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2020年12月19日

指導者講習会

久しぶりに野球の指導者講習会に出かけた。

今年は春の一斉休校から新年度が始まった関係で、地区の野球部の顧問が一堂に会すのは、初めてであった。

指導者講習会と言いながら、「春の大会のシード決め試合の抽選もします」、と言うのだが、なかなかエグい。

今回の講習会の講師は、県内の中学校の教頭先生。
これまで作り上げたチームを必ず強豪チームに育て、全国大会へ進めた実績を持つ先生せいだ。

彼の言葉は、経験に裏付けられた自信に満ちていた。
「あくまで私の考え方ですが…」、と前置きをしつつも、その考え方は大変勉強になった。

来春定年退職だそうで、なんとも60歳で現役を引退してしまうのは、もったいない感じもする。

と、同時に、「私と数年しか離れていないのに、ずいぶん実績が違うものだな」、とも思った。

彼もまた、野球経験者はない。
それにも関わらず、学びと経験を重ねてそうした実績を上げている。

野球は結構難しく、複雑なスポーツだが、すべての理由には根拠がある。
まさに原因結果の法則がきちんと当てはまるのだ。

「まずは、生徒たちの『心』を鍛えるのです。それがなければ、この先に積み上げるものはすべて崩れ去ります。次は『体』です。そして、その後一番最後が『技』です。心技体ではなく、心体技なのです。」

具体的な事例を踏まえながらの話は白熱し、予定時間を過ぎても続いたくらいだ。

この経験が来春には途絶えてしまうとなるならば、私たちはたくさん吸収しておかなくてはならないものなのだろう。

珠玉の言葉を大切にして、我がチームにも活かしてゆきたいと思う。

大変学びになった…。

2020年12月16日

スポーツ大会

このところ中3が中心になって中学校全体でスポーツ大会をやることが恒例になっている。

中3にリーダー経験を積ませることが目的だが、中学校全体で「遊ぶ」機会も、極めて少ないので、ある意味、貴重な機会になっている。

寒波が襲来して今年のスポーツ大会日の天気予報は雪。
朝から雪が降り、あっという間にグランドも白くなった。
それでも、熱い中3たちは、午後からの晴れを祈り、きちんと準備した。
もちろん種目も彼らが考え、そして縦割りの4班を作った。

彼らの願い通り、午後には晴れ間が広がった。
ただし気温は3℃くらい。雪下ろしの北風が冷たい。
それでも、彼らの熱気でグランドは熱かった。

リーダーはH君。
これまでは人前に立って何かすることはなかった。サッカー部でも、後輩たちから「怖い」と恐れられ、リーダーシップを発揮することができなかったのだ。
それが今日は違った。
見違えるようだった。

トラブルがあっても動じず、最後まで立派に運営を務めた。
彼ら生徒の成長した姿を見るのは、とてもうれしい。

今回は、H君以外にも何人かのリーダーがいたが、徹底的に後輩たちのサポートをし、かつ献身的であった。

私の学校は高校生も一緒に生活しており、行事も同じなので、意図して機会を作らないと、中3がリーダーをするのは難しい。
それでも昨今は、高校生になってもさらにリーダーシップが発揮できるよう、こうしば場を多く作るようにしている。

