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2021年03月16日
中学スポーツ大会
中3が企画し、中2のリーダーを巻き込み、中学全体でスポーツ大会を行った。
卒業式が近づいているのだが、このところ遊んでばかりいるようにも思う。
だが、彼等が中学校時代最後の思い出として、いいムードで卒業していくにはいい企画だろう。
私はスポーツ大会に少し遅れて見に行ったが、中3のリーダーシップが、なかなか素晴らしかった。
「ここまで成長したか…」、と思うと、嬉しくなった。
後輩を励まし、勇気づけ、それでいて、自チームへの勝利へと導く。
中3の多くが、スポーツ大会を終える頃には、声がかれていたくらいだ。
後輩たちは、口を揃えて「楽しかった」と言う。
これで中3たち成仏できるだろう。
そんな中で、H君だけが心穏やかざる状況だったに違いない。
閉会式での実行委員長の挨拶が、デリカシーに欠けたのだ。
「前回のときより、準備も本番も、とてもスムースにできて良かったです。」
あたかも、自分たちのときの方が、はるかに素晴らしかったと言わんばかりの挨拶であった。
それは違いのないことだが、今回の成功は、前回の教訓と経験があったからこそなのであって、その辺りは、前回のリーダーたちに感謝の思いを述べるべきだった。
当の本人が、そのことに全く気づいていないことが、気の毒である。
偉かったのは前実行委員長のH君だ。
じっと耐え、一言も愚痴を言わなかった。
前回も、準備の期間が十分あれば、同じようにできたに違いない。
私は、彼の毎日の記録ノートに、「H君が一度やってくれたからこそ、今回のスポーツ大会があるんだよ。ありがとう」、と記した。
生徒たちはこんな風にして、成長していく…。
彼等ももうすぐ高校生だ。
卒業式が近づいているのだが、このところ遊んでばかりいるようにも思う。
だが、彼等が中学校時代最後の思い出として、いいムードで卒業していくにはいい企画だろう。
私はスポーツ大会に少し遅れて見に行ったが、中3のリーダーシップが、なかなか素晴らしかった。
「ここまで成長したか…」、と思うと、嬉しくなった。
後輩を励まし、勇気づけ、それでいて、自チームへの勝利へと導く。
中3の多くが、スポーツ大会を終える頃には、声がかれていたくらいだ。
後輩たちは、口を揃えて「楽しかった」と言う。
これで中3たち成仏できるだろう。
そんな中で、H君だけが心穏やかざる状況だったに違いない。
閉会式での実行委員長の挨拶が、デリカシーに欠けたのだ。
「前回のときより、準備も本番も、とてもスムースにできて良かったです。」
あたかも、自分たちのときの方が、はるかに素晴らしかったと言わんばかりの挨拶であった。
それは違いのないことだが、今回の成功は、前回の教訓と経験があったからこそなのであって、その辺りは、前回のリーダーたちに感謝の思いを述べるべきだった。
当の本人が、そのことに全く気づいていないことが、気の毒である。
偉かったのは前実行委員長のH君だ。
じっと耐え、一言も愚痴を言わなかった。
前回も、準備の期間が十分あれば、同じようにできたに違いない。
私は、彼の毎日の記録ノートに、「H君が一度やってくれたからこそ、今回のスポーツ大会があるんだよ。ありがとう」、と記した。
生徒たちはこんな風にして、成長していく…。
彼等ももうすぐ高校生だ。
2021年03月15日
最後の授業
中3最後の授業があった。
いつか来てしまうこの日が、来て欲しくないと思いながらの毎日であったが、とうとうその日がやってきた。しかも一時間目である。
教室に入ると、何やらクロスワードパズルが黒板に書いてある。
授業の初めに、彼等の感謝企画として、私の三年間の授業の思い出をクイズにして、クロスワードパズルを解く、というものだった。
私の口癖やら数学の問題の一問一答であったり、なかなか面白かった。
最後に文字を組み合わせると、「三年間ありがとうございました」になる。
その後、全員でのお礼の言葉があって、一人ひとりのメッセージ冊子をもらった。
また宝物が増えた。
彼等は私を喜ばせようと、サプライズを企画していたのだ。
その後、何かしら私が話さなければいけない雰囲気になった。
私が言うことは決まっている。
