2020年01月18日
助けなかった母。
「学校を休むのは許さん!」
「言いたいことがあるならしゃべれ!」
幼い頃、父が怒鳴りまくった時、
僕はやり場のない怒りを抑えつけたまま、
父の背中をすごい形相で睨むしかできなかった。
その様子を、母はただ黙って見ていた。
父が多少丸くなり、怒鳴る→長時間説教へ
支配スタイルを変更してからも、
母は相変わらず、父の暴走を
本気で止める素振りを見せなかった。
くどくど、ねちねちした地獄演説で
僕が「もう止めてくれ」と取り乱して泣き出しても、
落ち着かせも、黙らせもしない。
「ちょっとお父さん…」
と声をかけることはあっても、
必死で止めようとは決してしなかった。
→「延長戦決着、戦利品は”諦め”。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/389/0
僕が父に怒鳴られたり
地獄演説にさらされて苦しんでいるのを
目の当たりにしていながら、
どうして母は
僕のことを助けてくれなかったんだろう。
「お父さんは本当はね…」などと
父をフォローすることはあっても、
心を踏みにじられている僕のことは遠くから見るだけで、
ほったらかしにしたのはなぜだろう。
「どうして助けてくれないの?」
そんな僕の疑問と不信感は自分を責める方向へ舵を切った。
「父に何かされても助けてくれないのは、
自分が悪いからなんだ。」
「父が正しいことをしていて
僕が間違えているからなんだ。」
「だから、この怒りも悔しい気持ちも
僕が悪いのだから受け入れて我慢するしかないんだ。」
そんな罪悪感と自責の念は、
成長するにつれてこんな思いも生み出した。
「母は我が身と今の生活を守ることを優先し、
子どもを生贄にしているのでは?」
あの2人の夫婦喧嘩は見たことがない。
父が母に対して暴力や暴言を振るったり、
議論や説教で言い負かしたりしている場面は
少なくとも僕が知ってる場所では行われなかった。
母は三歩下がって父を立てる、
そして父はやりたい放題やるスタイルで、
力関係の上下のバランスが取れていた。
その意味では夫婦間の相性が良かったんだと思う。
だから母は、父がやることは
否定するべきではないという考えから、
子どもを助けたり、意見を受け入れていたら
立てるべき父の体面に影響が出ると判断して
止めなかった可能性はある。
もう1つ言うと、母には経済力がない。
僕が2歳の時、妹の誕生とともに
保育士を辞めてからずっと専業主婦。
父が外で働き、母が家を守るという、
明確な役割分担の中で家族を運営していた。
だから、立てるべき父の行動を
下手に止めて関係が危うくなったら
今後の生活が立ちいかなくなる。
そんな大きなリスクを取ってまで、
暴力を振るわれているわけでもない子どもを守るよりは、
生活を守ることを優先したのかも知れない。
僕が幼い頃は暴言で、大きくなってからは説教で、
それぞれ暴走する父に、母は加担することはなかった。
エスカレートする父に
「ちょっと…」と声をかけることもあったので、
母なりに心配はしていたんだと思う。
自分含め、生活基盤の死守を優先するのは
苦渋の決断だったことは理解する。
逆らうことなく、立て続けた夫に
ある意味で反逆することになるから、
その恐怖や不安があったことも理解する。
だけど、
「加担しなかったこと」と
「止めなかったこと」は違う。
止めなかった理由が
父の体面を優先するためだったにせよ、
経済力を失う恐怖だったにせよ、
子どもである僕が深く傷ついた事実に変わりはない。
「助けてもらえなかった、止めてもらえなかった
それは自分が悪いから、愛されていないからだ。」
そんな悲しい思いを抱いたことは事実。
本来は天秤にかけるものでないにせよ、
家族全体の維持のために僕1人の心を
「必要な犠牲」にしたと疑ったことも事実。
親は信頼に値しない、
いざという時に自分の味方には決してならないと
僕が思い込んでしまったことも事実。
母の母、つまり祖母は
姑である曾祖母から召使いのように扱われたと聞く。
それに黙って耐える祖母を長年見て来た母は、
「力を持つ者に付き従う」ことが生き延びる道だと
学んだ可能性はある。
→「姑と、嫁だった祖母の我慢。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/272/0
耐える内容の中にはもちろん、
弱い立場である子どもの怒りや悲しみも含まれて。
だから母は、姑だった曾祖母を
夫=僕の父に置き換えて従っていただけ、
それが当たり前の家族関係と思っていたのかも知れない。
そんな母の成育環境を考慮してもなお、
目の前で苦しむ自分を母は助けなかった、
生贄に捧げられたという思いは捨てられない。
きっと、ずっと背負って生きるんだろう。
もし今、母の口から本当の理由が語られたとしても、
すべては後の祭り。
覆水は盆に返らないが、
消せない心の傷とどう向き合って生きるかは
これからの僕自身が決められる。
傷跡を見るたびに怒りや恨みを募らせるか、
傷跡を超えた自負としてこれからを生きるかで、
人生を変えられるかが決まる。
「言いたいことがあるならしゃべれ!」
幼い頃、父が怒鳴りまくった時、
僕はやり場のない怒りを抑えつけたまま、
父の背中をすごい形相で睨むしかできなかった。
その様子を、母はただ黙って見ていた。
父が多少丸くなり、怒鳴る→長時間説教へ
支配スタイルを変更してからも、
母は相変わらず、父の暴走を
