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2016年12月21日

チェコのビール醸造所独立系?3(十二月十八日)



承前

ポリチカ(Poličce)
 チェコ第四の作曲家として知られるボフスラフ・マルティヌーの生地が、スメタナのリトミシュルからも程近いボヘミアとモラビアの境界近くにあるポリチカである。ここのビールは、昔飲んだことがあるはずだ。記憶を掘り返してたどり着いたのが、2000年代初頭にオロモウツで最初に開催されたビールフェスティバルだった。
 現在パラツキー大学の理学部の建物が建っている場所は、かつては何もない空き地で、たまにイベントの会場になる以外は、犬の散歩や、近くの大学の寮に住む学生たちの遊び場にしか使われていなかった。そこで、ビールフェスティバルが行われるというので、当時はチェコ語の勉強をしていてすぐ近くの寮に住んでいたこともあって、いそいそと出かけていったわけだ。
 あのときは、十ちょっとぐらいのビール会社が出展していたのかな。そのうち明確に覚えているのが、このポリチカのビールと、リマージョフというオロモウツから北東の山の中の町のミニ醸造所のビールである。オロモウツでは普段飲めないビールを飲もうと思ってこの二つにたどり着いたのだったか。他にも見かけないビールの出展はあったので、何かで引かれたのだと思うけど。
 ポリチカのビールの場合には、多分瓶にあしらわれているラベルが、他の醸造所のものと違って、控えめな色合いで、芸術作品のような印象を持ったから飲んでみようと思ったのだった。ホームページには詳しい工場の歴史が書かれていないので、ラベルに描かれた女性が誰なのかも、描いた画家が誰なのかもわからないけれども、他のビールのラベルを見慣れた目には新鮮に映る。
 ポリチカでは1517年にビールを醸造する権利を得、その後、共産主義の時代に国営化されたが、ビロード革命後の民営化に際して醸造所はかつての所有者、つまり町でビールを生産する権利を有していた人々の子孫の手に戻されたらしい。町自体も、中心部が城壁に取り囲まれた歴史的な雰囲気を色濃く残した町のようなので行ってみたいとは思いつつ、オロモウツからの交通の便の悪さに阻まれて未だに実現していない。

 
ドゥダーク(Dudák)
 どこのビールだろうと思っていたら、ストラコニツェのビールだった。共産主義時代の総天然色とか言われていた時代の映画に「ストラコニツェのドゥダーク」という子供向けの映画があったなあ。チェコ風のパグパイプのことをドゥディというので、ドゥダークはそれを演奏する人という意味だろうか。映画でも演奏する人が出てきていたような気がする。
 チェスケー・ブデヨビツェから北西に行ったところにあるこの町には、昔二十年以上も前に足を伸ばしたことがあるのだが、ビールを飲んだかどうかは覚えていない。覚えているのは、オートバイの博物館があって、名前だけは知っていたJAWAのバイクが展示してあったことだ。ストラコニツェには、軍需品を生産するために設立された会社チェスカー・ズブロヨフカがあって、バイクの生産もしていたらしい。共産主義の時代には、本来の武器の生産はモラビアのブルノとウヘルスキー・ブロトに移管し、ストラコニツェでは、バイクの生産に集中し、その一環でJAWAブランドのバイクも生産していたということのようだ。本来この会社のバイクの名称はČZにナンバーがついた形になっている。
 肝心のビール会社のほうは、2004年に町が買収することで、革命後の混乱から抜け出し、設備の近代化などを進めているようだ。


パルドビツェ(Pardubice)
 パルドビツェは、電車でオロモウツからプラハに向かうときに必ず通過する町で、特急も大抵は停車するのだけど、下車したことはない。地図を見ると駅から旧市街まで結構離れているようで、乗り換えの時間になんてわけにもいかない。だから、ここのビールも見たことはないだろうと思っていた。
 しかし、ビールを見てみてびっくり。ペルンシュテインという名前なのだ。ペルンシュテインといえば、ブルノから北西に山の中に入っていったところにあるお城である。このペルンシュテインの貴族がパルドビツェの町を領有していた時期に、ビールの生産を始めたことから、ペルンシュテインという名前のビールが生産されているらしい。また、1891年から生産されているという19度の黒ビール、ポルテルも重要なブランドのようで、醸造所本体とは別のホームページが用意されている。
 ところで、この会社のビールは基本的にパルドビツェとその周辺に出荷しているようであるが、南モラビア地方に属するペルンシュテインに、ペルンシュテインが飲める飲み屋はあるのだろうか。


ホドバル(Chodovar)
 ホドバルという名前を聞いて、ホツコという地域名が頭に浮かんだ人は、普通のチェコ人以上にチェコに詳しいといってもいいかも知れない。ホツコは西ボヘミアのドイツとの国境地帯、ドマジュリツェを中心とした地域である。だから、このビールもドマジュリツェのビールだと思っていたら、ホドバー・プラナーという小さな町の醸造所だった。
 ビロード革命の後の民営化で、かつての家族のビール醸造所に戻ったようだ。ホームページの記載によれば、1573年からビールの生産を続けているという。そのおかげか、「ホツケー・ピボ(ホツコのビール)」という名称がEUの産地に由来する商標として認定されている。
 ここのビールのラベルには犬があしらわれているのだが、ドイツとの国境地帯の山地である「チェコの森」の中で、犬たちが狩猟に使われたとか、国境警備に使われたとかいう話を聞いたことがある。ホツキー・ペスという犬種が、このホツコから誕生しているらしいのだけど、これは、シェパード系の犬で、ホドバルのラベルの犬とは似ても似つかないのである。不思議なことである。
 この犬のあしらわれたラベルには記憶があるので、どこかで飲んだことがあるはずだが、思い出すことができない。飲み屋でグラスで飲んだのではなく、どこかで買ってきた瓶ビールであるのは確実なのだけど……。

 さすがに書くことが減ってきた。
12月18日17時。


posted by olomoučan at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Pivo

2016年12月20日

チェコのビール醸造所独立系?2(十二月十七日)



承前

コンラート(Konrád)
 二回目の最初は、コンラートという名前の醸造所である。どこかで名前を聞いたことがあるし、ビールも見たことがあるような気がするのだけど、よくわからないのでホームページで確認する。リベレツの近くのブラティスラビツェというところの醸造所らしい。
 昔の話はおいておいて、民主化以降の話をすると、もともと北ボヘミアビール醸造会社という国営企業の一工場だったのが、1990年にスビヤニの醸造所傘下に収めて、ブラティスラビツェ国営醸造会社として独立した後に、悪名高いクーポン式民営化で民営化され、スタロプラメンと共にイギリスのビール会社の傘下に入ってしまった。その後の合理化によって、スビヤニ同様、生産停止、工場閉鎖ということになり、一度ブラティスラビツェのビールは消える。
 その後すぐにチェコの会社がスタロプラメンから工場を買いとって生産を再開しようとしたらしいのだが、次々に問題が発生して、ビールの生産が再開できたのは閉鎖から二年後の2000年のことだったという。しかも、かつて生産していたビールの名称である、町の名前の由来にもなっているブラティスラフを使用する権利は、スタロプラメンが握って離さなかったため、新しい名前を探す必要があった。それで、チェコの歴史に鑑みて、ブラティスラフ王のあとにチェコの国家を支配した弟のコンラートの名前を使うことにしたのだという。ビールでもブラティスラフの後継者は、コンラートだということになる。こういう名前の付け方は好きだなあ。
 このビールもオロモウツからは、距離的にも、心理的にも遠いリベレツの近くのビールなので、オロモウツではお目にかかれない。ただ、以前リベレツ近くの出身の知り合いが、自分の町のビールは美味しいんだと誇らしく語っていた。そのビールがコンラートじゃなかったか。スビヤニほど全国的に人気があるわけではないようだが、地元の人たちに愛されるというのは幸せなビールである。

