2019年05月03日
令和の初日に(五月一日)
今回の改元は、前回の改元に比べたらはるかに落ち着いた雰囲気の中で行われた。それが「令和」という時代の特徴となってくれると嬉しいのだけど、この穏やかさが新しい時代に向けての吉兆であることを願っておきたい。振り返ってみれば平成という時代は、その始まりからして、落ち着きがなくあわただしかった。それがこの30年続いてしまったような印象もある。
今を去ること30年以上昔のこと、昭和63年の後半は、天皇不予で日本中が動顛していた。特にひどかったのがマスコミで、当時はインターネットなんてものはなかったから、新聞や雑誌の記事を事細かに読んだり、テレビの報道を比較したりなんてことはできなかったのだが、今上陛下が病に伏して崩御も近いという状況を、完全にお祭りにしてしまっていた。
これが最初にマスコミに対して抱いた不信感だったと記憶する。もちろん、それまでもマスコミの報道をうのみにするようなことはなかったけれども、原則としてテレビや新聞に出ている情報は正しいのだろうと考えていた。それが、言葉だけは丁寧に陛下の病状を心配しつつ、ここを書き入れ時とばかりにばか騒ぎするNHKも含めたマスコミの姿に、こいつら信用ならんなんてことを考えたのである。
当時高三で、曲がりなりにも受験生、テレビなんかろくに見ていなかったはずなのに、こんな印象を残したのだから、そのひどさも想像できるというものである。崩御前後の自粛ブームを作り出してあおりまくったのもマスコミだったのに、それを後になって批判したりもしていたから、信用度は落ちる一方である。大学入学以後、一時期を除いて、テレビを持たず、新聞も講読しなかったのは、このときの不信感が原因となっている。
自分はどうだったんだと言われると、死という極めて個人的であるはずのことについてまで、公的なものにされてしまう天皇という存在に痛ましさを感じた。仮に天皇制を廃止するべきだというのなら、それは左翼的な反天皇制の主張からではなく、この現在の皇室に人権、特にプライバシーというものが存在しない状態を解消することが目的でなければならないという考えは、この時期に萌芽したものである。
その意味でも、今回先の帝が、非常手段を使ってまで自身の譲位と、皇太子殿下の即位を求められたのは理解できることで、本来ならば今後に向けて制度化するべきであっただろう。それが政治の側の都合で今回限りの特例にされてしまったのは残念でならない。崩御の後はまた否応なく公的な存在として御陵に葬られるのである。せめて死の瞬間だけでも個人的な存在であってほしい。それをある程度かなえられるのが、譲位という制度である。
さて、昭和63年末から翌年の初めにかけて、受験生たる我々が特に気にしていたのは、共通一次はどうなるのかということである。高校の先生たちは以前から情報を集めてあれこれ調べていたようだが、年末が過ぎて、新年になり、病状もいよいよ重篤という情報が出てくると、一月の後半に予定されていた共通一次が中止、もしくは延期になる可能性があるのが心配だった。仮に共通一次が行われたとしても、二月の私立の入試に影響があったらどうしようなんてことも考えていた。
だから、不謹慎ながら、このとき崩御が一月上旬であったことに安堵した人たちは多いはずである。自分はそこまで熱心に勉強していたわけではないので、国立か私立か、どちらかがまともに試験が行われれば、一つぐらいは受かるだろうからそこに行けばいいやとのほほんとしていたけど、人によってはナーバスになっていたからなあ。あのときは、むしろ先生たちのほうが追い詰められていたかな。
とまれ共通一次、しかも最後の共通一次は無事に開催されたのだけど、南国九州でも雪の降る中行われ、理科では科目間の成績格差が大きすぎるという意味不明の理由で、生物、物理の受験者に対して前代未聞のかさ上げ処置が行われた。共通一次は最後の最後で最大の不祥事を起こしたのである。これもまた平成の初めの出来事で、平成という時代の先行きを暗示していたのかもしれない。
かさ上げについて恨みがましく書くのは、生物で得点自体は模試程ではなかったけど、平均点を20点も超えるような点を取って大喜びしていたのに、その差がなかったことにされたのを恨んでいるわけではない。生物の中では比較的点数がよくても、化学の連中には大きく差を付けられていたから、一次の点数がかさ上げされたこと自体はありがたいことではあったのだ。それに、そもそも私立が第一志望だったから、共通一次の結果なんて、自分のプライドの問題を除けば、どうでもよかったわけだし。
平成初年の正月のできごとで、残念だったことを今でも思い出すのが、高校ラグビーの決勝が、中止になり両校優勝という結果になったことだ。見るスポーツとしてのラグビーは好きだったから、受験勉強の合間に楽しみしていたのだけど、主催者が自粛の圧力に負けて中止にしてしまった。崩御の当日だったのかなあ。こういうことを繰り返さないためにも、天皇の譲位による代替わりを制度化するべきである。上皇の崩御であれば、マスコミもそこまで大騒ぎはしないだろうし、マスコミの作り出す自粛圧力もそこまで大きくはなるまい。
最後に今回の代替わりで一点だけ気に入らない点を挙げておこう。譲位された天皇が上皇になられるのはいい。でも「上皇后」ってのは誰が考えた称号なのだろうか。わざわざ愚にもつかない新称号を考え出すぐらいなら、歴史上使用されてきた太上天皇=上皇と皇太后の組み合わせにするべきだった。これは、今回の譲位が先帝の意志を尊重する形で行われたとは言え、それを実現させた連中には、皇室や伝統に対する敬意というものが欠けているということである。だから、明治以前の皇室制度を思い起こさせるやり方を制度化するのを拒否しているのだろう。首相からして長州閥の末裔だからなあ。
今後は先帝のことは、院とお呼び申し上げることにしよう。上皇は一人だけだから、平成院なんて形で区別する必要もないし。そうなると今上陛下は内? これはさすがに官人として仕えていないと使えないか。実資にはなれんなあ。
2019年5月2日24時。
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