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2019年07月03日

バリアフリー問題(七月一日)



 安倍首相がまたまた余計なことを口走って、批判にさらされているらしい。大阪城の天守閣にエレベーターが設置されていることを「ミス」だと評価して、それがバリアフリーの考え方に反するとして批判されているようだ。安倍首相の発言が軽率なのはいつものことだとして、批判する側の発言にも、条件反射的に批判するのではなく、もうちょっと考えてから批判しろよといいたくなるものが多いのも、よくあることである。

 世の中がいわゆるバリアフリーの方向に向かって進んでいるのはいいことである。これに異論のある人はそれほど多くはあるまい。問題はそのバリアフリーというものをどこまで適用するべきなのかということである。役所や学校などの公共施設であれば、バリアフリーを進めるのは当然であり、それを「ミス」だと言ったのであれば、批判どころか袋叩きにあっても仕方がないだろう。
 では、大阪城の天守閣のような歴史的建造物と言えそうなものまでバリアフリー化の対象にして、エレベーターを付けるべきだと言われるとちょっと待てと言いたくなる。歴史的建造物を修復、復元する際に、もともと存在していなかったものを追加で設置することが、無条件に正しいとは思えない。例えば、ボウゾフのお城に人を運ぶエレベーターがついていたとしたら、便利ではあっても興ざめしてしまうに違いない。あの城には、確か台所と食堂をつなぐ料理や皿を運ぶための手動のエレベーターは付いていたけれども、人を運ぶエレベーターは存在しないはずである。

 しかし、歴史的建造物にはエレベーターを設置してはいけないかというと、これもまた断言しにくい。昔チェコ語を勉強していたころのパラツキー大学の建物は、まだ本格的な改修工事を請ける前で、エレベーターは存在しなかった。同じ大学の建物でも、旧市街の外側にある建物にはエレベーターがついているものもあったから、大学にお金がなかったからではなく、歴史的建造物が保護されている地区内にあることがエレベータの設置に制限をかけていたのだろう。
 その後、改修工事を受けて全面的にきれいになったが、同時にエレベーターも設置された。これは大学という教育機関であることから必要とされたのだろう。エレベーターを設置するにしても、建物の一番奥の目立たないところや、建物の外側にシャフトを後付けする形で設置されており、歴史的建造物に対する配慮がなされている。

 旧市街の他の公共的な施設はと考えると、劇場や美術館にはエレベーターがあったような気がする。市庁舎は、役所となっている部分にはありそうだけど、観光名所となっている天文時計の上の塔にはスペースもないしないはずである。旧市街の真ん中にあるホテル・アリゴネは、以前はなかったのが、最近入ったら設置されていた。
 教会の塔にも当然エレベーターなど設置されていないことを考えると、歴史的建造物のバリアフリー化に関しては、無制限に推進するのではなく、公共機関や宿泊施設など利用が避けられないものに関しては認めるという形になっているように見える。劇場や美術館は、利用しなければならない施設ではないけれども、文化的な生活を送るために必要だと考えられるし、宗教生活に必要な教会も入り口の階段にスロープをつけてバリアフリーにしているところもある。

 と、チェコの例を基に話を大阪城に戻そう。大阪城がややこしいのは、現在の大阪城の建物が、チェコで言うところの歴史的建造物に当たるのかどうかがわからないところにある。あれが過去の大阪城を修復したものでも、復元したものでもないことはよく知られたことで、外見だけそれっぽくコンクリートで建てたものなら、新築の展望台みたいなものなのである。ならばエレベーターを設置しても問題はなさそうである。
 問題はむしろ、そういう、かつて存在した城の建物を、改めて建築する際に、在りし日の姿を復元する必要はないのかというところにある。要は、歴史的な建造物として再建するのと、新たにお城型の展望台として建設するののどちらが正しいのかということなのだが、一度破却された城の場合には、予算の関係もあって、後者を選ぶところが多いようだ。だが、それは国の文化財政策として考えた場合に、正しいのだろうか。

 公共施設などがバリアフリー化していくのは、いいことなのだろうけど、ここらでどこまでを対象にするのか、改めて議論しておく必要はあるまいか。安倍首相の失言をその契機にしようなんて声は聞こえてこなかった。批判するのもいいけど、その批判から建設的な議論につなげるのが、民主主義って物のあるべき姿じゃないのかねえ。
2019年7月2日24時30分。












posted by olomoučan at 05:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年06月30日

仕事靴(六月廿八日)



 こんな言葉ないよなあと思いつつ、チェコ語の「pracovní boty」を直訳して題名にしておく。日本語にも特別な言い方があるような気もするのだが、ここ一月ほどの繰り返す暑さに解けてしまった脳みそでは思いつけそうもない。
 今年の六月は暑い。気温が下がることもあるけれども、暑い日は過去最高の温度を記録するぐらい暑い。アフリカからの熱波がアルプスを越えて、空気の温度が高くなっているだけでなく、日照時間が長いために地面や建物が熱せられて熱を持っているため、気温が下がっても涼しさがあまり感じられなくなってきている。

 その熱を持った地面や建物の影響を一番受けるのが、常に地面や床に接している足で、職場まで歩いていくだけで靴の中が暑くてたまらなくなる。椅子に座っていることの多い仕事だから、靴も靴下も脱いでしまっても問題はないのだけど、トイレなどで席を立つたびに、いちいち脱いだ靴を履きなおすのも手間だし、さすがに裸足で歩き回る気にはなれない。
 それで、このまえハイヒールについて書いたときに、件の知り合いが、就職してからは職場で靴を履き替えていると言っていたのを思い出した。それから、昔某社の工場で通訳のアルバイトをしていたときは、工場内で怪我をしないようにという理由で、安全靴というものに履き替えさせられていた。その靴が足にまったく合わずに、履いて立っているだけでも足が痛くなるという代物だったのはともかくとして、職場で、高校までと同じように上履きに履き替えれば多少は快適になるのではないかと思いついた。