「君たちには感謝しかない…。」
これだけだ。
私が、二年前に打ちひしがれ、職場を去ろうとしていたときに、この学年に拾われ、生徒たちの優しさと笑顔に救われたのだ。学年はそのまま持ち上がりになり、二年間。私はずっと生徒からの愛を受けて、傷ついた心を癒やしてきた。
それを思うと、涙ながらに語るしかなかった。
彼等の高校進学に向けて、何らかのアドバイスを話すこともできたが、私の思いは一つ。
ただただ感謝だ。
彼等は少し幼いが、その笑顔がいい。
人を幸せにする笑顔を持っている。
苦しいときにも、私に関わり励ましてくれる。
「もうひと頑張りしよう、かな…。」
と思えるようなったのも、彼等のお陰なのだ。
「高校に行っても、これまで見たいにつき合ってください。」
そんなメッセージもあった。
ありがとう…。
いつか来てしまうこの日が、来て欲しくないと思いながらの毎日であったが、とうとうその日がやってきた。しかも一時間目である。
教室に入ると、何やらクロスワードパズルが黒板に書いてある。
授業の初めに、彼等の感謝企画として、私の三年間の授業の思い出をクイズにして、クロスワードパズルを解く、というものだった。
私の口癖やら数学の問題の一問一答であったり、なかなか面白かった。
最後に文字を組み合わせると、「三年間ありがとうございました」になる。
その後、全員でのお礼の言葉があって、一人ひとりのメッセージ冊子をもらった。
また宝物が増えた。
彼等は私を喜ばせようと、サプライズを企画していたのだ。
その後、何かしら私が話さなければいけない雰囲気になった。
私が言うことは決まっている。
「君たちには感謝しかない…。」
これだけだ。
私が、二年前に打ちひしがれ、職場を去ろうとしていたときに、この学年に拾われ、生徒たちの優しさと笑顔に救われたのだ。学年はそのまま持ち上がりになり、二年間。私はずっと生徒からの愛を受けて、傷ついた心を癒やしてきた。
それを思うと、涙ながらに語るしかなかった。
彼等の高校進学に向けて、何らかのアドバイスを話すこともできたが、私の思いは一つ。
ただただ感謝だ。
彼等は少し幼いが、その笑顔がいい。
人を幸せにする笑顔を持っている。
苦しいときにも、私に関わり励ましてくれる。
「もうひと頑張りしよう、かな…。」
と思えるようなったのも、彼等のお陰なのだ。
「高校に行っても、これまで見たいにつき合ってください。」
そんなメッセージもあった。
ありがとう…。
2021年03月14日
交流戦
雨で一日延びたが、四ヶ月ぶりに対外試合を行うことができた。
ここまでよくモチベーションを維持し、活動してこられたと思う。
練習をしていれば、当然、試合をしてみたくなる。
自分たちの技が、よその学校に通用するか、試したくなるのは当然のことだ。
だが、ここまで、コロナのために、一切の試合はなかった。
公式戦はもちろん、練習試合すらできなかった。
もっとも、この地域の野球は、冬場はオフシーズンではあった、ここにきてようやく許可になった。
だが制限もある。
「試合は一時間、しかも午前中に終了」、というものだ。
これで3校リーグを行うわけで、第1試合は8時にプレーボール。
新チームになってから一切の練習試合を行っていないが、試合対策の練習はしてきた。
できることは少ないが、それができれば、相手チームを翻弄することができる…。
1試合目は、サインプレーがそこそこ決まり、まずまず点も取れた。
大きなミス、ミスの連鎖もなく、勝利することができた。
一年生ピッチャーもよく好投した。
2試合目は、エースが投げたが、こっちは打たれまくった。
「エースが投げているのだから、そんなに打たれないだろう」、という油断が、ミスを呼び込み、その連鎖にもつながった。
要は、集中力が続かないのだ。
彼等には2試合やる集中力がない。
これが大きな課題だ。
中学野球は一日2試合が行われることが多い。
そのどちらも勝たなければ、トーナメントでは進出できない。
試合後、彼等の野球ノートを見たら、一勝にうかれ、学びの少ないものになっていた。
当然、私の雷が落ちる…。
試合のまとめの作り直した彼等の野球ノートは、ようやくまともになった。
来週も試合がある。
次につながる試合にしなくては…。
