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2016年12月11日

チェコの銀行2(十二月八日)



 十二月の初めに書いた記事が、予定に反して、ČSOBの話だけで終わってしまったので、チェコの他の銀行についても、簡単に記しておく。間が空いたのは、それぞれの日にかかわりのある記事を優先してしまった結果である。

 チェコで一番大きな、つまり口座を持つ顧客の多い銀行は、チェスカー・スポジテルナ(チェコ貯蓄銀行)、略してČSである。この銀行は、19世紀の前半にヨーロッパで流行した貯蓄銀行の一つとして、1825年にプラハで活動を始めたものを起源に持つというから、チェコで一番歴史のある銀行と言ってもいいのかもしれない。
 その後、プラハだけではなく、各地の町に貯蓄銀行が設立されたが、第二次世界大戦中のドイツ占領期、戦後初期を通じて、集約化と国有化が進められ、各地に独立して存在した貯蓄銀行は、最終的には、一つのチェコスロバキア国立貯蓄銀行に集約された。その後、チェコスロバキアの連邦化に伴って、チェコ貯蓄銀行と、スロバキア貯蓄銀行に分かれ現在に至っている。この点、ビロード革命後もチェコスロバキアであり続けたČSOBとは対照的である。

 その後、ビロード革命後のクーポン式民営化の一環で、国立銀行から株式会社へと改組された。このときは、国と地方公共団体とで合わせて60パーセントの株式を保有していたようだが、その後、ČSOBに続いて完全民営化され、株式を取得したのはオーストリアのエルステ銀行だった。興味深いのは、この銀行もかつての貯蓄銀行に起源をもっていることで、その縁でなのかなんなのか、チェコ貯蓄銀行だけでなく、スロバキアの貯蓄銀行も傘下に収めているのである。つまり、チェコスロバキア貯蓄銀行の運命は、一度分離した後、EUの下に集ったチェコとスロバキアの国家と同じようなものなのである。国と同じで合併することはないだろうけれども。
 エルステ銀行の傘下の銀行は、どこもSの上に点を打ったようなマークをロゴとして使っているけれども、これはエルステ銀行が、貯蓄銀行だったことの名残なのだろうか。貯蓄銀行はドイツ語でもSで始まるみたいだし。
 オロモウツでは、かつてホルニー広場とドルニー広場がぶつかるところの角にあったのだけど、現在は、ホルニー広場から見てモラビア劇場の裏にある機能主義っぽい建物に入っている。もともとここにあったのが、建物の改修工事の時期だけ広場のほうに移転していたようだ。この建物も好きな人は好きだろうなあ。

 チェコの三大銀行の三つ目は、KBと略されるコメルチニーバンカである。実は、ドイツにコメルツバンクという銀行が存在することを知ったときに、てっきりその銀行の子会社になっているのだと思っていたのだが、そんなことはなかった。実はこの会社フランスの金融機関ソシエテ・ジェネラルの傘下なのである。
 もともとは、ビロード革命後に、共産主義の時代には、国の中央銀行と一般の銀行を兼ねていたチェコスロバキア国立銀行のうち、一般の銀行業務部門を分離して国営銀行として設立された。この銀行も、クーポン式民営化の一環で、国の保有する株式の割合が下がったが、最終的にその株式を国が売却して完全に民営化したのは、2001年のことだったらしい。その時に親会社となったのが、スランスのソシエテ・ジェネラルだったのである。正直な話、KBよりも、ČSとČSOBのほうがフランス資本の印象が強かったのだが、全くそんなことはなかった。思い込みというのは恐ろしいものである。
 オロモウツではかつては共和国広場の美術館の建物の片隅に入っていたのだが、その支店は廃止され、現在中心に一番近い支店は、本当の旧市街の外側、裁判所の隣の建物になる。このあたりは、要塞都市の指定を外れるまでは建物を建てることのできなかったところで、比較的新しい建物が並んでいる。それでも100年以上の時を経たものが多いのだけど。正直この建物にはあまり魅かれないので、KBを選ばなくてよかったと思う。

 これまでに挙げた三つの銀行以外は、一般の人を相手にしている銀行は、基本的に外資で、チェコの銀行を買収したものではなく、外国の銀行がチェコに進出して子会社を設立して活動しているものばかりである。ドイツのライフファイゼン銀行とか、ロシアのズビェル銀行とか、イタリアのユニクレジット銀行とか。フォルクス銀行とか、かつては見かけたのになくなってしまったものもある。
 現在ではかつてとはちがって、銀行が倒産したら預金が一コルナも戻ってこないということはないはずだから、どの銀行を選んでもかまわないはずである。それでも、銀行や保険会社の場合には寄らば大樹の陰で、ついつい大きいところを選んでしまう。日本の銀行も三菱だし。

 最後になるが、チェコの銀行の問題点としては、近年チェコ政府が頑張って交渉した結果、だいぶ変わってきてはいるようだが、チェコの銀行の顧客は外資系の銀行の本国では求められないような手数料を課されているというものがある。以前は、銀行があって機能しているだけでありがたかったので、特に文句をつける人もいなかったようだが、最近になって、同じ銀行の同じ顧客なのに、どうしてチェコ人は、フランス人や、ドイツ人以上に手数料を払わされるのかということで、抗議の声が高まっているようだ。政府もそれに押される形で交渉をしているのである。
 同じ事は、これも外資に支配されたスーパーマーケットのチェーン店でもあり、同じ製品がチェコで買うよりも、ドイツで買ったほうが安いというのは、まだ許せるにしても、チェコで売られているもののほうが、品質が明らかに低い場合が多く、これも政府の交渉対象となっている。
 この手の批判に対して、企業側、そしてその言い分を認めるEUの主張は、現地の商習慣、現地の人の要求に対応しただけだというものである。それなのに、国策で、チェコ国内の事情に合わせて決めていいはずの電気料金に関しては、EU内の電気市場の価格に合わせろなどと強要してくるのが、EUの、いやドイツの言う平等なのである。

 何か最後のほうは、テーマからそれてしまったけど、考えてみればいつものことか。
12月8日23時。



posted by olomoučan at 07:54| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2016年12月10日

レジのオンライン接続開始(十二月七日)



 実際に開始されたのは、今月の一日だから、すでに一週間ほどたったということになる。ニュースなどで導入の混乱振りが報道されていたので、簡単に紹介しておく。このシステムは、財務大臣のバビシュが税収増加の切り札として導入を図り、さまざまな反対と問題を乗り越えて、当初の予定からは一年ほど遅れながらも、ようやく運用が開始されたものである。
 チェコ語の略称でEETとなるこのシステムを簡単に言うと、国で把握しづらい個人事業主の収入を把握するために導入するもので、店のレジをオンライン接続し、レジに入力した会計データは、そのまま政府が管理するために設置したサーバーに送られ、それに対して管理サーバーからそれぞれのレシートに管理番号が与えられレジに返送される。その番号がレジで発行されるレシートに印刷されることになるのだという。

