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2021年04月22日
青い目の侍
R・エルドリッヂさんが、来校して全校生徒に対して講演を行って下さった。
日本ですでに三十年以上も生活され、さまざまな提言をされ、日本の発展のために尽力されている方である。
「日本という国の評価は、年々下がっています。このままでは日本は衰退してしまいます。ですが、私は日本の行く末を悲観していません。なぜならば、君たちの存在があるからです。」
静かにそう語り始めたあとは、現在日本が抱えている問題について、一つひとつ丁寧に話をされた。
「大切なのは、事前の準備です。沖縄の基地問題にしても、何か事件が起こったあとからではなく、その前にコミュニケーションをとっておくことが必要なのです。そのためには、信頼関係を築くことです。この人ならば、言うことを信じられるという関係を作っておくことが大事なのです。どんなことでも、事後よりも事前の準備が大事です。」
「大学院で教えていても、学生がやりたいことは話せても、『何のために…』、『それをするとどうなるのか…』、という視点が欠けています。本当に大切なのは、その部分の方だと思うんです。」
質疑応答では、高校三年生が手を挙げた。
最後にT君が、「移民受け入れと、安全保障について」の質問をした。
「日本に移民を受け入れることで、労働確保や、優秀な人材による国力のアップは期待できるが、移民を装ったスパイ活動や、工作行為によって、安全保障上の問題が生じることも懸念されるが、それをどう考えるか」、という質問だった。
中学生には、何が何だか分からなかったかもしれないが、こんな質問ができる高校生を誇りに思う。
と同時に、本気で日本の繁栄を考えている姿が見えて、とても嬉しく思った。
エルドリッヂさんは、具体的な方法についての明言は避けたものの、「問題一つに一つの対処方法を考えるのではなく、一つの対処方法で、複数の問題を解決する方法を考えている」と、いくつかのアイデアを示された。
日本人以上に日本のことを考え、本気で行動している方の話に、私自身も、もっと行動しなくてはならないと、改めて思った。
いい話を聞いた。
本講演は、生徒が直接お願いして実現したものであることを銘記しておく。
日本ですでに三十年以上も生活され、さまざまな提言をされ、日本の発展のために尽力されている方である。
「日本という国の評価は、年々下がっています。このままでは日本は衰退してしまいます。ですが、私は日本の行く末を悲観していません。なぜならば、君たちの存在があるからです。」
静かにそう語り始めたあとは、現在日本が抱えている問題について、一つひとつ丁寧に話をされた。
「大切なのは、事前の準備です。沖縄の基地問題にしても、何か事件が起こったあとからではなく、その前にコミュニケーションをとっておくことが必要なのです。そのためには、信頼関係を築くことです。この人ならば、言うことを信じられるという関係を作っておくことが大事なのです。どんなことでも、事後よりも事前の準備が大事です。」
「大学院で教えていても、学生がやりたいことは話せても、『何のために…』、『それをするとどうなるのか…』、という視点が欠けています。本当に大切なのは、その部分の方だと思うんです。」
質疑応答では、高校三年生が手を挙げた。
最後にT君が、「移民受け入れと、安全保障について」の質問をした。
「日本に移民を受け入れることで、労働確保や、優秀な人材による国力のアップは期待できるが、移民を装ったスパイ活動や、工作行為によって、安全保障上の問題が生じることも懸念されるが、それをどう考えるか」、という質問だった。
中学生には、何が何だか分からなかったかもしれないが、こんな質問ができる高校生を誇りに思う。
と同時に、本気で日本の繁栄を考えている姿が見えて、とても嬉しく思った。
