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2021年02月19日

卒業式が近づくと…

卒業式が近づくと、何だかもの悲しくなってくる。
今年の高3は、学位主任や担任をした訳ではないが、卒業生の中に、今や心を許せるY君がいるのだ。

Y君とは中1の頃から関係が深くなり、毎日質問に来るようになった。
そのうち、コンピュータープログラミングを教えた。
中2から不登校になったときには、毎日のように食事も作った。
中3になるときに転校。そして高校から再度入学してきたのだ。
野球部も手伝わせたし、高校生になったときにはコーチも頼んだ。

中2で学校をやめたときは突然だった。
いきなりいなくなった。

今回は卒業なのだが、さすがに少しずつながらも、毎日じわじわと悲しみと寂しさが大きくなってくる。

「もういなくなるんだろ…。」
「卒業ですよ。もう一年くらいここにいたいですけど…。」

Y君はたぶん浪人。
この先また受験勉強を続けるのだろうから、卒業後にはなかなか顔を出すことは難しいかも知れない。

少しの期間だが、彼の人生に関われたことは嬉しい。

教師という仕事は、「自分が生徒になしたことは忘れる」ことが求められる。
「いつまでも自分が、自分が…」、というのは醜い。

ふと思い出したときに、泣けてくる…。

だから卒業式は嫌いだ。

Y君が中2のとき、あまりの過酷さに担任のH先生が退職した。

「卒業したらH先生にメールくらい出せよ。」

「分かってます…。」

多くを語らずともお互いその意味を知っている…。

2021年02月18日

授業料

私立の学校では、授業料をいただいて運営している。
だが、保護者の中には財政的に厳しい方もいて、大抵何人かの方が、滞納になり、入金催促を受けている。

いちばん問題なのが、卒業間際の滞納である。

私立学校では、学納金が滞納されていると卒業証書を渡すことができない。
無情のようだが、法的にはそのようになっている。

私もかつて努めていた学校で、高3を卒業させる際に、滞納であることを知らされ、私自身が払おうとまでした経験がある。
生徒のことを考えたら、そうした思いが湧いてきたのである。

私立学校で系列高校がある場合の中3では、さらにややこしくなる。
卒業証書を渡せないということは、中学校の卒業を認めないということになり、そうすると宙ぶらりんの状態になって、高校進学もできなければ、公立に転校することもできない。
公立では、すでに卒業状態になっているので、卒業式を終えた3月に籍を置くことすらできなくなるのだ。

今回の生徒は、夫婦が離婚。父親が学費を払う約束になっていたが、仕事がうまくいかず滞納。そこで母親に連絡したが、「私は出せません」と、ややこしいことになった。親権は母親が持っている。

選択肢は二つ。父親ないし母親が滞納分を納入するか、2月末で公立中に転校するか、である。転校した場合、相手校に迷惑がかかるが、卒業は認められることになる。ただし、高校進学では、困難をきたすだろう。

父親と母親がお互いに責任をなすりつけ合い、子供を犠牲にしてしまった状況になってしまった。

子供の方は、そんな状況を知る由もなく、そのまま系列の高校に進学するつもりでいる。

当然高校へ進学しても学費問題は消えるわけでないだろう。

中学までは義務教育なので、親は教育を受けさせる義務を負う。
その責任を果たさなくてはならない。

財政的にきつくても、何とかしなくてはいけないのが親だ。

その苦労はいずれ子供も知ることになるだろう。

そうやって子供は成長していく…。

2021年02月17日

褒め殺し

数学科の教科会を利用して、昨日行った私の研究授業の反省会が行われた。
この歳になると、授業に対して何を言われても動じないのだが、それでも何か私が忘れていること、気づいていないことが聞けたら、私自身、学びになるというものだ。

若手の先生たち、ベテランの数学科の先生たちと、十人近くの先生方が、私の授業を見に来てくれたが、皆が口をそろえたように、私の授業を褒め称えた。
私自身が、「そんなに持ち上げなくても…」と思うくらいで、まさに褒め殺し…。