 これによって、誰には把握できないにしても、いつ、何を、いくつ販売したかについてはデータが財務省の管理下に集積されることになり、少なくとも割合の決まっている消費税に関しては取りっぱぐれがなくなるということらしい。この政策を批判する人たちは、ビッグブラザーの悪夢が現実化したようなものだと言っている。確かに、ここまでやるかという気がしないでもない。
 一方のバビシュ側は、これまで特に市民民主党の政権下で、企業優先、事業主優先の経済政策が取られ、税金に関しても過剰な優遇を受けてきた上に、脱税する可能性もあったのだから、このシステムの導入で、初めて税制が全国民にとって平等なものになるとかなんとか主張している。そして、チェコに先んじて導入したスロバキアで大きな成果を上げているから、チェコでも税収が増えるに違いないという。なんだか、取らぬタヌキの皮算用になりそうな気もしないでもない。

 今回、十二月一日に他の業種に先んじて、飲食業とホテル業に関してこのシステムの運用が開始された。それに伴って、かなりの混乱が各地で起こっていたようである。うちのの話では、この日、あちこちの店(飲食店ではない)で、カード払い用のターミナルが不調で、現金払いしかできなくなっていたらしい。これがシステムの開始と関係があるという証拠はないのだけどね。

 この日のニュースでは、システムの開始を機に廃業を選んだ長い歴史を誇る小さな村の小さな飲み屋を紹介していた。廃業を決めた店主は、ハプスブルク家の支配も、ナチスの占領も、共産党政権も生き延びてきたけれども、これは生き延びられないというようなことを言っていた。売り上げの増加にも、作業の効率化にも全く寄与しないシステムを、税金を払うためだけに導入するのは、小さな店にとっては負担が大きすぎるのだろう。
 飲み屋にビールを供給しているビール醸造業の業界団体によると、かなりの数の小さな飲食店が、この十二月一日を機に店をたたんだという。売り上げを完全に国で把握できるシステムの導入によって、飲食店一軒当たりの税収は増えるのかもしれない。しかし、その税金を納める店舗の数が減ってしまったのでは、本当に財務省の目論見どおりに税収が増えるのか、疑念を抱いてしまう。それに、ここの店舗でシステムの導入にかかるお金は、事業主の負担であることも納得がいかない。税制上の控除の対象にはなるのだろうけど、国の都合で導入を押し付けておいて、導入に関しては自分たちで忌日までに適当にやっておけというのは、国側の怠慢であるような印象をぬぐえない。国側が積極的にシステムの導入の支援を行なっていれれば、経費はかかっただろうけど、ここまで導入が予定から遅れることはなかっただろう。

 ただ、このシステムを導入することにどれだけの意味があったかについては、ニュースでインタビューに答えていたあるレストランの店主の声が、如実に物語っている。チェコでもすでに大半の人がカードで支払うようになっており、隠せる売り上げなんてほとんどないのに、管理が二重になって手間が増えるだけだと。これは、十二月一日にカードでの支払いができなくなったことへの説明でもあるのかもしれない。
 ニュースでは多くの飲食店で、システムの導入と同時に値上げを断行したことを伝えていた。せいぜい十パーセント程度の値上げのようだったが、これが一般の人たちの消費活動を抑制するようなことになりはすまいか。財務省が思い描いた税収増加というのは、絵に描いた餅に終わりそうな感じである。

 チェコ人というのは、面白いものでこのシステムの導入に関して、飲食店やホテルの対応は、大きく二つのグループに分かれたようだ。一つは当初の開始予定の今年の一月の時点で、準備万端、いつ実際にスタートしても問題のないようにしていた人たちで、この人たちは、システムが導入されることよりも、延期に次ぐ延期で実際に導入されるのかどうかはっきりしないことを強く批判していた。これで導入中止なんてことになったら、無駄な投資を強いられたことになるわけだから、当然といえば当然か。
 もう一つは、今回十二月一日からの使用開始が決定した後も、またまた延期されることを期待して、ぎりぎりまで何もしていなかった人々で、十一月の終わりになってシステムに対応したレジや、レジ用のソフトを慌てて購入していたらしい。もちろんこの手の機械は購入するだけでは駄目で、ちゃんと設定する必要があるので、機械だけでなく技術者も引っ張りだこになっていたようだ。この手のお店の中には、レジのシステムが間に合わず十二月の初頭は休業を余儀なくされたところもあったらしい。

 とにかく、一度導入した以上は、十年ぐらいは継続して運用してほしいものだ。画期的だった病院での診察料三十コルナも、医療制度の財政が健全化する前に、政権交代で廃止されてしまったし。

12月7日23時30分。



posted by olomoučan at 08:23| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2016年12月09日

久しぶりにブログのことなど(十二月六日)



 八月にアクセスが増えて、そのうちに、一月千を超えるかなと言っていたのも、今は昔、その後も順調に増えて、十一月は千六百を超えていた。そのうち、二千を越えてしまうのか。何だか気の遠くなる数字である。そのうちの何件が、この文字だらけで、しかも誤字誤植を滅多に訂正しないブログの記事を読んでくれているのかはわからないけど、自分が書いたものがこれだけたくさんの人に読まれたかもしれないというのは、なくはないか。でも、相手の要望に合わせてではなく、好き勝手に書き散らしたものとすれば、確実に初めてのことである。
 使用していたノートパソコンが壊れて、最新のデータが手元になくなっていたもう一つのブログのほうは、修理が終わってデータが手元に戻った後も、放置気味だけど、こっちは確実に毎日、ときどき、特に酒を飲んだ次の日なんかに、自転車操業で投稿直前まで前々日の日付の分を書いていることもあるけど、何かしら、少しでも書き続けられているのは、ブログを始めて、見に来てくれる人がいるおかげである。
 始めたときには、最低一年の継続を心に誓ったものの、気の遠くなるような長さに、続けられないだろうと思っていたのだが、気が付けばすでに十一月も終わり、残すところは一月しかない。記事数もいつの間にか300を超えているし、これはもうこのまま突き進むしかあるまい。内容のなさは、記事の数と長さで挽回はできないだろうけど、そもそも自分のために始めたのだから、自分が満足していれば、不満な点は多々あるけれども、おおむね満足しているから、それでいいのだ。

