2021年03月07日
自らを愛する
私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
太宰治の小説『人間失格』は、この書き出しで始まる。
私も若かりし頃、太宰文学に傾倒した。
二十歳の記念に一人旅に出掛け、青森周辺で太宰の小説の舞台を訪ね歩いたりしたのだ。
青春期の闇の思いが、太宰文学と同通することになったのだろう。
今でこそ、「小説の内容は、人生の糧になるものではない」と思っているが、太宰文学の軽快なリズムで人を引きつける文体は、さすがだと思う。
そういう私であるから、もしかしたら心の深い部分では、未だに太宰文学を信奉する思いが残っているのかも知れない。
だから、その道は間違っていると分かっているのだが、時おり、デカタンスに惹かれてしまう。
最近、しばしば、「いつまでこの職場で勤められるだろうか…」、という思いが湧いてくる。
ない。
怠惰になったということもある。
面倒なことから逃げたい、という思いもある。
だから、管理職からは信頼されず、重要なポジションにはつけられない。
恐らくは捲土重来を期待してのことだろう。
しかし、年齢と共に体力が落ち、気力も萎え、再び立ち上がることができるのだろうか、とも思う。
だから、新年度の学年主任にも、「私はお役に立てることはありませんから…」などとうそぶいてしまう…。
自分の人生に自信が持てないという悪癖は、どこかで「人間失格」につながっているのだろう。
心のそこから、「自らを愛する」ことができなければ、この負のスパイラルからは抜け出すことは難しいだろう。
いち早くこの呪縛から脱却しなくては…、と思いつつ、齢五十六を越えた。
太宰治の小説『人間失格』は、この書き出しで始まる。
私も若かりし頃、太宰文学に傾倒した。
二十歳の記念に一人旅に出掛け、青森周辺で太宰の小説の舞台を訪ね歩いたりしたのだ。
青春期の闇の思いが、太宰文学と同通することになったのだろう。
今でこそ、「小説の内容は、人生の糧になるものではない」と思っているが、太宰文学の軽快なリズムで人を引きつける文体は、さすがだと思う。
そういう私であるから、もしかしたら心の深い部分では、未だに太宰文学を信奉する思いが残っているのかも知れない。
だから、その道は間違っていると分かっているのだが、時おり、デカタンスに惹かれてしまう。
最近、しばしば、「いつまでこの職場で勤められるだろうか…」、という思いが湧いてくる。
ない。
怠惰になったということもある。
面倒なことから逃げたい、という思いもある。
だから、管理職からは信頼されず、重要なポジションにはつけられない。
恐らくは捲土重来を期待してのことだろう。
しかし、年齢と共に体力が落ち、気力も萎え、再び立ち上がることができるのだろうか、とも思う。
だから、新年度の学年主任にも、「私はお役に立てることはありませんから…」などとうそぶいてしまう…。
自分の人生に自信が持てないという悪癖は、どこかで「人間失格」につながっているのだろう。
心のそこから、「自らを愛する」ことができなければ、この負のスパイラルからは抜け出すことは難しいだろう。
いち早くこの呪縛から脱却しなくては…、と思いつつ、齢五十六を越えた。
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