「いや…ものすごくテンポ良く授業されて、生徒たち全員を引っ張っていますね。私もこんな授業をしてみたいです。」

「スモールステップのプリントは秀逸です。これはお手本にすべく、記録しておくべきです。」

「W君が解けていないって、近くでノートも見ていないのに、どうして分かったんですか? 霊能力ですか?」

「授業の雰囲気が最高ですね。まさに一体化しているというか、本当に生徒との信頼関係を気づいているんですね。」

「キーワードが良いですね。みんな解けるようになっちゃうんですね。」

褒めすぎである。

だが、私も楽しく授業をしたことは事実。
ちゃんと一時間に収まるように、普段の授業よりは雑談(教養話)は、控えめにしたことは事実だ。

「丹澤先生の授業は、若手の先生は絶対に見て勉強すべきです。」

昨今、自信を失いつつあった私にとては過分の言葉である。

もはや、授業が最後の砦となりつつある昨今、研究授業ができて良かったのかも知れない。

ふと、「私はこれで教員として生きて生きたんだな…」、と思い至る。

あと何回、教壇に立てるか分からないが、一回一回の授業を大切に、生徒たちとの関わりを楽しんでゆきたいと思う。

若手を育てるということが、私にとっての最後のご奉公なのかも知れないな…。

2021年02月16日

研究授業

久しぶりに研究授業を行った。
もしかしたら、数年ぶりかも知れない。
生徒による授業評価が高い先生が、授業を公開せよ、とのことで、中2の中位のクラスの授業を公開した。

公開と言っても、普段の授業と変わらない。
別によそ行きの授業をするわけでもない。
いつも通りの授業をするだけなのだが、私自身、少しだけ意識して、普段はほどんど作らないプリントを作った。

テーマは「二次方程式を平方完成して解く」というもの。
解の公式を教える前段階の大切な分野である。

上位クラスならば、さっと説明して終わりだが、中位のクラスでは、丁寧にスモールステップで進めなくてはいけない。
そこで、スピードアップのため、あえて例題プリントを作ったのだ。
その数18問。例題として解説しつつ、時折生徒たちにも解かせる。

「2乗を外すと、プラスマイナスルートがつく」
私は、毎回の例題のみならず、授業時間中に何十回と、この言葉を言う。

単純なx2条イコール数値の問題から、括弧の2条、因数分解を必要とするものと、段階的にレベルを上げていく。

平方完成の説明では、「xの係数を半分にして2乗を引く」と、何度も叫ぶ。
「半分(×1/2) −2乗」と色字で書き込むことがポイントである。

2次方程式を解くに際して、さまざまな注意点を織り交ぜつつ、最終的にはx の係数が奇数の平方完成までやる。

「あら、けっこう理解できてるじゃない…。」
私の率直な感想である。

本当は、平方完成をすっ飛ばして、いきなり天下り的に解の公式を教えようかと思ったが、彼らに教えて良かった。
おそらく全員がこの方法で2次方程式を解くことができるようになるだろう。

授業開始時、見学に来ていた先生は一人もいなかった。
「丹澤先生、見学の先生、誰もいませんよ。」
生徒が余計なことを言う。

「俺、嫌われるからね…。」
などと自虐的に語っている中で、少しずつ先生たちがやってきた。

こんな風に授業を見学するのは本来あってはならないと思うのだが、昨今の私は、そうしたことも気にすることがなくなった。

自分は楽しく授業ができればいい…。

2021年02月13日

総合学習の発表会

中3で総合学習の発表会を行った。
たくさんの保護者が来校し、地元の教育委員会や地域の方の視察があった。

私は今日も撮影係だったが、今日の発表会でも、私はよく泣いた。
最近、すぐに涙が出てくる。

中3の学習テーマは「世界情勢」である。
彼らなりに世界で起こっている問題点を挙げ、その解決策を探るのだ。

学年から6人の代表発表ののち、12のグループに分かれての発表。
発表は中2も聞く。

今回の代表発表のタイトルは以下の通り。
1)映画界に迫る闇
2)イスラム改革
3)国民の自由
4)真理のもとの豊かさとは
5)Why are you suffering?
6)全体主義国家 中学を変えるために日本のすべきこと

どれも秀逸だった。
特にハリウッドがすでに中国の支配下にあり、中国に都合の悪い映画が作られないようになっているという指摘には脱帽した。

彼らがこれらのテーマを選んで研究したということは、どこか心の奥底にそうした分野を「何とかせねば…」といううずきがあったものと思われる。
それを感じつつ、志を織り交ぜながら語る彼らの発表には感動した。

視察に来られた方に講評をお願いしたが、これもいい話だった。
さすが、長く教育に携わっていた方という話しぶり、生徒を励ましつつ激励する様は、見習わなければなるまいと思ったほどだ。その話は、思いやりにあふれ、私はまたして涙したのだ。

私の学校では中学から高校まで、こうした総合学習を行っている。
発表能力や研究姿勢はもちろん、日本や世界の現状を知り、その問題点と解決策を探る中に、創造性も培おうというものだ。