 九月から始めた忍者のほうは、チェックもせずに放置してあることが多い。たまにチェックしにいくと、ついどこからアクセスをしているのかというのを見てしまう。日本人が日本語で書いている字だらけの文章だから、日本が一番多いのも、チェコでチェコのことについての記事が多いからチェコが二番目なのも当然であるが、ときどき、インドやフィリピンなどという、どうしてこんなブログにたどり着いたのだろうと思ってしまうところからのアクセスもある。もちろん、インドやフィリピンにいる日本の人なのだろうけど。
 またチェコ国内でも、オロモウツ周辺が多いのは、自分とあいつだなあとか、南モラビアからのは普段はオロモウツにいるあいつが帰省中に見たのかななどと、あれこれ想像してしまう。プラハからのアクセスもけっこうあるけど、プラハに住んでいる人に教えたのは、最近一人に教えたばかりだから、これは日本人人口が多いからだと考えておこう。
 日本国内では県別の数字が出ていて、東京が多いのは人口が多いから、いや最初にこのブログの存在を教えた人が東京の人だからだろうか。総数がそれほど多くないので、全国制覇とはいかず、太平洋側の県に履歴が残っている県が多いような印象を受ける。出身地の九州からのアクセスが、福岡以外は全くないというのが、このブログの傾向を物語っているのだろう。九州の話なんてほとんど出てこないしさ。

 それはともかく、地図を見ていると無駄に時間がたってしまうので、忍者にはあまり触らないようにしているという面もあるのである。以前検討した、なんたらランキングに登録してみるというのは、現時点では実行していない。本当にネタがなくなったらやってみようと思うのだが、とりあえずは、なんだかんだで書くことが残っているので、保留、いや先送りである。ただ、登録して、登録したけど変化なかったという文章を書いた後に変化が訪れるような気がするから、やっぱりやめようかな。
 ネタ用として参加することにしたのは、ファンブログでやっているブログコンテストみたいなものだ。詳細はよくわからないのだけど、登録しておけば、運営のほうで審査の対象にして優秀なものを表彰するらしい。こういうのは枯れ木も山の賑わいで参加者数は多いほうがいいだろうし、手続きも本当に簡単だったから、登録してしまった。結果が出てきたら何か書くネタになるかもしれないし、結果が出るころにはネタに詰まっているかもしれないしね。

 以前、ブログのデザインを夏のものから、秋のものに変えたとき、寒くなったら冬のものに変えようと思っていたのだけど、気がひかれる冬っぽいデザインがなくて変えかねている。他のファンブログのブログの中には、デザイン一覧にないデザインを使っている人がいるので、頑張れば冬のデザインを作れるのかもしれないが、そのための時間と労力、そして自分の技量を考えるとあきらめるしかない。
 今後は年末進行で、書けない、というより投稿できない日が出てきて、事前に予約投稿をするか、事後にまとめて投稿するという日が出てくるかもしれない。年末進行という言葉の本来の意味から考えると、事前に大量に書いて予約投稿するべきなのか。ということで、文章の末尾の日時がフィクションの場合も出てくるであろう。いや、ちょっとはすでにあるんだけど、それは夜の12時過ぎたのを、ちょっと針を戻した時間にしているだけだから、許容範囲だということにしておく。
12月6日22時。


posted by olomoučan at 06:51| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ

2016年12月08日

聖ミクラーシュの日(十二月五日)



 十二月末のいわゆるクリスマスに、サンタクロースが登場するのは、ヨーロッパの文脈の中から言えば、邪道であることをチェコに来てから知った。サンタクロース、すなわち聖ニコラウスは、チェコ語ではスバティー・ミクラーシュとなり、ミクラーシュの日は十二月六日である。つまり本来ニコラウスを祝う祭は十二月の六日前後に行われていたということになる。
 前後というのは、師匠の話によれば、チェコでは名前の日のお祝いを前日の夜に行う習慣があり、ミクラーシュのイベントも六日ではなく、五日の夕方に行われるからである。

 チェコのミクラーシュは、真っ白い髭を伸ばして司教の衣装を身にまとい、頭の上には帽子、手には杖を持って現れる。お供をするのは、白装束の天使と、黒ずくめの悪魔である。本来はこの三人組で、子供たちのいる家庭を回って、一年間いい子にしていたかどうかを尋ね、いい子にしていた場合には、天使がお菓子を、悪い子だった場合には、悪魔が石炭を与えるというほほえましい儀式だったようだ。
 天使にお菓子をもらえたら子供たちは喜び、石炭しかもらえなかったら悲しむわけだけれども、その前にいい子にしていたかどうかを尋ねるのを見ていると、日本の東北地方に残るなまはげを思い出してしまった。あれも悪い子は悲しみ、ときに泣いてしまうわけだし。その印象を強化したのは、後にテレビのニュースで見たオーストリアのウィーンのミクラーシュのイベントだったのだけど、これについては後述する(多分忘れない)。

 近年は、特に都市部では自宅にミクラーシュが来るのを待つのではなく、子供を連れた親たちが、ミクラーシュのイベントの行なわれる、オロモウツならホルニー広場に集まってくることが多くなっている。ミクラーシュたちもイベントの会場だけでなく、その周囲で見かけた子供たちに、問いかけお菓子を配っている。石炭はあまり渡していないような気がする。
 以前は、このミクラーシュのイベントの一環として、ホルニー広場に立てられたクリスマスツリーの電飾にスイッチが入れられていたので、十二月五日の仕事帰りは、滅多にないほどに人でごった返した街中を通る、または珍しく混みに混んだトラムに乗る破目になっていた。今年は十一月下旬にマーケットが、チェコのほかの町より一週間早く始まった時点で、点灯されていたから、どうもルールが変わったらしい。

 うちのの話では、昔大学で授業を受けていたら、突然ミクラーシュと天使と悪魔が教室に乱入してきて、体にまとわせた電飾を光らせるためにコンセントに接続し、出席していた学生たちにお菓子を配り始めたなんて出来事もあったらしい。年末年始の花火にしてもそうだが、チェコの人というのは、こういうイベントに自腹で参加して、あれこれ配るのが好きだという面があるのかもしれない。
 それはともかく、チェコのミクラーシュの仮装は、悪魔役も、恐ろしいというよりは、かわいらしい姿をしているので、石炭をもらってしまっても、お菓子がもらえなかったということ以外には、子供が泣き出す要素はない。しかし、同じハプスブルク家の支配下にあったオーストリアでは、少々事情が違うらしい。

 もう、十年ぐらい前になるだろうか。チェコのニュースで、オーストリアのウィーンのクリスマスマーケットでのミクラーシュのイベントの様子が放送された。そこに描き出されていた情景は、唖然とするしかないものだった。どこのホラー映画だよといいたくなるようなコスチュームと被り物を身につけた大人に迫られて、泣き喚く子供たち、阿鼻叫喚とはこのことだと言いたくなるような状況を作り出していた。
 昔、森雅裕が、アイドル写真集の古本価格の高騰を招いたマニア層の存在を、金の使い方を知らない小金持ちなんて言葉で批判していたけれども、オーストリアの状況も全く同じである。無駄に金をかけて、無駄にリアルで、無駄に恐ろしい悪魔の装束を手に入れて、無駄に子供たちを脅す必要などどこにもあるまい。正直、子どものころに、なまはげの様子をテレビで見て、怖いと思ったけれども、オーストリアのミクラーシュはなまはげ以上に子供の心に傷をつけそうである。
 このニュースではミクラーシュと天使の姿はほとんど見かけなかったので、子供たちはお菓子をもらえないのかもしれない。そういえば、悪魔が石炭を渡しているのも見かけなかったなあ。オーストリア政府も、年々過激化するミクラーシュの仮装を問題視しているとも言っていたので、状況は改善していると思いたいところである。