エルドリッヂさんは、具体的な方法についての明言は避けたものの、「問題一つに一つの対処方法を考えるのではなく、一つの対処方法で、複数の問題を解決する方法を考えている」と、いくつかのアイデアを示された。
日本人以上に日本のことを考え、本気で行動している方の話に、私自身も、もっと行動しなくてはならないと、改めて思った。
いい話を聞いた。
本講演は、生徒が直接お願いして実現したものであることを銘記しておく。
2021年04月20日
稚心を去る
幕末の志士、橋本左内が14歳のときに著した『啓発録』の最初に、「去稚心」(稚心を去る)というものがある。
今朝の学年集会では、学年主任が中学一年生に、この『稚心を去る』という言葉とその意味と、行動指針の話をした。
14歳といえば、今で言えば中学二年生である。
安政の大獄で斃れた橋本左内は、当時、未来を見据え、日本の行き先を案じたのである。
そのためには、自らが正しく生きてなくてはならないと心得、『啓発録』を著し、自らを律する生き方をする。
稚心とは幼稚な心、親や誰かに頼る心、依存心。他人や環境のせいにして逃げる心。人をはやしたてたり、いじったりする低俗な心。大事なことをさぼる怠ける心。都合の悪いことをごまかす偽りの心。将来を考えず、その時の楽しみに興ずる心。
そんな話を、入学間もない中一に、懇々と話す。
「私は、この学年を学校一素晴らしい学年にしたいんです。稚心を去らなければ、成長dけいません。その中で、もし先輩たちで稚心を捨てられない人がいたら、そんな先輩を抜いて欲しいんです。君たちには絶対できると思っています。」
そう熱く語る言葉は、生徒たちに何かしら伝わったに違いない。
難しい話なのかも知れないが、その話も繰り返し聞けば、いつしか理解が進む。
過去は、意味の分からない漢文を音読させるという教育を行っていた時代もある。
フォローのつもりで、私はその後の一時間目の業で、もう一度彼等に語る。
「人ごとではないよ。自分のことだよ…。」
彼等の目は輝いていた。
一年かかってもまだ幼い新中2を超えていくのは、そう先のことではないかも知れない。
今朝の学年集会では、学年主任が中学一年生に、この『稚心を去る』という言葉とその意味と、行動指針の話をした。
14歳といえば、今で言えば中学二年生である。
安政の大獄で斃れた橋本左内は、当時、未来を見据え、日本の行き先を案じたのである。
そのためには、自らが正しく生きてなくてはならないと心得、『啓発録』を著し、自らを律する生き方をする。
稚心とは幼稚な心、親や誰かに頼る心、依存心。他人や環境のせいにして逃げる心。人をはやしたてたり、いじったりする低俗な心。大事なことをさぼる怠ける心。都合の悪いことをごまかす偽りの心。将来を考えず、その時の楽しみに興ずる心。
そんな話を、入学間もない中一に、懇々と話す。
「私は、この学年を学校一素晴らしい学年にしたいんです。稚心を去らなければ、成長dけいません。その中で、もし先輩たちで稚心を捨てられない人がいたら、そんな先輩を抜いて欲しいんです。君たちには絶対できると思っています。」
そう熱く語る言葉は、生徒たちに何かしら伝わったに違いない。
難しい話なのかも知れないが、その話も繰り返し聞けば、いつしか理解が進む。
過去は、意味の分からない漢文を音読させるという教育を行っていた時代もある。
フォローのつもりで、私はその後の一時間目の業で、もう一度彼等に語る。
「人ごとではないよ。自分のことだよ…。」
彼等の目は輝いていた。
一年かかってもまだ幼い新中2を超えていくのは、そう先のことではないかも知れない。
2021年04月19日
春の大会の監督会議
今日の監督会議は、
「今年は、万全のコロナ対策をして、春の大会を実施します。つきましては…。」
と始まった。対策は、大変手間のかかるものであった。
まず、大会参加のために全員の保護者の承諾書をとる。
大会人週間前からの毎日の検印記録をつける。