本気で止める素振りを見せなかった。
くどくど、ねちねちした地獄演説で
僕が「もう止めてくれ」と取り乱して泣き出しても、
落ち着かせも、黙らせもしない。
「ちょっとお父さん…」
と声をかけることはあっても、
必死で止めようとは決してしなかった。
→「延長戦決着、戦利品は”諦め”。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/389/0
僕が父に怒鳴られたり
地獄演説にさらされて苦しんでいるのを
目の当たりにしていながら、
どうして母は
僕のことを助けてくれなかったんだろう。
「お父さんは本当はね…」などと
父をフォローすることはあっても、
心を踏みにじられている僕のことは遠くから見るだけで、
ほったらかしにしたのはなぜだろう。
「どうして助けてくれないの?」
そんな僕の疑問と不信感は自分を責める方向へ舵を切った。
「父に何かされても助けてくれないのは、
自分が悪いからなんだ。」
「父が正しいことをしていて
僕が間違えているからなんだ。」
「だから、この怒りも悔しい気持ちも
僕が悪いのだから受け入れて我慢するしかないんだ。」
そんな罪悪感と自責の念は、
成長するにつれてこんな思いも生み出した。
「母は我が身と今の生活を守ることを優先し、
子どもを生贄にしているのでは?」
あの2人の夫婦喧嘩は見たことがない。
父が母に対して暴力や暴言を振るったり、
議論や説教で言い負かしたりしている場面は
少なくとも僕が知ってる場所では行われなかった。
母は三歩下がって父を立てる、
そして父はやりたい放題やるスタイルで、
力関係の上下のバランスが取れていた。
その意味では夫婦間の相性が良かったんだと思う。
だから母は、父がやることは
否定するべきではないという考えから、
子どもを助けたり、意見を受け入れていたら
立てるべき父の体面に影響が出ると判断して
止めなかった可能性はある。
もう1つ言うと、母には経済力がない。
僕が2歳の時、妹の誕生とともに
保育士を辞めてからずっと専業主婦。
父が外で働き、母が家を守るという、
明確な役割分担の中で家族を運営していた。
だから、立てるべき父の行動を
下手に止めて関係が危うくなったら
今後の生活が立ちいかなくなる。
そんな大きなリスクを取ってまで、
暴力を振るわれているわけでもない子どもを守るよりは、
生活を守ることを優先したのかも知れない。
”自分の子供を守れない親”
事情があり子供を連れて家を出ることができない場合でも、
少なくとも夫(妻)のしていることは間違っていると
子供に伝えることはできるでしょう。
子供に「あなたは悪くない」
「あなたを傷つけるのは間違っている」
「悪いのはあなたではなくお父さん(お母さん)のほうだ」
と教えるだけでも、子供には大きな違いをもたらします。
ところが「責任を果たせない親」は、
そのどれをすることもできません。
なかには子供を虐待している夫(妻)に同調していて
自分では手を出さないだけという妻(夫)もいます。
『不幸にする親』第二章 より
僕が幼い頃は暴言で、大きくなってからは説教で、
それぞれ暴走する父に、母は加担することはなかった。
エスカレートする父に
「ちょっと…」と声をかけることもあったので、
母なりに心配はしていたんだと思う。
自分含め、生活基盤の死守を優先するのは
苦渋の決断だったことは理解する。
逆らうことなく、立て続けた夫に
ある意味で反逆することになるから、
その恐怖や不安があったことも理解する。
だけど、
「加担しなかったこと」と
「止めなかったこと」は違う。
止めなかった理由が
父の体面を優先するためだったにせよ、
経済力を失う恐怖だったにせよ、
子どもである僕が深く傷ついた事実に変わりはない。
「助けてもらえなかった、止めてもらえなかった
それは自分が悪いから、愛されていないからだ。」
そんな悲しい思いを抱いたことは事実。
本来は天秤にかけるものでないにせよ、
家族全体の維持のために僕1人の心を
「必要な犠牲」にしたと疑ったことも事実。
親は信頼に値しない、
いざという時に自分の味方には決してならないと
僕が思い込んでしまったことも事実。
母の母、つまり祖母は
姑である曾祖母から召使いのように扱われたと聞く。
それに黙って耐える祖母を長年見て来た母は、
「力を持つ者に付き従う」ことが生き延びる道だと
学んだ可能性はある。
→「姑と、嫁だった祖母の我慢。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/272/0
耐える内容の中にはもちろん、
弱い立場である子どもの怒りや悲しみも含まれて。
だから母は、姑だった曾祖母を
夫=僕の父に置き換えて従っていただけ、
それが当たり前の家族関係と思っていたのかも知れない。
そんな母の成育環境を考慮してもなお、
目の前で苦しむ自分を母は助けなかった、
生贄に捧げられたという思いは捨てられない。
きっと、ずっと背負って生きるんだろう。
もし今、母の口から本当の理由が語られたとしても、
すべては後の祭り。
覆水は盆に返らないが、
消せない心の傷とどう向き合って生きるかは
これからの僕自身が決められる。
傷跡を見るたびに怒りや恨みを募らせるか、
傷跡を超えた自負としてこれからを生きるかで、
人生を変えられるかが決まる。
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