アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2021年04月29日

市民大会

昨晩は星が見えていたのだが、未明から雨になり、市民大会が中止になった。
昨年はコロナで中止。今年こそ、と思ったが、今年は雨で中止。

ただでも少ない試合が、中止になってしまうのはなかなか辛い。
選手たちもがっかりだろう。

今日は、学校は通常授業日。
試合に行かずに、いつもどおりの授業を受ける。

昭和の日の休日は5月1日に移し、連休をまとめたのだ。
だが、1日は土曜日だから、生徒たちは、損をした気持ちになったかも知れない。

GWでも、世の中はコロナ渦。
あまり出来ることは少ない。
幸い、二回練習試合が計画されている。

このまま小康状態を保てれば、春の大会も実施出来るだろう。

だが、GWでも家族で旅行に行くことも憚られるし、外食だってままならない。

生きにくい世の中になったものだ。

朝、犬の散歩時にレインコートを着た。
大学生の頃から使っている、三十年以上前に買った登山用にレインコートだ。

このレインコートを着て、南アルプスも北アルプスも歩いた。
あの頃、「どんな人生を生きるのかな…」、などと期待に胸を膨らませながら、大自然の中の山歩きを楽しんだ。

変わっていないことは、今でも自然を愛し、自然の中で暮らしていることくらいだろうか。
一緒に山歩きをした友人とも、もう十年以上音信不通だ。

どんな状況下にあろうとも、皆、一生懸命生きている…。
それが人間だ。

この時期に学校に通い、いろいろな制約があったということも、いずれは思い出話になるのだろう。

午後、野球連盟の事務局長が来校した。
今日の「参加賞です」と、新球1ダースを持ってきた。

参加費を払わずに、それ以上の値段の新球が来た…。

世の中、何があるか分からない…。




2021年04月28日

コロナ禍のGW

コロナが蔓延するにつれ、日本が全体主義化している。
いよいよ国家社会主義の波が押し寄せようとしているようだ。

PCRで陽性になると、あっという間に保健所等が介入してくる。
濃厚接触者リストの提出が求められる。
拒否すれば、事業所名を公開し科料を科すという脅しに入る。

まるで、お隣の中国のようではないか。

大都市部は緊急事態宣言が出ている。

三密を避けるとは言われるが、科学的根拠は乏しい。
マスク着用とも言われるが、ウイルスは小さいので、マスクでは防げない。

世の中は、「ワクチンさえ打てば大丈夫」、という風潮になっているが、これは完全に世論誘導。

今始まっているワクチン接種は、十分な治験が行われないない。
副反応の実験もあまりに乏しい。
この先、どんどん変異していくであろうウイルスに、対抗できるかも定かではない。

識者が、「ウイルスさえ打て安心、というのは間違いですよ」、とテレビなどで発言すれば、その識者は番組から排除されるのだ。

学校でも、GW中は飲食店、宿泊に関しては、複数で出掛けてはいけないなどの指針が校長から発信された。

これはウイルス感染を防ぐというよりも、不用意な行動として、のちのち指摘されることを避けるための自衛策である。

おそらくは、どの学校でも、いろいろな制約が起こっているのだろう…。

学校でクラスターが発生したというニュースも、チラホラ聞くようになった。

いたずらに恐怖心を煽り、自分たちが信じる「正しさ」に国民を誘導してゆこうとする権力者たちには、決して翻弄されないようにしたいものだ。

人類はかつても様々な病原菌やウイルスと戦ってきた。

科学万能と信じられた21世紀の今、人類には試練が訪れている…。





2021年04月27日

交通安全連絡協議会

県下の交通安全連絡協議会に参加した。
県内の高等学校の交通安全担当者が、年度初めに一堂に会するのである。

私の学校では、私自身が交通安全委員会の責任者。
自分が参加する義務がある。だが以前は忙しく、別の先生にお願いしたが、今年度は、教頭が早々に私を参加者として報告してしまったので、私が出掛けることになった。
閑職なのでちょうどよい。