クラコノシュ(Krakonoš)
 続いて北東ボヘミアのポーランドとの国境にも近いクラコノシュ醸造所である。クルコノシェ山地のふもとのトルトノフという町にある。ややこしい話だが、山地の名前はクルコノシェで、醸造所はクラコノシュである。実はクラコノシュというのは、クルコノシェの山の神様の名前で、ビールのラベルにあしらわれた長い髭の親父がそれである。子供向けの番組ベチェルニーチェクで、今でも繰り返し放送される「クラコノシュ」という実写版のシリーズにも登場し、根強い人気を誇っている。そのクラコノシュという名称は、クルコノシェの方言だなんて話も聞いたことはあるのだけど、正直よくわからない。
 また、このトルトノフの醸造所は、バーツラフ・ハベル大統領が共産主義時代に仕事をさせられていたことでも知られている。舞台がここのビール工場という戯曲作品があったんじゃなかったかな。ビールも飲んだことがないし、ハベル大統領作の演劇も見たことがないので、なんとも言えないんだけど。

ハブリーチクーフ・ブロト(Havlíčkův Brod)
 ビソチナに戻って、ハブリーチクーフ・ブロトという町の醸造所である。もしかしたら昔、プラハからブルノに向かうのに通ったことがあるかもしれないが、町に下りたことはない。だからビールも飲んだことがないと思っていたのだけど、ホームページを見てみたら、飲んだことのあるビールだった。ブランドの名前はレベル。かつてオロモウツで飲めるお店を見つけて入ったことがある。まずかったという記憶はないので、それなりに美味しかったのだろう。あれ、飲んだのオロモウツじゃなかったかもしれない。
 ビロード革命後の民営化によって、本来の所有者であったハブリーチクーフ・ブロトの町でビールを生産する権利を有していた人たちの子孫の手に戻ったらしい。だから、会社の正式名称には「市民の」という意味の形容詞「ムニェシュテャンスキー」がついているのである。チェコのビール会社の誕生には、ビール生産の権利を有し個人で生産していた人たちが集まって、大きな醸造所を設立したというものが多く、実はピルスナー・ウルクエルもそうなのだけど、民営化で本来の権利の所有者に戻ったというのは、滅多に聞けない話である。

ボヘミア・レゲント(Bohemia Regent)
 南ボヘミアの鯉の養殖池が広がっている地域の中心となる町がトシェボーニュである。この町で生産されているビールがボヘミア・レゲントで、ビールのラベルによれば、1379年に生産が始まったらしい。多分、これはトシェボーニュでビールの生産が始まった年だろうとは思うけど。
 よくわからないのが、ホームページの工場の歴史のところに、1999年に株主が売却を決定し、2000年にボヘミア・レゲント社が買収したと書かれていることで、それ以後にボヘミア・レゲントという名前でビールの生産を始めたのだろうか。それとも、ボヘミア・レゲントというビールを生産する工場を買収するために同名の会社を設立したのだろうか。
 これもオロモウツではあまり見かけないのだけど、南モラビアのどこかの町に出かけたときに入ったレストランでたまたま飲めた記憶がある。あれも十年以上前の話で記憶が定かじゃないのでどこの町だったかまでは思い出せないし、当時はトシェボーニュのビールだということは知らなかった。
 「我が祖国」なんて名前の特別ビールを生産しているようで、名前を見たときにはいらねえやと思ったのだけど、瓶を見たらちょっと、オロモウツのやつだけでもほしいと思ってしまった。観光客にも売れそうである。

ロホゼツ(Rohozec)
 北ボヘミアのリベレツ地方のトルノフの近くの小さな村マリー・ロホゼツにある醸造所らしい。人口300人ぐらいの小さな村に、19世紀の半ばに醸造所が設立され、現在まで生産が続いているというあたりが、チェコのビールの奥深さを物語っている。
 この醸造所も、他の小規模の醸造所と同じく、ビロード革命後の民営化で経営が混迷を極めたようだ。外資に買収されることはなかったようだが、2004年に現在の会社が設立され、ビールの醸造を引き継ぐまでは、倒産の危機にさらされ続けていたと書かれている。その後、「スカラーク」「ポットスカラーク」という伝統的なビールの名称への回帰も含めて、ビールの醸造の復興に成功したらしい。
 このロホゼツも含めてリベレツ近くの北東ボヘミアにはこの手の復活系ビール醸造所が多い。何か特別な条件でもあるのだろうか。

 ということで以下次回。意外と書くことあるなあ。
12月17日23時。


 レゲント(=摂政)がないのでクイーンで。12月19日追記。


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posted by olomoučan at 07:53| Comment(0) | TrackBack(0) | Pivo

2016年12月19日

チェコのビール醸造所独立系?1(十二月十六日)



 ビール醸造所と麦芽製造所の業界団体の年次報告書のようなものには、独立系のビール醸造所として29の会社が挙げられている。これらについても、既に書いたことも含めて、少しコメントしておこう。

スビヤニ(Svijany)
 生産量の多い順に並んでいるのだと思うが、最初に名前が挙がっているのは最近業績を伸ばしているらしいリベレツの近くのスビヤニである。数年前に初めて名前を聞いたときには、オロモウツではまったく見かけなかったのだが、最近はオロモウツでも何軒か飲ませる店ができている。
 この機会に、ホームページで確認してみると、スビヤニでのビール醸造の歴史は十六世紀の半ばにまでさかのぼれるらしい。現在の会社の前身となる醸造所は、1997年にスタロプラメンに買収され、スタロプラメンと共にイギリスのビール会社の傘下に入ってしまった。そして、はっきりとは書かれていないが、生産量の少なかったスビヤニの工場はいったん閉鎖されたようだ。
 そして1998年に、スタロプラメンから離れて、改めて独立したビール会社として再スタートした。それから徐々に生産量を増やして、当初はリベレツやヤブロネツ周辺でしか飲めないビールだったのだが、2010年ぐらいからは、人気がボヘミアだけでなくモラビアにも広がり始めて現在に至るということである。関係者はみんなチェコ人だから、外資は入っていないと考えていいのかな。

