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2021年04月13日

先生、何年生ですか?

先生、何年生ですか?

このところ高校生からよく、「丹澤先生、何年生ですか?」、と尋ねられる。
要は、何年生担当なのかを聞いてくるのである。

今いる高校生は、皆、私と関わりのある生徒だ。
私が直接教えていない生徒もいるが、私を知らない生徒は誰もいない。
新年度になり、私がどの学年なのか、興味あるのだろう。

高校生は自分が歩んでいた中学校時代と、今の中学生を比較する。
「自分たちのときと比べて、今はどうなのか」が気になるのだ。

だから、しばしば、
「俺らのときと比べて、今の中学生はどうですか?」
と尋ねてくる。

実は、この言葉にはもう一つの意味がある。
高校生にとって、中学生の言動は、あまりに幼く見えるのだ。
自分たちもその時代を経過していたにもかかわらず、そんなことは忘れてしまって、今の姿を見て、悶々とする。

「今年は中1だよ。」
と答えると、「担任ですか? 学年主任ですか?」と聞いてくる。

今までの私のイメージが、担任であったり、学年主任であったりするのだろう。
私にも、そういう口うるさい時代があったのだなぁ、と改めて感じる。

「授業はどこのクラスですか?」
彼等は、習熟度別クラスの私の担当クラスを聞いてくる。
以前の私は、最上位のクラスしか担当しなかった。
私は、そのクラスで、リーダー学を教えた。

「俺は頭悪いから、もう一番上のクラスは担当しないよ。もっと、頭いい先生方ばっかりだから…。」
恐らく、彼等には自虐的に聞こえるに違いない。
だが、このことは真実でもあるのだ。

結局、この人生、この部分をクリアすることなく終えるような気がする。
努力で挽回できる部分もあるのだろうが、もともとの頭の悪さは、いかんともしがたい…。

私が、他の先生とは違う、「何か」を持っていることは事実だ。
良いことも悪いことも、それが、じわじわっと彼等に染みこんで、彼等は私を慕ってくれる。

私は、そうやって教員人生を生きてきたのだ。





2021年04月12日

やりがい

同年代のM先生に声を掛けられた。
「俺はずっと副担だけど、丹澤先生はさ、ずっと担任やってきたのに、担任がなくなって淋しいって言うか、やりがいがなくなった、ってことないの?」

見ている人は見ているのだ。
ここ数年の私はおとな人しい。
職員会議などでも、激しく発言することもない。
加えて、静かに淡々と生きている。
ここ何年か、静養期間のように過ごしてきた。

「やりがいがなくなったってことはないですね。ここ数年、傷ついた心を癒やす期間にしているんです。最後の担任のとき、結構傷ついたので…。」

「へー、そうなんだ。知らなかった。てっきり、担任外されて、やりがいが無くなってしまったのかと思っていたよ…。」

「まあ、学年所属でも、居候ですから…。」
「なんか、淋しくない?」

M先生は、これまで一度も担任になったことがないので、淋しいのだろう。
だから、私のことを挙げて、そんな風に聞いたに違いない。

「陰で支えられれば、それでいいんです。密かに生徒指導の手を打っていますよ。誰にお言わないことも多いですが…。」

「ありがとう! 勉強になった…。」

そういってM先生は去って行った。

「やりがい、か…。」
私は、小雨に濡れながら考える。

一つ、言えることは、未だに、「担任をやりたい」という気持ちが湧かないことだ。

若くないので、もう子どもたちと一緒に行動するのが難しいということもある。

だが、最大の理由は、「また傷つくのが嫌だ」という、傷心のままに生きている私のわがままなのだろう。





2021年04月11日

言葉の重み

元プロ野球選手で、監督までつとめたMさんが来校した。
先日来校した同じく元プロ野球選手のYさんが、「すごい学校だぞ」と紹介したようだ。

高野連の関係で、いろいろ制約は多かったが、選手たちにはいろいろなヒントが得られただろう。

中学生も一緒に話を聞いたが、少ない人数の野球部員たち、どれほど恵まれているのかが、分かっているのだろうか。

本来ならば、自分たちでお金を払ってもなお、来てもらえるかどうか分からないことなのだ。

恵まれたことが当たり前に感じるようになると、人は天狗になる。
そして、いつしか慢心してしまう。
恐ろしいのは、自分が慢心していることに気づかないうちに、いつの間にか、他の人と距離が離れてしまっている、ということだ。

