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2021年11月12日

父の思い出 その2

祖母は父の実の母親ではなかった。
父とその兄が幼い頃に、実の母親は亡くなったため、妹であった祖母が、実の子のように育てたのだ。

だが、父はその事実を知らされていなかった。
父がその事実を知ることになるのは、大学を中退し、多くの入社試験を受けるも、すべて不採用になった事実を突きつけられたときだ。

戸籍を調べたら、自分には母親がいなかったことが分かったのだ。
父の父親は、戦時中に亡くなっているので、両親がいなかったという事実を、就職時に突きつけられたのだ。

その恨みを長らく抱えてしまった父は、ことあるたびに祖母と対立するようになる。
何故か、実の息子ではなく、育ての息子、しかも次男の家に同居することになった祖母と父の対立は、自然の流れのようにも思える。

父と祖母はほとんど口を利かなくなった。
祖母が一言何かをいうと、父は「うるさい」と制した。
それでも気の強い祖母は何かを言い返す。
当然、その後は大げんかになる。

私はその修羅場が耐えられなかった。
いち早く、逃げ出したいと思った。

だから、大学生になると、ほとんど家には帰らなくなった。
ちょうどプログラミングのアルバイトもあり、家に帰るのは週に一度くらいになった。
また、大学のサークルで天体観測もしていたので、それにかこつけて、家にはますます寄りつかなくなったのだ。

父とはほとんど会話をすることなく過ごした。
たまに会ったとき、少し声を掛けられ、その返事をするくらいになった。

幼い時に受けた心のダメージが、私自身の中で、全然昇華しきれなかったのだ。

だから、父とは一緒に酒を飲むことこともなかった。
父親なら、成人した息子と酒を飲むことは、楽しみでもあったろうに、私は、かたくなに拒否し続けた。
酒を飲んでくだを巻き、暴れる様は、私には反面教師でしかなかったのだ。

だが、私はたくさんの酒が飲めた。

大学生の私は、毎日のように飲み歩き、下宿している友人のもとに転がり込んでいた。

今から思い返すと、父は淋しかったに違いない。
私には弟もいるが、彼は上手に振る舞っていた。
だが私は、彼のようにはできなかった。

ずっと父をうっとうしく思っていたのだ。

父の人生を思えば、別に特別なことではなく、一般的な人間として普通の行動だったようにも思う。

苦しみや悲しみ、淋しさを酒で紛らわせていたのだろう。
幸いギャンブルはしなかったようで、多額の借金を作り、家族に迷惑をかけることはなかったようだ。

そんな父とは、最期まで和解することなかった。




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