ベルナルト(Bernard) すでに記事を物したビソチナ地方のフンポレツにあるこのビール会社は、ベルギーのビール会社に出資を仰いでいるが、非常にいい関係をつくれているようで、2002年の日韓ワールドカップに関して、社長二人で賭けをしたなんて話が、ホームページに載っていた。
 そして、今確認したら、今年のクリスマス用の特別商品として、チェコの誇る人気歌手「神のカーヤ」こと、カレル・ゴットの描いた絵をラベルにあしらい、シャンパン用の瓶に入れたボヘミアン・エールを発売するらしい。この会社、いろんなビール造ってるけど、冒険が好きだよなあ。

サムソン(Samson)
 続いてチェスケー・ブデヨビツェのサムソンの名前が挙がる。実はアメリカのバドワイザーがパクッたビールを生産していたのはこの会社の前身なのだが、ドイツ系の市民が設立した会社であったこともあって、共産主義の時代にチェコ系の市民たちが設立した会社の後身である現在のブドバルに、ブドバイゼルの商標を使用する権利を奪われてしまったのだった。
 それで、半分冗談でアメリカのバドワイザーがサムソンを買収したらどうなるんだろうなどと書いたのだけど、どうも既に実現しているようだ。バドワイザー、いやアンハウザー・ブッシュ社にとってはビールの生産なんかどうでもよく、ブデヨビツェに存在し、ブドバイゼルの商標の使用でブドバルと争える会社であることが大切だったのだろう。
 ところで、ブドバルの主張では、ブドバイス(ブデヨビツェのドイツ名)で造っているからブドバイゼルなのだというのだが、それなら、モラフスケー・ブデヨビツェで造ったビールもブドバイゼルと名付けてもいいことになりはすまいか。モラフスキー・ブドバイゼルなんて名前のビールがあっても……、やっぱりチェコ語とドイツ語が混ざるからおかしいか。

プリマートル(Primátor)
 プリマートルはナーホットという町のビール会社なのだが、ポーランドとの国境にある町で、西の果てのアシュ、東の果てのヤブルニュコフとならんで、なぜかチェコの領土の果てという印象を持ってしまう。
 この醸造所はチェコに来た当初から頻繁にスーパーマーケットで瓶ビールを見かけるので知っていた。特徴としては、他の会社が作っていないような特別な種類のビールが多いことだろうか。小麦で作ったいわゆるバイツェンビールを瓶で出していたのは、ここしかなかった。他にも普通の十二度の倍つまり24度のビールや、21度、16度などどういう基準で決められたのかもわからない、糖度で生産されたビールが、スーパーの棚に並んでいた。
 数年前に、いや十年近いかな、プリマートルが経営危機か何かで売却先を探しているというニュースが流れたことがある。そのときに、リトベルが傘下にあるPMSが、手を挙げて入札したというところまでは知っているのだけど、その結果までは確認していなかった。いや、PMSにプリマートルが買収されなかったのは知っているけれども、買収したのがどの企業なのかは確認していないのだった。ホームページで確認したら、2009年にリベレツの会社に買収されたようだ。チェコ資本だと思う。いや、思いたい。

ニンブルク(Nymburk)
 次は、チェコの作家ボフミール・フラバルとつながりのあるニンブルクの醸造所である。フラバルの傑作『ポストシージニ』、それを原作にした映画「ポストシージニ」の舞台となっているのが、このニンブルクのビール会社なのである。そのため、最近はポストシージニのビールという名前で、フラバルの肖像をラベルにあしらったビールを販売している。
 中央ボヘミアのプラハから東のほうにあるニンブルクの、しかも小規模の醸造所の製品はさすがにオロモウツにまでは入ってこず、一度も見かけたことはない。チェコ最強のバスケットボールのチームがあるとか、オリンピック委員会のトレーニングセンターがあって、いろんなスポーツの強化合宿が行なわれる場所としては知っているのだけど。
 余談ではあるが、映画「ポストシージニ」は、我がチェコ語能力を測るバロメーターであった時期がある。初めてサマースクールに参加した年から、毎年のように見せられたのだが、見るたびにストーリーが変わるのである。いや、チェコ語ができるようになるにつれて、映画のストーリーに対する理解が正確になっていっただけである。その結果、最初に見たときに、前回見たときに理解したストーリーが、実は理解できる言葉をもとに頭の中で作り上げた妄想に過ぎなかったことを知って、毎回頭を抱えることになったのだった。最近はそんなことないけどさ。
 フラバルの原作である『ポストシージニ』は、阿部賢一氏の翻訳で『剃髪式』の題名で松籟社から刊行されている。
12月17日18時。


 取り上げた会社のビールは発見できなかったので、フラバルの本を挙げておく。12月18日追記。

剃髪式 [ ボフミル・フラバル ]



posted by olomoučan at 07:56| Comment(0) | TrackBack(0) | Pivo

2016年12月18日

チェコビール、ほんとにチェコビール?(十二月十五日)



 ピルスナー・ウルクエルが、日本のアサヒビールに買収されるという衝撃のニュースについて書いたときに、他のチェコのビール会社がどこの傘下に入っているのか、久しく確認していなかったことを思い出した。大きなところについては、あちこちで書き散らしているけれども、ここでまとめておこう。

ピルスナー・ウルクエル
 まず、アサヒビールの傘下に入ることになるピルスナー・ウルクエル社は、同じプルゼニュのガンブリヌス、プラハの近くのベルケー・ポポビツェのコゼル、オストラバの近くのノショビツェのラデガストとともにグループを形成しており、全体で大体チェコ国内市場の45パーセントを占めているようだ。
 SABミラー社は、スロバキアのトポルチャニにあるトップバルとプレショウの近くのシャリシュという傘下のスロバキアのビール会社を、ピルスナー・ウルクエルともにアサヒビールに売却することにしたというから、アサヒはチェコとスロバキア両国で最大のシェアを持つことになる。それから、ポーランドにアサヒビールが所有していると思っていたビール会社も、今回の買収の一環で、SABミラーからアサヒに売却されることになるようだ。そうすると、スロバキアのシャリシュとポーランドでやっているピルスナー・ウルクエルのライセンス生産は継続しそうである。ロシアはやめるかな。

スタロプラメン
 プラハのスタロプラメンは、生産量でいうと、オストラバのオストラバルをあわせてピルスナー・ウルクエルグループの三分の一ぐらいである。スタロプラメンのほかにも、かつてはプラハの別の会社で生産されていたブラニークの生産もしている。インベブの傘下に入ったときに始まったベルギービール、ステラ・アルトワのライセンス生産も、インベブを離れてモルソン・クアーズ傘下に入ってからも、継続しているようだ。ステラ・アルトワがチェコで最もよく見かける輸入ビールであるのは、ここに理由がある。

