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2019年03月28日
難民問題についてもう一度考えてみる(三月廿六日)
オカムラ党の内紛劇についてはすでに記したが、その余波で、党内の実態、とくに追放された国会議員が支部長を勤めていたモラビア・シレジア地方支部の実態が漏れ聞こえてくるようになった。かつて党員だった女性は、党名のSPD=「Strana přímé demokracie」をもじって、「Sekta přímé diktatury」になってしまったとなげいていた。直接民主主義を党名に掲げているのに、直接独裁になってしまったというのである。それに政党のはずだったのが、宗教的なセクトになってしまっているという批判も含まれている。
チェコテレビが流したこのモラビア・シレジア支部の会合での支部長の発言がまたトチ狂ったもので、イスラムの連中はヨーロッパに侵攻するために、中東からトンネルを掘っているんだとか、そのトンネルはもうかなり完成していて、今それを防ぐための行動を始めないと取り返しがつかなくなるとか、おい、おまえ頭大丈夫かといいたくなるようなことを繰り返していた。オカムラ氏もに多様なことは言うけど、ここまで過激なことは、身内だけなら言っているかもしれないなあ。右であれ左であれ目立つために過激化していくのはよくある話である。同時に意味不明になっていくのもさ。
それから、この支部の党員は、ネット上での難民問題などの討論に参加して、オカムラ党の見解を主張する書き込みをすることを強制されていたらしい。それが、選挙で候補者名簿に載ったり、党の役職をもらうための条件になっていたという。オカムラ氏もネット上のSNSであれこれ、頓珍漢な発言を繰り返して、支持者を集めているから、同じようなことを党員にも求めたということなのだろう。
こういう集団が、ネット上で過激な発言を繰り返すのもチェコが難民の受け入れを一切拒否しているというイメージが出来上がるのに貢献しているはずである。もちろんこういうイメージの形成には、EUやドイツのチェコを含む旧共産圏国家に対する批判のありかたも寄与しているし、チェコ政府自体も積極的に誤解を解こうとはしていないから、仕方がないという面はある。
しかし、少なくともこちらが理解した限りでは、チェコは難民の受け入れそのものを断固拒否しているわけではない。チェコが拒否しているのは、ドイツなどの難民に対する扱いの厚い国に行くことを希望している難民を、強制的に受け入れさせられることである。チェコにも難民収容施設はあって、そこでチェコに亡命申請をした人たちが、審査の結果を待っている。問題は、チェコに来たがる難民の数が少ないことである。
というのを前提に今日の話が始まるのだが、こんなことを考えたのはコメンスキー研究者のS先生のブログに、コメンスキーも亡命を余儀なくされて、移民として受け入れられたのではないかということが書かれていたのがきっかけである。確かにコメンスキーも、チェコ国内の宗教戦争のあおりを受けて、国内にいられなくなり、ポーランドやハンガリーなどを経て最後はオランダに住むことになったのだった。時代は違うとはいえ、現在の中東からの難民と状況は似ていると言える。
コメンスキーが亡命先で受け入れられたのは、宗教の共通性が理由の一つとして挙げられるだろう。プロテスタントと、フス派のキリスト教とで完全に信仰が一致していたわけではないだろうが、反カトリックという点では共通点を見出すのは難しくなかったはずだ。オランダに落ち着くまでにあちこち転々とすることになったのも、カトリックによる対抗宗教改革の進行とも関係があっただろうし。
現在のチェコの領域からは、コメンスキー以後もさまざまな理由で、亡命を余儀なくされ他国に受け入れられて人生をやり直した人がたくさんいる。新しくは共産党政権の時代に自ら亡命した人もいれば、国によって追放されたり帰国を禁じられたりした人たちがいた。そこでちょっと考える。コメンスキーを初めとする人たちは、亡命先で受け入れられることを当然と考えるような傲慢な振る舞いをしたのだろうか。
現在、例えばチェコでオカムラ党の反難民の声に賛同者がすくなくない理由の一つは、難民たちの、特にその一部の振る舞いにある。希望するドイツで受け入れられるのは自分たちの当然の権利であり、それを邪魔するものは法律であれなんであれ無視するという態度を見せ付けられると、とりたて反難民の意見を持っていない人でも、これ大丈夫だろうかと不安になる。オカムラ党は、その不安を過剰にあおりたてることで党勢を伸ばしてきたわけだから、チェコで反難民の声が高まったのは、ある意味自業自得ではあるのだ。
もちろん、すべてのヨーロッパに押し寄せた難民がこんな態度だったという気はないし、十字軍以来ヨーロッパのキリスト教社会が、アジアアフリカに対して行ってきた犯罪行為の数々を考えれば、中東やアフリカからヨーロッパに逃げてきた人々が、ヨーロッパには自分たちを助ける義務があり、自分たちには受け入れられる権利があると考えるのは重々理解できるけれども、相手の義務と自分たちの権利だけを言い立てるのでは、相手の感情を害して受け入れを困難にするだけである。
チェコでも先日のニュージーランドで起こったモスク襲撃事件を受けて、プラハのムスリム組織の幹部が、「ムスリムよ、銃を取れ」的な発言をして、物議を醸していたが、難民として受け入れを求めている人、すでに受け入れられた人たちの中に、こういう発言をする人がいることが、受け入れ反対の世論を強化することにつながるのである。
以前、コメンスキー研究者のH先生は、本当に戦争から逃れて命からがら逃げ出してきた人であれば、できるだけ助けてやりたいと思うけれども、お金のために国を捨ててきた人には同情できないと仰っていた。そして、見ただけでは区別がつかないのが問題なんだよなあと付け加えられた。