 今年も、ホルニー広場を通って自宅に向かうときに、何人ものミクラーシュと天使、悪魔を見かけた。特に大々的なイベントが行われている様子はなかったけれども、通った時間の関係もあったのだろう。あちこちからホルニー広場に向かって歩いていく子供づれの姿があった。
 ちなみに、チェコのクリスマスでプレゼントを持ってくるのはイェジーシェクで、これはイエス・キリストの「イエス」のチェコ語版、イェジュシュの指小形(小さく、かわいらしいものを指す形)である。チェコ語のイェジュシュを見ると、日本にキリスト教を伝えた「イエズス会」の名前の由来が、イエスであることが実感を以て理解できるのである。
12月5日23時。


posted by olomoučan at 07:44| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2016年12月07日

日本語能力試験(十二月四日)



 ブルノで日本語を教えている知人に頼まれて、ブルノで毎年一回行われている日本語能力試験の試験監督に出かけた。試験開始は十二時で受験生は十一時半までに到着すればいいのだが、裏方は早めに行って準備しなければいけないので、九時前後にはブルノに到着するようにとの指示であった。つまり七時の電車に乗ってブルノに向かわなければならないということである。
 昔、オストラバで通訳の仕事をしていたころは、週一で七時前の電車に乗っていて慣れていたのだけど、近年自堕落な生活をしている身には早起きはつらい。一時間半ほどかけてブルノに到着すると、今度はトラムで会場に向かわなければならない。週末は九番しか会場に向かわないというので、それに乗って向かう先は、メンデル大学である。
 遺伝の法則の発見で有名なメンデルは、ブルノの修道院で実験をして、法則を発見したのである。その功績をたたえてブルノにある農業系の大学に、名前が冠されたわけだ。メンデルに関しては、仕事をしたのはブルノだけど教育を受けたのはオロモウツだという話もあって、当時モラビアにあった高等教育機関は、イエズス会の学寮から発展した現在のパラツキー大学の前身しかなかったはずなので、むべなるかなではあるのだけど、詳しいことは知らない。

 昔、メンデルの生地について日本で調べている人から、同じ名前の村が二つあってどっちが本当のメンデルの生地かわからないから、教えてくれというメールをもらって、ちょっと困ったことがある。現地まで出かければすぐわかるのだろうけど、出かけなければインターネットが発達した今、チェコ語の問題を無視すれば、日本でもチェコでも調べて手に入れられる情報には大差はない。
 もちろん、偶然というもののおかげで情報が入ってきやすいのはチェコだけれども、当時周囲にいた人たちに誰彼ともなく聞いて回っても、誰も正しい答えを知らなかった。チェコ人だからといってチェコ出身の有名人について詳しいとは限らないのである。特にメンデルのようにドイツ系とも見られる人の場合にはその傾向が強い。
 その後、偶然チェコテレビのニュースで、メンデルの生地の村で、メンデルの生家を博物館だか、記念館だかにしているというのを見る機会があった。ただ、そのときには知人からの連絡をもらってすでに数年、どこにある二つの村が問題だったのか覚えておらず、その二つのうちのこっちだよと教えることはできなかったのだった。

 閑話休題。
 メンデル大学は、オロモウツのパラツキー大学、プラハのカレル大学とは違って、キャンパスがあった。キャンパスに入れるところには門があって、警備の人もいたし、日曜なので使える入り口はひとつだけに限定されていた。
 この大学の建物の集約されたキャンパスの中で、いくつかの建物を使って行うらしい。一つの建物でできないのかと聞いたら、大きな教室で、ちゃんとした机のあるところが少なく、建物の数のわりに試験に使える教室は少ないのだという。N1からN5まで合わせて300人ほどの受験生がいると言うから、一クラス平均でも60人となり、小さな教室は使えそうもない。
 そのため、担当の級によっては、会場と本部の間を、寒空の下行ったり来たりする必要があって、大変そうだった。私自身はチェコ語で指示を出す必要のあるN5クラスに、チェコ語くっちゃべり要員として配属され、本部と同じ建物の一番近い会場だったので、非常に楽だった。N5は一番下のレベルで、初めてこの手の試験を受ける人が多く、どたばたしてしまった部分もあるのだけど、それも含めて、なかなか楽しかった。他人が受けるテスト、しかも採点する必要のないテストというのは楽しいものである。
 それにしても、日本からはるか遠く、飛行機の直行便もないチェコの地で、毎年一回このような大規模なテストが行われていて、しかも年々受験者の数が増えて300人になろうとしているというのは、ちょっとした驚きである。願はくは、この中の一人でも多くの人が、日本語の勉強を続けて、最高レベルだというN1に合格してくれんことを。

 かつて、80年代から90年代にかけてだったと思うが、日本語を国際化して、国際的な言葉にしようという考えを持った人たちが積極的に発言していた時期がある。日本語を国際化する必要があるのかどうかはともかくとして、その連中が主張していたのは、日本語をしっかり教える方法を考えることではなく、日本語そのものを変えてしまうことだった。
 当人たちの言葉を変えれば、複雑に過ぎるらしい日本語の文法を簡約化して簡約日本語と言うものを作り出し、それを外国人に教えると言うのである。実例として挙げられていた簡約日本語は、日本語を粉砕して適当に糊でくっつけたような、到底日本語とは言えないような代物であった。こんなくそみたいな日本語もどきを一度身につけてしまった外国人は、絶対に正しい日本語を身につけることはできないと断言できるようなものだった。
 いや、当時簡約日本語なるものを主張していた連中は、今日ブルノに集まった、日本から遠く離れたチェコの教材の面でも、教師の面でも恵まれない環境で、正しい日本語を身につけようと努力を積み重ねている人々の顔を面と向かってみることができるのだろうか。恥を知れとしか言いようがない。漢字廃止論者とか、ローマ字表記論者も同罪である。漢字のない日本語など読めたもんじゃないのはわかりきったことだろうに。ここにも話し言葉を過度に重視する言語学が主流となっている弊害が現れていると思うのは私だけだろうか。

 またまた、看板に偽りがあるなあ。
12月5日10時。

試験監督には昼食に和食のお弁当が出ると言われて、ほいほい引き受けたのに、弁当がなかったのは、非常に残念だった。12月6日追記。




posted by olomoučan at 07:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語

2016年12月06日

チェコの古戦場(十二月三日)