ハイネケン 
 十年以上前に、ブルノのスタロブルノがオーストリアのビール会社に買収され、ズノイモのホスタンと一つのグループになるという新聞記事を読んだのを覚えているが、そのオーストリアのビール会社を買収したのがハイネケンだったのだ。その後も、チェコ国内で、西ボヘミアのクルショビツェ、北ボヘミアのいくつかのビール会社からなるドリンクス・ウニオン社を買収している。ハイネケン社がチェコに入ってきていることは知っていたが、ここまで多くのビール会社、いやビールのブランドを確保していることは、今回確認するまで知らなかった。
 ハイネケンでは、傘下のビールの生産の集約を進めており、ズノイモのホスタンは、スタロブルノの工場で、クラースネー・ブジェズノで生産されていたズラトプラメンは、グループ内の他の工場で生産されることになり、ズノイモとクラースネー・ブジェズノの工場は閉鎖されてしまった。他にも買収、閉鎖をたどった工場は多く、外資に買収されることが経営危機からの解放ではないという現実を見せ付けている。買収された後にビールの生産が停止されたクトナー・ホラとズノイモでは、町が工場を買い戻して、新たにビールの生産を始めているらしい。
 クルショビツェもズラトプラメンも、かつては大々的にテレビのコマーシャルを打って、オロモウツの飲み屋でも飲めるところが少なくなかったのだけど、最近では滅多に見かけることもなくなった。一体にハイネケン傘下に入ったチェコのビールには、ぱっとしなくなったという印象を否めない。アサヒビールがピルスナー・ウルクエルで、無駄な効率化などしないことを願っておこう。かつて、リトベルのビール工場を見学したときに、醸造責任者にあたる人が、ビール造りに改善とか、効率とか言われても困るといっていたのを思い出す。

ブドバル
 四番目が、チェスケー・ブデヨビツェのブドバルで、唯一の国営のビール会社である。ここに関しては、今後も国営であり続けることを願うというしかない。チェコ国内に保有するビール会社がなくなるSABミラー=インベブが、アメリカのバドワイザーのためにも、ブドバルを狙ってくるのは目に見えているのだから。

ロプコビツグループ
 五番目に来るのが、サッカーのスラビア・プラハと同じ中国の投資企業に買収されたロプコビツグループである。ロプコビツが道連れにしたビール会社の中にチェルナー・ホラが入っているのが、何とも許せないのだが、この際、アサヒがついでに買収してくれないものだろうか。

PMSプシェロフ
 チェコのビール醸造所と麦芽製造所の業界団体の年次報告のようなもので大手として名前が挙げられている六つの企業グループを閉じるのが、PMSプシェロフという会社でである。正式名称はモラビア・シレジアビール醸造会社とでも訳せる。これは、リトベル、ハヌショビツェ、プシェロフの三つのビール会社で作られたグループで、以前はオロモウツのビール会社もここに入っていたのだけど、完全に消滅してしまったようだ。外資に買収されることなく、チェコ資本の独立の企業として頑張っているはずである。
 ビールの生産自体の効率化や集約は行っていないが、缶ビールを生産するために缶に詰める工程だけはリトベルの工場で一手に引き受けていると、見学したときに言っていた。日本とは違って、生産されるビールの大半は瓶ビールなので、缶ビール生産施設を各工場に建設するのは効率がよくないということらしい。ただし、中身までリトベルで生産するような効率化はせずに、プシェロフとハヌショビツェで生産したものを運んで来ているらしい。
 このグループは、ハンドボールの一部リーグのメインスポンサーとなっていて、プシェロフで生産しているビールの名前を取って、ズブル・エクストラリーガと呼ばれている。ちなみにズブルは、野牛のことである。プシェロフでは旧石器時代の遺跡が発掘されて、マンモス狩りをしていた人たちの生活の様子が明らかになったというけれども、野牛もいたのだろうか。
12月16日16時。



 ハイネケン、日本ではキリンがライセンス生産やってるのか。チェコでも、ライセンス生産なのかなあ。スタロブルノでスロバキアのズラティー・バジャントのライセンス生産をやっているのは知っているけど、ハイネケンは聞いたことがない。12月17日追記。

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2016年12月17日

ヨーロッパ選手権――ハンドボール女子(十二月十四日)



 現在女子ハンドボールのヨーロッパ選手権が、予選を勝ち抜いた十六チームをスウェーデンに集めて開催されている。すでに四チームずつの四グループに分かれた一次グループは終了し、二つのグループの上位三チームずつをまとめた二次グループの試合が行なわれている。二次グループは、六チームで構成されることになるが、一次グループで対戦したチームとは対戦せず、一次グループの勝ち点を持ち越すので、各チーム三試合ずつの試合である。

 さて、チェコ代表は、今回一次リーグで、ハンガリー、モンテネグロ、デンマークと同じグループに入った。チェコ以外の三チームはかつてヨーロッパ選手権で優勝したことがあるという非常に厳しいグループで、特にハンガリーとデンマークには勝てず、モンテネグロと三位争いをするものと予想されていた。
 それが、初戦の相手ハンガリーに五点も差をつけて勝ってしまった。勝ったのだけど内容がどうだったとかいうことは全くといっていいほどわからない。せっかくチェコ代表ががんばっているのに、チェコテレビでは、一次グループと同時期に行なわれていたフロアボールの世界選手権を中継することを選び、ハンドボールはまったく中継されていないのだ。

 本格的な冬が始まり、ウィンタースポーツのシーズンが始まったから、ハンドボールよりもウィンタースポーツが優先されるのは許せる。特に近年好成績を収めているバイアスロンは、シーズンオフにバトミントンのオリンピック代表のコウカルと結婚して、ソウカロバーから姓が変わったコウカロバーがいて、優勝争い、十位以内が期待できる選手が、男女合わせて数人いるから、ハンドボールよりも放送される機会が多いのも理解できる。
 同じウィンタースポーツでも、好成績が期待できる選手がいなくなったノルディックスキーは、クロスカントリーも、ジャンプも、複合も現時点では放送されていないし、放送枠が無限ではない以上、優勝、あるいはメダル争いが期待される種目が優先されるということなのだろう。それにしては、シーズン開幕以来3000m、5000mでは負けなしのサーブリーコバーを擁するスピードスケートの中継がないのが不思議ではあるのだけど。

 それはともかく、フロアボールとハンドボール女子、どちらがメダルに近いかといわれたら、フロアボールなんだろうなあ。ハンドボール女子のヨーロッパ選手権での最高の成績は八位らしいけど、フロアボールでは準決勝で負けて三位決定戦というのが多いようだから。でもなあ、フロアボールなんてホッケーの親戚のようなものを、ホッケーの中継が連日行なわれている中、わざわざ中継しなくてもいいじゃないかと思ってしまうのである。スポンサーという問題もあるはずなので、一概には言えないのだろうけど。

 閑話休題。
 ハンドボールに話を戻そう。チェコ代表は二試合目のモンテネグロ戦に勝つか引き分ければ二次グループ進出が決まるところだったのだけど、一点差で負けてしまった。ハンガリーとの試合では終始リードをしていたようなのだが、この試合では相手にリードを許しては追いつく展開で、最後はこれが決まれば同点というシュートが外れて負けてしまったらしい。この試合も、テレビのテレテキストで、得点の経過をちょこちょこ確認できただけなので、誰が活躍したとかいうのはわからない。

 モンテネグロには負けたものの、ハンガリーがデンマークに負けたおかげで、チェコの二次グループ進出が決定した。最終戦でデンマークに勝てれば、チェコが一位通過するかも知れないという大会が始まる前には想定もしていなかった状態である。
 しかも、デンマークとの試合、勝っていたのである。少なくとも前半は四点リードで終了したし、後半も途中までは勝っていたのだ。それが、自力の差は大きかったのか逆転され突き放されて、結局四点差で負けてしまった。後半だけを見れば八点差ということになるのか。結局負けてしまったとはいえ大健闘である。