二年前にも私が参加することになっていた。
だが、その日の朝、父親が逝去した。

急遽欠席する旨、新幹線を降りた新横浜で電話したことを今でも思い出す。
早朝に逝ったので、死に目には会えなかったが、霊となった親父とは会話できた。

あれから二年。先日三回忌を終え、今年は交通安全連絡協議会に参加している。

春爛漫。
あの日も暖かな日差しの晴天だった。

昨年度は、コロナ渦で、ほとんど活動が出来なかったという。
二ヶ月あまり休校であったにも関わらず、自転車事故は増えているそうだ。

「自転車は車両です。生活用品ではありません。」
そう、力説する講師の言葉には説得力があった。

「うちでは、6割がバイク通学なんですよね…。」

高校生が通学で、バイクが許可されている学校は、田舎ならではことだろう。
10q以上の生徒が申請でき、講習後許可になるとのことだ。
だが、年一回の講習会以外、特に安全教育はなされていないというのが現状のようだ

思えば、学校はいろいろなことを担っている。
教育機関であることには違いないが、交通安全教育にしても、性教育にしても、何でも教えなければいけないのが学校のようだ。

従来から、「すべて学校に任せておけば…」、という意識が、国民にはある。

先生方は、時折町に出て、交通安全指導も行う。

忙しいわけだ…。

2021年04月24日

落書きコーナー

教室の後ろの黒板に「落書きコーナー」なる一角がある。

担任の先生に、「落書きコーナーって、必要かなぁ。なくてもいいんじゃないかな…」、と申し上げたら、渋い顔。

「私が高校の担任のときも、やっていたんです。ガス抜きになるかと思って…。」

どうやら私は古い人間のようだ。
「ガス抜きかぁ…。」

「教室の黒板には落書きを初め、余計なことを書いてはいけない」、というのが、通常なのだが…。

ふと、大昔に駅にあった伝言板を思い出しだ。

駅に、連絡用黒板が設置され、そこに「○○さん、先に行っているよ…」という具合のメッセージが書かれ、利用されている時代があったのだ

そんな連絡ボードにも、イラストが書かれていたことがある。

入学直後の生徒たちは、落書きコーナーに群がり、絵を描きまくっている…。
けじめをつけることも必要なのではないか、と思ってのご忠告だったが、結局担任は考えを改めなかった。

ひとたび緩めた部分を、締め直すのは、かなり難しい…。

だが、私の目には、明らかにその部分だけ、汚らしく見え、教室にそぐわぬように感じてしまうのだ。

やはり、私は古い人間だ。

「時代は変わったのかな…。」
と思うと共に、ジェネレーションギャップも感じる…。

「役立たずの居候が、余計なことを言って、すいませんね。」

私は心の中で、そうつぶやく…。

2021年04月23日

信仰と志と人間関係

R・エルドリッヂさんの講演の続報。

彼は、人生に大切なことは『信仰と志と人間関係』であると言う。

エルドリッヂさんは、キリスト教徒であるが、日々の生活の中で神を信じている。

信仰を持っていることは、世界では常識であり、人間であることの要件でもある。
戦後の日本のように、「私は信じている宗教はありません」という発言は、世界標準から言えば、「私は人間ではありません」、とアピールしているようなものである。
神の存在を信じていることで、傲慢にならず、謙虚な生き方できるはずだ。
併せて、人生の中で困難が訪れたとしても、−彼は、人生では必ずそうした場面がやってくると言う−、信仰によって強くなれる。
「神は、自らの解決できる範囲をはるかに超えるような、難問を与えることはない。必ず、この困難、危機は乗り越えられる。」
という勇気が湧いてくるはずだ。

志は、改めて言うべきもないが、「自分が何をしたいのか。自分がどう社会で役に立つのか。私にしかできないことは何か」、ということを考え続け、一歩でも自らの理想に近づいてゆこうと努力する姿勢は、何ものにも負けない強い心を生み出す。

それでもなお、困難に直面し、困ってしまったとき手を差し伸べてくれる存在が、親しい友人であるのだという。
危機の時代に、その友人は振り分けられるとも語った。
そうした友人との人間関係を、普段から構築していたからこそ、互いに困難のときに助け合うことができるのだ。

人間は一人では生きていくことはできない。

そして、社会を形成しているということは、その中での学びがあるということを意味している。

こうした『信仰と志と人間関係』があれば、人は強く生きることができる。
ポジティブな考え方になれる。
そして、自分が理想とする生き方に近づくことができる。

彼はそのように語り、生徒たちを鼓舞したのだ。

何のことはない、鼓舞されたのは我々大人の方であったのだが…。




2021年04月22日

青い目の侍

R・エルドリッヂさんが、来校して全校生徒に対して講演を行って下さった。
日本ですでに三十年以上も生活され、さまざまな提言をされ、日本の発展のために尽力されている方である。

「日本という国の評価は、年々下がっています。このままでは日本は衰退してしまいます。ですが、私は日本の行く末を悲観していません。なぜならば、君たちの存在があるからです。」

静かにそう語り始めたあとは、現在日本が抱えている問題について、一つひとつ丁寧に話をされた。

「大切なのは、事前の準備です。沖縄の基地問題にしても、何か事件が起こったあとからではなく、その前にコミュニケーションをとっておくことが必要なのです。そのためには、信頼関係を築くことです。この人ならば、言うことを信じられるという関係を作っておくことが大事なのです。どんなことでも、事後よりも事前の準備が大事です。」

「大学院で教えていても、学生がやりたいことは話せても、『何のために…』、『それをするとどうなるのか…』、という視点が欠けています。本当に大切なのは、その部分の方だと思うんです。」

質疑応答では、高校三年生が手を挙げた。
最後にT君が、「移民受け入れと、安全保障について」の質問をした。

「日本に移民を受け入れることで、労働確保や、優秀な人材による国力のアップは期待できるが、移民を装ったスパイ活動や、工作行為によって、安全保障上の問題が生じることも懸念されるが、それをどう考えるか」、という質問だった。

中学生には、何が何だか分からなかったかもしれないが、こんな質問ができる高校生を誇りに思う。
と同時に、本気で日本の繁栄を考えている姿が見えて、とても嬉しく思った。

エルドリッヂさんは、具体的な方法についての明言は避けたものの、「問題一つに一つの対処方法を考えるのではなく、一つの対処方法で、複数の問題を解決する方法を考えている」と、いくつかのアイデアを示された。

日本人以上に日本のことを考え、本気で行動している方の話に、私自身も、もっと行動しなくてはならないと、改めて思った。

いい話を聞いた。

本講演は、生徒が直接お願いして実現したものであることを銘記しておく。




2021年04月20日

稚心を去る

幕末の志士、橋本左内が14歳のときに著した『啓発録』の最初に、「去稚心」(稚心を去る)というものがある。

今朝の学年集会では、学年主任が中学一年生に、この『稚心を去る』という言葉とその意味と、行動指針の話をした。

14歳といえば、今で言えば中学二年生である。

安政の大獄で斃れた橋本左内は、当時、未来を見据え、日本の行き先を案じたのである。
そのためには、自らが正しく生きてなくてはならないと心得、『啓発録』を著し、自らを律する生き方をする。

稚心とは幼稚な心、親や誰かに頼る心、依存心。他人や環境のせいにして逃げる心。人をはやしたてたり、いじったりする低俗な心。大事なことをさぼる怠ける心。都合の悪いことをごまかす偽りの心。将来を考えず、その時の楽しみに興ずる心。

そんな話を、入学間もない中一に、懇々と話す。

「私は、この学年を学校一素晴らしい学年にしたいんです。稚心を去らなければ、成長dけいません。その中で、もし先輩たちで稚心を捨てられない人がいたら、そんな先輩を抜いて欲しいんです。君たちには絶対できると思っています。」

そう熱く語る言葉は、生徒たちに何かしら伝わったに違いない。
難しい話なのかも知れないが、その話も繰り返し聞けば、いつしか理解が進む。

過去は、意味の分からない漢文を音読させるという教育を行っていた時代もある。

フォローのつもりで、私はその後の一時間目の業で、もう一度彼等に語る。

「人ごとではないよ。自分のことだよ…。」

彼等の目は輝いていた。

一年かかってもまだ幼い新中2を超えていくのは、そう先のことではないかも知れない。




2021年04月19日

春の大会の監督会議

今日の監督会議は、
「今年は、万全のコロナ対策をして、春の大会を実施します。つきましては…。」
と始まった。対策は、大変手間のかかるものであった。

まず、大会参加のために全員の保護者の承諾書をとる。
大会人週間前からの毎日の検印記録をつける。
これらを取りまとめて、校長の職員をもらった大会申込書を提出。

当日は、各会場に参加者名簿を提出。
会場によって若干書式が変わる。

選手はベンチではマスク。
整列は塁線上。
監督はずっとマスク。
球審もマスク。

試合後は、責任を持ってベンチを該当校が消毒。

昨年は春も夏も、秋も大会が中止になった。
だからこそ、今年は何としても実施したいという気持ちがあるのだろう。
緊急事態宣言下にでもなれば、話は別だが、今の状態ならば実施できる。

