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2021年05月25日

採密

昨年春から育てている日本ミツバチの採密を実験的に行った。
近所に住むミツバチの師匠が、「軽いから蜜入ってねぇかも知れんぞ」、というものだから、本当に入っていないのかを調べるため、重層式の巣箱の最上段を切り離してみた。

実際は、そのうちの半分より下に蜜がたまっており、少しハチミツをいただくことができた。

何もかもが初めてで、試行錯誤やら失敗の連続だったが、なんとか、あまりミツバチたちの犠牲者を出さずにできたと思う。

まずは一晩、垂れ蜜を取り、明日は巣蜜を採ったり、搾ってみようと思う。

本当は高1のT君に手伝ってもらおうと思ったのだが、最近、あまり私に寄りつかないので、高3のM君に手伝ってもらった。

「丹澤先生、防護服の中にミツバチが入ってきちゃいました…。」
と、焦るM君。
「大丈夫だ…。」
と、私はさっと蜂を払いのける。
蜜の匂いに誘われているだけで、攻撃中ではないので、凶暴ではない。

一度、蜜の状態を確認しようと、天板を開けたとき、防護服を着ていなかった私に、数匹が猛攻をかけてきたことがあったが、今回はそんなこともなかった。

アレルギー反応のこともあるので、あまり刺されない方がいい…。

「ほれ、なめてみろ」
と、採りたてのハチミツをM君になめてもらう。

いわゆる百花蜜である。
昨年からの二年越しの蜜でもある。

かなりの美味であったことは間違いあるまい。

日本ミツバチのハチミツは、100グラム1000円以上で取引される。

売れるほど取れるか分からないが、自然の恵みをしばし楽しませていただくことにしようと思う。

何と言っても、一年育てた(勝手に育った)、人生最初のミツバチなのだから…、
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2021年05月24日

最後の砦

昨今は、「質問があります。教えて下さい」、と私を訪ねてくる生徒も少なくなった。

もしかしたら、私が潜在的に拒否しているのかも知れない。
と同時に、彼等と年齢が離れすぎて、聞きずらいのだろう。

そう考えると、教える先生の年齢は、生徒たちと近い方がいい。

私が彼等に寄り添おうとしても、彼等から見れば、自分の親よりも年齢が高い先生に違いなく、怖れのようなものを感じることだってあるだろう。

私自身の中学、高校時代を振り返っても、印象に残っているのは若手の先生だった。
年配の先生は、それなりに面白かったが、やっぱり少し距離があり、話しかけにくく、親しく話をするにはほど遠い存在であったように思う。

今、自分がそうした年齢になって、生徒との距離が年々離れていくのは仕方のないことだ。
だからこそ、引退時期があるのだろうが、それを感じる年齢になってしまったことに、悲しみを感じる。

年配の教師たちがよく言う、「あの頃はね…」という口癖も、私の口から頻繁に出てくるようにもなった。

そんな中で、今でも中学時代の教え子である何人もの高校生が、私の姿を見るたびに、満面の笑顔で挨拶をしてくれる。

そんなとき、「あぁ、教員でよかったなぁ…」、とひととき幸せな気持ちになる。

もしかしたら、これが『最後の砦』で、こうした情景すら失われた時には、私は潔く引退すべきなのだろう。

確かに、年々、そうした生徒が減っていくようにも思える。
つまり、『最後の砦』は、少しずつ崩壊し、砦としての形態を失いつつあるようでもある。

もし、私自身が、生徒から話しかけてもらえない教師となったとき、私は、淋しくて孤独死してしまうかもしれない。

それほどまでに私は寂しがり屋であったのだろうか。

かつて私に、「丹澤先生は、生徒と結婚したようなものだからな…」、と言った校長がいたことを思い出す…。

2021年05月23日

泣けなかった運動会

今年の運動会は、ほとんど泣けなかった。
いつもは、彼等の姿に感動し、涙ながら写真撮影をしているのだが、今年はそんなことはなかった。

彼等の雄姿に心を揺さぶられないと言うことは、「もう、この世界から引退すべきなのではないか…」、とも思う。

リーダー学年が、昔、私を苦しめた代であるということも、あまり親近感を持てなかった理由の一つではあるが、それでも自ら教育者を名乗る以上、そんなわだかまりを、何年も引きずってはいけないのだ。