確かに、区別の難しい問題ではあるし、そもそも区別すべきなのかというのも問題になるのだが、チェコ政府には、難民受け入れ全面反対というEUに貼られたレッテルをあえてはがさないことによって、チェコを希望する難民が来ないようにするなんて姑息な手段はとらずに、以前イラクのキリスト教徒を対象にして行なったプロジェクトのように、直接難民キャンプでチェコへの亡命希望者を選抜してチェコまで連れてくるという事業をやってほしいものである。
それを成功させることが、EUとドイツが押し付けてこようとする各国に難民を割り振るという制度の無意味さを証明することになるし、自力で、人間密輸組織にお金を払ってヨーロッパまでたどり着く余裕のある人たちよりも、そんな余裕もなく難民キャンプで暮らし続けている人たちこそ救われるべきなんじゃないかと考えてしまう。
なんかまとまりがついていないけど、時間もないのでここでおしまい。
2019年3月27日23時。
2019年03月25日
チェコの服を買おう(三月廿三日)
ワイシャツやらズボンやらがいくつか、外では着られない状態になって、ちょこちょこ買い足していたのだが、ある事実に気づいてしまった。除外した服はすべて、OPプロスチェヨフの製品、つまりはチェコで縫製されたものだった。服にそれほどこだわらない(高くないことにはこだわるかも)人間なので、今回はズボンはいつの間にか行きつけになったおっちゃんの店で買ったし、シャツはシャントフカの安服屋で見つけた安いのを買ったわけだから、どれもこれもチェコ製ではありえない。つまりこのままの買い物をしていたら、チェコ製の服がなくなってしまう可能性が高いのである。
OPプロスチェヨフの服は、ワイシャツはまだ2枚、ちょっと襟の辺りが怪しくなっているけど、着られるのが残っているし、ズボンは夏物が3本まだ履ける。一番最初15年以上前に買ったOPプロスチェヨフのズボンは、裾とかあちこちほつれているけど色が白で目立たないから、着られないといいつつ着てしまうし、今すぐチェコ製の服がなくなるというわけではない。去年の夏にサマースクール用に買った半ズボンは、その気はなかったのにどうもチェコの会社の製品のようだし。
あれは、生産がチェコ国内かどうかはちょっと確認していないけど、チェコの会社が生産したものだからチェコのものと考えておく。服のブランドではなくて、アウトドア用品の「HANNAH」という会社の製品で、ビロード革命後の1991年にプルゼニュで創業した会社らしい。2002年には日本の会社と組んで「CLIMATIC」というブランドを展開したというけれども、今でもやっているのだろうか。
それはともかく、冬に着る服としてはハーフコートなんかの上着もちょっと寿命に近づいているしなんてことを考えたのは、ズボンを最低でも一本買う必要があって、どこで買うか考えるのが面倒くさくなっていたからに違いない。チェコ製のズボン、できればプロスチェヨフのズボンを買おうと思い立ったのだ。おっちゃんの店でスボンをもう少し多目に扱ってくれていたら、こんなことは考えなかったのだろうけど。
ということで、足を運んだのが、以前OPプロスチェヨフの服を何枚も買ったお店。今では「RV FASHION STYLE」という新しいブランドのお店になっている。これはもともとOPプロスチェヨフで仕事をしていた人が、倒産後に立ち上げた会社だというから、ここで売られているのはプロスチェヨフ産の自社製品だけだろうと期待したのである。
体の大きさの制約もあって、それほどたくさんの種類の中から選べたわけではないのだけど、ズボンを一本買って、足が短いのですそ上げもお願いした。これでおっちゃんの店で買ったズボンの約倍の値段になった。それでプロスチェヨフ産だったら何の文句もなかったのだけど、うちにもって帰って確認したら、どうもドイツの会社の製品のようだった。失敗しちまった。ちゃんと確認してからかうべきだった。
ついでにワイシャツも一枚買った。こちらも自社製品ではなく「AMJ」という会社のものだった。これって、以前も何枚か買ったことがあるのだけど、プロスチェヨフのじゃなくても、チェコの会社ではあるよね。ワイシャツ本体には生産国も何もかかれておらず、チェコ向けとスロバキア向けの販売会社の名前が書かれているだけで確証が持てない。一番安いのの4倍もしたのに。
仕方がない。次に買うときにはちゃんとお店にプロシュチェヨフという名前が入っているところを使おう。候補としては、オロモウツのドルニー広場にお店のあるモーダ・プロスチェヨフと、オロモウツから一番近いのはプロスチェヨフになるコウトニー・プロスチェヨフの二つ。どちらもそれなりに高そうなのが難点だけど、一つぐらいは贅沢(たいしたことないけど)してもよかろう。
最近、安服屋で買ったズボンのすそがほつれ始めて、寿命が近づいているのに気づいてしまった。以前買ったOPプロスチェヨフのとくらべると持ちがよくないような気がする。ちょっと高くても長く着続けられるほうが、買い物する回数も少なくてすむしなあ。問題は今買うか、来年に回すかである。
2019年3月24日23時。
2019年03月12日
風邪をひいてしまった(三月十日)
尾籠なってほどでもないけど、あんまりきれいではない話で申し訳ない。きれいな話って書いたことはないか。
風邪をひいたのは先週のことで、あれこれ予定していたことが滞ってはいるのだが、このブログの更新は奇跡的に続けられたからよしとする。頭がボーッとしてあれこれ考えられないおかげでいつもより書く時間が短かったという怪我の功名みたいな現象も起こったし、さっと書くこと決めてささっと1ページ強の文章を書き上げるというのが理想で、ここ何日かその理想に近づいた気はする。
