2019年10月15日
心の通い合いのない、時が止まった家。
子どもの頃の僕の家は、
昭和30年代で時が止まったかのような
異様な雰囲気の亭主関白家庭だった。
人の話を聞くことや、
誰かが話しているのを最後まで待つという概念の無い父、
相手の状態などお構いなしに
自分の言いたいことを言いたい時に、
延々と演説する父がすべての決定権を持つ。
母は常に父に従う。
何事にも反対や文句を一切言わず、
文字通り三歩後ろを歩いて夫を立てる。
僕の見えないところで
二人の話し合いがあったのかも知れないが、
それについての現場はついに一度も見ることなく、
触れてはいけないような秘密とさえ思わせた。
前時代的な家父長制のモデルは、と問われれば、
僕は真っ先に自分の育った家を挙げる。
父は恐ろしく、逆らってはならず、
自分の意思や意見を言ってはいけない存在。
反逆の先に何があるかわからない存在。
少なくとも子どもの時の僕はそう感じていた。
母はそんな父に慎ましくついて行く、
しかし子どもに対しても発信が何もない。
父が不機嫌で居間が険悪な雰囲気でも、
煙草の匂いが充満し、むせかえるほどになっても、
逆に不機嫌でなさそうでも、
この家は今、安全なのか、何が起きているのか、
どうしてこんなに空気がピリピリしているのか、
誰かが何かを言うことが許されるのか、
無言の空気を打ち破ってもいいのか、
何の説明もフォローもない。
あるのは、父の権力や機嫌によって
すべてが決まるという暗黙の、
しかし強靭な”掟”だけだった。
的の中心を射抜かれたかのように、グサリと刺さった。
幼稚園の年長から高校卒業まで過ごした
平屋建ての教員住宅。
連なる3棟の中で1棟だけ、
昭和30年代に取り残されていた。
僕の家にかけてあるカレンダーだけ、
1950年代からめくられることなく、
次の年のカレンダーが用意されるでもなく、
この独裁政権的な家父長制は
4LDKの狭い空間で永遠に続くとさえ思わせた。
止まった時が動き出す瞬間は
年に1〜2回、母方祖父母の家に遊びに行った時。
外の世界はあまりにも時間の流れが早かった。
タイムカプセルに埋められる日々に戻りたくなくて、
帰り際にはいつも涙をこらえ切れなかった。
→「帰り際の涙。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/271/0
二度と戻りたくはない、
時間の流れが止まった異様な空間。
何をしても、しなくても、
怒鳴られても褒められなくても
めくられないカレンダー。
認めてもらいたい、受け入れてもらいたい、
甘えたい、頼りたい。
家の外で抱く思いは
あの家のドアを開けた瞬間に凍り付いた。
夫婦の役割分担としてバランスは取れていたんだろう。
家族組織という集団を”運営する”機能は果たしていたんだろう。
だが、それだけ。
子どもの心、気持ちにはまったく無関心なまま、
彼らは今日も明日も明後日も、
ただひたすら、カレンダーが
めくられないことを望んでいるようだった。
ただひたすら、時間を止め続けた。
まるで彼らの支配を永遠のものにしたいかのように。
僕は家族という、機械的に運営される集団の中にいた。
僕の心は誰に関心を持たれるでもなく、
平屋の教員住宅に置き去りになった。
昭和30年代で時が止まったかのような
異様な雰囲気の亭主関白家庭だった。
人の話を聞くことや、
誰かが話しているのを最後まで待つという概念の無い父、
相手の状態などお構いなしに
自分の言いたいことを言いたい時に、
延々と演説する父がすべての決定権を持つ。
母は常に父に従う。
何事にも反対や文句を一切言わず、
文字通り三歩後ろを歩いて夫を立てる。
僕の見えないところで
二人の話し合いがあったのかも知れないが、
それについての現場はついに一度も見ることなく、
触れてはいけないような秘密とさえ思わせた。
前時代的な家父長制のモデルは、と問われれば、
僕は真っ先に自分の育った家を挙げる。
父は恐ろしく、逆らってはならず、
自分の意思や意見を言ってはいけない存在。
反逆の先に何があるかわからない存在。
少なくとも子どもの時の僕はそう感じていた。
母はそんな父に慎ましくついて行く、
しかし子どもに対しても発信が何もない。
父が不機嫌で居間が険悪な雰囲気でも、
煙草の匂いが充満し、むせかえるほどになっても、
逆に不機嫌でなさそうでも、
この家は今、安全なのか、何が起きているのか、
どうしてこんなに空気がピリピリしているのか、
誰かが何かを言うことが許されるのか、
無言の空気を打ち破ってもいいのか、
何の説明もフォローもない。
あるのは、父の権力や機嫌によって
すべてが決まるという暗黙の、
しかし強靭な”掟”だけだった。
私の育った家では、何事においても意見が何もないのだ。「危険なボートを揺すってはいけないという感覚」が、
子供の時から、夕食の時ですら家族の会話はほとんどなかった。
それで、危険なボートを揺すってはいけないという感覚が
小さな頃からずっと身にしみついていた。
『不幸にする親』第四章 より
的の中心を射抜かれたかのように、グサリと刺さった。
幼稚園の年長から高校卒業まで過ごした
平屋建ての教員住宅。
連なる3棟の中で1棟だけ、
昭和30年代に取り残されていた。
僕の家にかけてあるカレンダーだけ、
1950年代からめくられることなく、
次の年のカレンダーが用意されるでもなく、
この独裁政権的な家父長制は
4LDKの狭い空間で永遠に続くとさえ思わせた。
止まった時が動き出す瞬間は
年に1〜2回、母方祖父母の家に遊びに行った時。
外の世界はあまりにも時間の流れが早かった。
タイムカプセルに埋められる日々に戻りたくなくて、
帰り際にはいつも涙をこらえ切れなかった。
→「帰り際の涙。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/271/0
二度と戻りたくはない、
時間の流れが止まった異様な空間。
何をしても、しなくても、
怒鳴られても褒められなくても
めくられないカレンダー。
認めてもらいたい、受け入れてもらいたい、
甘えたい、頼りたい。
家の外で抱く思いは
あの家のドアを開けた瞬間に凍り付いた。
夫婦の役割分担としてバランスは取れていたんだろう。
家族組織という集団を”運営する”機能は果たしていたんだろう。
だが、それだけ。
子どもの心、気持ちにはまったく無関心なまま、
彼らは今日も明日も明後日も、
ただひたすら、カレンダーが
めくられないことを望んでいるようだった。
ただひたすら、時間を止め続けた。
まるで彼らの支配を永遠のものにしたいかのように。
僕は家族という、機械的に運営される集団の中にいた。
僕の心は誰に関心を持たれるでもなく、
平屋の教員住宅に置き去りになった。
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