人は慢心している人とは距離を取る。
孤独になった、その人は、ますます慢心する。

かのプロ野球選手たちも、恐らくはこうした経験を経て、生き残り、現役を引退しのだろう。

あまたの可能性のある選手の中で、プロ野球選手になれるのは、ほんの一握り。
その中で、プロとして活躍できるのも、ごくわずか。

どんな世界でも同じことだろうが、そうした経験を経た人の話を聞くことは、それこそ人生訓としても、とても参考になるはずなのだ。

恐らくは、若さゆえの慢心だろうが、貪欲なくらいに学ぼうという気持ちがないと、大切な話もすり抜けていく。

Mさんが、投手にアドバイスしているとき、
「どうせ忘れてしまうだろう…。いいんだ、忘れたって、また思い出せばいい…。」
そんな言葉を何度も耳にした。

何となく、彼自身の人生を伺うようで、感慨深い。

人は経験に裏付けられた言葉に感銘を受けるのだ。




2021年04月10日

愛のかたち

子のために 作った夜食を 朝に食べ

こんな詩がラジオで紹介された。

「子どものために作った夜食の残りを、自分は朝になって食べた」
などという解釈をしていたが、私は違うと思う。

「子どものために夜食を作って置いておいたが、そのまま手がつけられることなく、朝までそのままになっていた。だから、もったいないので、私自身で食べた。」
ということだと思う。

温め直したのか、あるいは味が変わってしまっているのか、そこまでは分からないが、何とも言えない苦みのような味わいで、それを朝になってから食べたのであろう。

子どものために、と作った食事。
「何よ、食べないの?」
と、そのまま残飯として捨ててしまう親もいる。
「作ったんだから、何とかしなさい!」
と、声を荒げる親もいる。

だが、何も語らず、じっと耐え、残された食事を食べる、この詩のような親もいる。

食べるか食べないか分からない夫の夕食を作る妻の思いとは、少し違う。
手がつかずに、朝まで食卓に残っていた夕食を見る妻の気持ちには違いが、どこか違う。

相手は子どもなのだ。

与えきりの愛。
子どもには徹底的につくす。
見返りを求めず。ただただ与え続ける行為。

そんな思いが親の愛にはある。

それを知りつつ、教員として子どもたちと関わらなくてはなるまい…。

悔しい思いを、直接伝えることなくとも、心の中で悶々としているならば、それは伝えてさっぱりした方が良いだろう。

だが、世の中には、そうした感情を抱かない人もいる。
ただただ与えきりの人だ…。

2021年04月09日

苦手な先生

どうしてもW先生が苦手なのです。
嫌いなのです。
好きになるなんて、とんでもないです。

あの先生の、一言ひとことが、胸に刺さるのです。
心が揺さぶられるのです。

私は、あの先生の言葉が、どうしても納得できないのです。
反発心しか湧かないのです
どうしてあの先生そんなことを言うのだろう、という疑問と、意味不明ないやらしさと、嫌悪感しか湧かないのです。

だから私は素直になれません。
あの先生の言葉を受け入れられません。

言葉を聞くだけで、心がワサワサします。
心がドキドキします。
何だか分からない、怒りのような感情が湧き上がってきます。

丹澤先生、どうしたらいいんでしょうか。
W先生を好きになることなんて、私にはできません。



こんな訴えがあった。
「人の嫌な部分を見つけたら、その三倍、十倍、いいところを見つけたらいいんだよ。」
などという黄金律は、彼女には通用しなそうだ。

「どうして反発してしまうのか、冷静になって分析してごらん。」
なんてことも、思春期まっさりの今は無理だろう。

「今は、できるだけ距離をとって、あまり関わらないようにしてみたら…。」
友達ならまだしも、授業を担当している先生ともなれば、なかなかそうもいくまい。

人の嫌な部分が目につくときは、その嫌な部分を、自分自身が持っているからであるとも言う。

そうした分析は、大人になってからのことだ。

さて、どうしたものか…。

2021年04月08日

若手の先生たち

若手の先生たちが熱い。
今年度新たに担任になった先生方、その誰もが意欲的で情熱的だ。

「校長は、これを見越して担任につけたのか…」、と思う。
私たち老人たちは、時にハラハラしながら見守っているが、大方はうまくいっているようである。

何かトラブルが起こりそうだったり、いざ、というときには、もちろん全面的にで助けをする。

このあふれんばかりの情熱には、思い出がある。

私が初めて教員になるべく教育実習に行ったとき、今は亡き恩師のH先生は、「若いときは情熱しかないんだ。それでやっていくしかないんだ…」、と仰った。

若さを当たり前としていた当時には、その真意は100%分からなかったが、今なら分かる。

経験少ない教員が、生徒と全力でぶつかっていくには、やはり『情熱』しかないのだろうな、と思う。

情熱さえあれば、多少失敗だって、挽回できる。
うまく指示できなくても、上手に教えられなくても、時に間違ってしまっても、情熱はそれを打ち消すに十分すぎるパワーを持つ。