問題は、恐らくいつも以上に内容がなく、意味不明で、誤字脱字の山を気付いているのではないかということである。最近、タグというものに手を出してみて、これも体調がよくないときに発作的にやったんだったか、最初の記事からタグ付けと校正とをやり直そうかと思ったことがある。思っただけで、すでに1100を超えた駄文の山にめまいがしてやめたのだけど、機を見て折を見て古い記事にもタグを付けていけば、10年後ぐらいには完成するかもしれない。誤記誤植のほうは……。恥ずかしくて穴があったら入りたいレベルのものもあるから、何とかしたいのだけど……。夏休みにでも集中的にやるかなあ。
こういう考えが関係のない方向に膨らんでいって収拾がつかなくなりかけるのも風邪をひいたときの文章の特徴で、書き終わって他に書く予定のことがあったんだけどどうしようということも多い。それもすぐに忘れてしまうから、次の文章を書く役にも立たないのが腹だたしい。
昔は、風邪をひくと、インフルエンザでもいいけど、熱が出ることが多かった。熱が出るから苦しいというのはよくわかるのだけど、最近は熱は出ないのに苦しいことが多い。しかも引き始めが一番つらい。症状が悪化するしないにかかわらず、一番つらいのは風邪をひいたことを自覚した翌日で、ひいた状態に体が慣れるにしたがって、朝起きてから動き出せるようになるまでの時間も短くなるし、症状は同じようなものでも無理もきくようになる。
最近チェコでひく風邪は、先ず喉に来る。喉が痛くなりそうなそんな気配を感じて、睡眠時間を延ばすなどの対策がうまくいくと、風邪はひかずに終わることも多い。失敗すると、喉と言っても口蓋の後ろの部分でまだ喉に入らない部分が痛くなって、頭痛を伴うことも多い。こうなると、どう頑張っても一週間は風邪とお付き合いである。
寝ている間に唾を飲み込むのも痛いので頻繁に目が覚めるし、痛みを抑えるためにノド飴を常用してしまうから舌なんかが痛くて痛くて熱いものを飲むとしみてしまう。次に来るのが鼻水で、喉の痛みが少し引くと鼻水が垂れ流しになる。朝など睡眠中の発汗で乾いた体に水分を入れると、しばらくは飲んだものが鼻水になっているんじゃないかと言いたくなるぐらいである。
喉、というよりは口の奥の痛みが治まると、今度は咳が出始める。ここまでくると先が見えたと言ってもいいのだが、咳と鼻水が長く続くことも多い。で、いまここなのである。四六時中鼻をかんでいるので、鼻の周辺は痛いし唇は荒れるし……。発作的に咳が止まらなくなることもある。マスクなんてものは存在しないし。
風邪をひいているときと、ひいていないときで体の機能に違いがあるように感じる部分もある。やたら滅多ら汗をかいて、頻繁に着替えが必要になる。普段なら気にならない程度の汗が気になって、体が冷え込むような感官に襲われるのである。温度の上下に対する耐性が弱くなって、服を着たり脱いだりする回数も増える。その結果、選択の回数も増えて迷惑をかけることになるのだけど、一度汗に濡れた服を着なおすのも、あまり気持ちのいいものじゃないから仕方がない。
汗をかくせいか喉が常に渇いてしまうのも、その結果水分を摂取する量が増えて、汗をかきやすくなるという点も含めて不快である。でも何よりも不快なのは、お酒もコーヒーも、最高においしいはずのチェコのビールでさえおいしいと思えなくなることである。そして月曜日から知人がオロモウツに来るというタイミングで酒が飲める状態にないというのは、何かの嫌がらせかと言いたくなってしまう。日頃の行いの悪さを象徴しているのかな。またまたしょうもない話になってしまった。
2019年3月11日22時15分。
タグ:愚痴
2019年02月17日
懐かしき左翼(二月十五日)
「朝の読書」運動についてあれこれ調べていたら内田樹という方のブログの記事にたどり着いた。今となってはこのブログのどの記事だったのか、探し出せなくなっているのだけど、自分自身を活字中毒者だと規定して、活字中毒者は瓶詰のラベルに印刷された文字までなめるように読んでしまうものだというようなことが書かれていて、思わず嬉しくなってしまった。
自分にも思い当たる節があるのである。今はそこまででもないけど、以前日本語で読むものに不自由していた時期には、日本語で書かれたものであれば、それこそ隅から隅までなめるように読みつくしたものである。日本にいたころも、新聞の場合は、記事をすべて読むのはもちろんのこと、本や雑誌の広告まで読まないと気が済まなかったし、本の場合は巻末の目録、奥付なんかにまで目を通したものである。だから、今の電子書籍に不満が大きいのだけど、それはまたちょっとべつのお話し。
そんなので大喜びしてしまって、肝心の「朝の読書」運動に関しては、どんなことが書かれていたのかほとんど思い出せないのが情けない。「朝の読書」運動は、真の活字中毒者は生み出せないということだったか、形だけの読書になってしまっていて将来の読書につながっていないということだったか。
その記事が面白かったので、この方のブログの記事をあちこち拾い読みしていたら、さらに嬉しいことに、この人、左翼の人だった。本人が自分のことをどのように考えられているかは知らないが、今のわけのわからないリベラルがどうだこうだ云うような連中とは一線を画した、かつての正統派の左翼のにおいを文章のあちこちに嗅ぎ取って、懐かしくなってしまった。
日本をアメリカの属国として位置付けているのは、その当否はおくとしても、80年代にはしばしば耳にした言説である。すごいと思ったのは、アメリカの属国だと主張する理由の一つに日本の英語教育の在り方を上げているところである。政治家の発言とか日米交渉の在り方とかそんなどうとでも解釈できるものではなく、教育という国家の根幹にあたる部分を理由として挙げられると、説得力は大きくなる。個人的にはさらに日本だけでなく、世界中の国々が英語という言葉を通じてアメリカに従属させられつつあるような印象を持ってぞっとしてしまった。我が英語嫌いも故無しではなかったのである。