中1は楽しむだけだったろうが、危機を感じたのは中2だ。
彼らは、「来年自分たちにできるだろうか」、と畏怖しつつも、中3に感謝していた。

こうして良い伝統が引き継がれていくのだろう。

私はまたしても撮影係。
特に割り当てられた仕事ではなかったが、彼らの勇姿を撮ってあげた。

グランドの砂埃でカメラはメンテナンスが必要になりそうだが、それでも幸せなひとときになった。

2020年12月12日

合唱コンクール

今年の合唱コンクールは、中高同日開催になった。
従来、9月の文化祭のときに高校の部を行っていたが、コロナ対策の一環として、12月に延期したのだ。

そのため、午前に中学部、午後に高校の部という具合に、一日に二回開催することになった。

私はいつも通りの写真撮影。

「丹澤先生、先生にもまた審査員をやってもらいたいんだけど、そうすると写真撮る人がいなくなっちゃうから…。」
と、責任者の先生が言う。

そうか、私は写真撮影要員だったのか…、と改めて確認。

「私は、先生の撮った写真しか見ませんし、使いませんよ。だって、丹澤先生の写真、いつも素晴らしいんだもの…。」

こうなってくると、フォローしているのかどうか分からなくなってくる。
いずれにせよ、今回も数千敗の写真は撮った。

さて、主役の合唱だが、今年はなかなか良かった。
特に中3がよかった。

以前にも紹介したが、学年合唱の『大地讃頌』は、よく仕上がっていた。
「こんなの人に聞かせられないよ…。」
と、二度ばかりあった人前での合唱のあと、辛口批評をして、じっと彼らの成長を待っていた甲斐があった。

このくらい歌えれば、文句は言われまい…。

中2も中1も良かったし、午後の高校の部、特に高2は秀逸。

ただ、今回涙が出てきたのは、中3のあるクラス。
惜しくも準優勝になったが、今年は外部審査員が多く、ちょっと違う視点での審査になったようで、実際は僅差だったと思われる。

ぎりぎりまでプレッシャーに負けそうになり、伴奏をやるだのやらないだの言っていたA子が、終了後泣き出した。

記念撮影をする段になっても泣いているから、私は、「いつまでも泣いてるんじゃない!」とたしなめた。

「俺を泣かせてクラスは、お前たちだけだ…。」
と、励ました。

いい合唱コンクールだった…。

2020年12月03日

パソコン不調

このところ私が職場で使っているノートパソコンが不調である。
おそらくSSDの一部に致命的なエラーがあり、システムがそこにアクセスしたときに、フリーズするのだろう。

こんなことが試験前に起こり、私は試験問題作りに非常に苦労した。
そのメインとなるパソコンには、たくさんのソフトが入っているのだが、昨今は、ワープロソフトも表計算ソフトも立ち上げることが難しくなった。
それらを立ち上げると、ブルー画面になる率が高まる上に、使用中に頻繁にフリーズする。

そこで、臨時にもう一台のパソコンをつなぎ、少しずつソフトを移し、なんとか乗り切ろうとしたのだが、肝心の数式作成ソフトがインストールされていない。仕方なく、自宅のパソコンをリモート操作して、なんとか試験問題は作ったのだが、実は自宅パソコンもグラフィックボードの不調なのか、突然画面が消える。おかげで一日一回くらいは強制再起動が必要になっているのだ。おかげで試験問題作成中も、何度も落ちた。

試験前日の今日、試験問題を印刷しようとファイルを呼び出したところ、三つのうち二つの試験問題が途中で消えていた。すでに三つは印刷済みだったが、試験最終日の試験問題が作成途中に戻ってしまっていたのだ。

これには焦った。
私の学校では、試験問題提出の期限はないが、前日までにできていないことはこれまでの教員人生で一度もない。実際は作り終えていたのだが、気づいたら消えていたわけだ。

慌てて、思い出しながら再度問題作成をする。
こんなにバタバタしたのも、初めてのことだ。

結局、事なきを得たが、問題に若干のミスが出た。

今回は、早めに試験問題を作り始め、余裕があったはずなのにトラブルが起こってしまった。

生徒たちは知る由もないが、ちょっと焦ってしまった。

「最後は手書きかぁ。」
そう言えば、教員なりたての頃は、そんな試験もあったかなか…。

ずいぶん長い間、教員をやっているように感じた。

2020年11月24日

人の話を聞けるか

学校の勉強で成績が良いかどうかは、『人の話を聞けるか』どうかにかかっているといって良い。

数学で中位のクラスの授業をしていると、そのことを如実に感じる。
私の性格上、大切なことは何度も繰り返して説明するし、全員が聞く姿勢になってから話をするのだが、このクラスはそうした準備をしても、話が聞けない。
そうした話を聞けない生徒は、私の隙をついて話をしたり、話に集中せずに別のことを考えていたり、先ほどやっていた問題を集中して解いていたりする。

