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2016年12月07日

日本語能力試験(十二月四日)



 ブルノで日本語を教えている知人に頼まれて、ブルノで毎年一回行われている日本語能力試験の試験監督に出かけた。試験開始は十二時で受験生は十一時半までに到着すればいいのだが、裏方は早めに行って準備しなければいけないので、九時前後にはブルノに到着するようにとの指示であった。つまり七時の電車に乗ってブルノに向かわなければならないということである。
 昔、オストラバで通訳の仕事をしていたころは、週一で七時前の電車に乗っていて慣れていたのだけど、近年自堕落な生活をしている身には早起きはつらい。一時間半ほどかけてブルノに到着すると、今度はトラムで会場に向かわなければならない。週末は九番しか会場に向かわないというので、それに乗って向かう先は、メンデル大学である。
 遺伝の法則の発見で有名なメンデルは、ブルノの修道院で実験をして、法則を発見したのである。その功績をたたえてブルノにある農業系の大学に、名前が冠されたわけだ。メンデルに関しては、仕事をしたのはブルノだけど教育を受けたのはオロモウツだという話もあって、当時モラビアにあった高等教育機関は、イエズス会の学寮から発展した現在のパラツキー大学の前身しかなかったはずなので、むべなるかなではあるのだけど、詳しいことは知らない。

 昔、メンデルの生地について日本で調べている人から、同じ名前の村が二つあってどっちが本当のメンデルの生地かわからないから、教えてくれというメールをもらって、ちょっと困ったことがある。現地まで出かければすぐわかるのだろうけど、出かけなければインターネットが発達した今、チェコ語の問題を無視すれば、日本でもチェコでも調べて手に入れられる情報には大差はない。
 もちろん、偶然というもののおかげで情報が入ってきやすいのはチェコだけれども、当時周囲にいた人たちに誰彼ともなく聞いて回っても、誰も正しい答えを知らなかった。チェコ人だからといってチェコ出身の有名人について詳しいとは限らないのである。特にメンデルのようにドイツ系とも見られる人の場合にはその傾向が強い。
 その後、偶然チェコテレビのニュースで、メンデルの生地の村で、メンデルの生家を博物館だか、記念館だかにしているというのを見る機会があった。ただ、そのときには知人からの連絡をもらってすでに数年、どこにある二つの村が問題だったのか覚えておらず、その二つのうちのこっちだよと教えることはできなかったのだった。

 閑話休題。
 メンデル大学は、オロモウツのパラツキー大学、プラハのカレル大学とは違って、キャンパスがあった。キャンパスに入れるところには門があって、警備の人もいたし、日曜なので使える入り口はひとつだけに限定されていた。
 この大学の建物の集約されたキャンパスの中で、いくつかの建物を使って行うらしい。一つの建物でできないのかと聞いたら、大きな教室で、ちゃんとした机のあるところが少なく、建物の数のわりに試験に使える教室は少ないのだという。N1からN5まで合わせて300人ほどの受験生がいると言うから、一クラス平均でも60人となり、小さな教室は使えそうもない。
 そのため、担当の級によっては、会場と本部の間を、寒空の下行ったり来たりする必要があって、大変そうだった。私自身はチェコ語で指示を出す必要のあるN5クラスに、チェコ語くっちゃべり要員として配属され、本部と同じ建物の一番近い会場だったので、非常に楽だった。N5は一番下のレベルで、初めてこの手の試験を受ける人が多く、どたばたしてしまった部分もあるのだけど、それも含めて、なかなか楽しかった。他人が受けるテスト、しかも採点する必要のないテストというのは楽しいものである。
 それにしても、日本からはるか遠く、飛行機の直行便もないチェコの地で、毎年一回このような大規模なテストが行われていて、しかも年々受験者の数が増えて300人になろうとしているというのは、ちょっとした驚きである。願はくは、この中の一人でも多くの人が、日本語の勉強を続けて、最高レベルだというN1に合格してくれんことを。

 かつて、80年代から90年代にかけてだったと思うが、日本語を国際化して、国際的な言葉にしようという考えを持った人たちが積極的に発言していた時期がある。日本語を国際化する必要があるのかどうかはともかくとして、その連中が主張していたのは、日本語をしっかり教える方法を考えることではなく、日本語そのものを変えてしまうことだった。
 当人たちの言葉を変えれば、複雑に過ぎるらしい日本語の文法を簡約化して簡約日本語と言うものを作り出し、それを外国人に教えると言うのである。実例として挙げられていた簡約日本語は、日本語を粉砕して適当に糊でくっつけたような、到底日本語とは言えないような代物であった。こんなくそみたいな日本語もどきを一度身につけてしまった外国人は、絶対に正しい日本語を身につけることはできないと断言できるようなものだった。
 いや、当時簡約日本語なるものを主張していた連中は、今日ブルノに集まった、日本から遠く離れたチェコの教材の面でも、教師の面でも恵まれない環境で、正しい日本語を身につけようと努力を積み重ねている人々の顔を面と向かってみることができるのだろうか。恥を知れとしか言いようがない。漢字廃止論者とか、ローマ字表記論者も同罪である。漢字のない日本語など読めたもんじゃないのはわかりきったことだろうに。ここにも話し言葉を過度に重視する言語学が主流となっている弊害が現れていると思うのは私だけだろうか。

 またまた、看板に偽りがあるなあ。
12月5日10時。

試験監督には昼食に和食のお弁当が出ると言われて、ほいほい引き受けたのに、弁当がなかったのは、非常に残念だった。12月6日追記。




posted by olomoučan at 07:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語
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