きっと彼らは将来活躍していくに違いない。

それを思うと、私はまた目が潤んでくる…。

2021年02月12日

模擬授業

卒業生のA君がやってきて、模擬授業をした。
来年度の採用が決まっている若者で、教科が数学だったので、教科で模擬授業を評価することにしたのだ。

A君は私の教え子である。
中学時代は野球部で活躍した生徒である。
高校は系列校に転校してしまったが、とても感じの良い生徒だった。

肘が痛いと言えば、良いと評判の整体に新幹線に乗ってでも連れて行った。
人生を語り、いろいろなことを教えた。

中2、3のときは、私が担任でもあったのだ。

中2の1月。野球部でスキーに出掛けた。
そのとき、A君はアイスバーンになった斜面で一回転し、足の骨を折った。

その後手術が何度かあり、私は何度も病院に通った。
たくさんのビデオメッセージも作って送った。
結局中3の最後の夏の大会は、足にはボルトが入ったままで、任せていたキャッチャーをやらせることができなかった。

その後しばらくスキーには行けなかった。

そんなA君が、大学を卒業し、7年ぶりに戻ってきたのだ。

模擬授業は素晴らしかった。

先生方の評価も高かった。
「明日から、私と変わって欲しい」とさえ言う先生も何人もいた。

「何となく、丹澤先生の授業と似ていますよね。」
という先生もいて、私は思わず吹き出した。

私は、A君を余り教えていたかった。
彼は、私の担当クラスではなかったのだ。

私は、何だか涙が止まらなかった。

「戻ってきてくれてありがとう。」
という感謝の気持ちがぐっと湧いてきたのだろう。

私にとっては、A君の授業などどうでもいい。
おかしな授業をするとは思っていなかったからだ。

そんなことよりも、戻ってきたことが嬉しくて嬉しくて、ただただ感動。

もうこれで、私もいつでも引退できる。

授業後、「こうやって板書を消すんだよ」、と実際にやって見せた。

「じゃあ、また…。」

大して話をすることもなく、その日は別れた。

また会える日が来るのだろう…。

多くを語らなくとも、A君には私の気持ちが伝わっているに違いない。




2021年02月11日

老害

もう三十年くらい前になるだろうか。私が新人教員だったとき、年配の先輩方の仕事ぶりを見て、「もっと一生懸命やればいいのに…。何だかサボっているようなだな…」、と思ったことを思い出す。

当時の私はギラギラしていたのだ。
十年ぶりの一発専任で教員になり、他の講師たちや、従来の先生たちの目が厳しかったこともある。もちろん、憧れの教員生活に燃えていたということもろう。
「教師たるもの、命懸けの真剣勝負、全身全霊で仕事に臨むべきだ」と思っていたのだ。

だから、毎日の仕事に対しても、「まだまだ、まだまだ…」、と自分自身でハードルをあげて、頑張っていたように思う。

そんな自分のことしか考えられない状態だから、ベテランの年配の先生方の鈍い動きには、違和感と共に嫌悪感すら感じていたのだ。その上、そうした人たちが組合活動をして、生徒ほったらかしの様子を見て、さらに嫌な気持ちになったものだ。

その昔の話を思い出すには理由がある。

今の私自身が、当時の年配の先生方と同じ状況なのだ。
退職をカウントダウンし、面倒なことから逃れ、できれば静かにしていたい、という初任の頃見たその姿が、今の自分自身の姿なのだ。

おそらく若手や中堅の先生方から、「丹澤先生はどうして働かないのだろう」と見られているはずだ。

時折、念波が飛んできて、私の夢にまで出てきて、仕事をしないことを責められるくらいだから、相当なものだろう。

ひとたび戦意を喪失した動物は、再び立ち上がることは難しい。

これが今の私の状態なのだろう。

まさに老害である。
余計なことや、文句は言うくせに、自分では動かない、厄介者である。
学校現場という組織にとって、役立たずの存在でもある。

「何かお役に立たないとな…」、とは思ってはいるが、今ひとつ力が湧いてこないのは、なぜだろう…。

2021年02月01日

体験入部

土日に来年度中学校に入学することになっている小6のK君が体験入部に来た。
来たと言っても、高校野球で体験したのである。

「硬式をやりたい」、「甲子園に行きたい」という親子共々の希望を叶えるため、学校として、できる限りのことをするのだ。

昨日の日曜日、中学野球も高校野球の練習の隣で練習していたのだが、その中でもK君は、高校生と一緒に硬式でノックを受けていた。

私も親御さんと少し話をした。
はじめは、中学校で野球部を盛り上げよう、という話でだったが、今日になって、「近くのボーイズに入って活動することにした」、と高校の部長先生から聞いた。