「先生の話を聞けば、必ず数学が説けるようになります。点が取れるようになります。」

たいていどのクラスでもそんな風に生徒たちに訴えかけるが、中位のクラスの生徒は、「自分がきちんと話を聞いていない」、という自覚がないのだ。

切り替えが下手なのか、一つのことをやっているときには、他のことが一切目に入らなくなってしまうのか、それとも、そもそも集中力がつづかないのか…。

一方上位のクラスの生徒たちは、私の話をよく聞いている。
ぼそっとしゃべった何気ない話題についても、彼らは記憶しているのだ。
当然、授業中も「聞いて理解する」ということに全神経を集中しているようで、たいてい一度の説明で、ほぼ全員がクリアする。

もちろんその中でも、「落ちこぼれ」的に、私の話を聞けないせいとも数名いるようではあるが、そうした生徒たちも、説明後に必死で追いつこうとしている。

およそ、前に進んでいこうという態度の勉強方法ならば、向上への道を歩んでいると言ってもよい。

「教えやがれ、このやろう!」的な話の聞き方から、一字一句聞き漏らすまいとする話の聞き方とでは、天と地ほど違うものだ。

考えてみれば、このことは大人の世界でも適用される。
仕事仕方にしても、日常生活にせよ、「聞く」、「知る」、「判断」というルーチンが確立されている人とそうでない人では、『安心感』が違うものだ。

だから、「この人に任せておけば大丈夫」という仕事をぶりの人もいれば、最初から最後までフォローしたり確認したり、チェックしなくては仕事を任せられない人もいる。

もしかして、授業中の姿勢が、そのまま大人になっても効いてしまうのだろうか。
もって生まれた性格のようなもので、そうそう変われるものではないのだろうか。

時折、「先生、どうやったら成績が上がりますか?」、と尋ねられることがある。
そのときに決まって私は、「人の話をよく聞くことだよ」。と答えている。

なるほど、人間には聞き方のレベルがあるようだ。

2020年11月18日

インナーマッスル

野球部では中高合同で、月一回、近隣でジムを開いている元ボクサーに、トレーニング指導に来てもらっている。

今回は、久しぶりに中学生も参加し、高校生とともに一時間強、トレーニングを行った。
中学生高校生とも、毎月のトレーニングに憧れて、今回初参加した人もいる。

この季節でも、トレーニングのあとは、汗だくになるのだから、そうそう簡単なトレーニングではない。

一つのメニューが終わると、息つく暇もなく、次のメニューが与えられ、さっとスタートしてしまうので、生徒たちも、「ぎゃーぎゃー」言う暇すらないのだ。

それでも彼らは必死でついてゆこうとする。

以前も紹介したが、高校生は中学生の目があるので、いいところを見せなくてはいけないと思って頑張るし、中学生も、高校生の目があるので、甘えたり手を抜いたりできない。
お互いが相乗効果となって、いいトレーニングが行われている。

私は、高校の監督とおしゃべりしながら、彼らの頑張りを見ているのである。

このところ、こんな感じで、中高連携しながら野球部を育てている。

中学野球は高校野球の大切な供給源でもあるし、中学生から高校野球あるいはそれ以上を意識して選手を育成することができてば、この先面白いではないか。

私はこんな時でも、「彼らがどれだけ言われたことを忠実にやろうとしているか」を見ている。そして、「何秒間耐えよ」と言われた指示を、どれだけ根性で頑張っているかも見ている。

手を抜いたり、途中で諦めたりしていないかを、何も言わずに観察しているのである。

やはり何事も手を抜かずに一生懸命な選手は、どんどん成長している。
自分に負け、誘惑に負け、苦しさに負け、甘えに屈した選手は、伸び悩む。

自分が一緒にトレーニングしたら、数日後から全く動かない体になってしまいそうだが、見ていて指導方法は参考になるし、自分の勉強にもなる。

一番大切なインナーマッスルを鍛えることで、野球にも生かそうという狙いである。

その中で、いろいろな副産物も生まれている…。

練習後ある選手が「前回よりは大分楽になりました」、と言った。

それなりに進化しているのだろう。

2020年11月13日

ALTの先生

私の席の隣に来るALTのT先生は、私よりもかなり年上の方である。
もしかしたら15歳くらいは離れているのではないか、とも思う。

そんなT先生は、週に3日ほど私の学校にやってきて、中学高校の英語の授業の補助に入る。生徒からすれば、外国人の先生の英語を授業中に聞き、話すことができるのである。

コロナ下で、多くのALTの授業が停止になっているとのことだが、うちでは関係なく行われているのだ。

ふと、T先生の生活について考えてみた。
私の学校に来るまで、おそらくは2時間近くかかる。それが週3回。
そして、系列の大学でも教えているでの、週に何回かは、3時間以上かけて大学似通っているはずだ。