 暑さを感じないと言う意味での快適さでは、高校の上履きだったスリッパなのだろうけど、あれはちょっと歩きにくい。ということでサンダルを仕事用の靴として導入することにした。サンダルで外を歩くのはあまり好きではないので、日本から持ってきたのがこわれて以来、新しいのは買っていなかったのだが、発作的にガレリエ・モリツの靴屋に足を運んで、とりあえずサイズがあるモノのうち一番安いのを買ってしまった。室内用なので安いので十分である。
 それから、約二週間、もっと早く思いついていれば楽だったのにと後悔する今年きりである。職場についたらサンダルに履き替え、夕方帰る前にまた靴に履き替えるというのは、所用で外に出るときにも靴に履き替えるから、多少の面倒ではあるのだけど、仕事中に足が熱くて不快感を感じることはなくなったことを考えれば、十分おつりがくる。

 問題はマジックテープで止めるタイプで、ズボンによっては引っかかってしまうことと、小指の外側に靴擦れができかかっていることぐらいである。靴擦れは靴下を履けばいいのだろうけど、サンダルに靴下というのは、チェコ人の悪習らしいので、避けたほうがいいらしい。チェコ国外でも、夏の観光地でサンダルに靴下という姿の人を見かけたら、ほぼ間違いなくチェコ人だと考えていいなんていう笑い話も聞いたことがある。ウィーンの真ん中で、ジャージ着てスーパーのビニール袋からアルミホイルに包まれたパンにとんかつを載せたお弁当を取り出すのもチェコ人だったかな。

 もちろん、このサンダルの仕事靴を履くのは暑いときだけである。部屋の中とはいえ冬の寒さの厳しい中、サンダルで過ごすのはごめんである。だから、一年うち長くても半年ぐらいしか履かないことになりそうだけど、この二週間、実質十日で十分元は取れたから、気にする必要はない。去年から服だの靴だのあれこれ買ってきたけど、購入直後の満足度の高さではこれが一番かもしれない。久しぶりにいい買い物したということにしておこう。
 相変わらず、文章の閉じ方が下手糞である。今日のは内容もぐだぐだだったけどさ。
2019年6月29日24時。





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posted by olomoučan at 07:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年06月27日

年金問題(六月廿四日)



 チェコではまっとうな仕事をしているので、税金だけでなく年金などの社会保障費も天引きされていて、仮に支払いたくないと思っても払わずに済ませる手はないのだけど、日本にいたころは、天引きだったのは税金だけで、年金は自分で手続きして払うことになっていたから、一時の例外を除いて払っていなかった。
 それは、年金がもらえるようになる年齢まで生き延びるつもりがなかったというのもあるけれども、すでに90年代の初めには公的年金制度が機能不全に陥っていて、崩壊するのが目に見えていたからでもある。知人の話を聞いていると、90年代までに年金生活に入った人に関しては、年金に不満とか不安の声は出てこなかったけど、これから年金をもらうという人たちは、すでに自分が払った分が年金として戻ってくるのかどうかさえ不安がっていた。
 そうなると、当時年金を払い始めた我々の世代が、年金をもらうころには、生活していけるだけの額がもらえないのはもちろん、自分が納めた分さえ戻ってこないのは確実で、それなら貯めた分は戻ってくる銀行に貯金しておいた方がましだと考えたのである。まだ国民年金の支払いは任意で、強制ではなかったはずだからそんなことができたのだけど。義務化されて罰則が設けられる前に日本を逃げ出すことができて万々歳である。チェコでもらえるかどうかわからない年金を払っているのに抵抗がないとは言わないが、外国人として住まわせてもらっている以上は、その国の制度に従うべきであろう。

 だから、最近の日本が年金が足りないとかで大騒ぎをしているのを見ても、今頃何を言っているのだろうとしか思えない。すでに80年代の終わり、もしくは90年代の初めには、今のままの給付水準を保っていたら、近い将来破綻するという報道はなされていたのに、対処されることなく放置されてきたようだ。対処としては義務化と強制徴収が始まったのかな。
 日本の年金制度については、ほとんど知識がないので、当時破たんの恐れがあると言われていたのがどの年金なのかはよくわかっていないけれども、その後も何とか年金が破たんしたとか、そのため国民年金にかかる負担が大きくなるというような記事は読んだ記憶がある。年金が消えたとか言って大騒ぎしていたこともあったのだから、年金だけには頼れないと考えている人の方が多いと思うのだけど。

 それなのに、政治家も、マスコミも、今回の何とか庁の報告で、初めて年金だけでは生活していけないということが分かったような対応をしていて、何かの悪い冗談だとしか思えない。ここまで問題が放置されてきた理由は、下手に触ると選挙に負けるというものだろう。年金制度を将来にわたって維持可能なものにするには、給付額を減らすしかないはずだが、それをやると年金を減らされる人たちの票が他党に流れてしまう。
 それで、与党も野党もみんな年金制度の抜本的な改革に手を出せなかったというところだろう。そうすると、今回の騒動は、政治家が現実を無視して先送りを続けるのにしびれを切らした担当の官僚が投げつけた爆弾ということになるのかもしれない。昔の自民党は、消費税導入とか、有権者の反発を買うのがわかり切った政策を掲げて選挙を戦うだけの強さを持っていたけど、90年代以降の政権交代が頻発する時代に入って、その強さを失ってしまった感がある。その結果、与党も野党もお互いをポピュリストと批判しあうだけの、目糞鼻糞を笑う的な存在になってしまっている。