その記事がこれで、外国語教育、特に英語教育の在り方について文部省のやり口を植民地の語学教育だと強く批判されているのだが、最後には返す刀で国語教育にまで触れている。そうすると、外国語教育に関しては、話すことが過度に重視されるようになった1980年代ぐらいから、日本の植民地化、属国化が進んできたと理解していいのだろうか。それはともかく、読み書きを伴わないしゃべれるだけの外国語というのは、少なくとも大学に進学する学生に求められるものではないだろう。しゃべることだけに傾斜した最近の日本の語学学習の傾向に辟易している人間としては、もろ手を挙げて大賛成である。
そして、さらにこの方に共感してしまったのは、根本の部分では左翼でありながら、現実感覚を失わずに、日本には天皇制が不可欠であることを理解して、「天皇主義者」を宣言されているところである。上にかつての正統派の左翼と書いてしまったが、80年代までの左翼にはこんな日本の現実を見据えて天皇主義者宣言なんてできなかったはずである。左翼の理論的後ろ盾だったソ連が崩壊した後の思想的な混乱を乗り越えてなお、左翼であり続けるというのはこういう強さを必要としたのだろうという感慨を抱いてしまう。ただし、左翼、左に分類される人たちのすべてが、特にひよって左翼的な言説ではなくリベラルなんて方向に逃げている人たちが、こんな強さや現実感覚を持ち合わせているわけではないのは言うを俟たない。
この記事はキリスト教関係の雑誌に掲載されたインタビューらしいが、不満を言えば、キリスト教のローマ法王の存在に対しての考えが見えてこないところか。天皇制に批判的な日本のキリスト教関係者が、天皇主義を標榜する人物にインタビューするのなら、天皇以上に問題のあるローマ法王についてもコメントを求めるのが筋だと思うのだが、キリスト教関係者はローマ法王に関しては思考停止して所与のものであるかのように扱うからなあ。天皇制を疑うのなら法王制も疑うべきであろうに。もしかしたら、ブログにキリスト教やローマ法王に関する意見があるかもしれないから、暇なときにさがしてみようかしらん。
もちろん、内田氏が書かれていることすべてに賛成するわけではない。だけど、この人なら主義主張が違う相手ともちゃんとかみ合う議論ができそうだという印象を持った。最近の自分の言いたいことだけ言って相手の話を聞かないのを議論と称する風潮がはびこる中では貴重な存在である。ある意味理想の、かくあれかしの左翼ということになるのかな。あれこれこちらの勘違いの可能性もあるけど。
2019年2月16日22時15分。
2019年02月06日
おくじらさま(二月四日)
日本がようやくIWCを脱退することを決めたからか、鯨をめぐる記事を目にすることが増えてきた。その中で読んだ甲斐があったのが、本の紹介記事のようにも読める「JBpress」という雑誌のこの記事。『おくじらさま 二つの正義の物語』という本をもとに捕鯨について考察を加えている。本はドキュメンタリー映画監督の佐々木芽生氏が、『おくじらさま』という映画を製作した際の取材をもとに書かれているらしい。
記事によれば、ドキュメンタリー作家の佐々木氏は、捕鯨賛成派、反対派のどちらにも偏らないことを形で、『おくじらさま』を製作したらしい。記事には書かれていないが、アマゾンの本のページに転載された「週刊文春」の書評によれば、ドキュメンタリー映画を撮影したのは、映画「ザ・コーヴ」を見たことがきっかけとなっているという。
「ザ・コーヴ」は内容も噴飯ものだったらしいが、何よりも糾弾されるべきは、あれをドキュメントとして称してしまえる捕鯨反対派のメンタリティであろう。あれがドキュメントで通るなら、日本のテレビにやらせは存在しないなんてコメントを当時聞いたような記憶もある。そして、ドキュメントとして受け入れて、疑うことを知らない人々の知性も疑うべきかもしれないが、ここはむしろ環境保護団体、反捕鯨団体に特有の黒を白と言いくるめる狡猾さを責めるべきであろう。人は正しいことではなく、信じたいことを信じるのだと断じてもいいか。
残念ながら、現在の環境問題に関する認識は、環境保護活動家たちの目的のためには手段を選ばない、針小棒大どころか、ないものをあることにしてしまうような言説によって、ゆがんだ形になってしまっている。その結果、一部の信者を除けば、環境破壊、環境保護に関するニュースに対して、特に日本では、眉に唾をつけてしまうことが多い。自業自得としか言いようのない事態なのだけど、『沈黙の春』って落ち着いた筆致の事実をして語らしむるスタイルじゃなかったっけ。ドイツ辺りでは、環境保護活動家の発言を真に受けてしまう若者が多いという話もあるから、EUの将来が心配になってしまう。
話を戻そう。記事では捕鯨賛成派の「伝統」を守ろうとする主張と、反捕鯨派の捕鯨は「残酷だ」という主張は、ずれていて議論としてかみ合うことはないという。そして、かみ合わない議論をかみ合わせて理解できるようにするには、本の副題にある「二つの正義」を引いて、自分のものとは違うもう一つの「正義」の存在を認めることが大事なのではないかと一応の結論を付けている。本と同じように、二つの正義に対してあえて優劣はつけず、それは読者に任せるということのようにも読める終わり方だった(と思う)。
ということで、捕鯨賛成派の「伝統を守る」という正義と、捕鯨反対派の「捕鯨は残酷だ」という正義を比べてみようと考えたところで、この文章を書くのがストップしていた。特に考えなくても「伝統を守る」正義のほうに理があるのは明白である。そもそも「捕鯨は残酷だ」という単なる感情でしかないものを正義にしてしまう時点で、捕鯨反対派の正気を疑ってしまう。というよりは、これまで掲げてきた正義がすべてつぶされて、これしか残っていないのかもしれないけども、続きを書く意味があるのか、懐疑してしまったのである。