ここまでよくモチベーションを維持し、活動してこられたと思う。
練習をしていれば、当然、試合をしてみたくなる。
自分たちの技が、よその学校に通用するか、試したくなるのは当然のことだ。
だが、ここまで、コロナのために、一切の試合はなかった。
公式戦はもちろん、練習試合すらできなかった。
もっとも、この地域の野球は、冬場はオフシーズンではあった、ここにきてようやく許可になった。
だが制限もある。
「試合は一時間、しかも午前中に終了」、というものだ。
これで3校リーグを行うわけで、第1試合は8時にプレーボール。
新チームになってから一切の練習試合を行っていないが、試合対策の練習はしてきた。
できることは少ないが、それができれば、相手チームを翻弄することができる…。
1試合目は、サインプレーがそこそこ決まり、まずまず点も取れた。
大きなミス、ミスの連鎖もなく、勝利することができた。
一年生ピッチャーもよく好投した。
2試合目は、エースが投げたが、こっちは打たれまくった。
「エースが投げているのだから、そんなに打たれないだろう」、という油断が、ミスを呼び込み、その連鎖にもつながった。
要は、集中力が続かないのだ。
彼等には2試合やる集中力がない。
これが大きな課題だ。
中学野球は一日2試合が行われることが多い。
そのどちらも勝たなければ、トーナメントでは進出できない。
試合後、彼等の野球ノートを見たら、一勝にうかれ、学びの少ないものになっていた。
当然、私の雷が落ちる…。
試合のまとめの作り直した彼等の野球ノートは、ようやくまともになった。
来週も試合がある。
次につながる試合にしなくては…。
2021年03月13日
卒業証書の捺印
午後の授業のない時間を使って、卒業証書の割り印を押した。
中学三年生全員分を押しながら、いろいろなことを考えた。
自分が担任や学年主任だったときは、自分で捺印したことはなかった。
おそらく、学年の先生方でやってくださったのだろう。
あの頃は、そうした仕事をしてくださることへの感謝の思いが足りなかったと思う。
もしかしたら、「これは私の仕事ではない。誰かやってくれ」というような、慢心と傲慢に満ちた考え方で過ごしていたのかも知れない。
このあたりに下座修行の意味があるのだろう。
一時期立場を捨て、一日ひたすら草取りをしたり、雑巾がけをしたりすると、心を見つめることができる。
そうしたときには、「今まで自分がどれだけたくさんの人に支えられていたのか。逆に迷惑をかけていたのか。自己中心的であったのか…。」などの思いが湧いてくるものだ。
今日、一人で卒業証書の捺印をしながら、そんなことを考えた。
結局、「私の失敗の原因はこれだったんだな…」、と反省した。
反省しながら、一人ひとりの卒業証書に印を押した。
私は彼等に救われたし、助けられた。
彼等の存在があったからこそ、今の私がある。
果たして、再び立ち上がることができるかどうか、私には分からないが、今は元気だ。
高2の生徒が、「丹澤先生は、来年度も学校にいらっしゃるんですか?」、と尋ねてきた。
たとえ、居なくなるとしても、そうやすやすと生徒に話すことはできない。
だが、彼は、中学からの5年間の経験により、私の様子から何かを感じ取っているのだろう。
「さあね…。」
と、言葉を濁して、彼のもとを去る。
以前の私より、少しは心が成長したのだろうか…。
中学三年生全員分を押しながら、いろいろなことを考えた。
自分が担任や学年主任だったときは、自分で捺印したことはなかった。
おそらく、学年の先生方でやってくださったのだろう。
あの頃は、そうした仕事をしてくださることへの感謝の思いが足りなかったと思う。
もしかしたら、「これは私の仕事ではない。誰かやってくれ」というような、慢心と傲慢に満ちた考え方で過ごしていたのかも知れない。
このあたりに下座修行の意味があるのだろう。
一時期立場を捨て、一日ひたすら草取りをしたり、雑巾がけをしたりすると、心を見つめることができる。
そうしたときには、「今まで自分がどれだけたくさんの人に支えられていたのか。逆に迷惑をかけていたのか。自己中心的であったのか…。」などの思いが湧いてくるものだ。
今日、一人で卒業証書の捺印をしながら、そんなことを考えた。
結局、「私の失敗の原因はこれだったんだな…」、と反省した。