 ハンガリーがモンテネグロに勝利したこともあって、チェコは一次グループを二位で勝ちぬけ、二次グループには勝ち点二とともに進出することになった。監督のバシュニーは、この時点で十分以上の成功だと言っているけれども、少しでも上を目指してほしい。印象としては、最初のハンガリーとの試合にあわせてコンディションを整える作戦がうまくいったのかなと思う。強豪国は二次グループ、その後の準決勝、決勝を見据えて調子を上げていくので、一次グループで格下に苦戦したり、負けたりすることが間々あるのだ。

 そう考えると、チェコの二次グループは厳しいものになりそうだ。初戦では、もう一つの一次グループから三位で勝ち点なしで上がってきたロシアに、接戦だったけど二点差で負けてしまった。次の試合もルーマニアに二点差で負け。これで準決勝進出の可能性がなくなり、最高でも七位ということになってしまった。次のノルウェーにも勝てそうにないので、現実的には9位争いかな。
 ヨーロッパ選手権でヨーロッパのトップチームと互角の接戦を演じられている点は、高く評価していいだろう。あとは、接戦を勝ちきる力をつけるだけだ。言うは安く行なうは難しなんだろうけどさ。

12月14日23時。


 結局ノルウェーにも負けて、チェコはこの大会最初に一勝したあとは五連敗ということになった。順位は十位。決勝に進出したのは、いつの間にか強くなっていたオランダと、ノルウェー。放送はなさそうだ。残念。12月16日追記。

2016年12月16日

全面禁煙(十二月十二日)



 日本では、2020年の東京オリンピックに向けて、外国から応援に来た人たちが不快に感じないように、飲食店の全面禁煙の導入を目指しているらしい。これ、正直やめたほうがいいと思う。非喫煙者が一番不快に思うのは、煙草が吸えるとわかっている飲食店での煙草ではないのだ。

 もちろん、禁煙の店が少ないのは問題だから、完全禁煙の店を増やすことに反対する気はない。ただ、全飲食店が禁煙になってしまうと、今でもちょっと見苦しいレストランや、飲み屋の入り口にたむろして煙草を吸っている集団が増えるのではないかと心配である。特に冬場は、入り口のできるだけ近くで吸おうとするので、出入りの際に邪魔になることもあるし、店の前を通るときにたばこの煙に包まれて不快な気分になることもある。そして、喫煙者のマナーの悪さを反映して、営業時間外に店の前を通ると、たばこの吸い殻がいくつも落ちている。
 日本だと飲食店だけではなくて、コンビニの前で煙草を吸っているのも目に付くことになりそうだ。特に深夜二十四時間営業の店舗の前に誘蛾灯に誘い寄せられた餓のように、煙草を吸うために寄り集まってくる人々の姿は、外国人の目には奇異に写るに違いない。そして、その集団が入り口をふさぐように煙草を吸っていたら、出入りの邪魔になるだけでなく、出入りの際に煙草の煙をかがされることになって、不快感を感じることもあろう。

 そう考えると、外だから煙草を吸えるようにするのではなく、特に道路に面したところ、人通りのあるところでは煙草を吸えないようにした方が、景観上も、他人にタバコの煙を吸わせないという面でもよさそうだ。もちろん歩き煙草なんてもってのほかである。あれは不快なだけではなく危険でもある。
 だから、やはり喫煙は屋内で、屋内の決められた空調設備の整った場所でさせるに限る。下手に飲食店是面禁煙なんてことにすると、喫煙者が路上に出るようになるだけである。それは、決して現在の状況を改善することにはならないだろう。ならば、調理師から従業員まで全員喫煙者の飲食店で、空調設備も最高のものが整ったお店にだけ、喫煙の飲食店としての営業を許可するというのはどうだろう。そして客も基本的に喫煙者だけにしてしまうのだ。

 考えてみれば、オリンピックで日本に来る外国人だって、全員が全員非喫煙者ということはあるまい。飲食店を全面禁煙にしてしまうと、外国から来た喫煙者が不満に思うかもしれない。それに日本で、外国から来た大男達が店の前で煙草を吸っていたら、その店には近づきたくないと感じてしまう人も多いだろう。店の中で座って食事なり飲酒なりしていれば、また感じ方が違うのだろうけど。
 正直な話、飲食店の全面禁煙は、路上の状況を悪化させるだけだろう。禁煙の店が増えることはいいことではあろう。しかし一定数は喫煙できるお店を残しておいたほうがいい。それを認可制にすると、新たな利権ということになりそうなのが問題なのだが……。

 飲食店よりも完全禁煙にしてほしいものがある。それはホテルである。以前、日本に帰ったときに、禁煙の部屋を頼んでいたはずなのに、数が足りないとかで普通の部屋にまわされたことがある。空調設備はもちろんあったので、煙草の煙が残っていて臭いが不快というほどではなかったのだが、内装に染み付いたものがあったのだろう。なんだか鼻の奥にぴりぴりと感じるものがあって、滞在中体調があまりよくなかった。一緒に行ったうちのは、そういうのに敏感なので体調を崩して、二日三日の東京滞在中、ほとんどずっとホテルで寝てすごすという二重の苦痛を味わわされたのだった。
 飲食店なんてせいぜい、数時間しか過ごさないようなところよりも、下手すれば一日の半分を過ごしかねないホテルの部屋の方が、本気で喫煙による不快感を減らしたいと考えているのなら、早急に対策されるべきものであろう。煙草の煙は、その場でかがされるものよりも、染み付いて残ったものの方が不快である。健康被害についてはしらないけれども。

 いや、本気で煙草による健康への害をなくそう、医療費への負担を減らそうと考えているのなら、他にやるべきことはあるだろう。本当に喫煙が喫煙者の健康を損ない、排出された煙が非喫煙者の健康を損なっており、その分、健康保険に負担がかかっているのであれば、喫煙者の保険を別枠にして保険料を上げてしまえばいいのだ。そして、喫煙者用の保険に入っている人にだけ煙草を販売するようにすればいい。生命保険ではおそらくすでにそうなっているはずだから、それを健康保険に導入するだけである。いや、逆に非喫煙者の保険料を下げるという形にした方が反発が少ないか。

 ついでに、飛行機の運賃を体重が軽い人には割引するようなシステム、もしくは、平均体重より少ない分、荷物の重量を増やしてくれるようなサービスを導入してくれないものか。飛行機の運行経費の多くを占める燃料費なんて、重量に比例するのだから。我々チビで体格もよくない人間は、人生において背が高くて体格もいい連中に比べたら、大きな不利を背負って生きているのだ。それぐらいの役得があってもいいじゃないか。バスや電車で座れないときに手すりを掴むのに背伸びし、靴を買いにいけば、サイズがないので女物や子供物の靴を買わされる小さな男の僻みである。
12月12日23時。


