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2021年05月01日

山の学校の練習試合

私の学校では、ようやく今日からGWになるというのに、昨日から上空に寒気が流れ込み、昨日から雷雨となった。

「今日も雷が鳴ったら、そこで練習試合終わりだよ…。」
この地域では、雷鳴が聞こえたら、聞こえなくなって一時間経つまで、試合を再開できない。練習試合なら、そこで終わりだ。

今日、私たちが出掛けるのは標高の高い、山の方にある学校。
しかも、午前中はサッカーの練習試合でグランドが使えないとのことで、急遽午後からの試合になった。

ところが朝のうちは、日も射したのだが、だんだん黒い雲が立ちこめ、すっかり空は灰色になった。

それでも一縷の望みをかけ、会場校に向かう。

幸い雨は降っていないし、雷鳴も聞こえない…。

本年度の初試合。
いや、昨年秋に新チームになっての初試合だ。

「試合やって大丈夫なんですか?」
学校に届け出を出した際、教頭から心配されるくらいだったのだが、この地域、練習試合はやっても問題ないようである。

球審は、先方の野球専門部出身者の校長先生が務めて下さった。

途中、雨が降ったり止んだりではあったが、雷鳴はなかった。

本当は、1.5試合くらいは予定していたのだが、無理矢理7回までやって、二時間以上かかってしまったので、この試合で終えた。

大勝の初勝利であった。
何のことはない、雨で苦しんだ相手ピッチャーと相手守備のミスで点をもらっただけのことだ。

私のチームのエースは雨の影響はなかった。

打線もつながった…。

まずは初勝利だ。

いい試合ではなかったが、勝ちには違いない。

帰り際、ツキを逃さないためにも、相手校のグランドのトイレ掃除をしてから帰校した。

次の試合は4日だ。
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2021年04月29日

市民大会

昨晩は星が見えていたのだが、未明から雨になり、市民大会が中止になった。
昨年はコロナで中止。今年こそ、と思ったが、今年は雨で中止。

ただでも少ない試合が、中止になってしまうのはなかなか辛い。
選手たちもがっかりだろう。

今日は、学校は通常授業日。
試合に行かずに、いつもどおりの授業を受ける。

昭和の日の休日は5月1日に移し、連休をまとめたのだ。
だが、1日は土曜日だから、生徒たちは、損をした気持ちになったかも知れない。

GWでも、世の中はコロナ渦。
あまり出来ることは少ない。
幸い、二回練習試合が計画されている。

このまま小康状態を保てれば、春の大会も実施出来るだろう。

だが、GWでも家族で旅行に行くことも憚られるし、外食だってままならない。

生きにくい世の中になったものだ。

朝、犬の散歩時にレインコートを着た。
大学生の頃から使っている、三十年以上前に買った登山用にレインコートだ。

このレインコートを着て、南アルプスも北アルプスも歩いた。
あの頃、「どんな人生を生きるのかな…」、などと期待に胸を膨らませながら、大自然の中の山歩きを楽しんだ。

変わっていないことは、今でも自然を愛し、自然の中で暮らしていることくらいだろうか。
一緒に山歩きをした友人とも、もう十年以上音信不通だ。

どんな状況下にあろうとも、皆、一生懸命生きている…。
それが人間だ。

この時期に学校に通い、いろいろな制約があったということも、いずれは思い出話になるのだろう。

午後、野球連盟の事務局長が来校した。
今日の「参加賞です」と、新球1ダースを持ってきた。

参加費を払わずに、それ以上の値段の新球が来た…。

世の中、何があるか分からない…。




2021年04月28日

コロナ禍のGW

コロナが蔓延するにつれ、日本が全体主義化している。
いよいよ国家社会主義の波が押し寄せようとしているようだ。

PCRで陽性になると、あっという間に保健所等が介入してくる。
濃厚接触者リストの提出が求められる。
拒否すれば、事業所名を公開し科料を科すという脅しに入る。

まるで、お隣の中国のようではないか。

大都市部は緊急事態宣言が出ている。

三密を避けるとは言われるが、科学的根拠は乏しい。
マスク着用とも言われるが、ウイルスは小さいので、マスクでは防げない。

世の中は、「ワクチンさえ打てば大丈夫」、という風潮になっているが、これは完全に世論誘導。

今始まっているワクチン接種は、十分な治験が行われないない。
副反応の実験もあまりに乏しい。
この先、どんどん変異していくであろうウイルスに、対抗できるかも定かではない。