これらを取りまとめて、校長の職員をもらった大会申込書を提出。
当日は、各会場に参加者名簿を提出。
会場によって若干書式が変わる。
選手はベンチではマスク。
整列は塁線上。
監督はずっとマスク。
球審もマスク。
試合後は、責任を持ってベンチを該当校が消毒。
昨年は春も夏も、秋も大会が中止になった。
だからこそ、今年は何としても実施したいという気持ちがあるのだろう。
緊急事態宣言下にでもなれば、話は別だが、今の状態ならば実施できる。
3月、4月は試合時間が1時間になった。
野球の試合で1時間というのは、かなり短い。
だが、春の大会は、終日で3日間、例年通りに行われる。
コロナ対策でかなり面倒だが、生徒たちが楽しみにしている大会でもあり、何とか実施できたらいい、と思う。
だが、本当にこんな対策でコロナが抑えられるのだろうか。
マスクをしていても、感染する人もいる。
一年あまりで作った、本来のワクチンの定義に当てはまらない通称ワクチンが、変種に効果を出すというのも、きわめて疑問だ。
人類は、その中で、生き抜いて居ゆかねばならないのだろう。
そして、コロナは、旧来の常識が崩してゆくのだと思う。
「今年は、万全のコロナ対策をして、春の大会を実施します。つきましては…。」
と始まった。対策は、大変手間のかかるものであった。
まず、大会参加のために全員の保護者の承諾書をとる。
大会人週間前からの毎日の検印記録をつける。
これらを取りまとめて、校長の職員をもらった大会申込書を提出。
当日は、各会場に参加者名簿を提出。
会場によって若干書式が変わる。
選手はベンチではマスク。
整列は塁線上。
監督はずっとマスク。
球審もマスク。
試合後は、責任を持ってベンチを該当校が消毒。
昨年は春も夏も、秋も大会が中止になった。
だからこそ、今年は何としても実施したいという気持ちがあるのだろう。
緊急事態宣言下にでもなれば、話は別だが、今の状態ならば実施できる。
3月、4月は試合時間が1時間になった。
野球の試合で1時間というのは、かなり短い。
だが、春の大会は、終日で3日間、例年通りに行われる。
コロナ対策でかなり面倒だが、生徒たちが楽しみにしている大会でもあり、何とか実施できたらいい、と思う。
だが、本当にこんな対策でコロナが抑えられるのだろうか。
マスクをしていても、感染する人もいる。
一年あまりで作った、本来のワクチンの定義に当てはまらない通称ワクチンが、変種に効果を出すというのも、きわめて疑問だ。
人類は、その中で、生き抜いて居ゆかねばならないのだろう。
そして、コロナは、旧来の常識が崩してゆくのだと思う。
2021年04月18日
充実の日曜日?
子どもが映画を見たいというので、部活の練習前に映画館に連れて行く。
送り届けたあと戻ってきて、部活の練習。
途中、コーチが来たので、近所の知人に、軽トラで自宅に送ってももらい、2匹の愛犬を、野球部の練習グランドに連れてくる。今日は、狂犬病の予防接種日なのだ。
練習途中に、近くの公民館に予防接種を受けに行く。
戻って練習を終え、学校に生徒を送り届ける。
その後、自宅に犬を戻し、そのまま映画館に行き、ピックアップ。
少し買いものをして、自宅へ。
昼食後、裏庭の倒れた竹を
処理をして、大きなたき火。
風が強かったので、少し蜜蜂の巣箱に煙が来ても、大丈夫だろうと、高をくくるも、知人に叱られる。ちょうど分蜂時期なのだ。
その後、手伝ってくれたT君を送りがてら、近くの温泉で小一時間、たき火の汗を流す。
絶景の景色に若葉緑が心を揺さぶる。
再び、自宅に戻り、少し畑と、蜜蜂の世話をして、洗濯と夕食。
食事後、再び学校で仕事。
そしてちょっと早めに就寝。
こんな日曜日は、珍しいのだが、なぜだがあまり疲れはなかった。
生徒と関わりの中での一日だったからだろう。
もしかしたら、この疲れは月曜日にどっとくるのかな…、と思いつつ、洗濯物を干す際に、右足を捻挫した。