そう考え、自らを振り返ってみると、「あの頃の情熱は薄らいでいるな…」、と改めて思う。

だからこそ、担任をやっていはいけないのだろうし、重要なポジションについてはいけないのだろう。

「サラリーマン教員は嫌だ」、と、あれほど思っていたのに、やっていることはサラリーマンになっているかも知れない…。

若手の先生には、要所要所でコツをアドバイスする。
彼らの経験値が上がってゆけば、いつかは大きな戦力になる。

こうして、時代は流れてゆくのだろう…。

情熱的な若手の先生方、がんばれ!




2021年04月07日

入学式

入学式はめでたい。
別れではないので、私もあまり泣かずに済む。

もっとも、自分が担任をしていた頃は、入学式後の最初の学活で、保護者を前に涙を流すことはあった。

「こうして、この学校に入学できたことは、もちろん君たちの努力もありますけれど、それ以外にたくさんの人の支えがあってのことです。特に、ここまで育てて下さったご両親は、今日は、是非『ありがとうございます』と、伝えて下さい。恥ずかしいかも知れないけれど、直接、伝えて下さい。ご両親は、君たちを心の底から愛しています。本当に愛おしく思っています。君たちの幸せが、親たちの幸せなのです。金銭的に厳しくなって、君たちには美味しいものを食べさせても、自分たちは食べない。お母さんは食べないの、と聞かれても、お腹空いていないから、って応えるんです。それが親なのです。そうした親に十何年か育てられて今日があるんです。だから、その感謝の気持ちのほんの少しなりとも、言葉で伝えましょう。」

そんな愛され続けた子どもたちを学校ではお預かりする。
出会いの縁とは不思議なものだ。
今まで、全く知らなかった人と、新年度に出会う。
生活習慣や育ってきた環境も違うので、統一のルールのもとで生活するにはなかなか大変なこと。
そうした中で先生方は四苦八苦するが、時々親の愛を忘れてしまう。

だからこそ入学式にこそ、先生方は親の愛を感じなければならないのだろう。

粛々と行われた入学式後、前野球部のキャプテンの母親が訪ねてきた。
大方は、三年間の感謝であった。
いろいろ苦情の多い親だったが、私には感謝の言葉しかなかったのは、息子であるキャプテンが私を悪く言わなかったのだろう。

「今回のことを通して、本当に子どもに救われました。私の心が狭かったことを、子どもから教わりました。」

そんな風に伝えられた。
微かに私を信用してくれたのかも知れないし、ほんの少しだけ、私たちの学校が仕事をしたのかも知れない…。

こんな風に、親も成長していく。その姿を見て、子どもも成長していく。
そして、先生たちも成長していく。

皆が成長していくのが、学校という場なのだろう。

入学式は、いろいろなことを教えてくれる。

2021年04月06日

カカオ88%

「来ましたよ…。」
そう言って、私の研究室にT君がやってきた。
3月末から二週間近く会っていたなかったので、とても嬉しい。

「丹澤先生、数学の宿題の解答って、配りましたっけ?」
などと寝ぼけたことを言っている。
3月中にとっくに配ったていたのだが、本人は忘れているらしい。
解答がないものとして、懸命に解いていたようだ。
「まだ、全然終わっていないので、ここでやっていきますね…。」

いつもは遊びながら勉強しているT君だが、今日は真剣そのもの。
4月からはいよいよ高1なのだ。

「このチョコレート一人では消費しきれないので、一緒に食べましょ。」
「何だ、苦くて食べられないのか…。」
カカオ88%のチョコレートは、T君にはまだ少しずつしか食べられないらしい…。
「まだまだ子どもだなぁ…。」
「子どもですよ…。」
この時期の生徒は、都合のいいときだけ大人になったり子どもになったりする。
私の好きな、黒ごまきなこ牛乳を作ってみる。
いつもは、私がT君に作ってもらっているものだ。
「全然、甘くないんですね…。」
「そりゃそうだ。このきなこには砂糖が入っていないんだから…。」
「普段食べるきなこは、砂糖がドバドバ入っているんだよ。」
「知ってますよ。今度僕が作るとき、砂糖、入れましょうかぁ。」