識者が、「ウイルスさえ打て安心、というのは間違いですよ」、とテレビなどで発言すれば、その識者は番組から排除されるのだ。

学校でも、GW中は飲食店、宿泊に関しては、複数で出掛けてはいけないなどの指針が校長から発信された。

これはウイルス感染を防ぐというよりも、不用意な行動として、のちのち指摘されることを避けるための自衛策である。

おそらくは、どの学校でも、いろいろな制約が起こっているのだろう…。

学校でクラスターが発生したというニュースも、チラホラ聞くようになった。

いたずらに恐怖心を煽り、自分たちが信じる「正しさ」に国民を誘導してゆこうとする権力者たちには、決して翻弄されないようにしたいものだ。

人類はかつても様々な病原菌やウイルスと戦ってきた。

科学万能と信じられた21世紀の今、人類には試練が訪れている…。





2021年04月27日

交通安全連絡協議会

県下の交通安全連絡協議会に参加した。
県内の高等学校の交通安全担当者が、年度初めに一堂に会するのである。

私の学校では、私自身が交通安全委員会の責任者。
自分が参加する義務がある。だが以前は忙しく、別の先生にお願いしたが、今年度は、教頭が早々に私を参加者として報告してしまったので、私が出掛けることになった。
閑職なのでちょうどよい。

二年前にも私が参加することになっていた。
だが、その日の朝、父親が逝去した。

急遽欠席する旨、新幹線を降りた新横浜で電話したことを今でも思い出す。
早朝に逝ったので、死に目には会えなかったが、霊となった親父とは会話できた。

あれから二年。先日三回忌を終え、今年は交通安全連絡協議会に参加している。

春爛漫。
あの日も暖かな日差しの晴天だった。

昨年度は、コロナ渦で、ほとんど活動が出来なかったという。
二ヶ月あまり休校であったにも関わらず、自転車事故は増えているそうだ。

「自転車は車両です。生活用品ではありません。」
そう、力説する講師の言葉には説得力があった。

「うちでは、6割がバイク通学なんですよね…。」

高校生が通学で、バイクが許可されている学校は、田舎ならではことだろう。
10q以上の生徒が申請でき、講習後許可になるとのことだ。
だが、年一回の講習会以外、特に安全教育はなされていないというのが現状のようだ

思えば、学校はいろいろなことを担っている。
教育機関であることには違いないが、交通安全教育にしても、性教育にしても、何でも教えなければいけないのが学校のようだ。

従来から、「すべて学校に任せておけば…」、という意識が、国民にはある。

先生方は、時折町に出て、交通安全指導も行う。

忙しいわけだ…。

2021年04月26日

筍ご飯

今年も裏庭で筍が採れた。
この地域は、まだ市場出荷が許されていないので、地元産が店に並ぶことはないが、自分たちで食べるなら、何の問題もない。

筍はいつ出てくるか分からず、気づくと大きくなってしまうので、気をつけて見ているのだが、それでも「しまった」ということがたびたびある。

少し大きくなってしまっても、圧力で調理してしまうので、とても美味しく出来上がってしまうのだが、一人で食べきれないので、たいていは、煮た筍を先生方にプレゼントする。

例年より少し早い感じだが、今年4本めの筍は、筍ご飯にすることにした。

たいてい、筍に飽きてしまうので、しばらく我慢して、すべて人にあげてしまったのだが、そろそろ良かろう、と調理することにした。

季節の恵みを楽しむことができるのは幸せなことだ。
先日も、裏庭のタラの芽を、オリーブオイルでパリパリに炒めて食べたし、蕗味噌も何度も作った…。

今回の筍ご飯も、五合炊き、自分では二杯だけ食べて、あとはすべてあげてしまった。
恐らくこの先、種類も変わり、一ヶ月程度は筍シーズンなので、次は何の料理にするか、思案中である。