 十二月二日は、アウステルリッツ、チェコ名スラフコフ・ウ・ブルナで、いわゆる三帝会戦が起こった日である。
 この戦いについては、日本でも世界史では必修事項になるなど知っている人が多いだろうが、その戦場が現在のチェコの領域にあることを知る人は少なくなるだろう。いや知識としては知っていても、実感を伴わず、チェコに来てその話を聞いて、そういえばと思い出す人が多いのではないだろうか。そして、そのアウステルリッツが、チェコではスラフコフと呼ばれていることを知る人の数はさらに少ない。
 さらに、スラフコフ郊外の丘陵地帯を舞台に行われたこの戦いを、再現するために毎年世界中からたくさんの人々がスラフコフに集まってくることを知る人はほとんどいまい。たくさんと言っても数百人、世界中とは言っても露、仏、墺の関係三国に、地元のチェコの人が中心だけれども。

 しかし、チェコの十二月という寒さに苦しめられる時期に、当時のさして暖かくも、着心地がよくもない服を身に着けて、当時の武器を担いで畑の中を駆け回るために、女性の場合には看護のために、モラビアの片田舎のスラフコフくんだりまで、これだけの数の人が集まるというのは、すごいことである。
 去年は末尾が0となる特別な記念の年だったので、例年の倍近くの人が集まったらしいが、今年は、特別にオロモウツから一週間かけて徒歩で行軍を行った上で、会戦に挑んだらしい。ナポレオンがオロモウツに来たことがあるのは知っていたけれども、アウステルリッツの前だったのだろうか。徒歩での行軍を行ったのはロシアからの参加者だと言っていたような気もするけど、当時、ロシアの皇帝がオロモウツに来たと言う話は聞いたことがないんだよなあ。こんな酔狂なイベントに参加するのはロシア人だけだったという落ちかもしれないけど。

 実は、この戦闘再現のイベントの話を聞いたときには、経過も結果も含めて再現するのだと思っていた。しかし、ニュースを聞いていると、どうも違うようである。今年もロシア軍の勝利に終わったというコメントが聞こえてきたような気がする。アウステルリッツの三帝会戦ってナポレオンが勝ったんだよなあ、確か。ロシアからの参加者が一番多くて、戦闘でもロシア軍が一番有利ということなのだろうか。
 ナポレオン役の人物は、結果よりもこのヨーロッパの歴史に大きな影響を与えた戦いの記憶を、完全に風化させないように、このイベントを継続していくことが大切なのだとか何とかのたまっていた。英語でのコメントに、チェコ語で字幕の着いたニュースだったから、実際のコメントとはかけ離れた脳内変換の賜物である恐れはあるのだけどね。

 さて、チェコの領土で起こった世界史に出てくる戦いはアウステルリッツだけではない。有名どころだと、ケーニッヒグレーツの戦いがある。ケーニッヒが王を意味するドイツ語で、グレーツが砦のようなものを表す言葉ではないかと気づいたとき、目の前が開けた。これはフラデツ・クラーロベーのことだ。
 城を意味するフラットからできたフラデツが、ドイツ語のグレーツにあたり、王を意味するチェコ語クラールからできたクラーロベーがケーニッヒにあたるのだ。師匠の話では、この地名はチェコ語の文法的な規則からは外れるところのある名称で、説明のしにくいものなのだと言う。小難しいことを説明してくれたのだけど、当時の酒毒に犯されかけた頭にはまったく入ってこず、方言地名ということにしておこうと決めたのだった。
 とまれ、普墺戦争に於ける最大の激戦の一つとなったこの戦いは、フラデツ・クラーロベー近郊の、具体的にはサドバーという小さな町の周辺が舞台となった。日本だとサドワの戦いということもあるのかな。

 こちらでも、再現イベントが行われており、十一月末にオロモウツに来てお酒をご一緒させてもらったプラハで仕事している日本の方も、会社の日本語ができるチェコ人に誘われて参加したことがあるらしい。そして、鄙にはまれな日本人ということで、取材に来ていたテレビ局から通訳つきのインタビューを受けたと言う。
 テレビかあ。十五年ぐらい前にチェコ語のサマースクールに出ていたときにインタビューを受けたことがあるぐらいだぞ。いや、チェコテレビのオストラバのスタジオの以来で、日本から子供たちのオーケストラが来たときの様子を撮影したドキュメント番組の通訳と字幕作成を手伝ったことがあるか。あのときもちょっとだけテレビに出たかな。ラジオなら、一時間ぐらいの生放送にゲストとしてつきあわされたことがあるけど。

 ヨーロッパの西と東をつなぐ位置にあるチェコでは、この二つ以外にも多くの戦いが行われてきた。西はポーランドまで進出したと言われるモンゴル軍も一部は現在のチェコにまで攻め込んで各地にその爪跡を残しているのだ。モラビア地方のシュトランベルクに残る伝統的なお菓子、おいしいかと言われるとちょっと困るけれども、そのシュトランベルクの耳と呼ばれるお菓子の発祥もモンゴル軍が戦功の証明として集めた耳だと言われている。チェコ中のあちこちに戦争の跡地が残っていることには違いない。
 そもそも、こんなことを書き始めた理由は、昔一緒に仕事をした日本の人が、久しぶりに再開したときに、金属探知機を買ったので古戦場めぐりをして、戦争の跡に残された銃弾などを探したいと言っていたのを思い出したからだった。とりあえず、アウステルリッツとケーニッヒグレーツだけ教えておけばいいかな。
12月3日23時。

 プラハ郊外のチェコ史上重要な古戦場ビーラー・ホラをドイツ語でワイセン・ベルクというとは知らなかった。知ったからと言って、それを世界史で勉強した記憶はないのだけど。12月5日追記。


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2016年12月05日

チェコの銀行1(十二月二日)


 ジャパンナレッジに入るためのクレジットカードの話を書いているときに、チェコの銀行についてはまだ書いていないことに気づいた。ということで、今日は銀行の話である。
 チェコの大きな銀行というと、まずČSOBこと、チェコスロバキア商業銀行、KBと略されるコメルチニーバンカ、そして、略してČSとなるチェコ貯蓄銀行の三つが挙げられる。重要なのは、この三つとも、外資系の銀行だということだ。いや、それぞれに歴史の違いはあるが90年代の民営化に際して、外資に買収されてしまっているということだ。

