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2016年12月21日

チェコのビール醸造所独立系?3(十二月十八日)



承前

ポリチカ(Poličce)
 チェコ第四の作曲家として知られるボフスラフ・マルティヌーの生地が、スメタナのリトミシュルからも程近いボヘミアとモラビアの境界近くにあるポリチカである。ここのビールは、昔飲んだことがあるはずだ。記憶を掘り返してたどり着いたのが、2000年代初頭にオロモウツで最初に開催されたビールフェスティバルだった。
 現在パラツキー大学の理学部の建物が建っている場所は、かつては何もない空き地で、たまにイベントの会場になる以外は、犬の散歩や、近くの大学の寮に住む学生たちの遊び場にしか使われていなかった。そこで、ビールフェスティバルが行われるというので、当時はチェコ語の勉強をしていてすぐ近くの寮に住んでいたこともあって、いそいそと出かけていったわけだ。
 あのときは、十ちょっとぐらいのビール会社が出展していたのかな。そのうち明確に覚えているのが、このポリチカのビールと、リマージョフというオロモウツから北東の山の中の町のミニ醸造所のビールである。オロモウツでは普段飲めないビールを飲もうと思ってこの二つにたどり着いたのだったか。他にも見かけないビールの出展はあったので、何かで引かれたのだと思うけど。
 ポリチカのビールの場合には、多分瓶にあしらわれているラベルが、他の醸造所のものと違って、控えめな色合いで、芸術作品のような印象を持ったから飲んでみようと思ったのだった。ホームページには詳しい工場の歴史が書かれていないので、ラベルに描かれた女性が誰なのかも、描いた画家が誰なのかもわからないけれども、他のビールのラベルを見慣れた目には新鮮に映る。
 ポリチカでは1517年にビールを醸造する権利を得、その後、共産主義の時代に国営化されたが、ビロード革命後の民営化に際して醸造所はかつての所有者、つまり町でビールを生産する権利を有していた人々の子孫の手に戻されたらしい。町自体も、中心部が城壁に取り囲まれた歴史的な雰囲気を色濃く残した町のようなので行ってみたいとは思いつつ、オロモウツからの交通の便の悪さに阻まれて未だに実現していない。

 
ドゥダーク(Dudák)
 どこのビールだろうと思っていたら、ストラコニツェのビールだった。共産主義時代の総天然色とか言われていた時代の映画に「ストラコニツェのドゥダーク」という子供向けの映画があったなあ。チェコ風のパグパイプのことをドゥディというので、ドゥダークはそれを演奏する人という意味だろうか。映画でも演奏する人が出てきていたような気がする。
 チェスケー・ブデヨビツェから北西に行ったところにあるこの町には、昔二十年以上も前に足を伸ばしたことがあるのだが、ビールを飲んだかどうかは覚えていない。覚えているのは、オートバイの博物館があって、名前だけは知っていたJAWAのバイクが展示してあったことだ。ストラコニツェには、軍需品を生産するために設立された会社チェスカー・ズブロヨフカがあって、バイクの生産もしていたらしい。共産主義の時代には、本来の武器の生産はモラビアのブルノとウヘルスキー・ブロトに移管し、ストラコニツェでは、バイクの生産に集中し、その一環でJAWAブランドのバイクも生産していたということのようだ。本来この会社のバイクの名称はČZにナンバーがついた形になっている。
 肝心のビール会社のほうは、2004年に町が買収することで、革命後の混乱から抜け出し、設備の近代化などを進めているようだ。


パルドビツェ(Pardubice)
 パルドビツェは、電車でオロモウツからプラハに向かうときに必ず通過する町で、特急も大抵は停車するのだけど、下車したことはない。地図を見ると駅から旧市街まで結構離れているようで、乗り換えの時間になんてわけにもいかない。だから、ここのビールも見たことはないだろうと思っていた。
 しかし、ビールを見てみてびっくり。ペルンシュテインという名前なのだ。ペルンシュテインといえば、ブルノから北西に山の中に入っていったところにあるお城である。このペルンシュテインの貴族がパルドビツェの町を領有していた時期に、ビールの生産を始めたことから、ペルンシュテインという名前のビールが生産されているらしい。また、1891年から生産されているという19度の黒ビール、ポルテルも重要なブランドのようで、醸造所本体とは別のホームページが用意されている。
 ところで、この会社のビールは基本的にパルドビツェとその周辺に出荷しているようであるが、南モラビア地方に属するペルンシュテインに、ペルンシュテインが飲める飲み屋はあるのだろうか。


ホドバル(Chodovar)
 ホドバルという名前を聞いて、ホツコという地域名が頭に浮かんだ人は、普通のチェコ人以上にチェコに詳しいといってもいいかも知れない。ホツコは西ボヘミアのドイツとの国境地帯、ドマジュリツェを中心とした地域である。だから、このビールもドマジュリツェのビールだと思っていたら、ホドバー・プラナーという小さな町の醸造所だった。
 ビロード革命の後の民営化で、かつての家族のビール醸造所に戻ったようだ。ホームページの記載によれば、1573年からビールの生産を続けているという。そのおかげか、「ホツケー・ピボ(ホツコのビール)」という名称がEUの産地に由来する商標として認定されている。
 ここのビールのラベルには犬があしらわれているのだが、ドイツとの国境地帯の山地である「チェコの森」の中で、犬たちが狩猟に使われたとか、国境警備に使われたとかいう話を聞いたことがある。ホツキー・ペスという犬種が、このホツコから誕生しているらしいのだけど、これは、シェパード系の犬で、ホドバルのラベルの犬とは似ても似つかないのである。不思議なことである。
 この犬のあしらわれたラベルには記憶があるので、どこかで飲んだことがあるはずだが、思い出すことができない。飲み屋でグラスで飲んだのではなく、どこかで買ってきた瓶ビールであるのは確実なのだけど……。

 さすがに書くことが減ってきた。
12月18日17時。


posted by olomoučan at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Pivo
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