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2016年12月22日

チェコのビール醸造所独立系?4(十二月十九日)


承前

ノバー・ペカ(Nová Paka)
 この醸造所はすでに廃工場になったものだと思っていた。チェコのテレビドラマ史上最高傑作である「チェトニツケー・フモレスキ」のエンドロールに名前が出てきたはずで、このビール工場で憲兵隊、もしくは軍警察の駐屯地の撮影が行われたのだと思い込んでいた(正しいかどうかは不明)。だから、ビールの醸造所としてのノバー・ペカには、全く思い入れはないのだけど、撮影現場としてなら思い入れがあるということになる。
 北ボヘミアのクルコノシェ山地のふもとの町ノバー・ペカでも周辺の多くの醸造所と同じく、第二次世界大戦後の国営化と企業の合弁、ビロード革命後の企業の分割と民営化に苦しめられ、2000年前後には倒産、もしくは会社が清算される可能性もあったようだ。


ラコブニーク(Rakovník)
 この中央ボヘミア西部の町ではすでに十五世紀にビールの醸造が始まっていたらしい。それラベルに入った数字の由来である。
 ホームページの歴史の項によると、現在の醸造所の前身に当たる醸造所は、ビロード革命の後の民営化で、ボヘミア・プラハ醸造所の工場の一つになったが、会社の業績は悪化の一方をたどり1997年には生産停止で工場も閉鎖されたらしい。2001年にインターナショナル・ブリュワリー・カンパニーとかいう会社が、工場を買い取って2004年に生産の再開にこぎつけたというのだが、この会社がチェコの会社なのか、外国の会社なのかははっきりしない。
 その後、モスクワ出身のロシア人メドベデフ氏に買収されたり、WILLGRADE INGENERRING LIMITED(読み方がわからん)という多分外資に買収されたりした後、2010年にビールを扱う多国籍企業に買収されたと書かれているのだけど、その会社の名前が見つからない。この手の小さなビール会社にしては珍しく、外国の資本の間で売買されているようだ。
 中心となるビールのブランドはバカラーシュ、つまりは学士様というわけだ。だから、ラベルにあしらわれた絵がビール片手に本を読んでいる男なのか。輸出用のブランドとしてプラジャチカ(プラハ娘)と、チェルノバルというのがあって、日本にも輸出されているようなのだけど、聞いたことがないなあ。


ジャテツ(Žatec)
 ホップの生産で世界的に有名なチェコだが、その中心になるのが北西ボヘミアのジャテツである。ジャテツのホップは質もいいということで、共産主義時代のチェコスロバキアにとっては外貨獲得の有力な手段の一つだったらしい。そしてジャテツ・ホップという名称は地名起源の商標として認められているという。日本のビール会社が最大の輸出先だという話を聞いたことがあるのだけど、ジャテツのホップを使って……。余計なことは言うまい。日本では、ドイツ語風にザーツホップといわれることが多いようだ。
 歴史的にホップの生産の中心だったこともあって、かつてジャテツ近辺には多くの醸造所があったらしい。現在のジャテツの醸造所は、1801年にジャテツで創立された醸造所の系譜を引くことになっているが、町には他の醸造所もあって競争は激しかったようだ。それが、現在ではジャテツ地方の醸造所はここしかないんじゃなかろうか。
 2014年の経済新聞の記事によると、デンマークのビール会社カールスバーグが、ジャテツの醸造所を買収、正確には51パーセントの株式を購入することになったらしい。契約ではビールの生産方法は変えないと言うことになっているようだが、続報がないし、醸造所のホームページにも何も触れられていないので、どうなったのかはわからない。


ポウトニーク(Poutník)
 巡礼者という名前のこのビールは、ビソチナ地方の西部にあるペルフジモフという町で生産されている。町の紋章の門の中に描かれている人物が巡礼者なのだろうか。知り合いに、この町出身の人がいたような記憶はあるのだが、ビールについては特に何も言っていなかった。
 ビロード革命後に、かつて町でビールを醸造する権利を持っていた人たちの子孫が、醸造所を返すように交渉したらしいが認められず、続けて起こした裁判でも十年近く続いた挙句にまたまた認められず、民営化が行われたらしい。子孫たちに権利が戻ってきた醸造所と、戻ってこなかった醸造所の違いは何だったのだろうか。
 ホームページで確認すると、民営化の際にこの醸造所を買収し現在も所有しているのは、DUPという名前の共同組合であるようだ。芸術性のある工業製品を生産する人の協同組合で、ビールの生産を行っているということは、ビールにも芸術性があるということなのだろうか。この組合では他にも革製品、金属製品の生産と販売をしている。こっちは芸術性のある工業製品と言われて納得だなあ。


フェルディナンド(Ferdinand)
 これは確か、中欧ボヘミアのベネショフのビールのはずである。ベネショフの近くには、チェコでも有名なコノピシュテの城があり、この城は第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件で暗殺された、オーストリア=ハンガリー二重帝国の帝位を継ぐはずだったフェルディナンド・デステの最後の居城だったのである。だから、ベネショフのビールがフェルディナンドと名付けられたのは、縁起はあまりよくなさそうだが、当然のことなのである。
 このビールの写真を見て思い出したのだが、チェコのスーパーマーケットで、ときどき七種類、八種類のビールを一つのパッケージにして販売していることがある。これは、プレゼント用だと思うが、いろいろな醸造所のビールを集めて一つの箱に入れたもので、普段はそのスーパーで販売されていないビールが入っていることが多い。たしか一度それを買ったときに入っていたのが、このフェルディナンドのビールだった。だから、ラベルだけは覚えているのだ。
12月19日22時。

 だんだん苦しくなってきた。ところで、うちの近くのうら寂れた飲み屋に、ポウトニークの看板が出ていることに気づいた。入ったこともないし、入りたいとも思わないけど。12月21日追記。


posted by olomoučan at 08:17| Comment(0) | TrackBack(0) | Pivo
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