反省しながら、一人ひとりの卒業証書に印を押した。
私は彼等に救われたし、助けられた。
彼等の存在があったからこそ、今の私がある。
果たして、再び立ち上がることができるかどうか、私には分からないが、今は元気だ。
高2の生徒が、「丹澤先生は、来年度も学校にいらっしゃるんですか?」、と尋ねてきた。
たとえ、居なくなるとしても、そうやすやすと生徒に話すことはできない。
だが、彼は、中学からの5年間の経験により、私の様子から何かを感じ取っているのだろう。
「さあね…。」
と、言葉を濁して、彼のもとを去る。
以前の私より、少しは心が成長したのだろうか…。
2021年03月10日
美の追究
美の追究
映画監督のSさんが来校し、講演を行った。
彼は、人生のテーマとして『美』を探究しているという。
「真・善・美」は、人生を歩む上での目指すべきテーマであろう。
だが私は、「私は一生をかけて『美』を探究します」という人に初めて出会った。
ここでいう『美』というのは、もちろん外の見美しさだけを言うものではない。
人間にとって、もっとも美しい姿は「祈りのときの姿」だというが、これ以外にも『美』は、さまざまな所に見え隠れしている。
日常生活の中でも、時折『美』を感じるのは、そうした「美」を感じる心を持っているからであろう。
講演では、大学生の自主制作映画が紹介された。
ストーリー性というよりも、むしろ感性的で、映像によって自らの主張や理想を表現しようという試みを感じさせる。
映像の中に美しさを感じたが、そこに見え隠れする演技者の心の様相の美しさが相乗効果になって、世界観を作っているのだ。
「私は、一生かけて『美』を探究しているんです。これが、私のライフワークです。その『美』を発見して、みなさんにその一部なりとも伝えたいのです。」
一瞬、私とは価値観の異なる世界に思えたが、それぞれの人生の目的を突き詰めれば、結局は、真・善・美に行き着く。
アプローチの仕方は違えども、目指す世界は同じなのだろう。
講演終了時に生徒会長がお礼の言葉を伝え、女子の生徒会役員が花束を贈呈した。
花束を渡すとき、生徒会長の立ち位置が邪魔になって、写真が撮れなくなってしまった。
こういう場合、挨拶をした生徒会長は、一歩引いて、主役を花束贈呈者に譲らなければならないはずだ。だが、彼は動かなかった。だから、私は写真係としてシャッターを押すことができなかったのだ。
すると、映画監督のSさんは、さっと立ち位置を変え、花束を掲げ、私の方を向いたのだ。
「これで写真が撮れる。ありがたい」、と思うと同時に、私はSさんに『美』を感じた。
これが、人生の中の『美』なのだろう…。
映画監督のSさんが来校し、講演を行った。
彼は、人生のテーマとして『美』を探究しているという。
「真・善・美」は、人生を歩む上での目指すべきテーマであろう。
だが私は、「私は一生をかけて『美』を探究します」という人に初めて出会った。
ここでいう『美』というのは、もちろん外の見美しさだけを言うものではない。
人間にとって、もっとも美しい姿は「祈りのときの姿」だというが、これ以外にも『美』は、さまざまな所に見え隠れしている。
日常生活の中でも、時折『美』を感じるのは、そうした「美」を感じる心を持っているからであろう。
講演では、大学生の自主制作映画が紹介された。
ストーリー性というよりも、むしろ感性的で、映像によって自らの主張や理想を表現しようという試みを感じさせる。
映像の中に美しさを感じたが、そこに見え隠れする演技者の心の様相の美しさが相乗効果になって、世界観を作っているのだ。
「私は、一生かけて『美』を探究しているんです。これが、私のライフワークです。その『美』を発見して、みなさんにその一部なりとも伝えたいのです。」
一瞬、私とは価値観の異なる世界に思えたが、それぞれの人生の目的を突き詰めれば、結局は、真・善・美に行き着く。
アプローチの仕方は違えども、目指す世界は同じなのだろう。
講演終了時に生徒会長がお礼の言葉を伝え、女子の生徒会役員が花束を贈呈した。
花束を渡すとき、生徒会長の立ち位置が邪魔になって、写真が撮れなくなってしまった。
