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2021年03月07日

自らを愛する

私は、その男の写真を三葉、見たことがある。

太宰治の小説『人間失格』は、この書き出しで始まる。

私も若かりし頃、太宰文学に傾倒した。
二十歳の記念に一人旅に出掛け、青森周辺で太宰の小説の舞台を訪ね歩いたりしたのだ。

青春期の闇の思いが、太宰文学と同通することになったのだろう。
今でこそ、「小説の内容は、人生の糧になるものではない」と思っているが、太宰文学の軽快なリズムで人を引きつける文体は、さすがだと思う。

そういう私であるから、もしかしたら心の深い部分では、未だに太宰文学を信奉する思いが残っているのかも知れない。

だから、その道は間違っていると分かっているのだが、時おり、デカタンスに惹かれてしまう。

最近、しばしば、「いつまでこの職場で勤められるだろうか…」、という思いが湧いてくる。

ない。
怠惰になったということもある。
面倒なことから逃げたい、という思いもある。

だから、管理職からは信頼されず、重要なポジションにはつけられない。
恐らくは捲土重来を期待してのことだろう。

しかし、年齢と共に体力が落ち、気力も萎え、再び立ち上がることができるのだろうか、とも思う。

だから、新年度の学年主任にも、「私はお役に立てることはありませんから…」などとうそぶいてしまう…。

自分の人生に自信が持てないという悪癖は、どこかで「人間失格」につながっているのだろう。

心のそこから、「自らを愛する」ことができなければ、この負のスパイラルからは抜け出すことは難しいだろう。

いち早くこの呪縛から脱却しなくては…、と思いつつ、齢五十六を越えた。
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2021年03月05日