 チェコも、与野党を問わず支持者の耳にやさしいことしか主張しないので、年金の給付額を急速に上げることを主張する政党が多い。年金制度が完全に国営で、足りない分は国の予算からつぎ込まれるので、実はチェコの国家予算で最大の支出は年金なのである。与党は年金の給付額をこれだけ上げたと自画自賛し、野党はそれでは足りないと批判する。足りない分をどこから持ってくるかとか、年金を増やした分、どこの予算が削るとかいう議論は残念ながら存在しない。
 政党にとっては選挙に勝つことが最大の目的となっており、そのためには無理をしてでも、有権者の数も多く投票率も高い年金生活者のための政策を実行する必要があるのである。他にも野党は、どこの予算を削れと言う具体的な提案もないまま、支出の削減を求め、同時にある分野に関しては、財源をどうするかの提案もないまま予算の増額を求める。
 これは現在のANO政権と野党の関係についての話ではなく、一般化した話である。つまり与党が頑張って予算を、かなりばらまき感の強い予算を立てると、野党がばらまきであることを批判し予算の削減を求めながら、同時に予算の増額を求めるというのは、90年代から続くチェコの政界の伝統のようなものに思われるのである。だから、よほどの問題でも起こらない限り前年度より予算額が減ることはないし、各省庁でも前年の予算を守るために必死になっている。
 政治の世界なんてどこの国も大差ないということかな。もう少しあれこれ書こうと思っていたことがあるのだけど、30度を越える暑さで融けてしまった。
2019年6月26日23時。











posted by olomoučan at 05:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年06月11日

日本のニュース(六月九日)



 五月一日の改元以来、一月ほどの間に、日本で起こった二つの事件がチェコでも報道された。一つはかつて駐チェコ日本大使だったかたの起こした事件で、これについてはチェコでの報道で知った。いや、正確に言うと、事件が起こったこと自体はヤフーのニュースの見出しで知っていたのだが「元次官」という肩書きを見て、関係ないやと読まなかったら、チェコのニュースで、元次官が元大使でもあったことを知って、ぶったまげたのである。任期からして面識があったとしてもおかしくないだけになおさらである。オロモウツで何かの機会にお目にかかった大使がこの方だったという確証はないのだけどね。

 それにして、こんな不条理な事件が起こるたびに思うのは、何故に日本はワイドショーと呼ばれるタイプの番組を野放しにしているのだろうかということと、何故に活字メディアがそれをわざわざ引用する必要があるのかということである。テレビの報道の、特にワイドショー的な番組の内容のなさと無責任さについては、すでに昭和の時代から強い批判があったはずだが、平成の卅年を通して、改善されたようにはまったく見えない。
 このワイドショー的な番組を巡る状況が、テレビ局を中心とした日本のマスコミの多くがすでに拠って立つところを失い、つまりは存在意義を失ってしまっていることを象徴しているようにも思われる。こんな報道を続けている、もしくは許容しているマスコミの人間に、自分はジャーナリストでございとか、報道の自由だの何だの偉そうなことを言われても、寝言は寝てから言えとしか思えない。チェコのバランドフのソウクプ氏の独演番組もひどいけど、発言の責任の所在がはっきりするぶんだけまだマシな気がする。

 閑話休題。
 二つ目は、日本の女性がハイヒールを履くこと、もしくは履かされることに対して抗議の声を上げているというものだった。日本を離れて長く浦島太郎状態の人間にとっては、よくわからない話だったので、ちょっと確認したら、この件に関して国会で大臣がつるし上げられる事態にまでなっていたようだ。一瞬、そんなこと国会で取り上げるなよと思ったのだが、日本という国には失敗に終わった省エネルックや、定着しつつあるらしいクールビズなんてのを政府主導で導入しなければならなかった前科があるのだった。

 それでも疑問符を消せないのは、ハイヒールを強要される状況というのがうまく想像できなかったからで、まだ道を踏み外す前、比較的全うな人生を送っていた学生時代までは、周囲でハイヒールを履いていたのは自分の意思で履くことを選んだ人ばかりだった。一番消極的な理由としては、就職活動でみんな履いているからというものがあったけど、履かされているという感じではなかった。
 ハイヒールを履くのが、辛く痛いのは、先輩に無理やり履いて歩かされたことがあるから重々知っている。実際に長時間履き続けたときの辛さはこんなものじゃないとも言われたけど、そもそもあんな不安定極まりない靴が足の健康にいいわけがない。そんなものを、学生で、履かなければいけないわけでもないのに、どうして履くのというのは、先輩の剣幕に怖くて聞けなかった疑問である。

 あのときは、確か冗談半分に、ハイヒールの愚痴を聞かされるのにうんざりしていたこともあって、「女性はいいよね。背が高く見える靴を履いても笑われないんだから」というようなことを言ったら、めちゃくちゃ怒られたのだった。でも、金なかったからそんな靴履いたことはないけど、背の低い男が背が高くみえるような上げ底の靴を履いていると、ほぼ確実に笑いものにされるのも差別じゃないのかなんてことを言いたくなってしまったのである。
 その結果、ハイヒールを履いて歩かされ、ろくに歩けなかったことを罵倒されて、夕食をおごらされたのだった。「あたしらは、こんな苦しい思いをしてハイヒールはいてるんだ、わかったか」といわれて、ハイヒールの辛さはわかったけど、先輩は横暴で理不尽だったと思う。藪をつついた自分が悪いのはわかってはいるのだけど。

 ところで、個人的には、今回の騒ぎを見て、国に何かさせるのなら、ハイヒールの全面禁止だろうと思ってしまった。そこに、背が低いことにコンプレックスを抱き続けてきた人間のうらみがはいっていないとはいわないけど。でも、足が痛くても健康に悪くても履きたいという人はいなくならないのだろうから、そんな法案を提出しても大反対が起こって廃案に追い込まれるに決まっている。
 そうすると、これはもう煙草や酒と同じ嗜好品だととらえるしかない。ならば、酒税、煙草税にならってハイヒール特別税を導入して濫用を防ぐとともに、ハイヒールをはかなければならない職場は、健康被害の出る恐れの高い危険な職場だということになるから、ハイヒール手当てを義務付ける必要があろう。だれか国会に提出してみない?
2019年6月10日22時。








posted by olomoučan at 15:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年06月09日

怪しいメール(六月七日)



 普段使っているフリーメールアドレスはホットメールで、あからさまなスパムメールはシャットアウトしてくれるので、迷惑メールに振り分けられるメールはそれほど多くない。登録しているパピレスや、ブッキングコムなんかからのメールの一部がなぜが迷惑メール判定されるぐらいである。たまに英語のあからさまに怪しいメールが迷惑メールに入っていることがあるけど、そんなのは送られても困るので、読まずに放置することが多い。
 先月末にチェコ語のメールが迷惑メールに入っていたときには、ときどき知り合いがチェコのメールアドレスから送っててきたものが、落ちていることがあるから、誰か知り合いからのメールだろうと思った。差出人はヤナさんで、名字は知らないけど、昔の知り合いが結婚して名字が変わったという可能性もなくはない。
 ということで、メールの件名を見たら、