あの頃のダメージが大きすぎたということもある。
だが、それを乗り越えるだけの時間も経っていることも事実。

唯一、高校三年生の演舞だけは、涙が流れた。
だが、それだけだった。

「運動会よ、早く終わってくれ」、とも思わなかったし、自らの役割を果たすため、今年も五千枚以上の写真は撮影している。

だが、彼等との距離を作り、一歩引いて見ている自分自身がいる。

リーダー学年である高2は、当初高1からも、中3からも煙たがられていたが、運動会の練習が進むにつれて、それも弱まり、最終的には、どの団も一つになった。

だが、どれだけ高2とのわだかまりが溶けたのかは分からない。

「一緒の団になって話したら、結構いい先輩でした。」
そんな声もチラホラ聞いた。

学校行事としては成功した運動会だったと思う。

見て下さった七百名以上の保護者も、概ね満足してお帰りいただけたことだろう。

だが、何となく私自身に充実感がない。

子供らに感動出来なくなった時が、この仕事を終える時期なのだろう。

ともあれ、今年も感動をありがとう。




2021年05月22日

M君暴れる…

「Sさん、パソコン室でエッチな画面見ていたよ。」
おしゃべりの中1Mが、中2のSの様子を皆に言いふらそうとしたのを、Sが先輩風を吹かせて止めた。

だが、Mは、「Sさん、長くパソコンを使っていたよ」、などと言いふらして回った。
言いふらされたと勘違いして、怒ったSは、Mとその友人たちを追い回す。
「許さん。殴ってやる!」と、暴れ回った。

最近、Mは情緒不安定である。
入学時から、自分の衝動を抑えきれないことに苦しんでおり、今は、大分コントロールできるようにはなったが、まだ感情が爆発すると、行動を抑えきれない。

「このままだと、本当に暴行事件になりますよ。」
同学年の生徒たちも、Mの行動を怖れ、彼と距離を取る。

だが、その疎外感とも孤立感とも言える状況が、ますますMを追い込んでいるようにも見える。

と言って、Mが受け入れられる状況でもない。

昨今は、後輩たちにもその噂と言動は広がり、ますます孤立しているのが現状だ。

発達の偏りとひとくくりにするのは簡単だが、そうした生徒も育て、かつ、他の生徒にいい意味で学びの場を提供できるはずだ。

検査をすれば、支援学級に入るべき生徒なのかも知れないが、うちの学校では、そういう生徒も、これまで何度も受け入れ、卒業させてきた。

学校の教育力と、生徒たちと先生たちの愛の力が、Mを善導してゆくことを信じたい。

「話しても、理解できないみたいですよ…。」
若手の先生たちはそう言うが、結局は、その指導を自分の中で受け入れる状況には到っていないのと、叱られたことへの照れ隠しが、素直さを妨げているのだろう。

根気強く繰り返しの指導で、Mが成長していくことを願うばかりだ。

良くなることを信じて疑わなければ、必ずや変わっていくだろう。
それが教育の効果だ。





2021年05月21日

雨の中のテント張り

運動会の準備で、グランドにレンタルテントを立てた。
いつもならば、ほぼ全校生徒で行うところ、今年は雨。

コロナ禍でもあり、発熱すると、即PCR検査というご時世なので、今回は高校生の運動部員に限定して、かれらにカッパを着せて準備させた。
もちろん、男性教員は全員出動である。

雨は大したことなかったが、レインコートを着ていると蒸れる。
その上、フードをかぶっているので、視界が遮られる。

グランドはあちこちに水たまりができ、テントのポールにも砂が入り、たびたび砂を取って組み立てなければならなかった。

それでも、レンタルテントは組み立てが容易で、結構はやく作業が終わった。

そんな中で、男性職員の一人が指に怪我をした。
初めての参加だったこともあるが、少し油断したのだろう。

テントの脚は折りたたみ式でもあるが、重量があり、手を挟むと怪我をする。
生徒の怪我ではなくて良かった。

生徒たちは、毎年のことでテント立ても慣れたもので、ささっと数十個のテントを作り上げた。

明日も雨の予報だが、幸い強風の予報はないので、重しだけで大丈夫だろう。

テントを立てたあとは、その中に折りたたみ椅子を置く。
学校として持っているパイプ椅子に加え、レンタルのものを合わせると千を超えるのだろう。
これらは、保護者席だ。

