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2019年07月27日

歩きスマホの心の中は。

地下鉄の駅を歩いても乗っても、降りても。

改札、ホーム、地上へ出る階段、どこへ行っても、
前を向いて歩いている人は少ない。

多くの人がイヤホンを着け、うつむきながら、
片手に持った四角い機械の画面を凝視しながら歩いている。



毎日、地下鉄に乗って降りるだけでも
数えきれないくらい歩きスマホの人とすれ違う。

僕はスマホを持ったことがないのと、
歩きながらは絶対しないようにしているから、
地下鉄の駅では一応、前を向いて歩く人に分類される。

目が不自由な人が杖をついて歩いてくるのに気づかず、
正面衝突しそうになる光景を見てしまうなど、
中には本当に前をぜんぜん見ていない人もいる。

これを見た時は本当に、大事に至らなくてよかったと
胸をなでおろした。



だけど、僕は歩きスマホや車内スマホで
うつむいて画面に夢中になっている光景から、
その人たちの寂しさが伝わってきたような気がした。

スマホ依存症として研究されていると聞くし、
繋がりや承認欲求を求めてという理由も出ている。

僕が感じたのは、もしかしてリアルで承認欲求が満たされたり
人とのあたたかい触れあいや繋がりをもらえていない人が
ものすごく多いんじゃないかってこと。



現実世界なんて先が知れてるし、
どんな希望を持って生きればいいかもわからない、
不透明で不平等で憂鬱な世界。

その中で自分は受け入れられたと実感できないから、
手軽というのもあるけどスマホの世界に閉じこもって、

非現実世界で理想とのギャップに悩みながら、
なけなしのプライドを癒してるんじゃないかって思う。
一体どんな理想を描いたらいい?
どんな希望を抱き進んだらいい?
答えようもないその問いかけは
日常に葬られてく


Mr.Children『HANABI』 より


正直、僕もその中の1人だというのは否定しない。

歩きスマホこそしないけど、こうやってブログで
自分の黒い感情、認めて欲しい欲求、寂しさ、悲しみ、
どうしようもなさを切々と毎日綴るくらいだから。

なので僕は
歩きスマホこそ危ないからしない方がいいと思っても
歩いてる時でさえスマホの中へ閉じこもらないと
自分を認められない彼らの気持ちは少しわかる。



これは僕の個人的な考えであって、
歩きスマホをする理由なんて人それぞれ。

依存症などについて、もっと深く
研究されてる意見もたくさんあるだろうけど、

スマホの世界に閉じこもる根本の1つは
彼らの心の隙間が現実世界じゃ埋まらないから
シェルターとして逃げ込んでるのかな?と思う。

だとしたら真っ先にする必要があるのは
「危ないから止めましょう」と言うことと同じくらい、

「彼らの話をじっくり聞く」ことじゃないだろうか。


誰も皆 悲しみを抱いてる
だけど素敵な明日を願っている
臆病風に吹かれて 波風がたった世界を
どれだけ愛することができるだろう?


Mr.Children『HANABI』 より

僕自身がこの世界で憂鬱になる時間が長いから
とても偉そうなことは言えないけど、

自分に起きたことをどう解釈するかで、
生き易さは段違いになる。

僕の場合、能力のアンバランス、極端さを
受け入れてしまえば個性だし、拒んでしまえば障害。

だから、この世界をどう解釈するかについては
スマホの世界に閉じこもった人と同じくらい、
僕にとっても大きな課題だ。


posted by 理琉(ワタル) at 19:38 | TrackBack(0) | 人生観

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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