こういう場合、挨拶をした生徒会長は、一歩引いて、主役を花束贈呈者に譲らなければならないはずだ。だが、彼は動かなかった。だから、私は写真係としてシャッターを押すことができなかったのだ。
すると、映画監督のSさんは、さっと立ち位置を変え、花束を掲げ、私の方を向いたのだ。
「これで写真が撮れる。ありがたい」、と思うと同時に、私はSさんに『美』を感じた。
これが、人生の中の『美』なのだろう…。
2021年03月04日
食事会
しばしば試験期間中のお昼に学年で食事会を行う。
今も、コロナ渦なので、「皆で外食へ行くなら、私は遠慮しようかな…」、と思っていたら、私の隠れ家に白羽の矢が当たり、離れで食事会をすることになってしまった。
学年団の女性陣があれもこれも、というものだから、私と同年代のT先生は翻弄されたのだが、そこは年の功で、さっと仕切って、二人で準備をすることにした。
結果、私が汁物とバーベキューの準備をして、T先生が揚げ物担当になった。
「どれもお店で出せますね…。」
我々年寄りにとっては、最大の賛辞だ。
「引退したら店を開きますか?」
私は、そうおどけてみせる。
揚げたての天ぷらの味、炭での焼きたての肉、どれもこれも美味であった
暖房器具のない離れの囲炉裏も、それほど寒くはなかった…。
これで最後の食事会。
学年メンバーは来年度バラバラになる。
学校を去られる方もいるかも知れない。
そう考えると、人生一期一会であるとともに、毎日の一瞬一瞬を大切にしなくてはならないのだろう…。
先生方だと、片付けも完璧なのでささっと終わる。
あれよあれよの間に、元の状態に戻った…。
おいしく、楽しいひとときだった。
若手の先生方、楽しんでいただけただろうか…。
今も、コロナ渦なので、「皆で外食へ行くなら、私は遠慮しようかな…」、と思っていたら、私の隠れ家に白羽の矢が当たり、離れで食事会をすることになってしまった。
学年団の女性陣があれもこれも、というものだから、私と同年代のT先生は翻弄されたのだが、そこは年の功で、さっと仕切って、二人で準備をすることにした。
結果、私が汁物とバーベキューの準備をして、T先生が揚げ物担当になった。
「どれもお店で出せますね…。」
我々年寄りにとっては、最大の賛辞だ。
「引退したら店を開きますか?」
私は、そうおどけてみせる。
揚げたての天ぷらの味、炭での焼きたての肉、どれもこれも美味であった
暖房器具のない離れの囲炉裏も、それほど寒くはなかった…。
これで最後の食事会。
学年メンバーは来年度バラバラになる。
学校を去られる方もいるかも知れない。
そう考えると、人生一期一会であるとともに、毎日の一瞬一瞬を大切にしなくてはならないのだろう…。
先生方だと、片付けも完璧なのでささっと終わる。
あれよあれよの間に、元の状態に戻った…。
おいしく、楽しいひとときだった。
若手の先生方、楽しんでいただけただろうか…。
2021年02月28日
強者どもの夢のあと
とうとう卒業式の日を迎えてしまった。
私は毎年、この日が来るのを怖れている。
新たな旅立ちを祝するめでたい日であるのに、私自身は、耐えがたい悲しみに打ちひしがれるのだ。
「できたら、式場には入りたくな…。」
毎年そう思う。
保護者席の関係で、全員が式典会場に入れるわけではないので、中1、中2は教室で中継を見る。
「今年度は中3の学年所属なので、会場に入ることになるのかな…。できたら、外で駐車場係がいいかな…」、などと思っていたら、なんと撮影係になってしまった。
「泣きながら写真撮影をしろ、ってことか…。」
式典中、私は写真を撮りまくった。
室内でフラッシュをたかない状態では、なかなかいい写真は撮れない。
それでも、記録として残そうと、彼らの姿にカメラを向け、シャッターを押した。
涙があふれても、カメラのファインダーをのぞいているから、傍目からは分からない。
オートフォーカス機能がなければ、私の写真はすべてピンボケだろう。
公立の学校では、全員マスクをして校歌すら歌わない。
保護者も一人だけ、在校生の参列はなかったそうだ。
だが、私の学校では例年通り。
マスクをつけている卒業生は誰もいない。
国歌だって校歌だって普通に歌う。
ましてや高校3年生にとっての校歌は、これが最後なのだ。
元気よく、多く
多くの生徒が皆が涙を流しながら歌っている。
いよいよ卒業生の退場となった。