Rodina mi nevěřila. Ale dostala jsem ho.
家族は私のことを信じてくれなかった。でも私はそれを手に入れた。

 いきなりこんなことを件名にして送ってくるようなヤナさんは、知り合いの中にはいないのだけど、何が書かれているのだろうと、ついつい開いて読んでしまった。以下引用して日本語に訳す。

Zdravíčko všem,
やあ、みんな、

 何とも訳しにくい呼びかけの形だけど、くだけた感じで声かけるとき今の人たち何て言うんだろう。とりあえず穏当に「やあ」にしておく。「Zdravíčko」は、「zdraví(健康)」との関係も考えられるけど、動詞の「zdravit(挨拶する)」や名詞の「pozdrav(挨拶)」と関係のある言葉であろう。自分では使わんけど。

všichni si původně mysleli, že mi asi přeskočilo, ale já nelhala. Pořídila jsem si úplně nový iPhone Xs za 197 Kč. A vlastně to nebylo nic složitého, takže vám můžu poradit, jak na to.
みんな、最初は私の頭がいかれたと思ってたでしょ。でも私は嘘はついてないよ。本当に新品のiPhone Xsを197コルナで手に入れたんだから。それに全然難しいことなんてなかったよ。どうやればいいか教えるね。

 ちょっと口語風に訳してみた。よくわからないのが「přeskočit」で、本来の意味は「跳び越える」である。「跳ぶ」という意味の「skočit」に、接頭辞の「pře」がついた形なのだが、これに関係の三格の「mi」を付けてどんな意味になるのか。何とも説明のしにくい使用例を思い出して、このように訳してみたけど、違うかもしれない。
 個人的には「iPhone Xs」が197コルナといわれても、高いのか安いのかわからないのが問題である。いやこんなこと書いてくるんだから安いんだろうけどさ。価値を認めない人間にとっては、どんな値段でも高いわけで、せっかくなら「iPhone」って何ってところから書いてくれればよかったのにと思う。

Nikdo ten iPhone s takovou cenovkou samozřejmě nevystavil v obchodě. Vyhrála jsem ho v online aukci Cosmito, kde mě už zkrátka nikdo jiný nepřehodil. Sama jsem tomu chvíli nevěřila, ale pak jsem zjistila, že se to stát mohlo a co víc – že se to může stát znovu (třeba i vám)!
このiPhoneをこんな値段でお店に出している人なんていないよ。私はCosmitoっていうオンラインオークションで勝ったんだよ。誰も私より高い金額を出さなかったらしくて、自分でも最初は信じられなかったんだけど、こんなことは起こりうるってわかった。ということは、また同じことが起こってもおかしくないってことでしょ。今度はみんなかもしれないよ。

 ややこしい文を書きやがってと思いつつ、「入札」とか「落札」なんて言葉はこの人の文体には合わない気がして使わなかった。

Vypadá to totiž, že na tuhle aukci nechodí zase tolik lidí. Takže pak vznikají neuvěřitelné situace, kdy něco vyhrajete za pár korun. Tady třeba někdo vyhrál GOPRO kameru za 41 Kč, nebo tady Apple AirPods za 99 Kč. A moje nejoblíbenější – krásná nová lednice jen za 634 Kč! Wow, tu bych brala hned!
このオークションに参加する人ってあんまりいないみたいなんだよね。だから、何コルナかでも勝てるっていう信じられないことがあるわけで、ここだとGOPROのカメラを41コルナで落とせてるし、こっちはアップルのAirPodsが99だね。私が一番気に入ってるのは、この新品の冷蔵庫が634コルナ。これは私もすぐほしいわ。


 時代に取り残された人間には商品名の説明がほしいぞ。それから正規の価格がないとどれだけ安いのかわからんし、メーカーとか出品者の情報も欲しいところだ。その辺はリンク先を見ろと言うのだろうか。不親切な案内である。

Snad se mi něco podobného ještě někdy poštěstí, jsem rozhodnutá Cosmito sledovat dál a hledat podobné příležitosti.
また同じような幸運があるといいんだけど。似たようなチャンスを求めてCosmitoを追いかけることに決めたわ。

 最後のの文末をどうするか悩んだけど、女性言葉風に「わ」を付けておく。

Hodně štěstí, pokud to zkusíte taky!
もし、みんなも試すんなら、幸運を。

 うーん。こんなメールもらって、リンクをクリックする人はいるんだろうか。話のタネにってのは考えなくもないけど、怪しすぎる。ネットオークションてのは、話として聞いたり読んだりするのは面白いけど、自分ではやる気にならないよなあ。周囲にやってる人いないしさ。
 チェコ語でこのメールをもらった日本人がどのぐらいいるか知らないけど、引っかからないように内容を解説してみた、ということにしておく。
2019年6月7日23時。




こういう落ちかもしれない。

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タグ:迷惑メール
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2019年05月06日

平成雑記2(五月四日)



 昨日の記事を書きながら、はて、どうして日本史ではなく世界史を選んだのだろうと考えてしまった。最終的には英語ができるようにならないことで断念したけど、大学で外国文学を勉強しようなんてことを考えていた時期もあったのだ。翻訳作品なんてろくに読んでいなかったのにそんなことを考えていたのだから、我ながらあほである。その前の理学部の物理に行くという妄想に比べれば、実現の可能性は高かったと今なら思うけれども。
 当時はまだ外国語の学習のことがわかっていなかったから、英語ができない人間が、他の外国語ができるようになるとは思えなかったのだ。英語の教師達の、英語は一番簡単な外国語なんだから、英語ができないと他の外国語なんてできるわけがないという言葉を信じたのがいけないのだけど、当時の自分を思い返すと、仮に英語以外の外国語を勉強していたとしても物になったとは思えないが、英語ができないことが、そのまま他の外国語の勉強を諦める理由にはならないことは断言しておきたい。

