2018年12月20日
だから環境保護活動家は……2(十二月十五日)
昨日の話が、当初の予定とは違う方向に向かってしまったので、肉食を減らせと主張する環境法後団体に対するいちゃもんがもう一回続く。
この地球温暖化を防ぐために、肉を食べる量を減らそうという主張にはいくつか危惧すべき点があるように思われる。その主張の正当性はおくとして、環境保護を理由に肉食をやめる人にとやかく言うつもりはない。すでに地球上には様々な理由で肉を食べない人たちがいるのである。一つぐらい肉を食べない人のタイプが増えたとて、大差はない。
問題は、環境保護団体の関係者というものが、世界に迷惑を撒き散らしたキリスト教の宣教師並みに、他人の迷惑を考えない押し付けがましい存在であることである。それを考えると、求められもしないのに、肉食を減らすことを勧めて回りそうである。それどころか、今は肉食だけだが、今後は禁止や抑制を求める品目が増えていくことが予想される。最初は禁煙派と結びついて、煙草の禁止だろうか。煙草も燃焼しているわけだし。まあ、それぐらいなら非喫煙者としては文句はないが、そこで止まるとは思えない。
温室効果ガスと聞いて最初に思い浮かぶのは二酸化炭素である。つまりは炭酸ガス、炭酸水に溶けているものである。これでこちらが危惧していることが理解してもらえるだろう。環境保護団体の次なる標的が炭酸入りの飲み物になるのを恐れているのである。コーラなんかの所謂清涼飲料水ならまだ許容範囲だが、それがアルコール入りの炭酸飲料であるビールにまで及ぶのは許し難い。
最悪のシナリオは、現在喫煙の撲滅に血道をあげている、健康のために人々の生活習慣を変えさせることを目標にしている団体が目標を達成した後、次なる標的をアルコールに定め、地球温暖化防止を目指す団体と結びついてビールの生産禁止を主張し始めることである。世のビール党よ、環境保護団体の口車に乗せられて、肉食の削減を実行すると、我らが黄金の飲み物が飲めない未来が近づくぞよ、注意されたし。
それにしてもである。ビールの炭酸ガスは醸造の過程で発生するものだからどうしようもないけれども、炭酸飲料の生産に使われる二酸化炭素を、大気中から回収するなんて技術は存在しないものだろうか。大気中の濃度を考えるとものすごく効率の悪いものになりそうだけど。とまれ、これが一つ目の危惧。
二つ目は、環境保護のために人間が動物の数を調整するという思想そのものに対する危惧である。肉食を減らすことで排出される温室効果ガスを減らそうということは、飼育される家畜の数を減らして呼吸によって排出される二酸化炭素の量を減らそうということであろう。人間の食事のために命を奪うのはよくないという一部の菜食主義者の主張と通底しそうなところのある主張だが、今後も地球温暖化が進んだ場合に、この考えがエスカレートしないという保証はない。
家畜の数を減らすところから始まって、野生の動物の数を人間が調整するのを経て、人間の数を調整するところまで行きかねない。いや、地球温暖化を防ぐためには地球上に動物が存在しないのが一番いいというのが極論の極致か。ここまで極端なことを主張してくれれば、逆に尊敬してしまいそうである。それはともかく、温暖化の進行の抑制がうまく行かない場合に、先鋭化して過激化しやすい考え方だということだけは間違いない。
この動物の数を減らして温室効果ガスの排出量を減らすことを主張しているのが、環境保護を主張する団体であることに暗澹たる思いがする。自然保護を謳うのなら、呼吸で二酸化炭素を排出する動物の数を減らすことより、光合成で二酸化炭素を吸収する植物を増やそうと主張するものではないのか。ポーランドの畜産だって、牧草地を管理、維持することで、荒地のまま放置されたり、工業用地としてコンクリートやアスファルトに覆われたり、太陽光発電のソーラーパネルに覆われたりするのに比べれば、二酸化炭素の吸収に寄与しているはずである。
この記事の環境活動家の主張を読んで、思い浮かんだのは、声高にビール禁止が叫ばれ、温暖化防止を叫んでテロが起こる悲惨な未来だった。そんな未来の到来を防ぐためにも肉食は続けよう。
2018年12月16日23時40分。
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