私は、「今から十年ないし、十五年後。歳も70近くになって、私はそんな生活ができるのだろうか」、と考えた。

以前『チップス先生さようなら』という映画をDVDで見たことがあったが、私も以前は、生涯現役で教員生活を続けたいと思っていた。

理由は二つある。
一つ目は、「いつまでも生徒と関わっていたい」からであり、もう一つは、「その後にやるべきことが見つからない」からであった。

今は教員後の生活を見据えて準備しているので、二番目の理由には当てはまらない。
ただし、一番目に関しては、寂しさが残る。

そうはいっても、やはり『体力』、そして『気力』、さらには、『理想を追い求める柔軟でかつ力強い思い』だ。

それにしても「歳を重ねた教員が生徒に与える影響とはなんだろう」、と思う。
彼らの年齢からどんどん離れていく寂しさと、大抵のことでは動じなくなった老獪さ、若い頃のように肉体勝負出なくなったこと…。

突き詰めて言えば、やはり自分自身の組織における存在理由なのかもしれない。

彼ら生徒たちは、「常に学び続け、いつまでも変わらないバイタリティあふれる教師の姿」を求めているに違いない。

もう一踏ん張りするか…。

2020年11月11日

ラノベ…なのかなぁ

野球部の助っ人を頼んでいる中2の生徒の誕生日祝いをしてあげたら、「丹澤先生、これ読んでください」、と3冊の文庫本を持ってきてくれたのは、もう一ヶ月近く前になる。

それは彼の父親が書いた小説本だった、
「R君のパパ、小説家だったんだ…。」
私は初めて知った。

なかなか面白く、文体もリズムも私に合っていたので、程なく読み終えることができた。
そして、
「まだパパの本あったら貸してくれる?」
とお願いしたら、「まだまだたくさんありますけど…」、と再び3冊持ってきてくれたのだ。

それを夜の勉強会で読んでいる姿を見て、女子生徒が見逃さなかった。
「丹澤先生、何ののラノベを読んでいるんですか?」
と来た。

「えっ、この本ラノベなの?」
私はハッとした。
確かに純文学でも大衆文学でもない。
内容はきっちりとしているが、いわゆる「あやかし」ものだ。
ただし表紙のイラストは、いかにもラノベっぽい。

「そうか、この本はラノベなのか…」
考えてみれば、ラノベの定義ははっきりしていない。
表紙に素敵なイラストがなければ、若者が手にすることは少ない。
登場人物(主役)が十代から二十代であれば、若者が共感し、感情移入することができる。

ラノベという意識なく、わたしは読みあさっていたが、もしかしたら、やっぱりラノベなのかもしれない。

私は、「小説は単なる暇つぶしであってはいけない」、という持論を持っている。
そこから「何かしら」を得て、「自分の生き方や人生を逆照射」するものであった欲しいのだ。
ラノベにそうした役割を担わせるのは難しいのかも知れないが、私はこれまで読んだR君のパパ本からはいろいろな学びを得ている。

そう考えると、やっぱりラノベではないようにも思えてくる…。

「アニメにしたら、結構、人気が出るんじゃないかな…。」
そうR君に伝えると、
「まだまだそこまでは…。」
と、まるで自分が書いたように謙遜していた。

いっそのころ、パパにファンレターでも送ろうかしらん…。




2020年11月10日

仕事の標準化

私の職場では、数年前から仕事の標準化作業が進められている。
いろいろな職務について、業務な用およびそのためのマインドについて、マニュアル化、標準化し、新しくその仕事に就く際の参考にしようというのである。