T君は、たびたび私を助けてくる。
ほんとうにありがたい存在だ。

彼の両親が大切に育て、5月には十六歳になる。
あと三年、この学校で高校生活を送る。
新年度になって、またT君と関われることになったのは嬉しいことだ。

どんなことでも、T君は私に臆面もなく聞いてくる。
そのたびに私は正直に何でも答えている。
「丹澤先生は経験が豊かですからね…。」

彼とは何でも話をする。
そういう生徒は、数年に一度現れる。
T君もその一人だ。
生徒ながらも大人の会話ができるのが何だか面白いし、幸せな気持ちになる。

私は元来、寂しがり屋なのだろう。

ちょっと幸福になったひとときだった。



2021年04月02日

仕事始め

新年度が始まった。
仕事始めの今日、学年主任からの方針発表があった。
中1から高3まで、各学年主任が熱弁を振るう。

こんなにもポジティブで、目標が明確で、さらに意欲的ですばらしい発表は初めて聞いた。
学年主任6人の発表を聞きながら、「もし私が間違って学年主任になってしまったら、こんな素敵な発表ができるのだろうか…」、などと考えた。

私が教員を志したのはかなり早いのだが、大学生くらいになると、頭の中で授業の場面をいろいろとシミュレーションするようになった。担任になったら、あれをやろう、これをやろう、こんな工夫をしてみようなどなど、そんな思いを大きく育てながら、教員になったのだ。

実際、担任や学年主任をやっていたときも、毎日、いつでも、考えていることは、どう生徒と関わるか、授業や学年をどうするか、ということばかりだった。

しかし残念ながら今は少し違う。
なんとなく彼等と距離がある。
教員としてやりたいことが見つからない状態なのだ。

だから最低限の仕事しかできず、覇気もなく、老害となっているのだが、「いやいやそうではいけないな…」と、彼等のスピーチを聞いて反省した。

人は思いで仕事をする。
その人がどんな人生を生きるかは、その人の志や念いによる。

今、私の関心事が、少し教育から離れてしまっているのかもしれない。

以前、『教師塾』と称して、ベテランの先生が若手の先生にアドバイスがてらその技を伝授する機会があった。

私は講師としてその場に立ち、一時間弱熱弁を振るった。
終了後、若い女性の先生が言う。
「丹澤先生! すごすぎます。私には先生のように実践するのは無理です。まずはその十分の一くらいできれるように目指します。」

その女性の先生もこの春ご結婚された。
来春、担任している高3を卒業させたら、もしかさいたらご退職されるのかも知れない。

新年度、今年こそ奮起せねば…。

2021年03月19日

中学卒業式

いよいよ中3が卒業だ。
例によって、私は写真撮影係。
朝から心を落ち着かせて、会場に保護者が入ってきても、気持ちを整え、式を待つ。

中3の学年所属であり、あるクラスの副担ではあるが、このところあえて教室には行かなかった。生徒たちの念いが担任に集中して欲しいと思ったからだ。

私が教室に行けば、担任もクラスの生徒も私に気を遣う。
そんな中で、中学校最後の日を迎えて欲しくなかったのだ。

式は、粛々と進んだ。
高校の卒業式時にうまく撮影できなかった教訓を生かし、式の最中、私はあちこちと動き回り、集中して失敗することなく、撮影できたはずだ。

今年の中3は、式の終わりに合唱を行った。
校歌斉唱の前に、混声四部合唱「仰げば尊し」を壇上にて披露したのである。

前日リハで聞いていた私であっても、彼等の思いのこもった歌声には、涙した。
いつもながら、オートフォーカスで良かったと思う。
卒業に際して感謝の思いを大きく抱きながら一生懸命歌っている彼等の歌声は、誰もが涙しただろう。

彼等は式後に、学年の先生と保護者を集めて、再び合唱を披露した。
自分たちで練習したポップスだが、その歌声も見事だった。
その歌でも写真を撮りながら泣いた。

その後教室で最後の学活なのだが、私は一切教室には行かなかった。

最後の学活は担任とクラスの生徒だけでいい。
もちろん、教室に行けば、泣いてしまうだろうから、それも辛い…

式後、私は早々に写真をサーバーに取り込み、退散した。
「丹澤先生、教室に来て下さいね…」という担任の声を無視して、逃げるように消えた。

やはり卒業式は苦手である。
私の傷心を癒やしてくれた彼等。
彼等のバイタリティと笑顔と優しさが、私にエネルギーを充電してくれた。
もう一度立ち直る力を与えてくれたのだ。
そう思うと、ただただ涙が溢れてくる…。

ありがとう。
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