 ČSOBは、もともとは1960年代に、外国貿易に関する金融業務を担当する銀行として誕生したらしい。時代が時代だったので、もちろん国営の銀行だった。その後、ビロード革命後に、業務内容をチェコ国内の業者向け、個人向けにまで拡大し、チェコ各地に支店を開設していった。現在では全部で200以上の支店があるらしい。オロモウツには、なぜかホルニー広場とドルニー広場に一軒ずつ存在する。
 そして90年代の後半に始まった銀行の民営化の第一弾として売却が決定し、入札の末に、ベルギーのKBC銀行に買収され現在に到るということのようだ。ČSOB自体も、ビロード革命後に設立された銀行を吸収したり、子会社として保険会社を設立したりしていくつかの子会社を持ち、日本の銀行と同じで一つのグループを形成している。
 住宅ローン特化した銀行や住宅を建てるための貯金を担当する銀行などあるが、興味深いのは郵便局での貯金に関して権利を有していることで、実は顧客数ではこちらの方が、ČSOB本体よりも多いらしい。業務は郵便局で行なっているらしいのだが、郵便局と業務提携して業務委託しているという形なのだろうか。ČSOBで口座を作ると郵便局でお金を引き出せるように設定することも可能なようである。

 もともと、この郵便局での貯金業務の権利を持っていたのは、倒産したIPB銀行(投資郵便銀行)で、倒産後ČSOBがその後始末を引き受けることになったのだ。IPB銀行に関しては、かつてチェコに現地法人を置いていた日本の野村證券が株主になっていたことがある。その現地法人のチェコ人たちが、IPB銀行を舞台に大きな詐欺事件を引き起こしたという話があって、それがビロード革命後最大の金融犯罪の一つだというのだけど、チェコビール事件と呼ばれるチェコ最大のビール会社ピルスナー・ウルクエルの株を巡る事件があったということ以外は、具体的な内容はよくわからない。
 ただ、野村證券とチェコ政府、ČSOBの間で延々と裁判沙汰が続いていたのは確かである。どんな形で解決したのかはわからないが、この事件のために、チェコの野村證券に対する印象はあまりいいものではない。チェコテレビのニュースで、野村證券が女性社員に訴えられていた裁判に敗訴したというニュースが流れたことがある。日本のニュースなんて、それこそ地震や噴火などの大災害でも起こらない限り、チェコのニュースで見かけることはほとんどないということを考えると、野村證券だから、野村證券が負けたからニュースにしたのだとしか思えない。

 チェコに来て初めてビザの延長が必要になったときに、日本の銀行の口座の残高章明をとって、それをさらにチェコ語に翻訳するのは手間がかかりすぎると考えて、チェコの銀行に口座を開くことにしたのだが、どうしてČSOBを選んだのだろうか。
 当時、うちのに進められた銀行が、上記のČSOB、KB、ČSの三つだっだ。それ以外にも銀行はあったが、小さい銀行だと倒産する可能性があって、倒産した場合に貯金が返ってこない可能性もあると言われたのだ。90年代にモラビア銀行が倒産したしたときには、一生かけて貯めたお金を失って泣き暮らしていたお年よりもいたという話は聞いていたので、利率のよさで選ぶ気はなかった。この三つが倒産するときはチェコ経済が終わるときだともいうので、この中から選ぶことにした。
 うちのが口座を持っているのがČSなので、違うのにしようということでこれは外した。そして、当時チェコ語を勉強していたパラツキー大学の建物の一番近く似合ったのがKBで、近くて便利かもとは思ったが、何となく気が惹かれなかった。何度かお金の振込みや、両替などで使ってその支店にあまりいい印象を持っていなかったのかもしれない。

 しかし、決定的だったのは、ČSOBのドルニー広場支店の建物だった。正確なことはわからないけれど、アールヌーボーというか、ジャーマンセセッションというか、19世紀末から20世紀初頭にかけての雰囲気を感じさせるのだ。外見はそうでもないけど、建物の中の金なども使われていながら落ち着いた雰囲気が、最終的な決定を後押しした。待ち時間も建物の内装を眺めていたら退屈しないし。
 こう書いてチェコテレビで放送された建築番組「シュムナー・オロモウツ」でも取り上げられていたような気がしてきたので、これから、久しぶりに目を通してみよう。
12月2日23時。


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2016年12月04日

ジャパンナレッジ入会(十二月一日)



 十一月の晦日にクレジットカードを受け取って、剣術の演武を見に出かけて帰宅した後、早速ジャパンナレッジに申し込もうかと思ったのだが、やはり一度別件でこのクレジットカードが本当に使えるのかどうかを確認しておこうと思いなおした。

 特に買わなければならないものもないし、日本のサイトでないと試す意味がないので、実験台となったのは、例によってパピレスである。パピレスに普段はしないログインをして、ポイントの購入画面に進んで、しばらく悩む。ポイントの購入さえすればいいのだから、本来は一番下の100ポイント分購入して、108円(いつ税率上がったんだ?)支払えばいいのだろうけど、わざわざ100円分購入するのも馬鹿らしい。それに3000ポイント以上になると、ボーナスが付くようだ。
 結局、一番高額な10000ポイント購入で、10800円支払って、ボーナスポイントを合わせて10500ポイントを手に入れることにした。最近、ポイントが減ってきたので購入を避けていたのだけど、増えたら、また新しい本を探してみよう。これが、以前警戒していたクレジットカードの罠なんだよな。うん。

 前回は決済画面でカードの情報を入力して送信したところで、このカードは使えませんというメッセージが出たのだが、今回は、携帯電話が音を立てて驚いた。インターネットバンキングの自分の口座にログインするときや、さまざまな手続きをするときに必ず必要になるコードがSMSで送られてきたのだ。クレジットカードで手続きをするときまで、必要だとは思わなかった。
 その後は、何の問題もなく支払いが済んで、今までの苦労は何だったのだろうと言いたくなるほどだった。この手軽さ、お金を払っているという実感のなさは危険である。ウェブマネーを使っていたころは、常に残高が表示されるので、それをにらみながら使っていたから浪費のしようはなかったけれども、クレジットカードでストッパーになりそうなのは、自分が設定した利用限度額だけである。それも支払いの際には見えないので、あまり役に立ちそうにない。いやあ、限度額を10000コルナにしておいてよかった。
 パピレスでの実験が済んで、さあ次はジャパンナレッジだと思ったのだが、すでに夜も遅かったので、翌日に回すことにした。急いでも仕方がないし、登録してすぐに使ってしまうと、睡眠不足に拍車がかかってしまう。

 さて、その翌日なのだが、ジャパンナレッジの手続きも、本当にあっけなく済んでしまった。これまで試したときには、いろいろ不都合が出て、クレジットカードの登録画面にまでたどり着くのが一苦労だったのに、一回でそこまでたどり着いた。ありがたいのは、国外、日本以外の居住地を選べることで、チェコの住所と電話番号で登録することができた。住んでいない日本の住所、親は住んでいるけどさ、を使うのにはいつもそこはかとない罪悪感を感じてきたのだ。
 ちなみに申し込んだのはJKパーソナル+Rで、一年分まとめて年会費を払うことを選択した。月払いよりは、二か月分ほど安くなるようだったし、クレジットカードで使用した金額の支払いが手動なので、回数は少ないほうがいいのだ。毎月だと忘れる月が出そうだけど、一年に一回なら忘れないだろう、多分。+Rにしたのは、もちろん『国史大辞典』と『古事類苑』を使うためである。

