2020年01月31日
着席すべきか否かで迷う、電車の空席。
最近、地下鉄で自分が立っている時に
悩んでいることがある。
それは、ちらほら空き始めた空席に座るべきか、
それとも、席が必要な人が現れた時のために
このまま立っているべきかという悩み。
明らかに遠慮する気持ちが暴走し、
空気を読み過ぎて自爆している。
昨日、やはり空席が目立ち始め、
どこかに座ろうか、立っていようか考えていると、
小さい子を2人連れた4人家族が乗車してきた。
席はところどころ空いているものの、
連続した4人分のスペースはない。
上の子が着席を促したが、
お父さんが「3駅先で降りるよ」と言っていたので
おそらくこのまま立って過ごすんだろう。
彼らのすぐ隣に立っていた僕は
どうしようと迷い始めた。
僕は3駅より先、終着まで行くとはいえ、
立っている彼らを差し置いて着席してもいいんだろうか。
確かに連続して4人分空いている席はないが、
目の前で僕が座るのを見た子どもたちは
自分たちも座りたいと思うだろう。
いらぬ我慢の種を見せつけてしまうことに
なりかねない。
あるいは、
お父さんお母さんはどうして席が空いてるのに
座らないんだろうと考え、大人の事情を
あれこれ気を遣わせてしまうかも知れない。
その家族のすぐ隣に立っている自分の行動如何で、
あの子たちにいわゆる”忖度”をさせてしまうんだろうか。
いらぬ気を遣わせるくらいなら
このまま動かずに立っていた方がいいだろうか、
どうしようどうしよう。
こんなことをぐるぐる考えている内に
あっという間に3駅が過ぎ、
その家族は降車していった。
そう。
こんな余計な、考えても仕方ないことで
空気を読みすぎている。
他人のことなんて誰も気にしてないのに、
我ながら自意識過剰だと思う。
自分が降車する頃には、
両目に疲れが溜まってぐったり。
空席1つで過剰に周りに気を遣う、
いわゆる”日本人的な”気質なのか、
それとも敏感すぎるのか。
とはいえ、何だかんだ心配していても、
結局は自分が安心したいからなんだろう。
一見、家族を何とか座らせてあげたいという思いは、
そうしないと自分がどう振る舞えばいいか
不安になる気持ちが根底にある。
以前、息子への心配からあれこれ言い過ぎて
心を閉ざされてしまった母親のことを書いたが、
自分も根っこには同じ不安を抱えてるじゃないか。
→「それは愛情ではなく不安感。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/218/0
究極の答えは、身もふたもないが
「座りたいなら座ればいい」。
はっきり言って僕もそう思う。
いらないところで
ああでもないこうでもないと
1人で気をもむ自分が不思議に思える。
こんな取り留めない考えが瞬時に、
泉のごとく湧き出てくる不思議に。
周りのことを過剰に気にする人、
癖で空気を読み過ぎる人の頭の中を
少し覗いたと思ってご容赦願いたい。
悩んでいることがある。
それは、ちらほら空き始めた空席に座るべきか、
それとも、席が必要な人が現れた時のために
このまま立っているべきかという悩み。
明らかに遠慮する気持ちが暴走し、
空気を読み過ぎて自爆している。
昨日、やはり空席が目立ち始め、
どこかに座ろうか、立っていようか考えていると、
小さい子を2人連れた4人家族が乗車してきた。
席はところどころ空いているものの、
連続した4人分のスペースはない。
上の子が着席を促したが、
お父さんが「3駅先で降りるよ」と言っていたので
おそらくこのまま立って過ごすんだろう。
彼らのすぐ隣に立っていた僕は
どうしようと迷い始めた。
僕は3駅より先、終着まで行くとはいえ、
立っている彼らを差し置いて着席してもいいんだろうか。
確かに連続して4人分空いている席はないが、
目の前で僕が座るのを見た子どもたちは
自分たちも座りたいと思うだろう。
いらぬ我慢の種を見せつけてしまうことに
なりかねない。
あるいは、
お父さんお母さんはどうして席が空いてるのに
座らないんだろうと考え、大人の事情を
あれこれ気を遣わせてしまうかも知れない。
その家族のすぐ隣に立っている自分の行動如何で、
あの子たちにいわゆる”忖度”をさせてしまうんだろうか。
いらぬ気を遣わせるくらいなら
このまま動かずに立っていた方がいいだろうか、
どうしようどうしよう。
こんなことをぐるぐる考えている内に
あっという間に3駅が過ぎ、
その家族は降車していった。
そう。
こんな余計な、考えても仕方ないことで
空気を読みすぎている。
他人のことなんて誰も気にしてないのに、
我ながら自意識過剰だと思う。
自分が降車する頃には、
両目に疲れが溜まってぐったり。
空席1つで過剰に周りに気を遣う、
いわゆる”日本人的な”気質なのか、
それとも敏感すぎるのか。
とはいえ、何だかんだ心配していても、
結局は自分が安心したいからなんだろう。
一見、家族を何とか座らせてあげたいという思いは、
そうしないと自分がどう振る舞えばいいか
不安になる気持ちが根底にある。
以前、息子への心配からあれこれ言い過ぎて
心を閉ざされてしまった母親のことを書いたが、
自分も根っこには同じ不安を抱えてるじゃないか。
→「それは愛情ではなく不安感。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/218/0
究極の答えは、身もふたもないが
「座りたいなら座ればいい」。
はっきり言って僕もそう思う。
いらないところで
ああでもないこうでもないと
1人で気をもむ自分が不思議に思える。
こんな取り留めない考えが瞬時に、
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少し覗いたと思ってご容赦願いたい。
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