せっかくここまで書いたのをお蔵入りにするのは忍びないので、ここまでを枕にして、捕鯨を巡る二つの正義について考えたことを書くことにする。当然、稿を分けることになるんだけどさ。ということでまた次回。
2019年2月5日22時。
2019年01月11日
日本IWC脱退2(正月九日)
捕鯨問題について別の面から考えてみよう。
今回日本はIWCを脱退して商業捕鯨を再開するというのだが、同時にIWCの枠内で行ってきた調査捕鯨は停止するらしい。その結果、捕鯨が行われるのは日本近海ということになり、頭数も調査捕鯨とほぼ変わらない数になりそうである。
そこで疑問なのが、年間数百頭の捕鯨で商業的に成り立つのかどうかということである。これまでは、調査捕鯨ということで採算は度外視で捕鯨を行なっていたはずだが、商業捕鯨となるとそういうわけにも行くまい。政府から補助金が出ることは予想できるが、ある程度の採算性がなければ長期的に捕鯨を続けていくことは難しいだろう。
IWCによる捕鯨の禁止は、かつて日本に存在した鯨肉を食べる文化を、一部を除いて破壊した。1980年ぐらいまでは、小学校の給食にも鯨肉が登場することがあったし、鯨のベーコンなんて食材を見かけることもままあったが、90年代になると鯨肉は普通に流通するものではなくなり、食べるためには、特別なレストランに出かけて大枚はたくしかなくなっていた。
鯨肉が流通しないのが当然になって久しい現在では、食べたことのない人の方が多くなっているのではないだろうか。あと十年、二十年もすれば、鯨肉を食べたことがあるのは、高齢者だけということになり、伝統的な捕鯨の行なわれていた地域では鯨肉を食べる習慣も残り続けるだろうが、需要も先細りしていく一方だろう。
これもまた政府が商業捕鯨の再開を決定した理由の一つになっているのかもしれない。鯨肉の味を知っている、鯨肉にノスタルジーを感じる世代がまだ健在なうちに再開しておかないと、環境保護団体の原理主義に思想汚染された日本人、マスコミ関係者も増えている以上、取り返しのつかないことになりかねない。
確か縄文時代から食料にされてきた鯨が日本で食べられなくなるというのは、食文化の喪失である。その喪失の原因が外国のごり押しというのだから、日本人はもっと怒っていい。反捕鯨派は、鯨肉が食べられるようになったのは戦後の食糧難の時代だとか言うけれども、それは大々的に捕鯨が行われ鯨肉が大量に流通するようになったのが、戦後だという話であって、鯨肉を食べる習慣自体ははるか昔から続いているのである。
土井全二郎氏の『最近捕鯨白書』(丸善ライブラリー)と、小松正之氏の『くじらは食べていい!』(宝島社新書)を読んで思うのは、最近流行のフェイク・ニュースとか、ヘイトスピーチってのは実は反捕鯨団体が、環境保護団体が日本に対して大々的に行ったのが、その嚆矢だったのではないのかということである。政治家が有権者のご機嫌取りをするポピュリズムもそうだなあ。ポピュリズムが民主主義の終わりだというのなら、それは80年代の反捕鯨政策に始まったと言えそうだ。
それに、この捕鯨の問題が完全に感情の問題になってしまっていて、そこには科学的のカの字もなければ理性のリの字もないことも問題である。日本やアイスランド、ノルウェーなどの伝統的な捕鯨国にとっては、かたくなに自らの正義を疑わず、感情的な主張をやめない反捕鯨派との議論は苦痛以外の何物でもなかったに違いない。捕鯨反対派の議論は宗教の狂信者との議論を思い起こさせる。
そう考えると、環境保護や反捕鯨というのは、キリスト教への信仰を失い、共産主義を崩壊させた欧米にとっては新たな宗教と化していると言ってもいいのかもしれない。そう考えれば、他国の食文化を破壊して平然としている傲慢さも理解できる。アジア、アフリカ、アメリカの現地文化をほぼ壊滅に追いやったキリスト教の宣教師どもと思考レベルが同じなのだ。
そうか、オーストラリアやニュージーランドが、魔女狩りめいた狂信ぶりで、かたくなに捕鯨に反対するのは、原住民を虐殺した過去の原罪に対する贖罪のために、鯨をトーテムにしたトーテミズムに走ったと考えればいいのか。いずれにしても、ヨーロッパ的な宗教は世界の迷惑でしかない。最近民主主義も宗教化しつつある嫌いがあるからなあ。
うーん、全くうまくまとまらなかった。
2019年1月9日24時15分。
2019年01月09日
日本IWC脱退1(正月七日)
日本が30年以上も前から機能不全を起こしていることを指摘されていた国際捕鯨委員会を脱退すると言うニュースは、チェコのニュースでも年末に報道された。ヨーロッパ的な価値観に毒されていることを誇りにしているチェコでも、多分にもれず否定的な、批判的な文脈での報道だったが、さすがはチェコテレビで、捕鯨というものが日本にとっては単なる水産業の一分野に過ぎないものではないことも付け加えていた。
日本でもこの政府の決定を批判する向きが存在するようだが、その正気を疑う。IWCの実態が国際捕鯨委員会ではなく、国際捕鯨禁止委員会に過ぎなくなってしまっていることについては、すでに80年代の終わりから批判され続けていることである。ごり押しとごね得が支配する現在の国際関係の先駆をなしたのが、このIWCだったのだから、捕鯨国が付き合いきれないと脱退するのは当然のことであり、日本の国際関係にいては、近年まれに見る全うな判断だったと高く評価したい。
しかも、脱退して商業捕鯨を再開するとは言っても、かつてのように世界中の海に出かけて行って捕鯨をするのではなく、日本の領海、排他的経済水域(EEZ)内においてのみ捕鯨を行うというのだから、反捕鯨国にも一定の配慮はしているし、内政干渉を許すいわれはない。反捕鯨のテロリストグループが捕鯨の妨害のために領海内に進入してきたら国際法に基づいて拿捕して、悪名高き日本の留置所に放り込んでやればいい。そこまでできるのかどうかは知らんけど。