 それで、支払の画面まで進んで、クレジットカードの情報を入力しようとしたときに、パピレスでは携帯にSMSでコードが入ったことを思い出した。携帯を確認すると電源が切れそうになっていたので、慌ててアダプターにつないで充電状態にした。SMSが届いてバッテリーが切れるなんてことになったらシャレにならない。
 クレジットカードの情報を入力して、エンターを押して携帯をにSMSが届くのを待っていたら、SMSが届くことなく、手続きが終わっていた。よくわかんねえぜ。この違いは、パピレスとジャパンナレッジの違いということでいいのだろうか。ちょっと不安であった。

 登録完了のメールが届くのを待って、満を持してログインする。『新日本古典文学全集』や、『東洋文庫』など目を通しておきたいものがいくつもあるのだけど、時間がないので、さわりだけ、いくつかの本の本文を表示させたり、いくつかの言葉を検索したりしてみた。『東洋文庫』が調子が悪いのか、本文ページが表示できなかったし、具体的な使い方は何もわかっていないので、これから時間をかけて、あれこれ試してみなければならない。とりあえず現時点での不満は、『新日本古典文学全集』のページの表示に、東京大学史料編纂所の『小右記』の画像表示よりも長い時間がかかることだ。もう少し早くなってほしい。
 ログイン中に気づいたのが、二日前の記事の末尾に貼りつけた「お友達紹介キャンペーン」だった。気づいていれば、友人に連絡をして紹介させたのに……。いや、でもあいつはジャパンナレッジを使っているのではなくて、あいつの会社でジャパンナレッジの仕事をしているのだったか。そうすると紹介は無理だったかもしれない。どっちにしても、すでに入会してお金も払ってしまったのだから後の祭りである。

 このジャパンナレッジについては、実際にある程度使ったらまた一文まとめようと思う。使うために導入したのだが、それがネタになるのであれば一石二鳥である。
 ただ、不安が一つ。クレジットカードで支払った金額の処理をしようと思って、インターネットバンキングで自分の口座にログインしたのだけど、支払いができなかった。支払いができていないということではないよな、多分。
 パピレスやジャパンナレッジからカード会社に請求が行って、カード会社から銀行、銀行から口座にというプロセスを経るから、即日処理されるわけではないと考えておこう。でも、使った分はすぐに払ってしまいたいぞ。実は、すでに、支払いを自動にしなかったことを後悔し始めているのであった。
12月2日16時30分。



 もし、ジャパンナレッジに入会したくなったら、こちらからどうぞ。12月3日追記。
 http://japanknowledge.com/camp/mgm/?km=1104867



posted by olomoučan at 07:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 本関係

2016年12月03日

オロモウツで日本武道(十一月卅日)



 ひょんなことから親交のあるパラツキー大学の体育学部のK先生に招待されて、先生が主催して行なわれた剣術、剣道の紹介イベントを見学に出かけた。プログラムによると居合系の抜刀術、戸山流抜刀術、それから普通の剣道、そして古流である香取神道流の三つの剣技を見せてくれるらしい。
 会場は英雄広場の近くにあるスーパービラの後のアイスホッケーのスタジアムのさらに後にあるパラツキー大学の建物の中に入っている体育館(体育室?)だった。チェコの大学、とくに古くから歴史のある大学はキャンパスというものがないところが多く、パラツキー大学の校舎もオロモウツの市内のあちこちに点在している。だから、今回の会場になっている建物に初めて出向いたときには、住所を見て、地図でどこにあるのか確認してから出かけたのだった。
 イベントの開始時間は午後七時。例によって遅れて始まるだろうと思いつつ、時間通りに到着したら意外なことに、すでに準備は整って始めるだけになっていた。チェコ人とはいえ、武道をやっている人たちだから、時間に厳しいのは当然といえば当然なのか。二年前に初めて見たときにも感じたのだが、演舞は日本人でもびっくりするぐらい本格的であった。

 まず、最初の戸山流抜刀術は、耳で聞いたときにはクラマ、トラマなどと聞こえ、ローマ字表記から富山、外山、また当山、遠山などの表記を思い浮かべたのだが、調べてみると実は戦前の陸軍の戸山学校に由来する流派であった。剣術経験のない徴兵された軍人に軍刀の扱いを身に付けさせるために制定された軍刀術がその後も改良されて、今に到るらしい。
 江戸時代から伝わるような流派に比べれば新しく、近代的で合理的な剣術と言えば言えるのだろうか。それとも戦争で使うことを前提にしているから、肉弾戦になったときに相手を殺すことのみを考えた実践的な剣術なのだろうか。戦前の軍国主義的なのものに対するアレルギーが強かった戦後という時代を考えると、このような剣術が現在でも存続し続けていることが、奇跡的であるように思われる。
 女性も含めて九人の剣士達が、居合刀(多分)を使った、師範は座った状態から、他の人たちは立った状態からの形と、木刀を使った組み太刀の演舞を見せてくれ、最後にはござのようなものを巻いて台座に立てて試し切りも見せてくれた。このござのようなものを巻きしめて水を含ませたのが、人体を切るときの感触に近いなんて、ちょっと怖いことも説明していた。人の前での試し切りは初めてで緊張して空振りしてしまう人もいたけど、それも含めて修行なんだよなんてことをチェコ人師範は語っていた。

 二番目の剣道は、二年前よりは人数が減っていたが、今回は日本人の女の子も参加していた。体育学部では日本体育大学と協定を結んでいて留学生が来ているという話をK先生に聞いていたので、日体大の学生さんだろうと思って、終わった後に聞いてみたら、実は愛知淑徳大学の学生さんで、日本で剣道をしていたので、こちらに来て剣道があることを知って毎週練習に参加しているのだと言っていた。大学を勘違いしたことに関しては、全くお詫びの言葉もない。
 前回は練習の様子を見せるのが中心だったけれども、今回は、最後に試合形式の立会いを見せてくれた。いかな日本人とはいえ、剣道の立会いでどちらの打ち込みが有効だったかなんてのを見極めるのは、素人には無理だということを思い知らされた。
 道場としての体育館の壁には「香川会」と書かれた掛け軸がかけられていたが、日本にある香川会という剣道の団体と協力関係にあるらしい。さて、この香川は、香川という人名なのだろうか。それとも香川県なのだろうか。