学年末考査

卒業式の翌日が代休で、その次の日から学年末考査であった。
この時期、バタバタして毎日が過ぎていく。

卒業式後の感傷に浸ってばかりだと、試験問題に不備があったり、採点作業に差し障りが出る。

そうはいっても、寂しいものは寂しい。

今まで当たり前だったことが、ピタッとしまうのだ。

座席から一切の高校三年生が消え、教室もがらんどう。
食事をしている姿も、勉強している姿もない。
「丹澤先生、こんにちは…」、と訪ねてくる人もいない。

長年連れ添った伴侶を亡くすような、そうした喪失感。
心にぽっかり穴が開いてしまったような、そんな思いに押しつぶされそうになる。

どうやら卒業して行ったY君が、「丹澤先生のことよろしく…」、と後輩のM君に託していったようで、ちょこちょこM君が訪ねてくれものの、未だに私の心は癒えない…。

そんな中で迎えた学年末考査。
生徒たちは必死だろうが、私は部活がないので少しのんびりできる。

決められた勤務時間という概念がないというのは、こういうときに役に立つ。

だから暖かい日中に愛犬の散歩をしたり、庭の手入れをしたり…。

家の裏に流れる川の鮎釣りも解禁になった。

庭の草木も、次々と芽吹き、花が咲き始めた。

いよいよ春がやってくる。

試験が終われば、本年度もカウントダウンだ。

二度と授業を担当しない生徒もいるのだろう。

そう考えると、ますます気持ちが萎えていく…。

2021年03月04日

食事会

しばしば試験期間中のお昼に学年で食事会を行う。

今も、コロナ渦なので、「皆で外食へ行くなら、私は遠慮しようかな…」、と思っていたら、私の隠れ家に白羽の矢が当たり、離れで食事会をすることになってしまった。

学年団の女性陣があれもこれも、というものだから、私と同年代のT先生は翻弄されたのだが、そこは年の功で、さっと仕切って、二人で準備をすることにした。

結果、私が汁物とバーベキューの準備をして、T先生が揚げ物担当になった。

「どれもお店で出せますね…。」

我々年寄りにとっては、最大の賛辞だ。

「引退したら店を開きますか?」
私は、そうおどけてみせる。

揚げたての天ぷらの味、炭での焼きたての肉、どれもこれも美味であった

暖房器具のない離れの囲炉裏も、それほど寒くはなかった…。

これで最後の食事会。
学年メンバーは来年度バラバラになる。
学校を去られる方もいるかも知れない。

そう考えると、人生一期一会であるとともに、毎日の一瞬一瞬を大切にしなくてはならないのだろう…。

先生方だと、片付けも完璧なのでささっと終わる。
あれよあれよの間に、元の状態に戻った…。

おいしく、楽しいひとときだった。

若手の先生方、楽しんでいただけただろうか…。




2021年03月01日

生徒と離れた生活

これまで三十年以上教員生活を過ごしてきた。
公立学校だったら、定年退職までカウントダウンの歳だ。

私の人生は、いつでも生徒と関わる中で毎日だった。
だから生徒と離れた中での生活など、もはや考えられない。

しかしこの先、私は生徒と離れた生活を過ごすことになるのだろう。
それがいつから始まるのかは分からないが、いずれは野に下り、田舎暮らしになる。

この時期、『愛別離苦』に悩まされる。

学校現場では、この世を去ってしまうような別れはほとんどないが、それでも日常かr阿深く関わりのある生徒や先生と別れるのは、断腸の思いだ。

このところ、私の心の中は「寂しいな…」という思いしか湧いてこない。

離れてしばらくすれば、お互い疎遠になって、慣れてしまうのだろうけれど、やはりこの感情は御しがたい。世の先生方は、どのようにして切り抜けているのだろう…。

どうやら私の場合、生徒との関わりの中で、エネルギーをもらい生きているようなのだ。
彼らにしてあげられることなどたかが知れている。
もちろん、「私がしてあげた」などという思いも湧かない。
だが、ふと振り返ると、結局は、私自身が生徒に助けられているのだ。
私が救われているのだ。
彼らが私を生かしてくれているのだ。

大人とうまく関われない私は、生徒たちとの生活の中で、その不足分を補っているのだろう。

この先、退職したら、私はどうなってしまうのだろうか…。

私は、生きていけるのだろうか。
新たな、エネルギー供給はどうしたらいいのだろうか。

それでも何か、子供たちと関わる方法を見つけるのだろうか。
大人になった卒業生たちのネットワークを構築するのだろうか。

私のこの先の人生そのものを、ふと、考えてみる。

先は見えないが、歩き続けるしかないのだろう…。




2021年02月28日

強者どもの夢のあと

とうとう卒業式の日を迎えてしまった。
私は毎年、この日が来るのを怖れている。

新たな旅立ちを祝するめでたい日であるのに、私自身は、耐えがたい悲しみに打ちひしがれるのだ。

「できたら、式場には入りたくな…。」
毎年そう思う。
保護者席の関係で、全員が式典会場に入れるわけではないので、中1、中2は教室で中継を見る。

「今年度は中3の学年所属なので、会場に入ることになるのかな…。できたら、外で駐車場係がいいかな…」、などと思っていたら、なんと撮影係になってしまった。

「泣きながら写真撮影をしろ、ってことか…。」

式典中、私は写真を撮りまくった。
室内でフラッシュをたかない状態では、なかなかいい写真は撮れない。
それでも、記録として残そうと、彼らの姿にカメラを向け、シャッターを押した。

涙があふれても、カメラのファインダーをのぞいているから、傍目からは分からない。
オートフォーカス機能がなければ、私の写真はすべてピンボケだろう。

公立の学校では、全員マスクをして校歌すら歌わない。
保護者も一人だけ、在校生の参列はなかったそうだ。

だが、私の学校では例年通り。
マスクをつけている卒業生は誰もいない。
国歌だって校歌だって普通に歌う。

ましてや高校3年生にとっての校歌は、これが最後なのだ。
元気よく、多く
多くの生徒が皆が涙を流しながら歌っている。

いよいよ卒業生の退場となった。
入場時は、学年主任や担任が先導したが、式の最後は生徒だけが退場していく。

今年も彼らは感謝を込めて学年合唱をした。
私はもはや何も見えなくなった。

退場をズームレンズで撮りまくる…。

最後の生徒が会場から出た後、私は廊下にでて号泣した。
「もう無理…。」
そして、涙を拭って再び会場の外へ出て、卒業生を追いかける。
外では、会場に入れなかった中1と中2が、彼らが歩いている赤絨毯の両側に立ち祝福している。