入場時は、学年主任や担任が先導したが、式の最後は生徒だけが退場していく。
今年も彼らは感謝を込めて学年合唱をした。
私はもはや何も見えなくなった。
退場をズームレンズで撮りまくる…。
最後の生徒が会場から出た後、私は廊下にでて号泣した。
「もう無理…。」
そして、涙を拭って再び会場の外へ出て、卒業生を追いかける。
外では、会場に入れなかった中1と中2が、彼らが歩いている赤絨毯の両側に立ち祝福している。
こうして卒業式が終わった。
私はとてもとても謝恩会には出られないと、そそくさ退散した。
今日も泣き疲れた…。
翌日、高校3年生の教室に行った。
荷物がなくなって寂しくなった教室。
コサージュが一つ、机の上に残されていた…。
私は毎年、この日が来るのを怖れている。
新たな旅立ちを祝するめでたい日であるのに、私自身は、耐えがたい悲しみに打ちひしがれるのだ。
「できたら、式場には入りたくな…。」
毎年そう思う。
保護者席の関係で、全員が式典会場に入れるわけではないので、中1、中2は教室で中継を見る。
「今年度は中3の学年所属なので、会場に入ることになるのかな…。できたら、外で駐車場係がいいかな…」、などと思っていたら、なんと撮影係になってしまった。
「泣きながら写真撮影をしろ、ってことか…。」
式典中、私は写真を撮りまくった。
室内でフラッシュをたかない状態では、なかなかいい写真は撮れない。
それでも、記録として残そうと、彼らの姿にカメラを向け、シャッターを押した。
涙があふれても、カメラのファインダーをのぞいているから、傍目からは分からない。
オートフォーカス機能がなければ、私の写真はすべてピンボケだろう。
公立の学校では、全員マスクをして校歌すら歌わない。
保護者も一人だけ、在校生の参列はなかったそうだ。
だが、私の学校では例年通り。
マスクをつけている卒業生は誰もいない。
国歌だって校歌だって普通に歌う。
ましてや高校3年生にとっての校歌は、これが最後なのだ。
元気よく、多く
多くの生徒が皆が涙を流しながら歌っている。
いよいよ卒業生の退場となった。
入場時は、学年主任や担任が先導したが、式の最後は生徒だけが退場していく。
今年も彼らは感謝を込めて学年合唱をした。
私はもはや何も見えなくなった。
退場をズームレンズで撮りまくる…。
最後の生徒が会場から出た後、私は廊下にでて号泣した。
「もう無理…。」
そして、涙を拭って再び会場の外へ出て、卒業生を追いかける。
外では、会場に入れなかった中1と中2が、彼らが歩いている赤絨毯の両側に立ち祝福している。
こうして卒業式が終わった。
私はとてもとても謝恩会には出られないと、そそくさ退散した。
今日も泣き疲れた…。
翌日、高校3年生の教室に行った。
荷物がなくなって寂しくなった教室。
コサージュが一つ、机の上に残されていた…。
2021年02月27日
泣き疲れる…
高校3年生を送る会が行われた。
毎年、卒業式の直前に中1から高2までがイベントを行い、高3生に感謝を捧げる。
運営の中心になるのは高1。
さまざまな出し物や、動画が組み込まれ、微笑ましい催しになった。
私は高校3年生の席のすぐ後ろの席に陣取り、進行を見守る…。
「だめだ、涙が止まらない…。」
なんて私は涙もろいのだろうか。
彼らの姿や、感謝の言葉に感応して、止めどもなく涙が流れる。
幸い、会場を暗くしていたので、だらしない泣き顔を生徒たちに見られることはなかったが、ただただひたすら泣いた。
「なんだろうこの感情は…。」
毎年、高校の卒業式が近づくと、日に日に増大していく悲しさと寂しさに押しつぶされそうになる。
中学入学時から見ているとはいえ、最近は高校生とはそんなに関わりがないはずなのに、どうしても泣けてくる。
本当は、旅立っていく彼らを笑顔で祝福しなくてはいけないのだろう。
もちろん、ここまで成長した彼らは立派だ。
私が、彼らにかけてあげられる言葉は、「じゃあね…」の一言だ。それ以上話すと、泣いてしまう…。
自分のために泣いてくれる先生の存在は、後々に彼らにいい影響を及ぼすのだろうが…。
最後の高3生のスピーチは、いつもより短かったが、やはり「うっ」となった。
まさに、泣き疲れた3年生を送る会になった。
明日は、いよいよ卒業式だ。