雨上がりになると思われる体育祭の当日の朝、これらの椅子は、一つひとつ雑巾で拭くことになるのだろう。

一つのテントを立てるのに、六人で行う。
ちょうど足(柱)の数と同じだ。

この六人が協力すれば、すぐに終わる。

彼等を観察していると、協力できているグループかどうかもよく分かる。

面白い光景だった…。




2021年05月20日

運動会の予行練習

近隣の学校は、今週の土曜日が運動会なのだそうだが、私の学校は日曜日に行う。

今日は、終日予行練習を行った。
一度流れが追っておくと、本番でもスムーズにいく。

コロナ対策で、運動会時間が時短になっているので、なおさら予定通りの進行が求められるわけだ。

体育祭では団毎のダンスパフォーマンスがある。
制限時間は5分。
この時間内に、各段工夫を凝らし、高2の団長をはじめとするリーダー以下、中1までの全員が、グランドでパフォーマンスをするのである。

実は、運動会の練習で一番時間がかかるのがこれで、このパフォーマンスの優勝を競って、何ヶ月も前から練習する。

私は、たいていは彼等の演技を見ていると涙が溢れてくる。
「全員の思いを一つにして、芸術作品を創り上げよう!、運動会を見に来て下さった人たちに喜んでもらおう。普段支えて下さっている両親や家族、援助してくださっている寄付者に、自分たちの成長と感謝を伝えよう」、という思いが、彼等の演技に詰まっているからだ。

当日写真撮影担当は、今日は全団の演技を見ていた。
「どんな風に写真を撮ればいいかな…」、という名目のもと、実際は、「仕上がりはどんな感じかな」、と見ていたのだ。

この中で、涙が出そうになった団が一つあった。

恐らく当日は、すべての団が私を泣かせることになるのだろう。

マスクやらフェイスシールドを着けての写真撮影は困難だが、お上には逆らえまい…。

何とか当日までに仕上げようと必死になっている高2。
その姿を、一歩引いて、来年は自分たちだな、と不安げについていく高1。
中学最高学年として、後輩たちをまとめなくては、と思い焦っている中3。
どうしていいか分からず、右往左往している中1を気にしつつも、なかなか声を掛けられない中2。
ついて行くだけで精一杯、体力も限界値に近づいている中1。

そんな彼等の本番前のドラマも、感動を増幅する…。

彼等のパワーはすざましい…。





2021年05月19日

久しぶりの授業

大会やら行事やらで中2のあるクラスは、一週間近く授業ができなかった。

本来、授業変更すべきなのだろうが、習熟度別クラスで、私のクラスだけ変えるわけにもいかず、結局、プリントによる自習続きになってしまった。

久しぶりに教室行き授業をすると、何となく違和感を感じてしまう。

「授業が楽しみで仕方なかったよ。」
などという気持ちにはなれない。

と言って、「授業をしたくない」、という気持ちでもない。

自習中にどれだけきっちり勉強したかは、彼等のプリントを見れば分かる。

いつもフニャフニャ授業を受けているHのプリントも、ほんの五分くらい取り組んだだけで、あとは、ぼうっとしていたか、寝ていたのだろう。

一方、完璧に解いている生徒もいる。

「この差が、定期テストの点数の差になるんだよなぁ…。」
と、思いつつ、久しぶりの授業を始める。

運動会が終われば、すぐに中間考査になる。

先手、先手で準備をしていた生徒と、ギリギリまで取り組まなかった生徒では、大きな差が出るだろう。

概して、人間の差というものは、こういうところから来ている。

あるとき、必死で頑張った時は、その成果が徐々に出てくるのだろうが、たいていの場合怠けることを習慣としてる人は、その結果に応じた人生を歩むことになる。

頑張りや奮起の元は、「生きがい」であり、「人のために尽くそうという目標」であったりする。

「自分のために」、「お金のために」というモチベーションもあるが、あまり結果は芳しくないものだ。

学校では、行事や授業を通して、その「頑張り」が計られる。

努力に努力を重ねている人は、自然にその姿で、他の人に感化を与えているのだろう。

やっぱり授業できるというのは、いい…。




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