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2021年06月01日

中間考査

中1にとっての最初の定期考査。
教室では緊張感が張り詰める。

そんなときこそ、教師は穏やかに語る方がいい。
その一見静かと思えるような声は、実は教室に響き渡る。
何か普段と違うものを、生徒たちは感じるのだ。

そんな試験も何度も経験すると慣れてくるのだが、とにかく最初の試験はドキドキだ。

今日の中1での試験監督では、トイレに行きたいという生徒は出なかった。
こんなときも、「試験中でもトイレに行けるんだよ」、などと甘やかすと、そうした生徒が多発するが、「トイレに行くときは、職員室に電話して、別の先生に来てもらうんだよ。誰がトイレに行きたいのかも、バレバレになるよ」、などと少しプレッシャーをかけると、きちんと休み時間にトイレに行くようになる。もちろん、腹痛は別だ。

机に上には筆箱から必要な筆記用具を出して、それだけを置くことになっているが、そのために、中学低学年では、試験中に文房具をよく落とす。

鉛筆やシャーペンなら、音で気づくが、消しゴムは落ちても音がしないので、困ったときには生徒は挙手をする。

ただ、私は、「消しゴム一個だけじゃだめだよ。何個か用意しておくんだよ」、とあらかじめ指示しているの、彼等もそれほど困らない。

そんな感じで、最初の時間の試験監督では、十数回、文房具を拾った。
中には、答案そのものを飛ばしてしまう生徒もいた。

例年よりは少なめだろうか…。

さすがに答案回収には手間取っていたが、三日間の試験で慣れるだろう。

試験の答案を見ても、勉強した形跡があり、「やるじゃないか…」とも思ったものだ。

次の数学の答案を採点して、「むむっ」、と思うことはあったが、それは私の指導力不足。

彼等にとっては定期テストも一つの試練。

きっと乗り越え、自分の学習スタイルを確立してくのだろう。





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2021年05月31日

カッコウ

5月最後の日は快晴の朝になった。
久しぶりの快晴だ。

私の住む田舎町では、耳を澄ますと、カッコウが鳴く。
ホトトギスも鳴く。

そしてトンビが大空で歌う。

その中で、抜けるような青空のもと、近くの山々が朝日に輝く…。

間もなく蛍も飛び交うだろう…。

学校では明日から中間考査。
運動会の日程で、例年より遅くなったが、中1にとっては初めての定期考査。

緊張とプレッシャーで潰れそうになってしまう生徒もいるが、皆が乗り越えてきた道でもある。

入学試験で大きな試験は経験しているとは言え、今は中学生。一人で立ち向かわなければならない。

初めての経験を、重ね、繰り返し、繰り返し成長して、大人への道へ進んでいくのだ。

あと一月もすれば、ヒグラシの季節だ。

季節は巡り、時は流れ、子どもたちは成長していく。
と、同時に、我々も齢を重ねていく…。

私にとって、かつてのバイタリティは減りつつある。

ギラギラ感が薄れ、おおらかになったとも言えるが、老獪になったとも言える。
それでいて、かつての経験と異なり、思い通りならないと、少なからず傷つく…。

早朝から勉強している生徒に、「頑張れよ!」と、心の中で声援を送る。

みんな来た道。そしてこの先も、若者が歩んでいく道。

教室の外では、何事もなかったかのように、小鳥たちが歌を歌っている。





2021年05月30日

草刈り

地元の草刈りがあった。
十数人の部落民が、一斉に草刈りをすると、あっという間に、道路脇の草は刈られていく。

私は、草刈りが下手くそで、時間もかかるので、この日に合わせて、何日も前から少しずつ私の担当エリアを刈っていたのだ。
お陰で、今日も慌てることなく終えることができた。

草刈りの開始時間は朝の6時。
だが私は、その30分前から始める。
私が草刈りを始めて、程なく他の人も草刈りを始める。

順調にいけば、6時半には「終わりだべ」と解散になる。

何となく集まってきて、何となく解散するスタイルにも慣れてきた。
草刈りだって、気づいたら、気づいた人がやる。
それが農家を中心として営む地域の、古来からの助け合いの精神だ。