毎年、卒業式の直前に中1から高2までがイベントを行い、高3生に感謝を捧げる。
運営の中心になるのは高1。
さまざまな出し物や、動画が組み込まれ、微笑ましい催しになった。
私は高校3年生の席のすぐ後ろの席に陣取り、進行を見守る…。
「だめだ、涙が止まらない…。」
なんて私は涙もろいのだろうか。
彼らの姿や、感謝の言葉に感応して、止めどもなく涙が流れる。
幸い、会場を暗くしていたので、だらしない泣き顔を生徒たちに見られることはなかったが、ただただひたすら泣いた。
「なんだろうこの感情は…。」
毎年、高校の卒業式が近づくと、日に日に増大していく悲しさと寂しさに押しつぶされそうになる。
中学入学時から見ているとはいえ、最近は高校生とはそんなに関わりがないはずなのに、どうしても泣けてくる。
本当は、旅立っていく彼らを笑顔で祝福しなくてはいけないのだろう。
もちろん、ここまで成長した彼らは立派だ。
私が、彼らにかけてあげられる言葉は、「じゃあね…」の一言だ。それ以上話すと、泣いてしまう…。
自分のために泣いてくれる先生の存在は、後々に彼らにいい影響を及ぼすのだろうが…。
最後の高3生のスピーチは、いつもより短かったが、やはり「うっ」となった。
まさに、泣き疲れた3年生を送る会になった。
明日は、いよいよ卒業式だ。
2021年02月23日
消えた監督会議
今年も2月の中学野球の監督会議が中止になった。
昨年から始まったコロナ渦により、学校の部活動は翻弄され続けている。
思い起こせば、阿倍前首相の恐怖心による休校要請から始まり、連日、国民に不安と怖れを抱かせるばかりのマスコミ報道。当時は、経済活動を止めることが、国家としてどういう状態をもたらすかを考えることのできない、一部の学者に、国政を委ねたと言ってもよい。そうした状況が今なお、続いているのだ。
昨年は春の大会、夏の大会もなくなり、秋の新人戦も消えた。
一応、夏には2校で夏の大会の代わりになる引退試合を行い、秋には交流戦も行った。
だか、本当にそれだけなのだ。
練習試合も、昨年から一度も行われず、いわゆる正式な公式戦はまったくなかった。
当然のように、監督たちが集まる機会もほんのわずかで、昨年12月に、先生向けの指導者講習会を行った際に皆が集まっただけである。
今回も、総会もなく、役員会だけが行われ、来年度の予定や連絡がラインで配信されただけである。
3月のシード決め大会も、交流戦に変更になったが、高体連が対外試合を中止しているので、中学もどうなるかわからない。
世の中は、生死にかかわる深刻な状況なのだから、学校の部活動どころではないのかもしれないが、彼らの青春期も一度きりなのだ。
幸い、私の学校生徒たちは、モチベーションを下げることなく頑張っているが、土日の部活が禁止になっている他校では、ますます家に引きこもり、きっとゲーム三昧なのだろう。
届いた書類には、来年度の大会日程が載っている。
このうちどれだけが、予定通りに実施できるのだろうか。
4月には県下で審判講習会も行われることになっているが、どうなるかわからない。
どうなるかわからない中で、計画を立て、準備をするのも、なかなかの至難の業だ。
混乱だらけの学校教育現場だが、本当に正しい方向に向かっているのだろうか…。
いつか、笑って思い出を話せる時期がくるのだろうか…。
科学万能主義に陥り、傲慢になった人類への警鐘は、まだまだ続くのだろう。
昨年から始まったコロナ渦により、学校の部活動は翻弄され続けている。
思い起こせば、阿倍前首相の恐怖心による休校要請から始まり、連日、国民に不安と怖れを抱かせるばかりのマスコミ報道。当時は、経済活動を止めることが、国家としてどういう状態をもたらすかを考えることのできない、一部の学者に、国政を委ねたと言ってもよい。そうした状況が今なお、続いているのだ。
昨年は春の大会、夏の大会もなくなり、秋の新人戦も消えた。
一応、夏には2校で夏の大会の代わりになる引退試合を行い、秋には交流戦も行った。
だか、本当にそれだけなのだ。
練習試合も、昨年から一度も行われず、いわゆる正式な公式戦はまったくなかった。
当然のように、監督たちが集まる機会もほんのわずかで、昨年12月に、先生向けの指導者講習会を行った際に皆が集まっただけである。
