2020年02月01日
受け止めてもらえなかった末に、出来上がるもの。
祖父母の家に帰省すると、
懐かしさやほっとした気持ちとともに、
ものすごい寂しさを抱えて過ごす。
自分を傷つける両親はここにはいない。
だから外敵から心を守るために構えなくていい。
そんな安心感や、ほっとした気持ちを話しても
「どうせ誰も受け止めてくれないから一人で楽しもう」
という、感情表現への諦めが、寂しさの正体。
満たされない承認欲求を表に出せない、
甘え下手の引っ込み思案ができあがる。
祖父母の家にある、叔父叔母の漫画コレクション。
・『ブラックジャック』
・『紅い牙』シリーズ
この作品の、ここが面白かった、
この場面で泣きそうになった。
隣町のどこどこへ行ってきて、
ここが良かった、あの景色に感動した。
※「里帰り、『紅い牙』柴田昌弘氏の世界にひたる。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/410/0
そんな自分の気持ちや感想を話しても、
「またおいで」
これは相手が何を話していたとしても、
内容に関係なく使える便利な返答。
悪く言えばテンプレート。
僕がどう感じたか、どんな気持ちになったかを話しても、
こういう型通りの返答しか返って来ないんだ。
否定されない分の安全は感じていても、
僕が感じたことに関心を持ってもらえなかったと
思い込む時間は変わらないんだ。
自分の気持ちをいくら伝えても
それに対しての反応テンプレートだと、
「自分の話は面白くないのかな」
「自分の気持ちには誰も興味ないのかな」
という不安と疑念が生まれてくる。
相手の真意はどうあれ、
「受け止めてもらえなかった」体験が積み重なる。
何を話しても受け止めてもらえない体験が続くと、
自分の素直な気持ちでは注目してもらえないと学習する。
自分が感じたままを話しても反応をもらえない、
だったら、自分を偽り、装飾してでも、
受け止めてもらえるだけの価値をつけなければ。
こうやって本当の気持ちを押し殺す。
どうすれば共感を得られるかを他人基準で繕い、
話を面白くすることに注力し始める。
それでも関心をもらえないと気づくと、
興味を引くような話を作り上げることを諦め始める。
「どうせ何を言ったって受け止めてもらえないんだ」
「誰も自分の気持ちになんて興味ないんだ」
「共感が欲して、もらえないと勝手に傷つくくらいなら、
最初から何も話さなければいいんだ」
そんな投げやりな、諦めの境地に向かっていく。
さらに、そんな諦めをこじらせると、
「みんな自分のことで精いっぱいだから」
「僕の気持ちなんて受け止めてる余裕ないから」と
逆に周りに気を遣い始める。
小さい子が「学校でこんなことがあった」と
親に話しても受け止めてもらえない悲しみと、
大人の自分を同列に考えてはいけないんだ。
みんな自分の感情処理と忙しさで大変、
だから僕は本当の気持ちを話してはいけないんだ。
だったら、みんなの振る舞いや言葉の裏側や背景から
きっとこうなんだな、辛いんだなと想像して、
自分がしっかりしなければいけないんだ。
気持ちを話したり、頼ったり、甘えたりなんて、
余裕のないみんなに負担かけるような真似はできないんだ。
こうやって、
一見しっかり者で何でもできそうだけど
自分の気持ちを表に出せない甘え下手ができあがる。
本当は甘えたくて仕方がない、
自分が感じたままの気持ちを受け止めてほしい、
そんな渇望ばかりが溜まり続けて飢餓状態になっている。
しかし、それをしても誰も受け止めてくれない。
自分の気持ちを話す試みを諦めていなかった頃、
話すたびに無反応に傷ついた経験をもう繰り返したくないから、
飽和状態の承認欲求は無理やり封印されたまま、
どこにも行き場がなくなっている。
共感や反応をもらえない、
投げたボールを受け取ってもらえない経験は、
頭ごなしに否定されるのと同じくらい
深い傷として積もっていく。
なにしろ、共感も反応もないというのは
あなたはそこに居ませんと言われているのと同じだから。
→直接的な否定と同じかそれ以上に、無視の威力は大きい。
「冷たいドアと黄昏と。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/227/0
だから、せめて求められることができれば
存在を認めてもらえるかも知れないと思い、
先読みし、くるくる働き、
なんでもできるフリをしている。
僕は自己主張への諦めと、
傷つくことへの極度の恐れと、
甘えられない飢餓感を抱え、
人を頼ってはいけないというルールで
自分を強く縛りつけた引っ込み思案。
今、どうして自分は人に甘えられないのか
ようやくわかった段階で、それを変えていく過程に
なんとか進もうとしているところ。
まだ、人に甘える自分は見えない。
受け入れてほしい欲求を抑え切れなくなり、
暴走したら何をしでかすんだろうと怖くなる。
この飢餓感が止む時はいつか来るの?