 もちろん、教材や辞書などのことを考えると、英語ができることは、他の外国語を学ぶに際して有利なことも多いだろう。しかし、その外国語を学ぶ、つまり言葉や文法を覚えたり、覚えたことを実際に使ったりすること自体には、英語ができることはさして役に立たない。せいぜい英語と同じ系統の言葉の学習で似ている点があれば有利になるぐらいだろう。
 英語が苦手な人が、他の外国語を見につけるためには、英語の学習で失敗したことを繰り返さないことが重要になる。そのためには自分の失敗を客観的に見つめて何がいけなかったのかを理解する必要があるから、大学受験で英語に苦しめられる生活が終わったばかりの大学一年生には難しいかもしれない。英語の学習が失敗したことを認めるのは結構ね。一般受験で大学に入れるレベルにあるということは、ある程度はできるというわけだし。

 大学は文系のしかも、国文だったから、高校の勉強は受験に合格する以外には役に立たないなんて主張に賛同してしまうこともあったのだが、今から思い返すと、そんな戯言をわめいていた大学時代にしてからが高校時代にある程度真面目に勉強しておいたことの恩恵を受けていた。塾でアルバイトをしていたのだが、小さな個人経営の塾だったので、数学やら理科なんかまで教えさせられていたのだ。困らなかったのは高校時代の受験勉強のおかげである。
 学習に失敗した英語でさえ、全く話せないと言うわけではなかったから、初めてチェコ、スロバキアを旅行したときには、チェコ語を勉強する前だったこともあって、片言よりは少しましな英語を使って旅行していたのである。イギリス人の英語が聞き取りにくくて苦労したし、チェコ人で英語ができる人はそれほど多くなかったけれども、あのときは英語がなかったら旅行できていなかったはずである。
 理科に関しては、チェコ語ができるようになって、通訳、翻訳の仕事をしている時に意外なほど役に立った。チェコ語で元素をなんと言うかなんて、教科書には出てこない。酸素が「kyslík」というのぐらいは、師匠が閉ざされた部屋に入って窓を開けるときに叫んでいたから、質問して教えてもらっていたけど、他は金属名=元素名になっているものぐらいしか知らなかった。だけど、元素記号を覚えていたおかげで、水素やらリン、硫黄、砒素なんかが辞書を引かなくても、元素記号は? と質問することでわかったのである。

 国語に関しては、当然古文、漢文の基礎ができるようになっていたことが、大学での勉強をかなり楽にしてくれた。今でも忘れられないのが、漢文のテストで、B4一枚白文で埋め尽くされているのに訓点を振っていくというものである。持ち点が100点で間違い一ヶ所につき減点1という採点方式で、先生の話では大体みんな3行ぐらいで零点になるという過酷なものだった。古文でひたすら品詞分解するってのもあったし、高校での勉強よりも上のレベルで、訓読や品詞分解を何度も何度も繰り返すことになったのだが、その繰り返しのおかげで、今でも古文漢文大体問題なく読めるのである。
 この時点で繰り返すことで知識を頭に詰め込むことに大事さに気づいていればよかったのだけど、そういう一般化はなぜかせず、英語の勉強をやり直そうなんて気にはなれなかった。受験が終わったら忘れたと広言しながら、学習が失敗に終わったことは認められなかったんだよなあ。だから第二外国語のドイツ語の学習にも失敗し、こちらはもう真面目に勉強すらしなかったから、失敗して当然ではあったのだけどね。
 チェコ語の学習を始めたときに、英語とドイツ語の勉強とはまったく違うやり方を選んだのは、同じやり方、つまり効率的に勉強しようというやり方ではうまく行かないことが目に見えていたからである。その意味ではドイツ語の学習もチェコ語の学習の役に立ったとは言えるのである。
 またまた迷走。
2019年5月5日24時。











タグ:大学
posted by olomoučan at 06:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年05月05日

平成雑記1(五月三日)



 あらかじめ定められた平成の終わりが近づくにつれて、ネット上の巷には平成を回顧する記事が増えた。編年体的にまとめられたものもあれば、紀伝体に近いスタイルのものもあったが、懐かしさを感じるものが多く、自分でもやってみようと思って書き始めたら、例によってどちらでもないぐちゃぐちゃなものができ上がったので、こんなタイトルになってしまった。今頃になって始めるのはへそ曲がりだからである。
 この前も書いたが平成元年は大学受験の年だった。共通一次では数学と国語で予定していた点数が取れず、生物は異常な難しさだったから、合計すると目標点数よりも50点ぐらい少なかったかな。国立大学を過度に尊重する田舎の自称進学校の考え方にイラついたあまり発動した「国立に合格して後ろ足で砂かけて私立に行く」計画は、失敗に終わる可能性が高まったが、志望校を変えることはしなかった。

 結局東京の某私立大学の文学部の文学部日本文学専攻に進学したのだが、入学してからしばしば高校時代に日本史をとらなかったことを後悔した。世界史を勉強したことは、日本文学や日本史の勉強をする際に、視野狭窄に陥らないという意味で、ものすごく役に立ったけれども、日本史の知識が欠けていて苦労することも多かったのだ。
 だから、高校で日本史と世界史の両方を受講しておけばよかったなんていう単純な話ではない。我が母校ではそれは不可能だったのだ。現在の事はいざ知らず、昭和の終わりの田舎の公立の進学校なんて、授業のやり方が予備校化していていかに大学入試合格者を増やすか、いや正確にはいかに共通一次の得点を高めるかということしか考えていなかった。
 その結果、社会科に関しては、一年で共通科目としての現代社会を勉強した後、二年からは世界史、日本史、地理の中から一科目しか選択できなかった。ただ、三年になるときに、自分が選んだ科目では成績が悪すぎて受験できないと考えた連中だけは、倫理政経に転向することが許されていた。だから、何年か前に大学受験の際に、必修のはずの世界史を履修していない受験生がいることが問題になったときには、世界史必修になったんだとのんきなことを考えていたのだが、実は世界史は昔からずっと必修であり続けていたのだという。うちの高校、やはり違反していたのか。