何でもない、平らのところで足をひねった。
激痛が走る。
先日のぎっくり腰がようやく治りかけていたときにこれだ。
歳をとるということは、こういうことなのだろう。
あまり動けない週明けになりそうだ…。
送り届けたあと戻ってきて、部活の練習。
途中、コーチが来たので、近所の知人に、軽トラで自宅に送ってももらい、2匹の愛犬を、野球部の練習グランドに連れてくる。今日は、狂犬病の予防接種日なのだ。
練習途中に、近くの公民館に予防接種を受けに行く。
戻って練習を終え、学校に生徒を送り届ける。
その後、自宅に犬を戻し、そのまま映画館に行き、ピックアップ。
少し買いものをして、自宅へ。
昼食後、裏庭の倒れた竹を
処理をして、大きなたき火。
風が強かったので、少し蜜蜂の巣箱に煙が来ても、大丈夫だろうと、高をくくるも、知人に叱られる。ちょうど分蜂時期なのだ。
その後、手伝ってくれたT君を送りがてら、近くの温泉で小一時間、たき火の汗を流す。
絶景の景色に若葉緑が心を揺さぶる。
再び、自宅に戻り、少し畑と、蜜蜂の世話をして、洗濯と夕食。
食事後、再び学校で仕事。
そしてちょっと早めに就寝。
こんな日曜日は、珍しいのだが、なぜだがあまり疲れはなかった。
生徒と関わりの中での一日だったからだろう。
もしかしたら、この疲れは月曜日にどっとくるのかな…、と思いつつ、洗濯物を干す際に、右足を捻挫した。
何でもない、平らのところで足をひねった。
激痛が走る。
先日のぎっくり腰がようやく治りかけていたときにこれだ。
歳をとるということは、こういうことなのだろう。
あまり動けない週明けになりそうだ…。
2021年04月17日
正負の数の計算
毎年、何人かの生徒が、「正負の数の計算」で落ちこぼれる。
場合によっては、それが中3にまで響き、さまざまな障害を生む。
というわけで、今回中1学年の数学の授業をコントロールできる立場になったので、「正負の計算」を工夫して教えることにした。
まずは加法と減法なのだが、( )をつけない計算から始めた。
つまり、(-3)+(+2)などの括弧つき符号つきの計算ではなく、-3+2をいきなり教えるという方法である。
例えば、3+2の計算系には4パターンある。
3+2=5
-3+2=-1
3-2=1
-3-2=-5
これと本質的には同じだが、2+3にも4パターンがある
2+3=5
-2+3=1
2-3=-1
-2-3=-5
これらの計算を、温度計の変化で説明して、ひたすら演習する。
できたら、見た瞬間に答えが浮かんでくるようになるまで、何度も練習して、さらにスピードもアップする。
この計算を全員が習得したら、次の段階として括弧つき符号付きの計算を行い、
括弧、符号を省略して、この計算に帰着させる、という作戦である。
最初から括弧や符号つきを教えると、いろいろな規則があって、なかなか一斉理解が難しいのだ
この方法なら、温度計の説明だけで生徒を納得させることができる。
ちょっと荒技かも知れないが、まずは「分かる」、「解ける」を目指して、その後のテストで、「取れる」状態に持ち込みたい。
この方法で、どれだけ正負の数の計算ができるようになるか。
6月の中間試験の結果がどうなるかは、後日ご報告ということで…。
場合によっては、それが中3にまで響き、さまざまな障害を生む。
というわけで、今回中1学年の数学の授業をコントロールできる立場になったので、「正負の計算」を工夫して教えることにした。
まずは加法と減法なのだが、( )をつけない計算から始めた。
つまり、(-3)+(+2)などの括弧つき符号つきの計算ではなく、-3+2をいきなり教えるという方法である。
例えば、3+2の計算系には4パターンある。
3+2=5
-3+2=-1
3-2=1
-3-2=-5
これと本質的には同じだが、2+3にも4パターンがある
2+3=5
-2+3=1
2-3=-1
-2-3=-5
これらの計算を、温度計の変化で説明して、ひたすら演習する。