ボーイズに行けるのは土日だけだが、普段は高校野球で面倒を見ると言う。
当然、中学の野球部には入らない。

その話を聞き、私は一日落ち込んだ気持ちになった。
せっかくの経験者なのに、とても残念である。

きっと私と話をする中で、「この指導者には任せられない」と思ったのだろう。
また、あまりに下手くそな中学野球部の練習を見て、幻滅したのかも知れない。

いずれにせよ、私の責任であろう。

そう、思えば思うほど、自分自身が情けなくなり、何だか力が抜けたような一日になった。

「いろいろ面倒なことになるな…。」
私は、野生の勘でそんな風に感じている。

ふと、今の野球部のキャプテンの父親の言葉を思い出した。
「弱いチームでかまわない。そこでどう鍛えられるか、どう伸びていくか、子供たちの成長をそこで見いだしたい。」

K君の方は、甲子園やプロ野球選手を親子して夢見ているのだろう。

「なんだか振り回されそうで嫌だな…。」
私は、そうも思う。

いよいよ面倒なことになってきた。

2021年01月28日

朝の日課

出勤するとまず中学の校内を回り、教室の解錠と窓開けを行う。
悪天候で、雨雪が吹っかける時以外は、大抵窓を全開にする。

今の時期、外は氷点下なので、朝の冷たい空気が教室の空気を一変させるのだ。
感染症対策の換気という意味もあるが、それよりも教室の磁場管理である。

私は、担任でも学年主任でもない。
だが、「教室が生徒たちの『学びの場』であり、『生活の場』である限り、環境を整えておきたい」、という気持ちがある。

同僚にも7時40分の打ち合わせ時間ギリギリに出勤する人もいるが、少しでも彼らの手助けになることができれば、それでいい。

夜型生活の人には、朝は辛かろう。幸い、私は朝型だ。
夜型の彼らは、きっと深夜まで仕事をしているのだろうから…。

毎朝教室に入ると、それこそ磁場というか、教室の感じが分かる。
机や黒板の乱れだけではなく、教室の空気というか、その雰囲気を感じることができるのである。

時折、「こりゃ、まずいわ…」という教室の磁場を感じることもあるが、それでも窓を開けると、大方改善する。

以前知り合いの霊能者、に、「運転中、不成仏霊が車に乗り込んできたときは、どうしたらいいですか」、と尋ねたことがあったが、そのときも「窓を開けるといい」、とアドバイスされたことを思い出す。

どうやら空気の流れは、その場所を浄化する効果があるらしい…。

日直の先生で気が利く人は、いつも私が開けていることを知っているので声を掛けてくれることもある。

迷惑そうに思われることもあろうが、私のささやかな奉仕活動の一つとして、出張で学校にいないとき以外は、日課として続けている。

最近、「私は、この職場で役になっているのだろうか」、と思うことが頻繁にある。

私の朝の日課が、ささやかな愛として、流れていくといいな、と思っている…。

2021年01月27日

心乱れる…

大学受験料を支払いたいという生徒がいたので、コンビニに連れて行く。
今や、ネットで出願して、コンビニで支払いができる世の中た。

「丹澤先生、あと一ヶ月で俺、卒業ですよ。」
受験まっただ中のY君が感慨深く言う。

「できたら、もう一年ここにいたいんですけどね…。家で浪人するのはキツいんで…。」
なんだよ、もう浪人覚悟か…、と思ったが、私は何も語らなかった。

Y君が卒業する学校には、もはやあまり未練がない…。

運転席にいた私を発見した中1の学年主任のM先生が、私に手を振る。
満面の笑顔が素敵だった。
まるで天使に見えた。

私は、ぐっと感謝の思いが湧いてきた。
「今まで、大変お世話になりありがとうございました。ご一緒させていただけて、楽しかったです。」
心の中でそうつぶやき、思わず合掌したくなった。
涙も出そうになった。

最近、こんなことが多い。
自分は学校ではあまり役に立たない部類の人間だが、それでもたくさんの人たちにお世話になったことは間違いない。

中3の授業中、「2年間君たちの学年にいたけど、私は君たちに救われたよ。ありがとう。あと一ヶ月半くらいだけど、よろしくね…。」

これ以上話すと泣けてくるので、そこで話をやめた。
確かに、彼らに救われた。
「もうひと頑張りしよう」と思っているときに、私に寄り添ってくれたのは彼らだ。

数学科の教科会で、「来年度新人が来るかも知れません…」と主任が言う。
ふと、「私の代わりかしら…」と思ってしまう。

退職するとは決めていないのだが…、なんとなく周囲がそんな雰囲気になっていく。

そうした状況を引き寄せているのは、ほかならぬ私自身なのだが…。




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