 チェコでも飲食店全面禁煙の法律が可決されたらしい。しかし、歩き煙草については特に気にかけてもいないようである。12月15日追記。


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2016年12月15日

トカゲの尻尾きり?(十二月十一日)



 ミロシュ・ゼマン大統領の大統領府で公式の典礼を担当する部門の責任者だったフォレイト氏が、辞任することになった。大統領府の広報官オフチャーチェク氏の話によると、ここ何ヶ月かの間に連発したゼマン大統領の失策は、ほとんどすべてこの人物の責任だったらしい。
 すでに紹介したスロバキアの元大統領の葬儀に遅刻した件も、ナチスのホロコーストを生き延びたブラディ氏に勲章を授与すると言っておきながら、甥の文化大臣がダライラマと文化省で会談を持ったことを理由に撤回した件も、フォレイト氏の行動が原因で引き起こされたものらしい。航空管制官を批判する大統領の発言は何だったんだと言いたくなるが、今となっては大統領も含めて誰も触れようとしない問題である。

 他にも、十月廿八日の勲章授与式にアメリカ大使が出席しなかったとゼマン大統領が批判した件がある。大統領によれば、招待状を送った各国大使の中でアメリカ大使だけが出席しなかったというのだが、実はしっかり出席していて、チェコテレビの撮影した映像にもしっかり写っていたし、大統領の批判の直後に隣にいたドイツ大使が、一緒にいたことを証言したため、ゼマン大統領は赤っぱじをかくことになってしまった。
 これも、出席者を確認した上で大統領に報告したフォレイト氏が、アメリカ大使が来ていないという過った情報を大統領に伝えたかららしい。どんな出席の確認をしたのだろうか。来賓用の受付があって記帳とかしてもらっているのではないかと思うのだが、誤認したということは目視確認だったのだろうか。それなら、アメリカ大使はアメリカ人らしからぬ小柄で控えめな人物だから、見落とすのも無理は、あるよなあ、やっぱり。

 では、このフォレイト氏がどんな人物かというと、もともとは故バーツラフ・ハベル大統領の時代に大統領府に入ったらしい。その後、バーツラフ・クラウス大統領に引き立てられて、現職の儀式・典礼担当の責任者となったようだ。クラウス大統領の下で仕事をしていた十年の間に、最初の大きなスキャンダルを引き起こしている。日本以上のある意味で超学歴重視社会であるチェコでは、それぞれの仕事、役職に必要な学歴が指定されていることが多い。フォレイト氏が就任した役職の場合には、修士の学歴が必要なものなのに、フォレイト氏は修士課程を修了していないということが発覚して、学歴詐称だと批判されたのだった。
 当時のクラウス大統領は、この件に関して、フォレイト氏は非常に有能な人物でこの役職にふさわしいだけの能力を持っているのだから、どこの修士課程で勉強したのであろうが、修士課程を実際に修了していようがいまいが、基本的にはどうでもいいと、フォレイト氏を擁護していた。

 あれこれ問題発言も多いクラウス氏だが、チェコの政治家には珍しいこの合理的な考えには、全く持って賛成する。箔付けのためだけに大学に入学して政治家としての権力を使って卒業して学位をとった連中に比べれば遙にまともな考えである。政治家=学生の卒論は、薄くて内容がないか、人のものの丸写しばかりだというし。そんな無駄なことをしている暇があったら、なんていうのは政治家には寝耳に水なのだろう。
 そして、2013年にミロシュ・ゼマン大統領が就任したときに一度は辞任を申し入れたらしいのだが、ゼマン大統領に説得されて職に留まったようだ。その後、ゼマン大統領があちこち出かけるときには、常にその傍にあって、ニュースなどの映像に写っていることも多かった。残念ながらクラウス大統領のときがどうだったかは記憶にない。

 さて、このフォレイト氏は辞任する前から、ゼマン大統領によって、次期駐バチカンのチェコ大使と目されていたようである。一連の不祥事を経て辞任することになった現在でも、その考えは変わらないらしい。まあ、クラウス氏の奥さんをスロバキア出身だという理由で、スロバキアのチェコ大使に任命したり、トランプ大統領の最初の奥さんを、チェコのアメリカ大使に就任させることを希望したりするような大統領だから、功労賞として重要なポストを与えるのは不思議でもなんでもないのかもしれない。
 ただ、このフォレイト氏には、何かで脅迫されていたのではないかという話もあって、その脅迫されている場面を収めたビデオをマスコミ関係者に売り込もうとしている連中がいるらしい。何に関して脅迫を受けたかという点では、未確定情報ながら麻薬がらみではないかと言われている。この件に関して警察も動き始めたようで、このまますんなりバチカンに行ってチェコ大使を務めるということにはならなさそうだ。

 何はともあれ、このフォレイト氏が本当に問題を引き起こした張本人だったのか、責任をおっかぶって辞任することにしたのかははっきりしない。功労賞的なポストが用意されているところを見ると、トカゲの尻尾きりのように見えなくもないけど、どうなのだろうか。
12月11日23時。 


2016年12月14日

衝撃の……ピルスナーがアサヒになる(十二月十三日)



 疲れ果てて家に帰って、ちょうど放送されていたテレビのニュースが、衝撃的なことを言っていた。ピルスナー・ウルクエル社が日本のビール会社に買収されるというのである。その日本の会社がアサヒビールだというのだから、ややこしいことになりそうだ。

 ピルスナー・ウルクエル社は、1990年代の終わりに、日本の野村證券が出資していたIPB銀行を通して、ノムラのヨーロッパ法人に買収されたことがある。その一年ぐらい後に、購入額の倍以上で南アフリカビールに株を転売して、ノムラとIPB銀行は大もうけだったらしいのだが、その後のIPB銀行の倒産もあって、このピルスナー・ウルクエル社の株の売買に関しては、経済詐欺の疑いがかかっていて、「チェコビール事件」と呼ばれることがある。以前も書いたが、詳細は不明である。
 その南アフリカビールが、アメリカのミラービールと合併して、SABミラー社になっただけでも、巨大な多国籍ビール企業の誕生だったのだが、さらにアメリカのバドワイザーを参加に収めるベルギーのインベブ社との合併が決定した。さすがに市場の独占につながるということで、SABミラー=インベブは、合併を承認する条件として、傘下のビール会社のいくつかを手放すことを求められていた。

 売却の候補としてピルスナー・ウルクエル社が上がっているのは知っていたが、本当に売却されることになるとは思っていなかった。世界的に通用するブランドをあまり持たないSABミラー社にとっては、フラッグシップ的な存在になっていると聞いていたのだ。ただ、アメリカのバドワイザーと比べたら、ネームバリューは落ちるからなあ。
 今回、本当に売却されることになり、日本のアサヒビールが購入することで企業間では合意に達したというのだが、これからEUの公正取引委員会の審査を受けて認定される必要があるようだ。アサヒビールは、日本では最大手とは言っても、SABミラーやインベブほどは大きくないから、独占禁止法にふれることもあるまい。