 すでに時効になっているだろうから、書いてしまうけれども、あのころ、大学に提出する内申書の書き換えは、特に成績が悪いにもかかわらず推薦入試を受ける連中に関しては、日常茶飯事だった。これはうちの高校だけに限った話ではなく、どこでも多かれ少なかれ行なわれていたはずである。だから、大学入試の意味をなくしてしまう推薦入試が諸悪の根源だと主張するのだけど、世界史を履修していない受験生の内申書は履修したことにして書きかえられていたのだろうなあ。
 ちなみに、理科は、一年で理科一を勉強したあと、二年になるときに文系に行くと生物の履修を強要され、理系に行くと化学・生物か、化学・物理の二つの組み合わせの中から選ばなければならなかった。地学? そんなものは高校の理科には存在しなかったのである。社会もそうだが、受験する大学入試で履修していない科目が必要になった場合には自分で勉強するしかなった。そんな人間は学年に数人いるかどうかだったから実害はなかったんだけどね。

 数学に関してはちょっとばかり実害もあって、文系にいくと基礎解析、代数幾何、つまり共通一次の出題範囲に関する科目しか履修できなかった。それなのに国立の二次の数学でそれ以外が必要になったので自分で勉強することになった。文系の試験で確率統計が必要なんてのは間違っていないかとぼやきながら勉強したのである。
 追加で勉強するのがいやだったのなら、その大学の受験をやめればよかったのにと言われれば、その通りとしか言えないのだけど、半分冗談でその大学を受験すると表明して、10月ごろに二次試験用の模試を受けたら、ぼろぼろの結果しか出ず、それを担任にぼろくそに言われたことで、引っ込みがつかなくなったのだ。あのときの数学が200点満点で一桁という結果には、笑うしかなかった。もっと笑ったのは自分よりも下の人がたくさんいたことだったけど。文系の数学の二次試験模試なんて半分の100点取れれば偏差値が70超えるという特殊なものだったからなあ。

 とまれ、模試が終わった時点で自らのできなさに怒りが爆発し、その怒りをエネルギーに二ヶ月か、三ヶ月の間、チェコ語を始めるまでの人生では、一番必死に勉強したのだった。それが受験まで続けば担任を見返すこともできたのだろうけど、張り詰めていたものが年末年始で切れてしまって、以後は惰性で勉強していたから、その大学には合格できなかった。それでもまったく話にならないところから、とりあえず勝負できるところまでは持っていったのだから、悪くない。
 それに、国立大学の合格者数と、入学者数の数を増やすことしか考えていない高校の姿勢に強く反発を感じて、私立に行くと決めていたから、合格したとして心から喜べていたかどうかはわからない。最初に書いたアホな計画は、別の二次試験が小論文だけだった国立大学に合格したことで何とか達成できた。不思議なのは試験に持参すべき一次試験の受験票を忘れて行き、後で送りますといっておきながら放置したのに合格してしまったことだ。何かの間違いだったのかもしれない。
 平成といいつつ昭和のことが半分ぐらい出てくる。やはり雑記で十分である。
2019年5月3日24時30分。 




詳説世界史B 改訂版 [世B310]  文部科学省検定済教科書 【81山川/世B310】













タグ:世界史 高校
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2019年05月03日

令和の初日に(五月一日)



 今回の改元は、前回の改元に比べたらはるかに落ち着いた雰囲気の中で行われた。それが「令和」という時代の特徴となってくれると嬉しいのだけど、この穏やかさが新しい時代に向けての吉兆であることを願っておきたい。振り返ってみれば平成という時代は、その始まりからして、落ち着きがなくあわただしかった。それがこの30年続いてしまったような印象もある。

 今を去ること30年以上昔のこと、昭和63年の後半は、天皇不予で日本中が動顛していた。特にひどかったのがマスコミで、当時はインターネットなんてものはなかったから、新聞や雑誌の記事を事細かに読んだり、テレビの報道を比較したりなんてことはできなかったのだが、今上陛下が病に伏して崩御も近いという状況を、完全にお祭りにしてしまっていた。
 これが最初にマスコミに対して抱いた不信感だったと記憶する。もちろん、それまでもマスコミの報道をうのみにするようなことはなかったけれども、原則としてテレビや新聞に出ている情報は正しいのだろうと考えていた。それが、言葉だけは丁寧に陛下の病状を心配しつつ、ここを書き入れ時とばかりにばか騒ぎするNHKも含めたマスコミの姿に、こいつら信用ならんなんてことを考えたのである。
 当時高三で、曲がりなりにも受験生、テレビなんかろくに見ていなかったはずなのに、こんな印象を残したのだから、そのひどさも想像できるというものである。崩御前後の自粛ブームを作り出してあおりまくったのもマスコミだったのに、それを後になって批判したりもしていたから、信用度は落ちる一方である。大学入学以後、一時期を除いて、テレビを持たず、新聞も講読しなかったのは、このときの不信感が原因となっている。

 自分はどうだったんだと言われると、死という極めて個人的であるはずのことについてまで、公的なものにされてしまう天皇という存在に痛ましさを感じた。仮に天皇制を廃止するべきだというのなら、それは左翼的な反天皇制の主張からではなく、この現在の皇室に人権、特にプライバシーというものが存在しない状態を解消することが目的でなければならないという考えは、この時期に萌芽したものである。
 その意味でも、今回先の帝が、非常手段を使ってまで自身の譲位と、皇太子殿下の即位を求められたのは理解できることで、本来ならば今後に向けて制度化するべきであっただろう。それが政治の側の都合で今回限りの特例にされてしまったのは残念でならない。崩御の後はまた否応なく公的な存在として御陵に葬られるのである。せめて死の瞬間だけでも個人的な存在であってほしい。それをある程度かなえられるのが、譲位という制度である。

