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2019年05月05日

平成雑記1(五月三日)



 あらかじめ定められた平成の終わりが近づくにつれて、ネット上の巷には平成を回顧する記事が増えた。編年体的にまとめられたものもあれば、紀伝体に近いスタイルのものもあったが、懐かしさを感じるものが多く、自分でもやってみようと思って書き始めたら、例によってどちらでもないぐちゃぐちゃなものができ上がったので、こんなタイトルになってしまった。今頃になって始めるのはへそ曲がりだからである。
 この前も書いたが平成元年は大学受験の年だった。共通一次では数学と国語で予定していた点数が取れず、生物は異常な難しさだったから、合計すると目標点数よりも50点ぐらい少なかったかな。国立大学を過度に尊重する田舎の自称進学校の考え方にイラついたあまり発動した「国立に合格して後ろ足で砂かけて私立に行く」計画は、失敗に終わる可能性が高まったが、志望校を変えることはしなかった。

 結局東京の某私立大学の文学部の文学部日本文学専攻に進学したのだが、入学してからしばしば高校時代に日本史をとらなかったことを後悔した。世界史を勉強したことは、日本文学や日本史の勉強をする際に、視野狭窄に陥らないという意味で、ものすごく役に立ったけれども、日本史の知識が欠けていて苦労することも多かったのだ。
 だから、高校で日本史と世界史の両方を受講しておけばよかったなんていう単純な話ではない。我が母校ではそれは不可能だったのだ。現在の事はいざ知らず、昭和の終わりの田舎の公立の進学校なんて、授業のやり方が予備校化していていかに大学入試合格者を増やすか、いや正確にはいかに共通一次の得点を高めるかということしか考えていなかった。
 その結果、社会科に関しては、一年で共通科目としての現代社会を勉強した後、二年からは世界史、日本史、地理の中から一科目しか選択できなかった。ただ、三年になるときに、自分が選んだ科目では成績が悪すぎて受験できないと考えた連中だけは、倫理政経に転向することが許されていた。だから、何年か前に大学受験の際に、必修のはずの世界史を履修していない受験生がいることが問題になったときには、世界史必修になったんだとのんきなことを考えていたのだが、実は世界史は昔からずっと必修であり続けていたのだという。うちの高校、やはり違反していたのか。

 すでに時効になっているだろうから、書いてしまうけれども、あのころ、大学に提出する内申書の書き換えは、特に成績が悪いにもかかわらず推薦入試を受ける連中に関しては、日常茶飯事だった。これはうちの高校だけに限った話ではなく、どこでも多かれ少なかれ行なわれていたはずである。だから、大学入試の意味をなくしてしまう推薦入試が諸悪の根源だと主張するのだけど、世界史を履修していない受験生の内申書は履修したことにして書きかえられていたのだろうなあ。
 ちなみに、理科は、一年で理科一を勉強したあと、二年になるときに文系に行くと生物の履修を強要され、理系に行くと化学・生物か、化学・物理の二つの組み合わせの中から選ばなければならなかった。地学? そんなものは高校の理科には存在しなかったのである。社会もそうだが、受験する大学入試で履修していない科目が必要になった場合には自分で勉強するしかなった。そんな人間は学年に数人いるかどうかだったから実害はなかったんだけどね。

 数学に関してはちょっとばかり実害もあって、文系にいくと基礎解析、代数幾何、つまり共通一次の出題範囲に関する科目しか履修できなかった。それなのに国立の二次の数学でそれ以外が必要になったので自分で勉強することになった。文系の試験で確率統計が必要なんてのは間違っていないかとぼやきながら勉強したのである。
 追加で勉強するのがいやだったのなら、その大学の受験をやめればよかったのにと言われれば、その通りとしか言えないのだけど、半分冗談でその大学を受験すると表明して、10月ごろに二次試験用の模試を受けたら、ぼろぼろの結果しか出ず、それを担任にぼろくそに言われたことで、引っ込みがつかなくなったのだ。あのときの数学が200点満点で一桁という結果には、笑うしかなかった。もっと笑ったのは自分よりも下の人がたくさんいたことだったけど。文系の数学の二次試験模試なんて半分の100点取れれば偏差値が70超えるという特殊なものだったからなあ。

 とまれ、模試が終わった時点で自らのできなさに怒りが爆発し、その怒りをエネルギーに二ヶ月か、三ヶ月の間、チェコ語を始めるまでの人生では、一番必死に勉強したのだった。それが受験まで続けば担任を見返すこともできたのだろうけど、張り詰めていたものが年末年始で切れてしまって、以後は惰性で勉強していたから、その大学には合格できなかった。それでもまったく話にならないところから、とりあえず勝負できるところまでは持っていったのだから、悪くない。
 それに、国立大学の合格者数と、入学者数の数を増やすことしか考えていない高校の姿勢に強く反発を感じて、私立に行くと決めていたから、合格したとして心から喜べていたかどうかはわからない。最初に書いたアホな計画は、別の二次試験が小論文だけだった国立大学に合格したことで何とか達成できた。不思議なのは試験に持参すべき一次試験の受験票を忘れて行き、後で送りますといっておきながら放置したのに合格してしまったことだ。何かの間違いだったのかもしれない。
 平成といいつつ昭和のことが半分ぐらい出てくる。やはり雑記で十分である。
2019年5月3日24時30分。 




詳説世界史B 改訂版 [世B310]  文部科学省検定済教科書 【81山川/世B310】













タグ:世界史 高校
posted by olomoučan at 05:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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