 ということで、日本のビール会社とチェコのビール会社でややこしい事態が起こることになった。性格にはねじれの関係というのがいいのだろうか。これまでは、ピルスナー・ウルクエルとキリンビール、スタロプラメンとアサヒビールというのが、定番の組み合わせだったのだ。プルゼニュと高崎市が姉妹都市になったのも、キリンビールの工場がある縁だったというし。

 現在は知らないがかつて2000年ぐらいまでは、ピルスナーの330mlが日本にも正規に輸入されていて、実際に輸入業務を行なっていたのは、チェコが専門のある商社だったが、名目上の輸入元、販売元はキリンビールだったのである。今後はアサヒビールが輸入するという形になるのだろうか。それなら、ピルスナーの500mlや、タンク入りの生ビールも輸入して、気軽に日本でも飲めるようにしてほしいものだ。生はやはり無理かな。
 ただし、日本でのライセンス生産だけは、絶対にやめてほしい。それにポーランドやロシアでSAB傘下のビール工場でやっているらしいライセンス生産も契約が切れた時点でやめるのがいいだろう。ピルスナー・ウルクエルは、プルゼニュでつくるからこそ、ウルクエルなのだ。ただ、アサヒビールはポーランドにも子会社を持っているらしいから、そっちに移すとかしそうなきもあする。ポーランド産のピルスナーがチェコや日本に入ってこなければよしということにしておこう。

 ここで、ふと思い出したのが、かつて銀座にあったビアホールのピルゼン。知り合いにつれられて90年代の半ばに何度か足を運んだのだが、あそこでピルスナーが飲めたんだっけ? それとも別のビアホールだったかなあ。代々木にあった(今でもあるかも)ひつじ屋というお店では、ガンブリヌスが飲めたのを覚えているけど。スロバキアのワインもあったかな。

 そして、西ヨーロッパ市場向けに出荷されるアサヒスーパードライを生産しているのは、プラハのスタロプラメンの工場なのだ。この現地生産は2000年ぐらいから始まったんだったかな。とまれ、スタロプラメンをかつて所有していたのが、今回SABと合併するインベブで、現在の親会社はカナダ、アメリカのモルソン・クアーズ社である。
 ピルスナー・ウルクエルがアサヒビールの傘下に入る以上、いつまでもライバル会社のスタロプラメンにスーパードライを作らせるというわけにもいくまい。そうすると、プルゼニュのピルスナーの工場でスーパードライを生産することになるのか……。うーん。チェコの麦芽、ホップ、職人を使って、ピルスナータイプ発祥の地で、スーパードライの生産とか、やはりビールの伝統に対する冒涜だよなあ。
 考えてみれば、ピルスナー・ウルクエルを傘下におさめるということは、ベルコポポビツキー・コゼルとラデガストも傘下に入るということである。ということで、この三つの中から選ぶなら、ラデガストでスーパードライというのが一番精神衛生上いいかな。ただ西ヨーロッパの市場からは一番遠くなってしまうので、プラハの近くのコゼルの工場というのが現実的だろうか。いっそのことポーランドで作っちゃえよと思わなくもないけど。

 既に書いたことの繰り返しになる部分もあるけれども、あえて重複を避けないことにした。その方が、衝撃の大きさが感じられるだろうし。それから、十一日と十二日の分をとばして、この記事を先に投稿する。この手のショックはできるだけ早く、多くの人と分かち合いたいものである。
12月13日23時。



ピルスナーウルケル 330ml 3本 Pilsner Urquellチェコ /ピルスナーの元祖




 これがこうなるのか……。

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2016年12月13日

ヨーロッパリーグの結果(十二月十日)



 さて、ヨーロッパリーグの成績だけれども、リベレツはカラバフとの試合でもらってきた病気でチームが隔離状態に置かれて以来、完全に歯車が噛み合わなくなってしまった感がある。復活の兆しは見えなくはないものの、けが人と病人の海に沈んで、勝ちぬけのチャンスがわずかに残っていた最終戦も、ギリシャの多分テッサロニキのチームに完敗した。
 結局一勝一分で勝ち点四のグループ最下位に終わってしまった。何だかんだで最後には帳尻を合わせてくるだろうと期待していたのだが、スパルタがリベレツの監督トルピショフスキーをほしがって交渉が行われたのも、微妙に選手のモチベーションに影響を与えたかもしれない。選手としてはシーコラとか、ポコルニーとか代表に呼ばれるぐらいがんばっていたんだけどね。
 今年の秋のリベレツの最大の問題は、点が取れないことなんだよなあ。ボレスラフであまり出番がなかったことからリベレツに移籍してきたバロシュも不発だし、チェコリーグで十六節で十一得点というのは、イフラバと並んで最低の数字である。勝てる試合が引き分け、引き分けに終わるはずの試合が敗戦になるという悪循環に陥ってしまった感じである。この状況から、冬休みを利用して抜け出すことができるのかどうか、監督のお手並み拝見といこう。

 ヨーロッパのカップ戦およびその予選で、十四戦連続勝利なしというかつての姿からは信じられないような状態におちいっていたプルゼニュだが、最後の最後に強さを見せてくれた。かつてはチャンピオンズリーグの予選で十試合以上負けなしという記録を作っていたものなのだが。さすがに本戦ではそんなことはなかったけどさ。
 プルゼニュも、けが人の山で、この試合では、ディフェンスラインで本職のポジションを務めたのはセンターバックのヘイダだけという状態だった。サイドバックのジェズニーチェクがセンターバックに入って、両サイドバックには、コバジークとペトルジェラという本来サイドハーフの選手が入ることになった。これでは堅い守備なんて期待できそうにない。
 しかも、前半20分ぐらいにヘイダが、キーパーのコザーチクのミスをカバーしようとして、相手選手に手を引っ掛けて倒し、PKを取られて退場という最悪の事態に陥った。PKを決められ、さらに一点取られた時点でこの試合も勝てないと思ったのだが、この日のプルゼニュは違った。前半終了間際にホジャバが得点し、後半には、途中出場のデュリシュが二得点を挙げて大逆転。同点ゴールはホジャバがシュートの際にバランスを崩したのが、運よくデュリシュへの完璧なパスになるという幸運さだったけど、運のよさも勝つためには必要なのだ。

 いやあ、これがブルバの時代の強かったプルゼニュなのだよと思わせてくれた。当時もデュリシュは、十二番目の選手でバコシュに代わって出てきて活躍することが多かったし。その後、プルゼニュの攻撃の中心となっていたのだけど、今シーズンはヨーロッパ選手権出場の影響からか、本人の調子が上がらず、同時にクルメンチークが台頭したこともあって出場機会を減らしていた。久しぶりの大活躍だったのだけど、試合後にこれがプルゼニュでの最後の試合になるだろうというようなことをもらしていた。一説によるとスパルタとの重要な一戦で、控え選手としてベンチに座ることもなかったのが、決定的だったのだとか。
 このデュリシュの発言を受けてだと思うが、この試合でキャプテンを務めたペトルジェラは、冗談交じりに、死ぬまでプルゼニュに残ると発言していた。ネット上のテキスト速報でこの試合を追いかけていたら、後半まだ負けていた時間帯に、ペトルジェラにレッドカードの表示がついて、これは駄目だと思ったのだが、実際にはイエローカードだったようだ。

 一位通過を決めていたスパルタは、前半はインテルに押されている時間帯が多く、先制点も許してしまったのだが、後半に入るとスパルタのプレーが向上して、押し込む時間帯が増え、同点に追いついた後、ラファタが倒されてPKもらったのに、ドチカルが決め切れなかった。あれが決まっていたら勝てていたはずなのだけど。その直後にインテルの選手のハンドでPKになりそうなシーンもあったんだけど、さすがに連続してPKの笛はふけなかったようで流されたんだよなあ。スローでは見ていないので、本当にハンドだったかどうかは確認していないのだけど。
 結局終了間際に決勝ゴールを許して、勝てたはずの試合を落としてしまった。でも、緒戦のサウザンプトンとの試合を見たときには、サウザンプトンが頭一つ抜けていて、スパルタは通過できたとしても二位だろうと思ったのだが、サウザンプトンとインテルが敗退とは、予想もしなかった。そして、スパルタの監督交代がここまで劇的な効果があると予想できた人はいないのではないだろうか。

 混迷するスパルタの監督問題だが、この夏にチェコ代表の監督を電撃辞任してロシアのマハチカラに行っていたブルバが、候補になっているようだ。マハチカラでは期待されたほどの結果を残せておらず、冬の中断期間に解任される可能性も高いらしい。ロシアリーグの情報はほとんど入ってこないのだけど、結果にも内容にも安定感がないようだ。上位チームに完勝したかと思うと、最下位のチームに負けてしまうという不安定さである。
 ブルバが強いチームを作るにはもう少し時間が必要だろう。プルゼニュでもすぐに優勝を争うチームが作れたわけではないのだから。それに、ブルバはスパルタには合わないような気がする。だからもう少しロシアで頑張ってもらいたいところだ。
12月11日20時。



2016年12月12日

サッカーシーズンの終り(十二月九日)



 昨日の木曜日のヨーロッパリーグのグループステージ最終戦で、今年のチェコ国内のサッカーの公式戦が完全に終了した。これから二ヶ月ちょっとチェコのサッカーは、中断期間というには少々長い冬眠に入る。今年は、夏のオフシーズンと同じぐらいの長さだが、冬の中断期間の方が長いことのほうが多い。そのため春にはメンバーが大きく入れ替わって、ほとんど別のチームになって登場するチームもある。
 日本だと、少なくとも九州では、夏のスポーツは野球で、サッカーは冬のスポーツだという印象があるが、チェコではサッカーは夏のスポーツで、冬のスポーツは屋内競技のアイスホッケーである。近年は暖冬が続いているけれども、それでも山間部では氷点下十度以下に下がることも多いし、雪もかなり積もる。そんな時期に屋外でサッカーをやろうというのは、無理な話なのだろう。
 チェコのサッカーのシーズンは、七月の下旬に始まり十一月末、あるいは十二月頭で冬休みに入り、二月の下旬に再開し五月下旬に終了するというスケジュールになっている。一部リーグは全部で16チームなので、全三十節、そのうち十六節を冬休み前に、残りの十四節を再開後に行なう。ただ、年内最後の第十六節と、再開直後の第十七節は天候の関係で、延期になってしまうこともある。

 今年も、第十六節では二試合が延期されることになった。一つは、北東ボヘミアのヤブロネツでの試合だった。ヤブロネツは、隣接するリベレツと並んで、イゼラ山地の懐に抱かれた町で、近くにはスキーのジャンプ競技や、ノルディック複合の世界選手権が行なわれた会場もあり、チェコ国内でも雪の多い地方である。
 今回も、季節はずれとも言えない大雪が積もってしまい、さらにやむ気配もなく、除雪をしてもすぐにまた積もるという状態でとても試合が行なえる状態ではなかったらしい。チェコの一部リーグでは、融雪設備が設置されていないスタジアムでは試合ができないという規定がある。だから、ヤブロネツのスタジアムにも当然ついているのだが、降る雪の量が多ければ、そして気温が低すぎたら融雪が間に合わなくなり、一度は融けてもまた凍結して、融雪設備に過度の負担をかけることになってしまうのだろう。

 ヤブロネツのように大雪が降ったわけでもないのに、試合が中止になったのが、プラハのボヘミアンズのホーム、ドリーチェクでの試合だった。こちらも、融雪設備はあるはずなのだが、スイッチを入れるのが遅かったのか、融雪能力が低いのか、試合開始時間が午後八時という遅い時間だったのもよくなかったのだろう。芝が、その下の地面ごと凍結していて融ける気配もなかったらしい。
 サッカー用のスパイクを履いていても、ポイントが刺さらず思いっきりボールを蹴れる状態ではないということで、最終的には開始予定時間の三十分ほど前に審判が中止を決定した。ホームのボヘミアンズはもちろん、敗退が決まったヨーロッパリーグの最終戦を控えた対戦相手のプルゼニュも、春の日程がきつくなるので、できれば試合をやりたかったようだが、怪我の危険を冒してまで強行するわけにはいかなかったようだ。
 同日、同じプラハのスパルタの本拠地レトナーでも試合が予定されていたのだが、こちらは何の問題もなく開催された。このことから、ボヘミアンズの試合への準備、寒さ対策が不十分だったのが原因であるとして、没収試合で3-0でプルゼニュの勝ちとなる可能性もあったらしいが、結局罰金で収まったようだ。ボヘミアンズはお金に困っているクラブだから、融雪設備そのもの、もしくは稼動にかかる経費を削減しようとした結果なのかなと考えてしまう。

 日本でも、サッカーのシーズンをヨーロッパに合わせようという計画があるようだけど、北海道、東北なんかでやれるのだろうか。冬場のスタジアムの雪対策、寒さ対策は、屋根つきのドームにするなどして、まだ何とかなっても、集客がままならないということになりはすまいか。チェコは一部リーグでも数千人来れば御の字のチームが多いし、冬場は観客が減ることは計算の上のように見える。日本でそれは難しかろう。
 もちろん、チェコ風に無理やりシーズンの終わりヨーロッパの国に合わせることは可能だろう。ただ、シーズンオフよりも長い中断期間というのが、この辺潔癖なところのある日本人に受け入れられるかどうか。まあ学年と同じだと思えばいいのか。学年が終了した後の春休みより夏休みのほうが長いのだから。

 考えてみれば、寒さ、雪対策としてドームのスタジアムを作って、冬に豪雪地帯で試合をするよりも、暑さ、雨対策でドームを作って夏場に試合をした方が、観客には喜ばれるのではないだろうか。雪で交通機関が止まるのは、豪雪地帯であれば毎年のことだろうが、台風で交通機関が動かなくなることは九州でもそれほど多くないし、止まったとしても、雪のせいで止まるのに比べれば期間が短い。
 そうすれば、ヨーロッパにあわせて七月下旬開幕の五月末閉幕で、シーズンオフが一ヵ月半ぐらいにはなる。冬休みは十二月から二月で三ヶ月ぐらいか。チーム数がチェコより多い分タイトな日程になりそうだ。
12月10日21時。


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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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