 さて、昭和63年末から翌年の初めにかけて、受験生たる我々が特に気にしていたのは、共通一次はどうなるのかということである。高校の先生たちは以前から情報を集めてあれこれ調べていたようだが、年末が過ぎて、新年になり、病状もいよいよ重篤という情報が出てくると、一月の後半に予定されていた共通一次が中止、もしくは延期になる可能性があるのが心配だった。仮に共通一次が行われたとしても、二月の私立の入試に影響があったらどうしようなんてことも考えていた。
 だから、不謹慎ながら、このとき崩御が一月上旬であったことに安堵した人たちは多いはずである。自分はそこまで熱心に勉強していたわけではないので、国立か私立か、どちらかがまともに試験が行われれば、一つぐらいは受かるだろうからそこに行けばいいやとのほほんとしていたけど、人によってはナーバスになっていたからなあ。あのときは、むしろ先生たちのほうが追い詰められていたかな。

 とまれ共通一次、しかも最後の共通一次は無事に開催されたのだけど、南国九州でも雪の降る中行われ、理科では科目間の成績格差が大きすぎるという意味不明の理由で、生物、物理の受験者に対して前代未聞のかさ上げ処置が行われた。共通一次は最後の最後で最大の不祥事を起こしたのである。これもまた平成の初めの出来事で、平成という時代の先行きを暗示していたのかもしれない。
 かさ上げについて恨みがましく書くのは、生物で得点自体は模試程ではなかったけど、平均点を20点も超えるような点を取って大喜びしていたのに、その差がなかったことにされたのを恨んでいるわけではない。生物の中では比較的点数がよくても、化学の連中には大きく差を付けられていたから、一次の点数がかさ上げされたこと自体はありがたいことではあったのだ。それに、そもそも私立が第一志望だったから、共通一次の結果なんて、自分のプライドの問題を除けば、どうでもよかったわけだし。

 平成初年の正月のできごとで、残念だったことを今でも思い出すのが、高校ラグビーの決勝が、中止になり両校優勝という結果になったことだ。見るスポーツとしてのラグビーは好きだったから、受験勉強の合間に楽しみしていたのだけど、主催者が自粛の圧力に負けて中止にしてしまった。崩御の当日だったのかなあ。こういうことを繰り返さないためにも、天皇の譲位による代替わりを制度化するべきである。上皇の崩御であれば、マスコミもそこまで大騒ぎはしないだろうし、マスコミの作り出す自粛圧力もそこまで大きくはなるまい。

 最後に今回の代替わりで一点だけ気に入らない点を挙げておこう。譲位された天皇が上皇になられるのはいい。でも「上皇后」ってのは誰が考えた称号なのだろうか。わざわざ愚にもつかない新称号を考え出すぐらいなら、歴史上使用されてきた太上天皇=上皇と皇太后の組み合わせにするべきだった。これは、今回の譲位が先帝の意志を尊重する形で行われたとは言え、それを実現させた連中には、皇室や伝統に対する敬意というものが欠けているということである。だから、明治以前の皇室制度を思い起こさせるやり方を制度化するのを拒否しているのだろう。首相からして長州閥の末裔だからなあ。
 今後は先帝のことは、院とお呼び申し上げることにしよう。上皇は一人だけだから、平成院なんて形で区別する必要もないし。そうなると今上陛下は内? これはさすがに官人として仕えていないと使えないか。実資にはなれんなあ。
2019年5月2日24時。




元号通覧 (講談社学術文庫)








タグ:平成 元号
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2019年05月02日

平成の終わる日に(四月卅日)



 生まれてから二回目の改元は、先帝の崩御によるものではなく、譲位による改元となった。天皇制の長い歴史を考えたら、こちらの方が本来の形だと言える。明治期に近代化と称してあれこれ制度に変更を加えたのを、墨守することもあるまい。だから、歴史上の制度と現行の制度のいいところを組み合わせて新たな制度を策定していくことが、政治の課題だと思うのだが、どうも日本の政界には明治至上主義的な考え方があるようで、昔の制度のほうがましだったところまで、明治以後のやり方を守ろうとしているように見える。
 その一つは、元号で、平安時代のように、二、三年おきにころころ変えるのは論外だとしても、新天皇の即位と元号の切り替えを同日に行なう必要はあるまい。本来天皇の即位による改元は、即位の翌年に行なわれたものである。その前例に基づいて、同時に少し変更を加えて、翌年の元日からの改元とすれば、当然事前に発表するわけだし、一年が二つの年号にまたがるという不都合も存在しなくなる。

 年号の使用そのものについて、あれこれいちゃもんをつけている人たちもいるようだけど、それならまず西暦の使用に反対するべきであろう。宗教的存在である天皇の代替わりによって時間が規定されているのが気に入らないというのなら、たかだか一宗教の創設者の誕生年を基準に設定されたキリスト教の暦に、世界中の時間が支配されているという状況のほうが問題が大きい。それに、本気で政教分離の原則を100パーセント適用したいというのなら、この西暦の使用も、その紀元がキリストの生誕年に基づく以上、政教分離の原則に反するということで、禁止を求めるべきである。
 日本で元号が使用され続けているというのは、世界を覆いつくしつつあるキリスト教的時間を相対化するという意味でも重要である。イスラム世界の不満が、グローバリゼーションの美名の下にキリスト教的な価値観が世界基準となりつつあるという事実にもあることを考えると、本気で宗教の融和なんてことを主張するのであれば、キリスト暦でもイスラム暦でもない新たな暦を制定することを考えるべきであろう。そうすれば、日本の元号も含めて現在使用されている暦はすべて地域的なものになるから、あらゆる宗教、民族にとって公平になる。
 キリスト暦を使用するのは、慣習で便宜的なものであるというのなら、元号を便宜的に使用したところで何の問題もないはずである。日本人にとっては所与のもの、あるのが当然である元号を疑うのであれば、さらに日本では西暦などと称して正体を隠しているキリスト暦の使用も疑うのが当然である。だから、キリスト暦の使用を批判せずに、日本の元号、言ってみれば天皇暦のみを批判するなんてのは、ましてや裁判沙汰にするなんてのは正気の沙汰とも思えない。