しかし彼等は、誰がやったをちゃんと知っている。
どこで見ているのだろうか、と思うのだが、地域のたいていの出来事は、皆が把握しているのだ。

恐らく、畑や田んぼ仕事をしながら見ているのだろう。

ある種の共同体だから、いざというときは、助け合って生き抜いてきたのだ。

「ありゃ、駄目だ。あいつは信用できねぇ…。」

今は亡き、私が住んでいる家のもと住人に対して、そんな言葉を聞いたことがある。

私自身が、「あいつは駄目だ」と言われないように努力しなくてはなるまい…。

基本的には優しい人たちばかりだ。
飲み会があっても、楽しく時を過ごせる。

私自身、新参者には違いないが、そうしたコミュニティにいられることを嬉しく思う…。

以前はもっと厳しい方がいらしたと聞く。
今の重鎮たちは、その人の指導のもと、生きてきたと言う。

そんな中で、今も田舎の部落は生き抜いている…。




2021年05月29日

小学生と中学生

中学生になって一番最初の試練は、もしかしたら、「先輩と良好な関係を築く」ことかも知れない。

どこの学校でも、小学校から中学校へ進学した際にはギャップがあって(中1ギャップ)、そのギャップにうまく適応できない生徒がいるようだ。
近隣の学校では、そのために中学校と小学校が積極的に交流している。

いままで友達だと思っていた人が、急に先輩として見なくてはいけなくなり、呼び捨てからさん付けや、先輩と呼ぶ。敬語も使う。

楽しく先生と関わっていたのに、中学の先生は怖い。
話しかけにくい。
すぐに職員室に帰ってしまう。
遊んでくれない…。

確かに小学校とのギャップは大きい。

それでも、私立学校に来るくらいだから、相応の覚悟の元に入学してきたかつての生徒たちは、それほどそのギャップを感じることはなかった。

だが、昨今は違う。

あからさまに幼いのである。
成績も下がったという面もあるが、成績が低いということは、基本的な生活習慣の確立ができておらず、勉強に対する意欲や集中力も低いという傾向がある。
行動も刹那的で、考えて行動するというよりも、反射的に動く。
発言も、思いついたことを言い、その場の雰囲気や、状況を把握できない。

そんな中で、思い通りにならないことが、ギャップになるのだろう。

中学当初は、先輩から優しく接してもらえ、言葉遣いなども大目に見られるのだろうが、だんだんと、先輩たちの目は厳しくなる。

逆に、それが理解できずに先輩になった場合、今度は後輩の行動や発言に傷つく…。

学力低下は、生活面にも大きな影響を与え、教員としての仕事の柱をさらに何本も打ち立てる。

変わらない中に、変わって行く姿に対処していくのが教員だが、老体にはやや重い…。




2021年05月28日

定期試験と大会

時に、定期試験前後に大会がある場合がある。
今回も、試験の二日前の日曜日が高校サッカーのインターハイ予選。
高校テニスも土日に大会だ。
今日は水泳の大会も行われている。

幸い中間考査では、中学校は大会と重なっていないが、期末考査のときに苦しい…
実は、期末考査の翌日が、中学総体なのだ。

こんな風に試験と大会が近いと、通常考査一週間前で部活動が活動しなくなる、という原則が崩れ、試験前であっても、練習をしなくてはならなくなるわけだ。

考査と考査前一週間を加えると約10日。
この間、何も身体を動かさなければ、当然試合どころではなくなってしまう。

私が担当している野球部では、練習のない日でも自主練をするきおとが習慣化されているが、何もしなければ、大会で怪我をしたり、思うように身体が動けなかったりするだろう。

試験前に勉強していない人には、大会前の部活があろうがなかろうが、あまり関係ないのかも知れないが、本気で勉強をしている人にとっては、とても大変な状況になる。

私が以前勤めていた学校では、こうした場合、「放課後一時間のみ」活動が許されたのだが、今の学校ではそうした既定はない。
それでも、彼等の勉強時間の確保は担保しなくてはいけないのだろう。

中学総体が試験と近づいてしまったのは、本来7月下旬に行われていた総体が、何年か前の猛暑で前倒しになったからだ。
それに加えて、今年は、私の学校の期末考査が少し遅くなった。

