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2016年12月06日
チェコの古戦場(十二月三日)
十二月二日は、アウステルリッツ、チェコ名スラフコフ・ウ・ブルナで、いわゆる三帝会戦が起こった日である。
この戦いについては、日本でも世界史では必修事項になるなど知っている人が多いだろうが、その戦場が現在のチェコの領域にあることを知る人は少なくなるだろう。いや知識としては知っていても、実感を伴わず、チェコに来てその話を聞いて、そういえばと思い出す人が多いのではないだろうか。そして、そのアウステルリッツが、チェコではスラフコフと呼ばれていることを知る人の数はさらに少ない。
さらに、スラフコフ郊外の丘陵地帯を舞台に行われたこの戦いを、再現するために毎年世界中からたくさんの人々がスラフコフに集まってくることを知る人はほとんどいまい。たくさんと言っても数百人、世界中とは言っても露、仏、墺の関係三国に、地元のチェコの人が中心だけれども。
しかし、チェコの十二月という寒さに苦しめられる時期に、当時のさして暖かくも、着心地がよくもない服を身に着けて、当時の武器を担いで畑の中を駆け回るために、女性の場合には看護のために、モラビアの片田舎のスラフコフくんだりまで、これだけの数の人が集まるというのは、すごいことである。
去年は末尾が0となる特別な記念の年だったので、例年の倍近くの人が集まったらしいが、今年は、特別にオロモウツから一週間かけて徒歩で行軍を行った上で、会戦に挑んだらしい。ナポレオンがオロモウツに来たことがあるのは知っていたけれども、アウステルリッツの前だったのだろうか。徒歩での行軍を行ったのはロシアからの参加者だと言っていたような気もするけど、当時、ロシアの皇帝がオロモウツに来たと言う話は聞いたことがないんだよなあ。こんな酔狂なイベントに参加するのはロシア人だけだったという落ちかもしれないけど。
実は、この戦闘再現のイベントの話を聞いたときには、経過も結果も含めて再現するのだと思っていた。しかし、ニュースを聞いていると、どうも違うようである。今年もロシア軍の勝利に終わったというコメントが聞こえてきたような気がする。アウステルリッツの三帝会戦ってナポレオンが勝ったんだよなあ、確か。ロシアからの参加者が一番多くて、戦闘でもロシア軍が一番有利ということなのだろうか。
ナポレオン役の人物は、結果よりもこのヨーロッパの歴史に大きな影響を与えた戦いの記憶を、完全に風化させないように、このイベントを継続していくことが大切なのだとか何とかのたまっていた。英語でのコメントに、チェコ語で字幕の着いたニュースだったから、実際のコメントとはかけ離れた脳内変換の賜物である恐れはあるのだけどね。
さて、チェコの領土で起こった世界史に出てくる戦いはアウステルリッツだけではない。有名どころだと、ケーニッヒグレーツの戦いがある。ケーニッヒが王を意味するドイツ語で、グレーツが砦のようなものを表す言葉ではないかと気づいたとき、目の前が開けた。これはフラデツ・クラーロベーのことだ。
城を意味するフラットからできたフラデツが、ドイツ語のグレーツにあたり、王を意味するチェコ語クラールからできたクラーロベーがケーニッヒにあたるのだ。師匠の話では、この地名はチェコ語の文法的な規則からは外れるところのある名称で、説明のしにくいものなのだと言う。小難しいことを説明してくれたのだけど、当時の酒毒に犯されかけた頭にはまったく入ってこず、方言地名ということにしておこうと決めたのだった。
とまれ、普墺戦争に於ける最大の激戦の一つとなったこの戦いは、フラデツ・クラーロベー近郊の、具体的にはサドバーという小さな町の周辺が舞台となった。日本だとサドワの戦いということもあるのかな。
こちらでも、再現イベントが行われており、十一月末にオロモウツに来てお酒をご一緒させてもらったプラハで仕事している日本の方も、会社の日本語ができるチェコ人に誘われて参加したことがあるらしい。そして、鄙にはまれな日本人ということで、取材に来ていたテレビ局から通訳つきのインタビューを受けたと言う。
テレビかあ。十五年ぐらい前にチェコ語のサマースクールに出ていたときにインタビューを受けたことがあるぐらいだぞ。いや、チェコテレビのオストラバのスタジオの以来で、日本から子供たちのオーケストラが来たときの様子を撮影したドキュメント番組の通訳と字幕作成を手伝ったことがあるか。あのときもちょっとだけテレビに出たかな。ラジオなら、一時間ぐらいの生放送にゲストとしてつきあわされたことがあるけど。
ヨーロッパの西と東をつなぐ位置にあるチェコでは、この二つ以外にも多くの戦いが行われてきた。西はポーランドまで進出したと言われるモンゴル軍も一部は現在のチェコにまで攻め込んで各地にその爪跡を残しているのだ。モラビア地方のシュトランベルクに残る伝統的なお菓子、おいしいかと言われるとちょっと困るけれども、そのシュトランベルクの耳と呼ばれるお菓子の発祥もモンゴル軍が戦功の証明として集めた耳だと言われている。チェコ中のあちこちに戦争の跡地が残っていることには違いない。
そもそも、こんなことを書き始めた理由は、昔一緒に仕事をした日本の人が、久しぶりに再開したときに、金属探知機を買ったので古戦場めぐりをして、戦争の跡に残された銃弾などを探したいと言っていたのを思い出したからだった。とりあえず、アウステルリッツとケーニッヒグレーツだけ教えておけばいいかな。
12月3日23時。
プラハ郊外のチェコ史上重要な古戦場ビーラー・ホラをドイツ語でワイセン・ベルクというとは知らなかった。知ったからと言って、それを世界史で勉強した記憶はないのだけど。12月5日追記。