけの対応をどうしてするのか、聞いてみたい。
たとえ、そのインタビューへの回答が
「お前の考えに興味はないから」だったとしても。
5.見つからない"子のエゴ"の終着点
僕は矛盾したことを言ってる。
「お前の考えに興味はないから」と答えられたら、
悲しみ、怒り、泣くくせに、それでもいいと言ってる。
実に矛盾したことを言ってる。
心のどこかで、都合のいい回答を期待してる。
「私の親からもそう育てられたの。
子どもの心に関心を向けるという概念を学ばないまま
あなたを育てることになったの。」
こう答えてほしいなどと考えてる。
そんな、やり場のない「子のエゴ」の終着点を、今日も探している。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/9471887
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック