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2021年04月07日

入学式

入学式はめでたい。
別れではないので、私もあまり泣かずに済む。

もっとも、自分が担任をしていた頃は、入学式後の最初の学活で、保護者を前に涙を流すことはあった。

「こうして、この学校に入学できたことは、もちろん君たちの努力もありますけれど、それ以外にたくさんの人の支えがあってのことです。特に、ここまで育てて下さったご両親は、今日は、是非『ありがとうございます』と、伝えて下さい。恥ずかしいかも知れないけれど、直接、伝えて下さい。ご両親は、君たちを心の底から愛しています。本当に愛おしく思っています。君たちの幸せが、親たちの幸せなのです。金銭的に厳しくなって、君たちには美味しいものを食べさせても、自分たちは食べない。お母さんは食べないの、と聞かれても、お腹空いていないから、って応えるんです。それが親なのです。そうした親に十何年か育てられて今日があるんです。だから、その感謝の気持ちのほんの少しなりとも、言葉で伝えましょう。」

そんな愛され続けた子どもたちを学校ではお預かりする。
出会いの縁とは不思議なものだ。
今まで、全く知らなかった人と、新年度に出会う。
生活習慣や育ってきた環境も違うので、統一のルールのもとで生活するにはなかなか大変なこと。
そうした中で先生方は四苦八苦するが、時々親の愛を忘れてしまう。

だからこそ入学式にこそ、先生方は親の愛を感じなければならないのだろう。

粛々と行われた入学式後、前野球部のキャプテンの母親が訪ねてきた。
大方は、三年間の感謝であった。
いろいろ苦情の多い親だったが、私には感謝の言葉しかなかったのは、息子であるキャプテンが私を悪く言わなかったのだろう。

「今回のことを通して、本当に子どもに救われました。私の心が狭かったことを、子どもから教わりました。」

そんな風に伝えられた。
微かに私を信用してくれたのかも知れないし、ほんの少しだけ、私たちの学校が仕事をしたのかも知れない…。

こんな風に、親も成長していく。その姿を見て、子どもも成長していく。
そして、先生たちも成長していく。

皆が成長していくのが、学校という場なのだろう。

入学式は、いろいろなことを教えてくれる。
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2021年04月06日

カカオ88%

「来ましたよ…。」
そう言って、私の研究室にT君がやってきた。
3月末から二週間近く会っていたなかったので、とても嬉しい。

「丹澤先生、数学の宿題の解答って、配りましたっけ?」
などと寝ぼけたことを言っている。
3月中にとっくに配ったていたのだが、本人は忘れているらしい。
解答がないものとして、懸命に解いていたようだ。
「まだ、全然終わっていないので、ここでやっていきますね…。」

いつもは遊びながら勉強しているT君だが、今日は真剣そのもの。
4月からはいよいよ高1なのだ。

「このチョコレート一人では消費しきれないので、一緒に食べましょ。」
「何だ、苦くて食べられないのか…。」
カカオ88%のチョコレートは、T君にはまだ少しずつしか食べられないらしい…。
「まだまだ子どもだなぁ…。」
「子どもですよ…。」
この時期の生徒は、都合のいいときだけ大人になったり子どもになったりする。
私の好きな、黒ごまきなこ牛乳を作ってみる。
いつもは、私がT君に作ってもらっているものだ。
「全然、甘くないんですね…。」
「そりゃそうだ。このきなこには砂糖が入っていないんだから…。」
「普段食べるきなこは、砂糖がドバドバ入っているんだよ。」
「知ってますよ。今度僕が作るとき、砂糖、入れましょうかぁ。」

T君は、たびたび私を助けてくる。
ほんとうにありがたい存在だ。

彼の両親が大切に育て、5月には十六歳になる。
あと三年、この学校で高校生活を送る。
新年度になって、またT君と関われることになったのは嬉しいことだ。

どんなことでも、T君は私に臆面もなく聞いてくる。
そのたびに私は正直に何でも答えている。
「丹澤先生は経験が豊かですからね…。」

彼とは何でも話をする。
そういう生徒は、数年に一度現れる。
T君もその一人だ。
生徒ながらも大人の会話ができるのが何だか面白いし、幸せな気持ちになる。

私は元来、寂しがり屋なのだろう。

ちょっと幸福になったひとときだった。



2021年04月05日

二宮尊徳像

以前は、どこの学校にもあった二宮尊徳(金次郎)像だが、昨今は修繕費も計上されないまま、老朽化という言い訳で、撤去されているものが多いようだ。

そんな中、我が校に二宮金次郎像がやってきた。

自助努力の精神と積小為大の考え方は、現代社会にもっとも必要な考え方であると言える。

コロナ禍の中で、人々は二宮尊徳精神をすっかり忘れてしまっている。
本当に困っている人を救済することは必要だが、自助努力の精神をも失わせる政策は、国の社会主義化であり、国に頼る国民を量産し、国力を衰退させる。

その意味では、政府や自治体が、コロナ感染拡大を防ぐという名目で、さまざまな国民活動や経済活動を制限し、罰則既定まで制定するというのは、まさに国家社会主義化だろう。

中国のように、自分でウイルスを作りばらまきながら、いざ国民が感染すると、完全封鎖し、感染者を隔離処分。公には何もなかったことにして、自分たちは感染をコントロールできているなどと公言している様を、本当は世界中が信用していないのだが、世の指導者たちは、それを指摘することも非難することもできないでいる。

唯一、吠えていたのはトランプ前大統領だけだった。
彼も、中国の罠にはまり、マスコミにでっち上げられたフェイクニュースで落選させられた。

こんな危機の時代であるからこそ、自助努力と積小為大の考え方は、きわめて大切だろう。

不可抗力の環境、言い訳はいくらでもできる。
だが、自助努力の精神があれば、必ず道は拓けていくに違いない。

だからこその、二宮尊徳像なのだ。

その精神を体現した生徒が育っていけば、世の中は変わっていく、と信じて、思いを伝え続けようと思う。

できない言い訳はいくらでもできる。どうやったらできるか、どう工夫し、何とかこの危機を乗り越えるか、を考え続け、行動し続ける、そういう生徒を育てたい。そして、自分自身もそのような人生でありたいものだ。

2021年04月02日

仕事始め

新年度が始まった。
仕事始めの今日、学年主任からの方針発表があった。
中1から高3まで、各学年主任が熱弁を振るう。

こんなにもポジティブで、目標が明確で、さらに意欲的ですばらしい発表は初めて聞いた。
学年主任6人の発表を聞きながら、「もし私が間違って学年主任になってしまったら、こんな素敵な発表ができるのだろうか…」、などと考えた。

私が教員を志したのはかなり早いのだが、大学生くらいになると、頭の中で授業の場面をいろいろとシミュレーションするようになった。担任になったら、あれをやろう、これをやろう、こんな工夫をしてみようなどなど、そんな思いを大きく育てながら、教員になったのだ。

実際、担任や学年主任をやっていたときも、毎日、いつでも、考えていることは、どう生徒と関わるか、授業や学年をどうするか、ということばかりだった。

しかし残念ながら今は少し違う。
なんとなく彼等と距離がある。
教員としてやりたいことが見つからない状態なのだ。

だから最低限の仕事しかできず、覇気もなく、老害となっているのだが、「いやいやそうではいけないな…」と、彼等のスピーチを聞いて反省した。

人は思いで仕事をする。
その人がどんな人生を生きるかは、その人の志や念いによる。

今、私の関心事が、少し教育から離れてしまっているのかもしれない。

以前、『教師塾』と称して、ベテランの先生が若手の先生にアドバイスがてらその技を伝授する機会があった。

私は講師としてその場に立ち、一時間弱熱弁を振るった。
終了後、若い女性の先生が言う。
「丹澤先生! すごすぎます。私には先生のように実践するのは無理です。まずはその十分の一くらいできれるように目指します。」

その女性の先生もこの春ご結婚された。
来春、担任している高3を卒業させたら、もしかさいたらご退職されるのかも知れない。

新年度、今年こそ奮起せねば…。

2021年04月01日

鯉のぼり

隣家に鯉のぼりが上がった。
集落の中で一番のご長老Yさんの息子夫婦に男の子が生まれ、いよいよ端午の節句を祝おうというのだ。

支柱の周りの枝切りをしているYさんに、「いいですね、鯉のぼり…。男の子がいることが周りから見て分かりますよね。めでたいことです」、と声を掛けた。

少子高齢化の進む田舎の町で、広い土地を持つ農家の庭に、こんな風に鯉のぼりが立つ。
今となっては貴重な男の子。地域としても、大切に育てねばなるまい。

仕事始めは明日からなのだが、私は自宅からテレワーク。
校務ソフトの新年度準備をこつこつ進める。

途中、作業に行き詰まり、学校のサーバーのリモート操作をお願いしたりして、何とか、明日の仕事始めまでに新年度準備を終えた。

先日の大雨で、畑はまだ湿っていて作業ができない。
せめて裏庭で倒木を燃やすくらいの、のんびり田舎暮らし。

三月末に、父親の三回忌で実家の東京に出掛けたが、ここ田舎に戻ってきて、「つくづく自然が豊かで、いい所だな」、と感じる。

もちろん都会よりは不便なことも多いが、それよりも四季折々の自然の中で、人間らしい生活ができている。

折しも桜は満開。

今年は、開花から四、五日で満開になった。
例年より一週間から十日ほど早く満開になった。

暖かいので、庭のいろいろな花々も咲き出し、毎日がインスタグラムの更新続きだ。

いよいよ新年度が始まる。
今年は、中一の学年所属になった。

いろいろな経験を通して、彼等は日々、大人への階段を上っていく。

私たちは、ほんのわずか、その手助けをするに過ぎないが、これまた、やりがいのある仕事でもある。

子どもは国の宝なのだ。

2021年03月28日

春の雨

「本当、雨男なんだから…。」
母親がそう呟く…。

私の家族では親父と弟が雨男。
今日の父親の三回忌は、読経の最中は大雨になった。

昨年の一周忌では大雪だったので、とにかく雨男は間違いあるまい。

今回は日帰りで東京に出掛けた。
昨日まで部活動を行っていたし、泊まりの場合、犬の面倒を誰かに見てもらうか、連れて行かねばならない。
だが、長距離の運転は体力的にも辛い…。
だから、始発の新幹線で出掛けることにしたのだ。

東京の空気は汚い。
何だか匂いが違う。
人も多く、なんだか殺伐としている。

ずっと東京で生きていたが、いつかは逃れようと、今の田舎に住んでいる私にとっては、実家に行くことすら、もはや苦痛に感じてしまう。

「ほら、桜満開でしょ…。」

今にも降り出しそうな、灰色の空に、何とも虚しく桜が咲いている。

法事を終えると、私は早々に帰宅した。
まだ明るい時間に戻ることができた。

はやり空気が違う。
雨は幾分か、小降りにはなったが、まだ止んではいなかった。

「雨だけど、散歩にいくか…。」
私は愛犬たちに呼びかけ、散歩に出掛けた。

何とも言えない幸福感。

そろそろ親父も成仏した頃だろう。

先日咲き始めた裏庭の山桜が、あっというまにピンク色に包まれている。

親父、ありがとう…。

2021年03月19日

中学卒業式

いよいよ中3が卒業だ。
例によって、私は写真撮影係。
朝から心を落ち着かせて、会場に保護者が入ってきても、気持ちを整え、式を待つ。

中3の学年所属であり、あるクラスの副担ではあるが、このところあえて教室には行かなかった。生徒たちの念いが担任に集中して欲しいと思ったからだ。

私が教室に行けば、担任もクラスの生徒も私に気を遣う。
そんな中で、中学校最後の日を迎えて欲しくなかったのだ。

式は、粛々と進んだ。
高校の卒業式時にうまく撮影できなかった教訓を生かし、式の最中、私はあちこちと動き回り、集中して失敗することなく、撮影できたはずだ。

今年の中3は、式の終わりに合唱を行った。
校歌斉唱の前に、混声四部合唱「仰げば尊し」を壇上にて披露したのである。

前日リハで聞いていた私であっても、彼等の思いのこもった歌声には、涙した。
いつもながら、オートフォーカスで良かったと思う。
卒業に際して感謝の思いを大きく抱きながら一生懸命歌っている彼等の歌声は、誰もが涙しただろう。

彼等は式後に、学年の先生と保護者を集めて、再び合唱を披露した。
自分たちで練習したポップスだが、その歌声も見事だった。
その歌でも写真を撮りながら泣いた。

その後教室で最後の学活なのだが、私は一切教室には行かなかった。

最後の学活は担任とクラスの生徒だけでいい。
もちろん、教室に行けば、泣いてしまうだろうから、それも辛い…

式後、私は早々に写真をサーバーに取り込み、退散した。
「丹澤先生、教室に来て下さいね…」という担任の声を無視して、逃げるように消えた。

やはり卒業式は苦手である。
私の傷心を癒やしてくれた彼等。
彼等のバイタリティと笑顔と優しさが、私にエネルギーを充電してくれた。
もう一度立ち直る力を与えてくれたのだ。
そう思うと、ただただ涙が溢れてくる…。

ありがとう。
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