 最後の香取神道流は、時代小説などにも登場してくるので名前は知っていたが、どんな流派なのかは知らなかった。説明によれば、戦国時代の戦争が日常的だった時代の実践的な剣術で、自分も相手も甲冑を身にまとっていることを前提として動きが決められているのだという。頭に被っている甲が邪魔になるから、刀を頭上に振り上げるようなことはしない。腕を振り上げずに肩に担いだような位置から刀を振るのがこの流派なのだそうだ。
 そして、刀を振り下ろしても切っ先は下に下げず、その位置からさらに前に出て刀を突き出すように動かすのは、相手の体の甲冑でカバーされていない部分、肩や足の側面などに刀を突き刺すためなのだという。常に相手の体の甲冑に覆われていない部分を狙って刀を使わなければならないらしいということを、甲冑を身につけた人を登場させて示してくれた。着物しか身につけない平時の剣術ではなく、戦時の剣術であり、それが古流たる所以なのであろう。
 また演技の最初と最後には、神前でお祈りをするときと同じく、二礼、二拍、一礼をしていた。戸山流は、普通の礼を一回と刀をささげ持つような礼を一回、剣道は普通の礼だけを一回していたのとは対照的で、これが、香取神道流が、神社に起源を持つ所以なのであろう。

 このように、日本ではどこかの道場にでも出かけないと見られないようなものを、近所の体育館で見せてもらえるのだからありがたい。日本では見たことのない、知らなかった日本の物に、チェコに来て触れるというのもなかなか乙なものである。

 ところで、試し切りをしていたということは使っていた刀は、居合刀ではなく真剣だったのかもしれない。実はチェコには何人かの修行をした刀鍛冶がいるのである。日本と違って作刀制限はないはずなので、たくさん打てるはずで、たくさん討てば、技術の向上も早く、価格も安くなったりするのではないかと想像している。
 以前、趣味で刀鍛冶をしているというチェコ人に頼まれて、銘を切るときに使う刀匠としての名前を一緒に考えた事がある。どんな刀匠名にしたんだったかな。無で始まったのは覚えているんだけど……。刀鍛冶も日本では会ったことがなかったもんなあ。縁というのはこんなものなのである。
12月1日23時。



 昔会ったチェコ人の刀鍛冶はこの人の書いた英語の本を読んで、刀鍛冶の初歩の勉強をしたといっていた。名前だけは森雅裕の小説で知っていたけれども、チェコにまで知られているとは思いもしなかった。12月2日追記。


刀匠 吉原義人作 玉鋼 象嵌刀子 壱位鞘 平成13年製


2016年12月02日

ジャパンナレッジその後(十一月廿九日)



 六月の終わりに、ついにジャパンナレッジに入会するぞと決意して、登録手続きをしたのだけど、カードの問題でうまくいかなかったという話を書いた。その後、新しくなったキャッシュカードについているデビットカードで試したのだが、やはりうまくいかなかった。友人にすがるのも申し訳ないので、クレジットカードを作ることにした。

 チェコの銀行ではČSOBという銀行に口座を持っている。この銀行は正式名称をチェコスロバキア商業銀行といい、名前の通りにチェコとスロバキアで活動している銀行であるが、外資の買収を受けて現在ではベルギーのKBC銀行とかいうのの子会社になっている。
 もともと、チェコでビザの延長の申請をする際に求められる残高証明をチェコ語で出してもらうために、日本からお金を移すために作った口座である。アルバイトのように時々やっていた通訳の仕事の報酬はそっちに入るようになっていたけれども、本業の給料は手渡しでもらっていたので、キャッシュカードでお金をおろすこともほとんどなく、クレジットカードなんか作ろうとは思ったこともなかった。

 自分の口座でクレジットカードを作るために何が必要かを調べてみたら、給料の平均の額を証明する書類が必要だという。ただし、給料の銀行振り込みの実績が三か月以上あれば、最近の三か月の数字から平均値を出すので不要であると書かれていた。ちょうど本業でも手渡しは以後はできないと言われて、銀行振り込みに切り替えたところだったので、ちょうどいいと言えばちょうどよかった。書類出してもらうの面倒くさいし。
 それで、三か月の実績も積んだであろう十一月の初めに、口座を持っているオロモウツのドルニー広場の支店に足を運んだ。以前、自分の口座にお金を振り込もうとして、身分証明書にパスポートを出したら、登録されているものと違うといわれて、登録をしなおしてからお金を振り込む破目になったことがある。こっちにきたときに使っていたパスポートの有効期限が切れて、新しいパスポートになっていたのを銀行には届けていなかったのだ。
 他にも今回、チェコでとった現住所を登録していなかったので、それを登録したり、給料が振込みになったことで口座の種類を変えたり、クレジットカードの申し込みだけのつもりが、いくつも登録すべきことが出てきて、何枚も何枚も書類に記入することになってしまった。

 基本的にこちらでも、サインを求められたら漢字で署名しているのだが、一度この銀行で新字と、旧字のどちらを使うかを間違えて、振込みの申請用紙が、署名が違っていると判断されて戻ってきたことがある。こっちに来た当初は、新字を使うのと、旧字を使うのと使い分けるというバカなことをしていたのだ。そして、銀行では新字の署名を登録したのに、振込みの書類に旧字で署名してしまったというわけだ。それにしても、この銀行の署名のチェックする人、優秀である。
 それはさておき、カードの申し込みをして、それでおしまいではなく、審査が通ったら改めて銀行に出向いて書類に署名しなければならないらしい。翌週にまた銀行に出かけて、何の書類だっただろうか、カードの発行を申請する書類だったのかな、にサインしてきた。
 そして、昨日カードが銀行の支店に届いたという連絡があったので、仕事の少ない水曜日にでも取りに行くつもりである。そうすれば、ジャパンナレッジへの入会ができるはずである。その前にパピレスで試してみるかもしれない。

 そう言えば、クレジットカードで使ったお金は、手動で自分の銀行の口座から払い込まなければならないらしい。自動で処理するようにもできるけれども、それをすると月々の手数料が増えるといわれた。クレジットカードを頻繁に使うようなら、手数料などが無料になるパターンもあるらしいけれども、基本的にジャパンナレッジの年会費を払うの以外には使うつもりはない。
 だからといって毎回銀行まで出向いて手続きをするのも厄介である。ということで銀行の人に勧められてインターネットバンキングにも申し込んでしまった。まだ一度もログインしていないんだけど、使い方がわかりやすいことを期待しておこう。
 日本の銀行のインターネットバンキングも登録してあるけれども、年に一回ぐらいしかログインしないからなあ。クレジットカードを使ったら、ログインする習慣を付けなければならないということだ。面倒だと思うようだったら、自動で処理するように設定を変えてもらうことにする。
11月29日23時。



 本日ジャパンナレッジに入会したのだけど、手続きが済んでから気づいたお友達紹介キャンペーン。友人に紹介させればよかったぜ。もし、我がブログで、ジャパンナレッジに入会しようと思った人がいたら、こちらから手続きをすると結構お徳になるらしい。年間契約だと20パーセント引き。入会手続きをすることばかり考えていて、キャンペーンなんて全く気にもしていなかった。12月1日追記。

http://japanknowledge.com/camp/mgm/?km=1104867
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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



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