できたら、見た瞬間に答えが浮かんでくるようになるまで、何度も練習して、さらにスピードもアップする。
この計算を全員が習得したら、次の段階として括弧つき符号付きの計算を行い、
括弧、符号を省略して、この計算に帰着させる、という作戦である。
最初から括弧や符号つきを教えると、いろいろな規則があって、なかなか一斉理解が難しいのだ
この方法なら、温度計の説明だけで生徒を納得させることができる。
ちょっと荒技かも知れないが、まずは「分かる」、「解ける」を目指して、その後のテストで、「取れる」状態に持ち込みたい。
この方法で、どれだけ正負の数の計算ができるようになるか。
6月の中間試験の結果がどうなるかは、後日ご報告ということで…。
2021年04月16日
朝のメッセージ
中学校のほとんどの教室の黒板に、毎日、生徒向けのメッセージが書かれている。
「みんなおはよう。昨日も、私はみなさんに癒やされました。みなさんたちの笑顔はとても素敵です。笑顔が私のエネルギー源です…。」
こんなメッセージが毎朝黒板に書いてあるのは、生徒たちも嬉しいだろう。
私にはこの発想はなかった。
「書かないで、口で言えばいいじゃないか…」、という古い時代の人間の一人だ。
だが、面白い方法だとは思う。
口で言いにくいから、文字にするのだろう。
古来、そんな風に、手紙も使われてきている。
黒板にメッセージを書くというのは、私も高校時代に経験したことがある。
当時、私はある部の部長だったが、一年後輩の副部長と交換日記のようなものをしていたのだ。
そのとき、ちょっとしたメッセージは、黒板に書いた。
他の人には分からない、中国語で書いたのだ。
同じく中国語を勉強してた後輩には、内容が理解できる。
メッセージを受けたら、その返信も中国語で書く。
他の人は何だか分からないだろうが、なんとなく秘密の交換みたいで面白かった。
もちろん、勉強したての自分たちに、それほど難しい中国語が書けるわけもなく、ほんの短いフレーズだが、今から三十年ほど前の出来事を、懐かしく思い出す。
「何だろう…。」
と、気になって読めば、心にも残る。
それが注意であろうと、祝福であろうと、記憶にはとどまるはずだ。
高校時代、非常勤の若い先生に古典を習ったことがある。
この三月で学校を去るというその先生は、最後に一人ずつノートにメッセージを残してくれた。
『颯爽と風に吹かれる人生であれ。さらば。』
その言葉今でも覚えている。
「颯爽」という漢字はこのとき初めて見た。
恐らく二十代であったであろう、その先生のメッセージを、高校生だった私は、きちんと受けとめ、三十年経っても覚えている。
教育とはおもしろい…。
「みんなおはよう。昨日も、私はみなさんに癒やされました。みなさんたちの笑顔はとても素敵です。笑顔が私のエネルギー源です…。」
こんなメッセージが毎朝黒板に書いてあるのは、生徒たちも嬉しいだろう。
私にはこの発想はなかった。
「書かないで、口で言えばいいじゃないか…」、という古い時代の人間の一人だ。
だが、面白い方法だとは思う。
口で言いにくいから、文字にするのだろう。
古来、そんな風に、手紙も使われてきている。
黒板にメッセージを書くというのは、私も高校時代に経験したことがある。
当時、私はある部の部長だったが、一年後輩の副部長と交換日記のようなものをしていたのだ。
そのとき、ちょっとしたメッセージは、黒板に書いた。
他の人には分からない、中国語で書いたのだ。
同じく中国語を勉強してた後輩には、内容が理解できる。
メッセージを受けたら、その返信も中国語で書く。
他の人は何だか分からないだろうが、なんとなく秘密の交換みたいで面白かった。
もちろん、勉強したての自分たちに、それほど難しい中国語が書けるわけもなく、ほんの短いフレーズだが、今から三十年ほど前の出来事を、懐かしく思い出す。
「何だろう…。」
と、気になって読めば、心にも残る。