IWCの欺瞞に満ちた運営についてはいくつか本が出ていて、1992年に出た土井全二郎氏の『最近捕鯨白書』(丸善ライブラリー)と、2000年刊行の小松正之氏の『くじらは食べていい!』(宝島社新書)を読むと、関係者の努力と苦労に頭が下がる思いがするし、自らの正義を信じて疑わない反捕鯨団体、ひいては環境保護団体の実態には怒りさえ感じてしまう。この二冊の本を読んだことも、環境保護団体の主張に対して常に懐疑的になってしまう理由になっている。
興味深いのはほぼ十年のときを経て書かれた二冊の本が、ともにIWCと捕鯨の将来に希望を持たせるような終わり方をしている点である。描かれた希望はどちらも結局は実現することなく、捕鯨国の絶望につながったからこそ、日本政府は今回の決断にいたったものであろう。仏の顔も三度までとはよく言ったものである。この交渉の経緯は北方領土を巡るロシアの詐欺めいた交渉を思い起こさせる。つまり、どんなに粘り強く交渉しようと、どんなに鯨の数が増えようと、捕鯨禁止委員会であるIWCでは捕鯨の再開は認められるわけがないのである。それを粘り強い交渉をなどというのは、泥棒に追い銭というものである。
今回の政府のIWC脱退の決定を受けて、反捕鯨を強く主張するニュージーランドやオーストラリアなどとの関係が悪化することを懸念する違憲もあるようだが、シーシェパードのようなテロ組織としか言えないような団体を支援する国との関係など悪化してもかまうまい。いや、捕鯨ごときで悪化するような関係なら、それはそれでかまうまいと言うほうが正しいか。戦前の日本は、欧米の正義の押し付けにいやいや譲歩を続けて最後に爆発して戦争をおっぱじめてしまったけれども、その再現を防ぐためにも、ここらで日本にも譲れないものがあることを示しておくことは、国際関係上も悪いことではないだろう。交渉相手にずるずると譲歩することが、国際協調ではないのだから。
惜しむらくは、他の捕鯨国、アイスランドやノルウェーと足並みを揃えられなかったことだ。アイスランドは1990年代の初めに一度脱退し、後に例外的に捕鯨ができるという条件付で復帰したらしいし、ノルウェーはIWCの枠内でなぜか商業捕鯨を行なえているらしい。これを捕鯨国をIWCにとどめておくため、そして捕鯨国陣営を分断するための反捕鯨国の策略だと考えるのは穿ちすぎだろうか。
ナイーブな日本人は国際機関というと無条件で正しいもの、従うべきものだと考えてしまいがちだが、国連の安全保障委員会のように機能不全を起こして改善のしようもない組織も少なくない。そんな組織内で不毛な議論につきあう余力があるのなら、別のことに注力した方がはるかにましである。
以上が日本を離れて欧米的な価値観に対する不信を禁じえなくなった日本人の目から見た今回のIWC脱退に関する意見である。
2019年1月7日23時30分。
2018年12月20日
だから環境保護活動家は……2(十二月十五日)
昨日の話が、当初の予定とは違う方向に向かってしまったので、肉食を減らせと主張する環境法後団体に対するいちゃもんがもう一回続く。
この地球温暖化を防ぐために、肉を食べる量を減らそうという主張にはいくつか危惧すべき点があるように思われる。その主張の正当性はおくとして、環境保護を理由に肉食をやめる人にとやかく言うつもりはない。すでに地球上には様々な理由で肉を食べない人たちがいるのである。一つぐらい肉を食べない人のタイプが増えたとて、大差はない。
問題は、環境保護団体の関係者というものが、世界に迷惑を撒き散らしたキリスト教の宣教師並みに、他人の迷惑を考えない押し付けがましい存在であることである。それを考えると、求められもしないのに、肉食を減らすことを勧めて回りそうである。それどころか、今は肉食だけだが、今後は禁止や抑制を求める品目が増えていくことが予想される。最初は禁煙派と結びついて、煙草の禁止だろうか。煙草も燃焼しているわけだし。まあ、それぐらいなら非喫煙者としては文句はないが、そこで止まるとは思えない。
温室効果ガスと聞いて最初に思い浮かぶのは二酸化炭素である。つまりは炭酸ガス、炭酸水に溶けているものである。これでこちらが危惧していることが理解してもらえるだろう。環境保護団体の次なる標的が炭酸入りの飲み物になるのを恐れているのである。コーラなんかの所謂清涼飲料水ならまだ許容範囲だが、それがアルコール入りの炭酸飲料であるビールにまで及ぶのは許し難い。
最悪のシナリオは、現在喫煙の撲滅に血道をあげている、健康のために人々の生活習慣を変えさせることを目標にしている団体が目標を達成した後、次なる標的をアルコールに定め、地球温暖化防止を目指す団体と結びついてビールの生産禁止を主張し始めることである。世のビール党よ、環境保護団体の口車に乗せられて、肉食の削減を実行すると、我らが黄金の飲み物が飲めない未来が近づくぞよ、注意されたし。
それにしてもである。ビールの炭酸ガスは醸造の過程で発生するものだからどうしようもないけれども、炭酸飲料の生産に使われる二酸化炭素を、大気中から回収するなんて技術は存在しないものだろうか。大気中の濃度を考えるとものすごく効率の悪いものになりそうだけど。とまれ、これが一つ目の危惧。
二つ目は、環境保護のために人間が動物の数を調整するという思想そのものに対する危惧である。肉食を減らすことで排出される温室効果ガスを減らそうということは、飼育される家畜の数を減らして呼吸によって排出される二酸化炭素の量を減らそうということであろう。人間の食事のために命を奪うのはよくないという一部の菜食主義者の主張と通底しそうなところのある主張だが、今後も地球温暖化が進んだ場合に、この考えがエスカレートしないという保証はない。