今回は、学年主任の仕事について標準化が行われることになった。
先日、校長によって学年主任が集められ、作成の指示が出たのだ。

以前から、「教師の仕事は盗むべき…」などと高をくくっている私は、面倒だと言うこともあり、こうした作業からは逃げていたのだが、今回は逃げられなくなってしまった。

学年主任会議終了後、教頭が私に歩み寄る。
「実は、会議で学年主任経験者にも書いてもらいたい、といいうことになりまして…。」
と、私にもその仕事が回ってきてしまったのだ。

おそらく今学年主任をしている先生のうちの誰かが、私のことを話したのだろう。
私がまだ忘れられていない存在であることに、少しだけ嬉しくなった。

文章を作るのは面倒だが、微力ながらお役に立てるのは少し嬉しい…。

先日、「ねんきん定期便」が届いた。
65歳から受給できる年金の金額が記されていた。

私の場合、私立学校ばかりだが、途中抜けている期間があったので、通常よりは受給額が少ないはずだ。それでも、あればありがたい程度の年金が支給されるようである。

組織に役に立っているという思いがなければ、その仕事は続けられない。
私も、そういう思いに近づきつつあったが、今回すこしだけ挽回した感じがする。

「24時間戦っている」状態の、懸命に仕事をしていた時期もあった。
そんな時は、忙しかったけれど、それなりに幸せだったことを思い出す。

「お手伝いいただけますか?」
珍しく教頭が丁寧に私に尋ねた。
私は、「微力ながら…」と、受けることにしたのだ。

この先の人生でやりたいことはたくさんある。
ただ、その新しい生き方に移行する前に、今ある仕事の中で、何かしらを残さなければならないのだろう。

「まだ、お役に立てることがあるのかな…。」
そんな思いが、私のモチベーションを少し高めてくれた。

2020年11月06日

作り笑顔

久しぶりに高3のY君と会った。
声を交わしたのは、一ヶ月ぶりくらいだろうか…。

Y君は私を見るなり言う。
「死にそうな顔ですね…。」

ちょうど私が6時間目の中3の授業のために、特別教室に移動している時のことだ。

「大丈夫ですか。疲れているんですね…。」

ああ、私はそういう姿を生徒たちに見せてしまっているのか…。

確かに午後は疲労が蓄積している。
中3の授業は楽しいので、授業に行くことが疲労をさらに倍加させるという訳でもない。
どちらかと言えば、生徒たちからパワーをもらっているのが現実だ。
だが、ふとした私の油断が、表情に出て、その姿を見た生徒を心配させたのだ。

教師(指導者)たるもの、いついかなるときも元気な姿を見せなくてはならない。
たとえその姿がつくり笑顔であったとしても、彼らに不安感や心配を与えてはいけないのだ。

このところ、私自身、仕事中に「ふー」とため息をつくことがある。
「あぁ、疲れたな…」という思いを、頑張って口に出さずにいるものの、ふと、大きくため息が出る。
体力が急激に落ちているのだろうか。

もうすこし身体を鍛えなければ、いい仕事はできないのだろう。

「自分の生きる道は、なかなか見えないかも知れません。でも、今与えられている部署で全力を尽くしてこそ、道が拓けるのだと思います。あれこれ悩んでも、絶対に見えてきません。」

今朝の朝礼で、校長が熱く語っていた。
ここ数年、私はこの職場で全力ではないように思う。
心の中ではカウントダウンを始めているのかも知れない。

もちろん、そんな中でいい仕事ができる訳もなく、基本的に静かに過ごしているのだが、時に「老害」をまき散らしているのだろう。

11月になって、高3の受験生たちも、焦る気持ちを抑えつつ、勉強に勤しんでいる。
そんな折、教師たる者、やはり明るく爽やかな笑顔で接するべきなのだろう。

たとえ作り笑顔でもいい。
いつしか、それが本物の笑顔になる日を目指して、精進し続けなければなるまい…。

「ふー」と大きなため息をつくのは、誰も見ていないトイレの大きな鏡の前だけにしよう。
その醜い姿を見て、「もうため息をつくのはやめよう… 」、と思えるかも知れないから…。




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