それが注意であろうと、祝福であろうと、記憶にはとどまるはずだ。
高校時代、非常勤の若い先生に古典を習ったことがある。
この三月で学校を去るというその先生は、最後に一人ずつノートにメッセージを残してくれた。
『颯爽と風に吹かれる人生であれ。さらば。』
その言葉今でも覚えている。
「颯爽」という漢字はこのとき初めて見た。
恐らく二十代であったであろう、その先生のメッセージを、高校生だった私は、きちんと受けとめ、三十年経っても覚えている。
教育とはおもしろい…。
2021年04月15日
三密
コロナが蔓延した際、官邸は、「密閉・密集・密接」を「三密」と称し、国民に避けるべき指針として提示した。おそらくは、科学的検証もないまま、感染学者の考えのもとに、総理大臣が発表したものであろう。
だが、私が言いたいのは、この「三密」ではない。
密教(仏教)における『三密』である。
「蜜」とは、秘めたものという意味があるが、この『三密』は、悟りに到るための三つの方法と言ってもよいものである。
「身密」、「口密」、「意密」を『三密』と言うが、「身」は行い、「口」は言葉、「意」は心のことで、要は、「心を正し、言葉を正し、行いを正す」ということである。(密教では、さらに具体的な修行徳目のことを言う。)
間違った言葉が出てしまうのは、心の中が間違ったことを考えているからであり、そうした状態では、正しい行為(日々の生活)を行うことは困難である。
霊的世界では、思ったことが相手に伝わるので、言葉と心(思い)は直結している。
『三密』は、「三密」によって、ずいぶん穢されたものである。
「正しい生き方をして、人生を全うしよう」、という思いは、たとえコロナ渦であっても、変わることのない考え方である。
この世を刹那的で、欲望のままに生きることは間違っている。
それが理解できるかどうかは、宗教的素養を持っていることと、その後の教育による。
悟りを高めてゆこうとする考え方が、正しく生きる道であり、まずはその正しさとは何かを知ることが、第一歩なのであろう。
「三密」の中には、人と人とのコミュニケーションが失われる。
そのストレスは、逆に免疫力を引き下げる。
ある意味、『三密』の対極にあるとも言える。
心を正し、言葉を正し、行いを正す。
教員としてのあるべき姿であると共に、人間としてあるべき姿ではなかろうか…。
だが、私が言いたいのは、この「三密」ではない。
密教(仏教)における『三密』である。
「蜜」とは、秘めたものという意味があるが、この『三密』は、悟りに到るための三つの方法と言ってもよいものである。
「身密」、「口密」、「意密」を『三密』と言うが、「身」は行い、「口」は言葉、「意」は心のことで、要は、「心を正し、言葉を正し、行いを正す」ということである。(密教では、さらに具体的な修行徳目のことを言う。)
間違った言葉が出てしまうのは、心の中が間違ったことを考えているからであり、そうした状態では、正しい行為(日々の生活)を行うことは困難である。
霊的世界では、思ったことが相手に伝わるので、言葉と心(思い)は直結している。
『三密』は、「三密」によって、ずいぶん穢されたものである。
「正しい生き方をして、人生を全うしよう」、という思いは、たとえコロナ渦であっても、変わることのない考え方である。
この世を刹那的で、欲望のままに生きることは間違っている。
それが理解できるかどうかは、宗教的素養を持っていることと、その後の教育による。
悟りを高めてゆこうとする考え方が、正しく生きる道であり、まずはその正しさとは何かを知ることが、第一歩なのであろう。
「三密」の中には、人と人とのコミュニケーションが失われる。
そのストレスは、逆に免疫力を引き下げる。
ある意味、『三密』の対極にあるとも言える。
心を正し、言葉を正し、行いを正す。
教員としてのあるべき姿であると共に、人間としてあるべき姿ではなかろうか…。