家畜の数を減らすところから始まって、野生の動物の数を人間が調整するのを経て、人間の数を調整するところまで行きかねない。いや、地球温暖化を防ぐためには地球上に動物が存在しないのが一番いいというのが極論の極致か。ここまで極端なことを主張してくれれば、逆に尊敬してしまいそうである。それはともかく、温暖化の進行の抑制がうまく行かない場合に、先鋭化して過激化しやすい考え方だということだけは間違いない。
この動物の数を減らして温室効果ガスの排出量を減らすことを主張しているのが、環境保護を主張する団体であることに暗澹たる思いがする。自然保護を謳うのなら、呼吸で二酸化炭素を排出する動物の数を減らすことより、光合成で二酸化炭素を吸収する植物を増やそうと主張するものではないのか。ポーランドの畜産だって、牧草地を管理、維持することで、荒地のまま放置されたり、工業用地としてコンクリートやアスファルトに覆われたり、太陽光発電のソーラーパネルに覆われたりするのに比べれば、二酸化炭素の吸収に寄与しているはずである。
この記事の環境活動家の主張を読んで、思い浮かんだのは、声高にビール禁止が叫ばれ、温暖化防止を叫んでテロが起こる悲惨な未来だった。そんな未来の到来を防ぐためにも肉食は続けよう。
2018年12月16日23時40分。
2018年12月19日
だから環境保護活動家は……(十二月十四日)
先日こんな記事を発見してしまった。ポーランドで開催されている気候変動会議とやらで肉を使った食事が提供されることに対して、環境保護活動家たちがいちゃもんをつけているという内容なのだが、思わず正気を疑ってしまった。そもそも、この手の国際会議の食事というのは、開催国にとっては自国の産物の見本市のようなところがある。だからポーランドという畜産が盛んで、肉類、乳製品の輸出も多い国で会議を開催することが決まった時点で、こうなることは明らかだったはずである。
記事中に「家畜だけで世界の温室効果ガスの14.5%を排出している」という国連の概算が引用されているが、この人たちは、人類が畜産をやめることを望んでいるのだろうか。地球温暖化を防ぐためなら、ある産業を衰退に追い込んで、その産業に従事している人たちに廃業を押し付けてもかまわないと考える。この傲慢さが、おそらく地球温暖化を訴える環境保護活動家たちの意見や、活動が一般社会に受け入れられにくい原因となっているのだろう。
仮に、家畜が排出する温室効果ガスが14.5%だというのが正しいとして、人間が肉食を減らすことと、そのガスの量が減るのとの因果関係がはっきりしない。もちろん、現在飼育されている家畜をすべて処分してしまって、家畜のいない世界にしてしまえば、14.5%分の温室効果ガスは減るかもしれない。いや、肉の代わりに人間が食べるものの生産にかかる温室効果ガスのコストを考えれば、そこまでは減らないか。
12日にわたっておこなわれる会議の期間に、出席者たちが肉料理を食べ続けることで、約190万リットルの恐らくガソリンを燃やすのと同等の温室効果ガスを排出する可能性があるという主張も記されているが、これが出席者たちが自宅で普通の食事をしていた場合との差なのか、肉類を提供しなかった場合との差なのか、単に会議で提供される食事に使われる肉類を生産する際に発生する温室効果ガスの量でしかないのか判然としない。
会議が、冬のポーランドで開催されていることを考えると、環境保護活動家が主張する野菜や果物、ナッツ類中心の食事を供する場合には、そのほとんどが国外からの輸入品ということになろう。これらの食品は、下手をすれば、南米やアジアから輸入することになるのだから、輸送によって発生する温室効果ガスの量も馬鹿になるまい。
それに、こんなデータを出すのであれば、会議を開催したことによって発生する温室効果ガスの量についても触れなければ、不公平というものであろう。会議のために世界中から集まった人々の移動や、会議の会場の暖房などによって発生した温室効果ガスの量と、肉食を提供するために発生した温室効果ガスの量を比べると、どちらが多いのか気にならないのだろうか。
そんなことを考えると、いわゆる地球温暖化を防ぐには、グローバリゼーションを抑制するのが有効だという声が聞こえてこないのが不思議である。かつてないほどの数が地球の空を飛びまわっている飛行機や、大陸間の貨物の輸送のために海を行く多くの船舶は、地球温暖化に影響は与えないのか。人工衛星を打ち上げるためのロケットはどうなのか。その辺りのことを無視して肉食を減らせば温暖化が緩和できると言われても、反感を生むだけである。
ポーランドでの国際会議で肉をつかった食事が提供されることを批判するなら、ポーランド産の肉を使った料理を提供するために排出された温室効果ガスの量と、環境保護活動家が主張する野菜、果物を中心とする食事を提供するために排出された温室効果ガスの量を、輸送、保存にかかる分まで算出して比較するべきであろう。その結果、肉料理の提供のためにかかる温室効果ガスの量のほうが、はるかに大きいというのであれば、活動家の言葉も説得力を持つが、ただ肉を生産するために温室効果ガスが大量に出ているから、肉食を減らそうなどと言われても、食文化の破壊としてしか受け止められない。
これは自動車についても同じで、自動車を走らせるためのいわゆるランニングコストが、電気自動車のほうが小さいのはわかる。問題は電気自動車とガソリン自動車を、部品も含めて開発、生産、廃棄処分するために必要な温室効果ガスの量まで含めた比較したデータはないのだろうか。それなしに電気自動車の方が環境にいいとか言われても、両手を挙げての賛成はできない。環境保護活動家は一方的なデータしか出さないとか、自分たちの考えに都合の悪いデータは隠すとかいう批判が消えないのは、環境保護活動家たちのやり方に原因があるのである。