 また、例によって政教分離の錦の御旗を立てて、代替わりの儀式を国費で行なったり、閣僚が参列したりすることを批判する連中が現れたようだけれども、その中のキリスト教関係者は、キリスト教団=国家のバチカンや、十字軍の狂行の主役を担った宗教騎士団=国家のマルタなんかの存在をどのように説明するつもりなのだろうか。神道に関することについてだけ、宗教分離の原則に反するなんて大騒ぎするのは、思考停止としか言いようがない。
 この手の人たちは、どうせダライラマのことも支持しているだろうけど、亡命政権とはいえ、あれも日本以上に宗教分離ができていないのは明らかである。いわゆる近代哲学は宗教的なものを排したなどと言われるけれども、それはヨーロッパの人間から見てであって、キリスト教徒関係のない人間からすると、どうしようもないキリスト教臭を感じてしまうこともある。それに、共産主義も、当人たちは認めていないにしても、カルト宗教的なところがあるし、神を失った左翼のための新しい宗教だったと定義したくなる。中国や北朝鮮の共産主義は、あれはあれで違った形で宗教化しているし。
 日本にいたころは、特に80年代は心情左翼だったこともあって政教分離にうるさい人々の考えに賛同していたのだけど、ヨーロッパの現実を見た上で、日本の状況を見直すことで、それが大きな間違いだったことに気づいたのである。繰り返しになるが、代替わりの儀式に宗教色がないと言うつもりはない。政教分離を主張する人たちが念頭においているであろうヨーロッパの政教分離のレベルから言えば、この程度は何の問題もないといいたいだけである。

 だから、今後も使えるときには年号を使っていくことにする。うーん、うまく、まとまらなかった。
2019年5月1日24時。

 







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2019年03月29日

春バテ(三月廿七日)



 今月の初めに引いた風邪は、一週間で何とか普通の生活ができるところまで治し、咳と鼻水を引きずりながらの二週間を過ごして、今週は体調が完全に戻るはずだったのに、なんだかさえないのである。頭が痛いというよりは重く、何かを考えようとしてもいつも以上に回転が鈍くていつまでたっても思考がまとまらない。気が付いたら時間が……なんてことが頻発している。
 頭だけではなくて体のほうもなんだかだるくて、普段は職場まで運動不足の解消もかねて歩いているのだけど、ついついトラムを利用してしまう。歩けないと言うわけではないので、身体的な問題ではなく、精神的な問題なのだろう。それで思い出したチェコ語の言葉がある。「jarní únava」、直訳すると春の疲れということになる。

 昔、チェコに来たばかりの冬のこと、チェコ人の知り合いから、野菜や果物をたくさん摂らないと春になって大変だよと忠告されたことがある。あの頃は、主食はビールで、レストランで出てくる野菜はしなびれた、できれば食べたくないようなものばかりだったし、果物なんてなかったわけではなかったが、今と比べれば種類も少なく、質も酷いものが多かった。だから野菜も果物も大して食べることのないまま春を迎えたのだが、大変だったかどうかは覚えていない。冬が長くて大変だったのは、当時は毎年のことだったし覚えているけどさ。
 確か冬の太陽が出ない間にビタミンをちゃんと摂取しておかないと、春になって太陽の光を浴びるようになったときにつらいよというのが、その人の話だったと思うのだけど、個人的には、冬の寒さに耐えてきて、その冬を乗り越えたと安心したところで疲れが表にでるのだと理解した。冬の寒さに耐えられずに疲れた疲れたと連発している人間にはあまり関係ないものだと考えていたのである。
 しかし、今年の我が現状を見るに、「jarní únava」と呼んでもよさそうである。今年の冬はかなり寒く、雪も多かったのだが、最悪だったのが、寒さが緩んでこれでもう暖かくなると思わせておきながらの寒の戻りが何度かあったことである。寒いの範囲内での気温の上がり下がりなら、期待することもないのだが、今年は最高気温が15度を超える日が何日か続いて、これは本格的な春の到来だと期待すると、また最高気温が0度近くという寒さが戻ってくることが何度か繰り返された。だから、今の疲れは、期待外れの繰り返しによって起こされたものだと考えていいのかもしれない。

 そう言えば、今週の初めにはもう一つの期待外れにぶつかったのだった。昨年あれほど話題になり、廃止するという意見で一本化されたに見えた夏時間が、今年も行われるというのだ。3月の下旬になっても全く話題に上らなかったから、今年から一年中冬時間のままかもしれないと期待していたのに、知人に今年はカレンダー業者なんかの問題もあって継続らしいと教えられた。
 そして、昨日か今日のニュースで、EU議会が2021年からの夏時間廃止を決定したという話を聞いた。仕事が遅すぎるぞEU。チェコや周辺の旧共産圏諸国にはあれこれせかすような言動を繰り返すくせして、今まで何やってやがったんだ。去年廃止の話が出てきたのは、すでにEU議会の中で話が煮詰まりつつあったからじゃなかったのか。あと最低でも二回あの苦しみに堪えなければならないのか。いやチェコが夏時間を一年中使用することにした場合には三回なのか。仕事がなくて、お金がたくさんあればこの時期日本に一時帰国するという手もあるけど、時差ボケでさらに大変なことになりそうだし、花粉症もあるからなあ。
 今の体のだるさは毎年夏時間開始後に感じているものに似ているような気もする。期待外れのショックで夏時間開始後の体調を先取りしてしまったのだろうか。いやな想定である。今度の週末にヨーロッパを襲う夏時間への変更後、さらにひどくならないことを願っておこう。日本ではオリンピックに向けて夏時間を導入しようとか言いだしていた人たちがいるらしいけれども、お前ら一年ヨーロッパに住んで体験してみろと言ってやりたくなる。

 ということで、今のどうしようもない疲労感は、春バテと言っていいのだろうか。期待外れバテとか夏時間バテとか言うほうが正確なのだろうけど、語呂は夏バテと似ている春バテのほうがいいから、春バテということにしておこう。こんな記事を書いたのは、先週から今週にかけてもらったメールのうち返事ができていないものがいくつもあるからである。返事が来ていないぞと怒っている方、読まれていたらこういう事情だと理解していただけるとありがたい。こんな駄文はいくらでも書けても、丁寧なメールは書けそうもないのである。
2019年3月28日22時。









タグ:夏時間 愚痴
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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



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