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2020年01月11日

やわらかいごはんと罪悪感。

父方の祖母は
僕が大学生の時に亡くなった。



父方の祖母は、まさに父の「地獄演説」の師匠で、
里帰りすると母が餌食になるのは見ていて辛かった。

それでも、正月には一緒に餅つきをしたり、

大人になってからは
祖母に向けたオリジナル曲を作ったりと、

なんだかんだで僕は祖母のことを慕っていた。

→父の地獄演説は祖母直伝。
 「祖母から父へ、受け継がれた「地獄演説」。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/390/0

→祖母との餅つきの思い出を歌った曲。
 「【オリジナル曲】「セピア色の約束」。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/126/0



その一方で、
僕は小さい頃から父方祖母の家に
あまり里帰りしたくなかった。

理由は地獄演説や、
父と一緒に過ごす時間が苦痛という他に、
「ごはんがやわらかいから」というのが大きかった。

それも、米粒が気持ちやわらかい程度ではなく、
お粥になる少し手前の、原型は留めているが
もう少ししたら怪しいという状態。

悪い言い方を承知で言うと、幼い僕にとって
父方祖母の家に行くことは食事の苦痛を
何泊か我慢しに行くことに他ならなかった。



ごはんの固さは、歯の悪い祖母が
いつもの自分用に合わせて炊く。

そんな「少しやわらかい」を超えているごはんが口に合わず、
6歳くらいの頃に一度だけ「ごはんが柔らかい」と
口に出して言ってしまった。

怒鳴られたり、あからさまに怒られたりはしなかったが、
母に慌てて咎められ、祖母は少し悲しそうな顔をしていた。

食事が終わった後、

「おばあちゃんは歯が丈夫じゃないから
普通の固さのご飯を食べるのは大変なんだよ」と
母からこっそり諭された。

僕は祖母を傷つけてしまった罪悪感と、
思っても口に出してはいけないことを
言ってしまった軽率さを恥じ、

その場からいなくなってしまいたくなった。

以来、僕はやわらかいごはんに対して何も言わず、
我慢して食べるという配慮を見につけた。



そんなことを学んだ次の里帰りで、

祖母はいつものお粥に近いものより
少し固めにご飯を炊いて出してくれた。

本来なら、自分は無理をしてでも
僕が食べやすいご飯を用意してくた祖母の
優しさや愛情をいっぱいに感じて
満たされた気持ちになるところ。

なのに、僕はこの時に一番強く抱いた感情は
祖母の優しさや思いやりへの嬉しさではなかった。

祖母に気を遣わせてしまった罪悪感、

そこから派生して
父や母にわがままと思われたかも知れない不安、

さらに、食事のたびにそこをつつかれたら
どうしようという恐怖感に心が覆われ、

祖母の優しさを感じる気持ちが飲み込まれてしまった。



それまでは「ごはんがおいしくない」というのが
あまり来たくない主な理由だった。

だけど小学生になってからは
僕に合わせてくれる祖母への罪悪感と、

そのことで両親から責められるかも知れない
という恐怖感が加わり

いっそう憂鬱な里帰りになっていった。



振り返れば、7歳そこらの僕は
たかが里帰りにどれだけ気を遣ってるんだろう。

両親はもとより、ごはんを固めに炊いたり
優しくしてくれる祖母の顔色までも伺って。

7歳らしく、祖母に会いに行けることを
素直に楽しめばいいのに、それができなくなっていた。

こんなに色んなことを考えながら、
当時から会話が無くなっていた父と
長く同じ空間にいなければいけない。

「気疲れ」という言葉すら知らないまま、
気疲れと罪悪感に飲み込まれ続けた。



父方祖母の家では、ごはんがやわらかい他に、
漁村にも関わらず山菜を多く入れた雑煮も伝統だった。

これがまた曲者で、大量の山菜を煮込み、
決しておいしいとは言えないものだった。

雑煮については、ごはんの件で学んだからか
「おいしくない」と口を滑らすことはなかったが、
こっそり母に伝えてしまったことはあった。

その時に母は、

「ここの昔からの習慣でね、
わざとあまりおいしくないように作って、
これを食べることで山の幸の恵みへの感謝と
忍耐強さを学ぶのよ」と言っていた。



父の実家とはいえ、他人の家に来ている以上、
食事や慣習は違って当たり前。

それを理解しつつも、
ごはんがやわらかいと言ってしまった罪悪感は
あの日から消えることなく、僕の気持ちを支配した。

罪悪感、後ろめたさを抱えながら、
少し固いごはんを用意してくれる祖母に対して
どんな気持ちでいればいいのかわからないまま過ごした。



当時、家では「学校は休ませない」と怒鳴っていた父は
実家に帰ってきたからか、かなり機嫌がよかった。

ここでは父の機嫌が良いと学んでからは、
おとなしくしていれば怒鳴られないという
ある種の安堵感があった。

思っても口にしてはいけないことを学び、
祖母の優しさを感じることができた。

なぜごはんがやわらかいか、
なぜ雑煮があまりおいしくないかの
論理的な理由を知ることができた。

知識、経験、倫理観は十分増えた。



だけど、
「そうだよね、少しやわらかいよね」と
僕が感じたありのままの気持ちを肯定してくれる人は
あの場にいなかった。

姑の家に来ている嫁という立場の母に
それを求めるのは酷だと知りつつも、

自分の素直な気持ちを誰も認めてくれない寂しさと、
素直な気持ちを抱いてはいけないという罪の意識は
里帰りした僕の無口をいっそう加速させた。



6歳ではっきり生まれた、
祖母に気を遣わせてしまったという
行き場のない罪悪感。

祖母、両親、そして、
感じたままの気持ちを受け止めてもらえなかった僕。

祖母が亡くなった今でも、
あの時どういう気持ちで過ごせばよかったかは
わからないままでいる。


posted by 理琉(ワタル) at 01:14 | TrackBack(0) | 家族

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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