2020年01月21日
自動ドア無反応事件。
出社。
いつも会うお掃除の方にあいさつし
自動ドアの前に立つ。
反応なし。
上に取り付けられているセンサーには
ちゃんとランプが点いている。
ドアは開かない。
「あれ?おかしいですね…裏口ご案内します?」
お掃除の方が困惑する。
ドアから一旦離れ、再び近づいてみる。
遠ざかるとセンサーは消え、近づくと点く。
何度か繰り返すもドアは開かない。
そうこうしている内に
別の人が入ってきた。
自動ドアが反応し建物へ入っていった。
今考えれば、その人が入った後ろについて
僕も入ればよかった。
一向に自動ドアが開く気配がないので、
お掃除の方の誘導に従って裏口から入ろうと思った。
でもその前に、ある興味が頭から離れなくなった。
「反応しない自動ドアを手動で開けることはできるの?」
どうしても試してみたかった。
閉ざされたドアの縁に手をかけた。
重い。
自動ドアが自動なうちは
やはり手動では開けられないのか。
1回だけ踏ん張って、
ダメなら裏口から入ろうと思った。
かなり重かったが、
なんとかドアをこじ開けて入館に成功。
もう少しで、
「自動ドアが反応しなくて」という、
わりと珍しい理由で遅刻するところだった。
自動ドアや、普段は止まっているエスカレーターなど、
人を感知して動くものに自分が反応されなかった時、
何とも形容し難い悲哀を感じる。
「人間と認識されないくらいに
生気や存在感が薄くなっていたのか。」
そんな自虐的で皮肉めいた冗談を
思い浮かべたりする。
実際にはたまたま
機械の調子が悪いだけなのに、
笑い話に変えてしまえるくらい
僕は前向きになったなんて喜んでいる。
以前の自分だったら、
心の中に響く自責の声が
「お前には入館資格がない」と言っていると
本気で落ち込んだことだろう。
大げさではなく、
今以上に自己肯定感が低かった時は
本気でそう思ってもおかしくなかった。
それが今では、
あれだけ心を支配していた自責癖を
こんなふうに笑って書けるほど
上書きできるようになった。
「事実は事実以上の何ものでもない」と
気楽に捉えられるようになった。
健康的な思考を自然にできる人にとっては
「何をそんな大げさな」と思うかも知れない。
その通り、ただ自動ドアが開かなかっただけ。
それ以上でも以下でもない。
だけど、自分の存在自体に
ずっと罪の意識を抱いていると、
事実の捉え方を変えることすら、
何年もかかる長い道のりになる。
こんなワンシーンのことを
そこまで深く掘り下げてるの?と自分でも思うけど、
いちいち自分に結び付けて
勝手に深刻にならなくなったことが嬉しかった。
一見、何の変哲もない遅刻のピンチで、
考え方の癖や認知の歪みが改善しつつあることを知った。
堅牢に積み上げられたネガティブ思考の城壁を
順調に壊せている。
自分に反応しない自動ドアは
そんな大切なことを教えてくれた。
いつも会うお掃除の方にあいさつし
自動ドアの前に立つ。
反応なし。
上に取り付けられているセンサーには
ちゃんとランプが点いている。
ドアは開かない。
「あれ?おかしいですね…裏口ご案内します?」
お掃除の方が困惑する。
ドアから一旦離れ、再び近づいてみる。
遠ざかるとセンサーは消え、近づくと点く。
何度か繰り返すもドアは開かない。
そうこうしている内に
別の人が入ってきた。
自動ドアが反応し建物へ入っていった。
今考えれば、その人が入った後ろについて
僕も入ればよかった。
一向に自動ドアが開く気配がないので、
お掃除の方の誘導に従って裏口から入ろうと思った。
でもその前に、ある興味が頭から離れなくなった。
「反応しない自動ドアを手動で開けることはできるの?」
どうしても試してみたかった。
閉ざされたドアの縁に手をかけた。
重い。
自動ドアが自動なうちは
やはり手動では開けられないのか。
1回だけ踏ん張って、
ダメなら裏口から入ろうと思った。
かなり重かったが、
なんとかドアをこじ開けて入館に成功。
もう少しで、
「自動ドアが反応しなくて」という、
わりと珍しい理由で遅刻するところだった。
自動ドアや、普段は止まっているエスカレーターなど、
人を感知して動くものに自分が反応されなかった時、
何とも形容し難い悲哀を感じる。
「人間と認識されないくらいに
生気や存在感が薄くなっていたのか。」
そんな自虐的で皮肉めいた冗談を
思い浮かべたりする。
実際にはたまたま
機械の調子が悪いだけなのに、
笑い話に変えてしまえるくらい
僕は前向きになったなんて喜んでいる。
以前の自分だったら、
心の中に響く自責の声が
「お前には入館資格がない」と言っていると
本気で落ち込んだことだろう。
大げさではなく、
今以上に自己肯定感が低かった時は
本気でそう思ってもおかしくなかった。
それが今では、
あれだけ心を支配していた自責癖を
こんなふうに笑って書けるほど
上書きできるようになった。
「事実は事実以上の何ものでもない」と
気楽に捉えられるようになった。
健康的な思考を自然にできる人にとっては
「何をそんな大げさな」と思うかも知れない。
その通り、ただ自動ドアが開かなかっただけ。
それ以上でも以下でもない。
だけど、自分の存在自体に
ずっと罪の意識を抱いていると、
事実の捉え方を変えることすら、
何年もかかる長い道のりになる。
こんなワンシーンのことを
そこまで深く掘り下げてるの?と自分でも思うけど、
いちいち自分に結び付けて
勝手に深刻にならなくなったことが嬉しかった。
一見、何の変哲もない遅刻のピンチで、
考え方の癖や認知の歪みが改善しつつあることを知った。
堅牢に積み上げられたネガティブ思考の城壁を
順調に壊せている。
自分に反応しない自動ドアは
そんな大切なことを教えてくれた。
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