この問いへの、イエスという答えがほしい。
懐かしさやほっとした気持ちとともに、
ものすごい寂しさを抱えて過ごす。
自分を傷つける両親はここにはいない。
だから外敵から心を守るために構えなくていい。
そんな安心感や、ほっとした気持ちを話しても
「どうせ誰も受け止めてくれないから一人で楽しもう」
という、感情表現への諦めが、寂しさの正体。
満たされない承認欲求を表に出せない、
甘え下手の引っ込み思案ができあがる。
何を話しても、テンプレート通りの返答
祖父母の家にある、叔父叔母の漫画コレクション。
・『ブラックジャック』
・『紅い牙』シリーズ
この作品の、ここが面白かった、
この場面で泣きそうになった。
隣町のどこどこへ行ってきて、
ここが良かった、あの景色に感動した。
※「里帰り、『紅い牙』柴田昌弘氏の世界にひたる。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/410/0
そんな自分の気持ちや感想を話しても、
「またおいで」
これは相手が何を話していたとしても、
内容に関係なく使える便利な返答。
悪く言えばテンプレート。
僕がどう感じたか、どんな気持ちになったかを話しても、
こういう型通りの返答しか返って来ないんだ。
否定されない分の安全は感じていても、
僕が感じたことに関心を持ってもらえなかったと
思い込む時間は変わらないんだ。
そのままの気持ちは、受け入れてもらえないと学習する
自分の気持ちをいくら伝えても
それに対しての反応テンプレートだと、
「自分の話は面白くないのかな」
「自分の気持ちには誰も興味ないのかな」
という不安と疑念が生まれてくる。
相手の真意はどうあれ、
「受け止めてもらえなかった」体験が積み重なる。
周りが気に入る話をしようと、自分を偽り始める
何を話しても受け止めてもらえない体験が続くと、
自分の素直な気持ちでは注目してもらえないと学習する。
自分が感じたままを話しても反応をもらえない、
だったら、自分を偽り、装飾してでも、
受け止めてもらえるだけの価値をつけなければ。
こうやって本当の気持ちを押し殺す。
どうすれば共感を得られるかを他人基準で繕い、
話を面白くすることに注力し始める。
やがて自己表現を諦める
それでも関心をもらえないと気づくと、
興味を引くような話を作り上げることを諦め始める。
「どうせ何を言ったって受け止めてもらえないんだ」
「誰も自分の気持ちになんて興味ないんだ」
「共感が欲して、もらえないと勝手に傷つくくらいなら、
最初から何も話さなければいいんだ」
そんな投げやりな、諦めの境地に向かっていく。
周りへの気遣いばかりで、自分の気持ちを押し殺す
さらに、そんな諦めをこじらせると、
「みんな自分のことで精いっぱいだから」
「僕の気持ちなんて受け止めてる余裕ないから」と
逆に周りに気を遣い始める。
小さい子が「学校でこんなことがあった」と
親に話しても受け止めてもらえない悲しみと、
大人の自分を同列に考えてはいけないんだ。
みんな自分の感情処理と忙しさで大変、
だから僕は本当の気持ちを話してはいけないんだ。
だったら、みんなの振る舞いや言葉の裏側や背景から
きっとこうなんだな、辛いんだなと想像して、
自分がしっかりしなければいけないんだ。
気持ちを話したり、頼ったり、甘えたりなんて、
余裕のないみんなに負担かけるような真似はできないんだ。
引っ込み思案の甘え下手ができあがる
こうやって、
一見しっかり者で何でもできそうだけど
自分の気持ちを表に出せない甘え下手ができあがる。
本当は甘えたくて仕方がない、
自分が感じたままの気持ちを受け止めてほしい、
そんな渇望ばかりが溜まり続けて飢餓状態になっている。
しかし、それをしても誰も受け止めてくれない。
自分の気持ちを話す試みを諦めていなかった頃、
話すたびに無反応に傷ついた経験をもう繰り返したくないから、
飽和状態の承認欲求は無理やり封印されたまま、
どこにも行き場がなくなっている。
無視、無反応は直接的な否定と同じくらい心を傷つける
共感や反応をもらえない、
投げたボールを受け取ってもらえない経験は、
頭ごなしに否定されるのと同じくらい
深い傷として積もっていく。
なにしろ、共感も反応もないというのは
あなたはそこに居ませんと言われているのと同じだから。
→直接的な否定と同じかそれ以上に、無視の威力は大きい。
「冷たいドアと黄昏と。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/227/0
だから、せめて求められることができれば
存在を認めてもらえるかも知れないと思い、
先読みし、くるくる働き、
なんでもできるフリをしている。
自己主張への諦めと、愛情飢餓を抱えて
僕は自己主張への諦めと、
傷つくことへの極度の恐れと、
甘えられない飢餓感を抱え、
人を頼ってはいけないというルールで
自分を強く縛りつけた引っ込み思案。
今、どうして自分は人に甘えられないのか
ようやくわかった段階で、それを変えていく過程に
なんとか進もうとしているところ。
まだ、人に甘える自分は見えない。
受け入れてほしい欲求を抑え切れなくなり、
暴走したら何をしでかすんだろうと怖くなる。
この飢餓感が止む時はいつか来るの?
この問いへの、イエスという答えがほしい。
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