こうして卒業式が終わった。
私はとてもとても謝恩会には出られないと、そそくさ退散した。

今日も泣き疲れた…。

翌日、高校3年生の教室に行った。
荷物がなくなって寂しくなった教室。
コサージュが一つ、机の上に残されていた…。




2021年02月27日

泣き疲れる…

高校3年生を送る会が行われた。
毎年、卒業式の直前に中1から高2までがイベントを行い、高3生に感謝を捧げる。

運営の中心になるのは高1。
さまざまな出し物や、動画が組み込まれ、微笑ましい催しになった。

私は高校3年生の席のすぐ後ろの席に陣取り、進行を見守る…。

「だめだ、涙が止まらない…。」

なんて私は涙もろいのだろうか。

彼らの姿や、感謝の言葉に感応して、止めどもなく涙が流れる。

幸い、会場を暗くしていたので、だらしない泣き顔を生徒たちに見られることはなかったが、ただただひたすら泣いた。

「なんだろうこの感情は…。」

毎年、高校の卒業式が近づくと、日に日に増大していく悲しさと寂しさに押しつぶされそうになる。

中学入学時から見ているとはいえ、最近は高校生とはそんなに関わりがないはずなのに、どうしても泣けてくる。

本当は、旅立っていく彼らを笑顔で祝福しなくてはいけないのだろう。
もちろん、ここまで成長した彼らは立派だ。

私が、彼らにかけてあげられる言葉は、「じゃあね…」の一言だ。それ以上話すと、泣いてしまう…。

自分のために泣いてくれる先生の存在は、後々に彼らにいい影響を及ぼすのだろうが…。

最後の高3生のスピーチは、いつもより短かったが、やはり「うっ」となった。

まさに、泣き疲れた3年生を送る会になった。

明日は、いよいよ卒業式だ。




2021年02月23日

消えた監督会議

今年も2月の中学野球の監督会議が中止になった。
昨年から始まったコロナ渦により、学校の部活動は翻弄され続けている。

思い起こせば、阿倍前首相の恐怖心による休校要請から始まり、連日、国民に不安と怖れを抱かせるばかりのマスコミ報道。当時は、経済活動を止めることが、国家としてどういう状態をもたらすかを考えることのできない、一部の学者に、国政を委ねたと言ってもよい。そうした状況が今なお、続いているのだ。

昨年は春の大会、夏の大会もなくなり、秋の新人戦も消えた。
一応、夏には2校で夏の大会の代わりになる引退試合を行い、秋には交流戦も行った。
だか、本当にそれだけなのだ。
練習試合も、昨年から一度も行われず、いわゆる正式な公式戦はまったくなかった。

当然のように、監督たちが集まる機会もほんのわずかで、昨年12月に、先生向けの指導者講習会を行った際に皆が集まっただけである。

今回も、総会もなく、役員会だけが行われ、来年度の予定や連絡がラインで配信されただけである。

3月のシード決め大会も、交流戦に変更になったが、高体連が対外試合を中止しているので、中学もどうなるかわからない。

世の中は、生死にかかわる深刻な状況なのだから、学校の部活動どころではないのかもしれないが、彼らの青春期も一度きりなのだ。

幸い、私の学校生徒たちは、モチベーションを下げることなく頑張っているが、土日の部活が禁止になっている他校では、ますます家に引きこもり、きっとゲーム三昧なのだろう。

届いた書類には、来年度の大会日程が載っている。
このうちどれだけが、予定通りに実施できるのだろうか。

4月には県下で審判講習会も行われることになっているが、どうなるかわからない。

どうなるかわからない中で、計画を立て、準備をするのも、なかなかの至難の業だ。

混乱だらけの学校教育現場だが、本当に正しい方向に向かっているのだろうか…。
いつか、笑って思い出を話せる時期がくるのだろうか…。

科学万能主義に陥り、傲慢になった人類への警鐘は、まだまだ続くのだろう。
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