これにより、結局生徒に負担をかけることになってしまっている。
「勉強しなくては…」、と思いつつも、大会がある。
総体は中3は最後の大会である。

昨年はコロナで中止になったが、今年は今のところ実施の見込みである。

「中間考査で点数を稼いでおきなさい!」
という私の言葉も虚しく、中間考査前でありながら、彼等はそれほど勉強しているとも思えないのだが…。

私はせっせと試験問題を作っている…。




2021年05月27日

愛するということ

つくづく、「自分は駄目な奴だなぁ」と思う。
平凡かそれ以下で、優れた能力を発揮している同僚たちと比べると、勝っているのは年齢くらいで、とても太刀打ちできるものではない。

生徒たちだって優秀で、将来彼等が世の中のリーダーになった時、その足下にも及ばず、霞んで見えるくらいの存在。
それが今の私である。

そうは言っても、私にも、心の奥底に僅かながらの『愛』があるのだろう。

私が教員生活として残された時間は、それほど多くない。
だが、私の『愛』で、生徒たちを導くことは、まだまだ出来るかも知れない。
最近、そんな風に考えるようになった。

野に咲く花を見て、美しいと感じる心は、幸せな気持ち。
無邪気な子どもたちを見て、微笑ましく思う気持ちも、幸せな気持ち。
溢れる笑顔で駆け回る子ども立ちを見るのも、幸せな気持ち。

一生懸命問題を解く子どもたちの姿は美しい。
遠くに見える山々の雄大さと同じくらい美しい。
たとえ、答えを間違えても、もう一度チャレンジして、「できること」を目指す彼等の姿を見て、私の人生を顧みる。

教師という権威にたよらず
歳をとったベテランという姿に甘んじず
いつも新鮮な気持ちで
生徒と関わることができたならば
いつまでもこの仕事を続けることができるのだろうか。

子どもたちが成長していく姿は
青空を見て美しいと思う心
懸命に生きている虫たち
夜空に輝く無数の星々
これらの美しさと同じ

元気に走る子どもたちの姿を見るのも
学んで知識を得て嬉しそうな姿を見るのも
勝負に負けて泣きじゃくる子どもたちの姿を見るのも
すべて教育者の醍醐味

さあ、もう一踏ん張りしようか。




2021年05月26日

ピアノレッスン

高1のS君にピアノレッスンをしてみた。

「自分で音楽練習室の予約をとるのだったら、教えてあげるよ…。」
と言っておいたら、きちんと予約していた。

S君は、多少はピアノを弾けるようだが、習ったことはなかったようだ。

かく言う私も、それほど長い期間レッスンを受けた訳ではない。
世界的ピアニストの方と知り合いだったので、その方のレッスンが、私にとって最後のレッスンだ。

ここ半年近く、私は一切ピアノを触らなかった。
ピアノを弾く時は、一種の瞑想状態になる。
心が落ち着くのである。

もちろん、弾けない曲が弾けるようになるには、かなりの時間と努力を要するし、飽きっぽい性格の私の場合、なかなか練習時間が作れない。

それでも、ピアノは好きだ。
いつかは自宅に、グランドピアノを置いてみたい。

そんな訳で、今回、初めて生徒に教えてみた。

指使いやら音階やら、教えるべきことは多いが、一番大切にしたいことは、自分の音を自分で聞くということだ。

自分で弾いた音を、自分で確認しながら、音楽性を高めていくのだ。
そこに思いを込めることができる。

その思いが、音楽の調べとなって、人に感動を生む。

そのためには、「ただ弾ける」だけではいけないわけだ。
根気を出して、訓練を重ねなくてはいけない…。

最近の若者は楽譜を読めない人が多い。
サイトの鍵盤が流れる動画で練習しているらしい…。
確かに、どの鍵盤を弾けばいいかが分かるが、これではいつまで経っても楽譜は読めるようにならないだろう。

それに強弱記号や微妙な速度調整はどうするのだろう…。

この先、レッスンが続くのかどうか分からないが、私も、ちょっと一歩を踏み出した感じだ。




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