昨今は、筍を掘るのにも慣れ、大きなものなら、素手で取れるし、そうでなくても、あっという間に収穫出来るようになった。

生徒たちも、先生方引率のもと、筍掘り体験をしている。
こんなことでも、貴重な体験らしい。

近隣の店で買いものしていたら、ご主人が、「熊が国道を越えた」、と教えて下さった。

山には熊がいるのだが、それが国道を越えて南下することは、これまではなかったようだが、どうやら、川沿いに下りてきたらしい…。

ツキノワグマとは言え、人間よりも遥かに大きい。

山(森)に食料が少ないのだろうか。
熊は、筍だって食べるんだろうな、とおもいつつ、母親の教え通り、収穫した筍は、すぐに煮てしまう。
圧力鍋なら、あっという間だ。

自然の恵みはありがたい。

2021年04月24日

落書きコーナー

教室の後ろの黒板に「落書きコーナー」なる一角がある。

担任の先生に、「落書きコーナーって、必要かなぁ。なくてもいいんじゃないかな…」、と申し上げたら、渋い顔。

「私が高校の担任のときも、やっていたんです。ガス抜きになるかと思って…。」

どうやら私は古い人間のようだ。
「ガス抜きかぁ…。」

「教室の黒板には落書きを初め、余計なことを書いてはいけない」、というのが、通常なのだが…。

ふと、大昔に駅にあった伝言板を思い出しだ。

駅に、連絡用黒板が設置され、そこに「○○さん、先に行っているよ…」という具合のメッセージが書かれ、利用されている時代があったのだ

そんな連絡ボードにも、イラストが書かれていたことがある。

入学直後の生徒たちは、落書きコーナーに群がり、絵を描きまくっている…。
けじめをつけることも必要なのではないか、と思ってのご忠告だったが、結局担任は考えを改めなかった。

ひとたび緩めた部分を、締め直すのは、かなり難しい…。

だが、私の目には、明らかにその部分だけ、汚らしく見え、教室にそぐわぬように感じてしまうのだ。

やはり、私は古い人間だ。

「時代は変わったのかな…。」
と思うと共に、ジェネレーションギャップも感じる…。

「役立たずの居候が、余計なことを言って、すいませんね。」

私は心の中で、そうつぶやく…。

2021年04月23日

信仰と志と人間関係

R・エルドリッヂさんの講演の続報。

彼は、人生に大切なことは『信仰と志と人間関係』であると言う。

エルドリッヂさんは、キリスト教徒であるが、日々の生活の中で神を信じている。

信仰を持っていることは、世界では常識であり、人間であることの要件でもある。
戦後の日本のように、「私は信じている宗教はありません」という発言は、世界標準から言えば、「私は人間ではありません」、とアピールしているようなものである。
神の存在を信じていることで、傲慢にならず、謙虚な生き方できるはずだ。
併せて、人生の中で困難が訪れたとしても、−彼は、人生では必ずそうした場面がやってくると言う−、信仰によって強くなれる。
「神は、自らの解決できる範囲をはるかに超えるような、難問を与えることはない。必ず、この困難、危機は乗り越えられる。」
という勇気が湧いてくるはずだ。

志は、改めて言うべきもないが、「自分が何をしたいのか。自分がどう社会で役に立つのか。私にしかできないことは何か」、ということを考え続け、一歩でも自らの理想に近づいてゆこうと努力する姿勢は、何ものにも負けない強い心を生み出す。

それでもなお、困難に直面し、困ってしまったとき手を差し伸べてくれる存在が、親しい友人であるのだという。
危機の時代に、その友人は振り分けられるとも語った。
そうした友人との人間関係を、普段から構築していたからこそ、互いに困難のときに助け合うことができるのだ。

人間は一人では生きていくことはできない。

そして、社会を形成しているということは、その中での学びがあるということを意味している。

こうした『信仰と志と人間関係』があれば、人は強く生きることができる。
ポジティブな考え方になれる。
そして、自分が理想とする生き方に近づくことができる。

彼はそのように語り、生徒たちを鼓舞したのだ。

何のことはない、鼓舞されたのは我々大人の方であったのだが…。




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