今回も、総会もなく、役員会だけが行われ、来年度の予定や連絡がラインで配信されただけである。
3月のシード決め大会も、交流戦に変更になったが、高体連が対外試合を中止しているので、中学もどうなるかわからない。
世の中は、生死にかかわる深刻な状況なのだから、学校の部活動どころではないのかもしれないが、彼らの青春期も一度きりなのだ。
幸い、私の学校生徒たちは、モチベーションを下げることなく頑張っているが、土日の部活が禁止になっている他校では、ますます家に引きこもり、きっとゲーム三昧なのだろう。
届いた書類には、来年度の大会日程が載っている。
このうちどれだけが、予定通りに実施できるのだろうか。
4月には県下で審判講習会も行われることになっているが、どうなるかわからない。
どうなるかわからない中で、計画を立て、準備をするのも、なかなかの至難の業だ。
混乱だらけの学校教育現場だが、本当に正しい方向に向かっているのだろうか…。
いつか、笑って思い出を話せる時期がくるのだろうか…。
科学万能主義に陥り、傲慢になった人類への警鐘は、まだまだ続くのだろう。
2021年02月22日
あなたにとって人生とは
中3の生徒から、卒業記念に作る冊子にプロフィールを載せたいとのことで、原稿を頼まれた。その質問項目に、「あなたの人生とは」というものがあった。
そこに私は迷わず、『生徒と共に歩んだ人生』と記した。
確かにその通りだし、私の人生を振り返ったとき、まさに生徒と共に過ごす人生だったのだ。
大人とはまともに話せない。どちらかというとコミュ障だ。
だから、親と話すのも苦手だし、ましてやセールトークなどできない。
だが、生徒とならば、誰とでも話をすることができる。
特にやんちゃな子には声をかけたくなる。
そうした生徒に付き添っているうちに、いつしか心を許せる関係になり、何でも話せるようになるのだ。
私の教員人生は、そうして生きてきた。
他の先生方とは違う何かがある。
寄り添わなくてはならないから、寄り添うのではない。
声をかけなければいけないから、声をかけるのではない。
手を差し伸べなければいけないから、手を差し伸べるのでもない。
ふと、声をかけたくなり、ふと手を差し伸べたくなるのだ。
そうしたことは、知らず知らずのうちに自然にできるようになっていた。
今、教員人生を振り返ってみて、「今、生徒との関係が絶たれたら…」、と思うと、とてつもなく寂しく思う。
退職後は、この寂しさをどう補えばいいのだろうか、などと真剣に考えてしまう…。
学年末が近づくと、たいてい感傷的になる。
彼らの卒業はめでたいが、私にとっては寂しさの方が大きい。
「消えるようにいなくなってくれ…。俺も消えるようにいなくなるから…。」
生徒たちにずっとそう語ってきた。
だが、なかなか消えるようにいなくなってくれない…。
そこに私は迷わず、『生徒と共に歩んだ人生』と記した。
確かにその通りだし、私の人生を振り返ったとき、まさに生徒と共に過ごす人生だったのだ。
大人とはまともに話せない。どちらかというとコミュ障だ。
だから、親と話すのも苦手だし、ましてやセールトークなどできない。
だが、生徒とならば、誰とでも話をすることができる。
特にやんちゃな子には声をかけたくなる。
そうした生徒に付き添っているうちに、いつしか心を許せる関係になり、何でも話せるようになるのだ。
私の教員人生は、そうして生きてきた。
他の先生方とは違う何かがある。
寄り添わなくてはならないから、寄り添うのではない。
声をかけなければいけないから、声をかけるのではない。
手を差し伸べなければいけないから、手を差し伸べるのでもない。
ふと、声をかけたくなり、ふと手を差し伸べたくなるのだ。
そうしたことは、知らず知らずのうちに自然にできるようになっていた。
今、教員人生を振り返ってみて、「今、生徒との関係が絶たれたら…」、と思うと、とてつもなく寂しく思う。
退職後は、この寂しさをどう補えばいいのだろうか、などと真剣に考えてしまう…。
学年末が近づくと、たいてい感傷的になる。
彼らの卒業はめでたいが、私にとっては寂しさの方が大きい。
「消えるようにいなくなってくれ…。俺も消えるようにいなくなるから…。」
生徒たちにずっとそう語ってきた。
だが、なかなか消えるようにいなくなってくれない…。