件のプラスチックストローの問題にしても、プラスチックを紙に置き換えることですべて問題は解決するみたいな風潮があるけれども、割り箸の使用を森林を破壊するものとして批判していた環境活動家たちのことを思い出すと、どうにもこうにも信用できない。これだから環境保護活動家というのは……。
2018年11月14日20時35分。
2018年12月17日
海外医学部の話2(十二月十二日)
以前、ブルノに住む知り合いから、マサリク大学でも医学部に日本人の学生を受け入れ始めたという話を聞いた。その人の話では、一度に二十人以上の日本人学生が入学し、その大半は英語能力が高くなく、日常会話さえおぼつかず、これじゃ医学の勉強なんて無理だろうという状態だったらしい。これについてはすでに触れたような気もする。
その後、パラツキー大学に医学部生を送り出している日本側の事務局の人とお話をする機会があったのだが、ブルノのマサリク大学への学生の送り出しをやっているのは別の組織で、パラツキー大学とは違って、マサリク大学の医学部で直接勉強を始めるのではなく、まず予備コースに通って英語などを勉強した上で、学力的に問題がないと認められた人だけが、医学部の本科に進めるような形になっているのではないかと教えてもらった。
だから、その予備コースの一年なら一年で、英語で医学を勉強できるだけの力をつければいいということなのだが、果たしてそれは可能なのだろうか。日本でしっかり勉強して、それこそ医学部の入試に合格できるようなレベルの英語力がある人なら、一年外国で英語を使って勉強、生活することで、実践力を身につけて英語で医学を勉強するところまで行けそうだけれども、高校を卒業した時点で片言レベルの英語しか使えない人が、たった一年で英語で医学を勉強するところまでいけるのか大いに疑問である。
少なくとも中学、高校で6年間英語を毎日とは言わないまでも、週に何回かの授業を受け続けた成果を、たった一年で上回ることができるものなのだろうか。心機一転、勉強に対する態度を変えて、他にすることのない環境で集中して勉強することで、能力を大きく伸ばす人も出てくるかもしれないが、それは例外に留まるのではなかろうか。日本ではない以上、英語も日本語ではなく、直接英語で勉強することになるのである。予備コースから学部に進める人がどのくらいいるのか、そして学部に進んだ人のうちどのくらいの人が卒業までたどり着けるのかと考えると、この記事のように安易に外国で医学を勉強することを勧める気にはなれない。
ハンガリーの医学部についても、問題があるという話を聞いたことがある。すでに卒業して日本の国家医師試験に合格した医学部生がいる一方で、10年以上ハンガリーの大学で勉強したものの卒業できずに、つまりは日本の国家医師試験を受ける資格を得られないままに帰国してしまう人もかなりの数いるらしい。それは、ハンガリーの大学では、外国人向けの医学部だけかもしれないが、一度入学してしまえば、成績が悪くても在籍だけはさせてもらえるのが原因だという。
だから、取得単位が足りず、留年を繰り返し、在学できる期間の限度内に卒業できる見込みがまったくなくなった学生でも、最低限の単位さえ取っていれば、10年なら10年在学だけはできるのだという。その辺のいかにして大学に残るかというのは、代々の日本人学生が情報として受け継がれているため、本来の医師になるという目的を忘れて、途中からは大学残ることが目的になってしまう人もいるのだとか。
10年内外ハンガリーにいたのだから、少なくともハンガリー語はできるようになっているんじゃないかと、話をしてくれた人に質問したら、大学に残るためにはハンガリー語は必要ないし、外国人留学生として生活する分にはハンガリー語はほぼ不要だから、できる人はほとんどいないという答えが返ってきた。むしろ、ハンガリー語ができるようになる人は、医学の勉強でも優秀で順調に進級して卒業する人に多いらしい。学年が進むと病院での実習なんてのも入ってくるだろうから、それに向けてハンガリー語を勉強しなければならないと言う面もあるのかな。
このハンガリーの留年への寛容さと、チェコの二年生への進級が一番大変で、一年目で大学を辞める人が一番多いという現実と、どちらが学生本人のためになるのだろうか。医学の勉強に失敗しても別な分野でやり直せる、もしくは医学の勉強を別の学校で一からやり直せるという意味では、パラツキー大学の制度の方が、結果的には学生のその後の人生にはプラスになるのだろうか。はかない夢を見続けていられる、もしくは見続けている振りができるという点ではハンガリーの方がいいかもしれないけど、それはあまりに刹那的過ぎる。
最後に記事を一点だけ訂正しておくと、ハンガリーは知らず、チェコでは医師資格試験は存在しない。それに代わるのが大学の医学部の卒業の資格である。ただ、チェコ国内で医師として仕事をするためには、チェコの医師会への登録が必要で、外国人が登録するためには、チェコ語のEU規準の語学能力判定でB2レベルの試験に合格する必要があるらしい。
これは卒業して日本の国家医師試験を受ける準備をしている人に聞いた話だが、日本の厚生省が受験希望者に課す提出書類を集めるのが厄介らしい。ある程度の共通性はあるとはいえ、国によって出してくれる書類が微妙に違うので、厚生省が必要かつ十分な書類として認定してくれるかどうか、事前にわからないのが一番大変だと言っていた。
無事に大学を卒業しても、医師試験を受けるためだけにも、日本の医学部を卒業した学生以上の苦労が待っているのである。そう考えると、チェコであれ、ハンガリーであれ、医学部を卒業して日本の医師試験に合格した人の努力には賞賛以外の言葉は出てこない。今後もパラツキー大学をはじめ、外国の大学で医学を勉強する人たちが卒業まで頑張り続けられることを祈りたいと思うが、同時に、外国に行けば何とかなると安易な気持ちで外国の医学部を目指す人が増えないことを願っている。
2018年12月12日23時55分。