3月、4月は試合時間が1時間になった。
野球の試合で1時間というのは、かなり短い。

だが、春の大会は、終日で3日間、例年通りに行われる。

コロナ対策でかなり面倒だが、生徒たちが楽しみにしている大会でもあり、何とか実施できたらいい、と思う。

だが、本当にこんな対策でコロナが抑えられるのだろうか。
マスクをしていても、感染する人もいる。
一年あまりで作った、本来のワクチンの定義に当てはまらない通称ワクチンが、変種に効果を出すというのも、きわめて疑問だ。

人類は、その中で、生き抜いて居ゆかねばならないのだろう。

そして、コロナは、旧来の常識が崩してゆくのだと思う。




2021年04月16日

朝のメッセージ

中学校のほとんどの教室の黒板に、毎日、生徒向けのメッセージが書かれている。

「みんなおはよう。昨日も、私はみなさんに癒やされました。みなさんたちの笑顔はとても素敵です。笑顔が私のエネルギー源です…。」

こんなメッセージが毎朝黒板に書いてあるのは、生徒たちも嬉しいだろう。

私にはこの発想はなかった。
「書かないで、口で言えばいいじゃないか…」、という古い時代の人間の一人だ。
だが、面白い方法だとは思う。

口で言いにくいから、文字にするのだろう。
古来、そんな風に、手紙も使われてきている。

黒板にメッセージを書くというのは、私も高校時代に経験したことがある。
当時、私はある部の部長だったが、一年後輩の副部長と交換日記のようなものをしていたのだ。

そのとき、ちょっとしたメッセージは、黒板に書いた。
他の人には分からない、中国語で書いたのだ。
同じく中国語を勉強してた後輩には、内容が理解できる。

メッセージを受けたら、その返信も中国語で書く。

他の人は何だか分からないだろうが、なんとなく秘密の交換みたいで面白かった。
もちろん、勉強したての自分たちに、それほど難しい中国語が書けるわけもなく、ほんの短いフレーズだが、今から三十年ほど前の出来事を、懐かしく思い出す。

「何だろう…。」
と、気になって読めば、心にも残る。
それが注意であろうと、祝福であろうと、記憶にはとどまるはずだ。

高校時代、非常勤の若い先生に古典を習ったことがある。
この三月で学校を去るというその先生は、最後に一人ずつノートにメッセージを残してくれた。

『颯爽と風に吹かれる人生であれ。さらば。』

その言葉今でも覚えている。
「颯爽」という漢字はこのとき初めて見た。

恐らく二十代であったであろう、その先生のメッセージを、高校生だった私は、きちんと受けとめ、三十年経っても覚えている。

教育とはおもしろい…。




2021年04月14日

整理整頓

ベネッセの学力推移調査の試験監督で中3の教室に行ったら、クラス全員の鞄が一列に綺麗に並んでいて感動した。

「鞄が一列に並んでいて、気持ちいね。すごいね。格好いいね…。」
と、褒めてあげれば良かったのだが、マークシートのミスなどの指導をしているうちに忘れてしまった。

指導のたまものなのだが、「揃える」ということに注視すると、さまざまな場面で磁場を整えることができる。

学年の先生の指導のたまものだ。
廊下には、昇降口の下足箱の靴を綺麗に揃えた写真も掲示されていた。

部活動でも、バックや靴、脱いだ服が切れに揃っていると美しい。
その美しさは、「やらされた整頓」から、「自分たちでやった整頓」に変わったとき、さらにその輝きを増す。
チームが強そうに見えるし、一体感があるし、何より、細かな所まで気を配ることができるチームであることの証左だ。

整理整頓はその頂がない。
究極と思うそのさらに上に、もっと究極がある。

最終的には『心』にまで関わってくるからだ。
整理整頓して、綺麗にすることによって、何を得るか、何をつかむか、というところにまで達する。

いずれにせよ、見かけだけではなく、その心の状態まで美しさを求めることで、終わりなき整理整頓の旅が始まるのだ。

美しく整頓された姿は、必ずどこかで誰かが見ているものだ。

逆に、見られているかどうかに関係なく、自然体で行動できれば、ホンモノの「整理整頓」に近づくに違いない。

この際、精一杯褒めてあげよう。





ファン
検索
<< 2023年09月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
丹澤三郎さんの画像
丹澤三郎
プロフィール
リンク集
おすすめ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。