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2019年08月12日

S君からのメロン

毎年お盆の頃になると、卒業生たちを思い出す。
ほとんどの教え子たちは、今何をしているのか分からない。
元気に過ごしていればそれでいい、と思っている。

時々彼らから連絡が来ることもあるが、「便りがないのが元気な証拠」と思うことにしているし、中高生時代などは、思い出の中に押し込まれ、だんだんと消えていくものだとも思う。

私の食い扶持のためとまでは言わないが、私自身、彼らと共に生活できたことは、楽しいことであったし、共に学び、成長できてたことは間違いない。

私立学校で、いくつもの学校を渡り歩いた私にとって、かつての学校との接点はほとんどなくなってしまう。

最初に務めた学校に、定年まで勤め上げることができる優秀な方であれば、それなりの卒業生との付き合いもあろう。

そう考えると、私の場合は少し特殊なのだろう。
もっとも、公立の学校ならば、異動のたびに学校が変わる訳で、そういう意味でも、何だか「割り切り」のようなものが必要なのだろう。

昨日、卒業生のS君からメロンが届いた。
卒業以来、毎年この時期になると、北海道産のメロンを送ってくれる。
北海道は美味しいものがたくさんあるが、このメロンも私をメロン好きにしてくれたものの一つだ。

私の年齢では、「メロンは病気をしたときのお見舞いの品として持って行くもの」、という印象が拭えないが、それを覆してくれたのも、このメロンだ。

北海道では、一玉何千円もする訳ではない。それどころか、家族で6個入りの箱単位で買っていく。
買ってすぐは食べられないのだが、熟すのを待ちながら、冷やしていただく…。
彼らにとっては、夏の風物詩であり、めぐってくる季節行事の一つのような感覚だ。

数日前、S君から
「丹澤先生、今年も恒例のメロンを送りました。2箱あります。2個は高校野球のH監督に渡してください。残りは、適当に配るなりしてください…。」
というメールが入った。

大人食いしたって、せいぜいメロン半分。「さて、どこに配るかな…」、と思い巡らせながら、うれしさにほくそ笑む。

そういえば、S君と同期が二人、教員として戻って来ているんだっけ…。


S君との深い絆は、また別の機会に…。












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2019年08月11日

教師という職業

夕方学校に寄ると、今年卒業した教え子が来ていた。
大学受験を控えた高3の勉強の面倒を見てくれるらしい。

見れば、在学中の優秀生徒。まさに学校の頭脳とも言える面々だ。

彼らは私の姿に気がつくと、すぐさま近寄ってきた。

夏休み中だからと、交通費をかけてわざわざ学校に来て、何日間か高3のサポートをするらしい。

卒業すると皆立派になっていくように見える。

在学中は、中1から見ていることもあり、なんとなく子供っぽさが目についたが、卒業し、しばらく離れていると、一層逞しく見えてくるものだ。

こうした奉仕の精神で、実際に行動してくれるのは本当にありがたいし、また立派なことだと思う。

大抵の卒業生は私の姿を見ると、
「丹澤先生、変わらないですね…。」
と言う。

「歳を取らず、いつまでも元気な姿で駆け回っている」、と取るべきなのだろうが、私自身としては、「進歩がない」、と見られても仕方がない。

『常に新しいことにチャレンジし、進化し続ける』
ということを求められる時代であればこそ、私たち教員も、常に向上を目指し、学び実践し続けなければならないのだろう。

卒業生だって、歳を取り、衰え老けた恩師の姿など見たくはないに違いない。

そうは言っても、時の流れには逆らえない。
未来への希望は若者にある。

私たちのような中高年の屍を乗り越えて、新たなる未来へ歩んでゆくべき人間である。

教師という職業は、何とも都合の良い解釈をするもので、彼らが活躍すればするほど、何だか自分が活躍したような錯覚に陥り、育てた親のような慈愛の気持ちで、彼らを見ることができる上に、ちょっとだけ誇らしく思えたりする。

今日来てくれた彼らは、この先もっともっと活躍するだろう。
もしかしたら、人類史上初というような発見や、貢献をするかも知れない。

そう考えると、何だがにんまりする…。








2019年08月10日

荒れ放題の畑

ちょっと手入れをしないうちに、畑は荒れ放題になってしまった。
ほったらかしのトマトやキュウリがぐちゃぐちゃになるわ、サツマイモがどんどん地面を覆って、ネギがかくれてしまうわ、もちろんカボチャだって、全体の半分を覆っている。
しそは、背丈に近づくほどになり、ほかに植えたものは、見る影もない…。
やっぱり、毎日手入れをしないと大変なことになるのだなぁ、と反省しきり。

以前植えた枯れた土とは違い、自宅の畑は土が良いのか、ものすごい成長を見せる。
「こんなにも違うのか」、と改めて関心。

「でかいカボチャができななぁ」、と地面に接した部分に敷物を入れ、日に当たるようにひっくり返しておいたら、いつの間にかその部分が腐ってしまった。
「他の部分は食べれるかしらん」、と切り分けてはあるが、果たして味はどうだろう。

「朝は、蚊やブヨだらけだし、日中は暑くて動けないし…。そうしたものかなぁ。」
と、途方にくれている状態。

もっと広い範囲に、余裕をもって植えなければいけないらしい。

収穫は終わったが、唯一枝豆は美味だった。
今年も、放ったらかしで、摘心していないので、実は少なかったが、これはおいしかった。

大根は腐ってきたので、慌てて抜いたが、まずまずの味。

うーん。野菜を育てるのは難しい。
もう一度仕切り直しだな。

さて、どこから手をつけようか…。

少し動くと汗だくになる。
だから、一日何度もシャワーを浴びて、新しいシャツに着替える。
あっという間に洗濯物でいっぱいになる。

「昔はこんな汗かいたっけ」、と思いながら、これも加齢かしらん、と諦めの境地。

採れた野菜は、たいてい家庭科の先生でもある学年主任様に毒味をしてもらうのだが、だいたいは、「おいしい」、と言っていただけているので、本当は大しておいしくないはずなのだが、懲りずに貢ぎ続けている。

いろいろやるべきことがあることが、幸せであるわけだ。
そういえば、学校で忙しくしているときも、その思いはあったな…。









2019年08月09日

研修の一日

学年団で研修を受けた。
学年として研修を受けるのは、私も初めてのことだったが、なかなか学びの多い、面白い研修になった。

ただ、朝から夕まで缶詰になったのはつらかった。
冷房の風が直接あたり、午前中で参った。
午後は、羽織を借りて着ていたくらいだ。

研修で学んだことだが、『単なる清貧の思想』は共産主義につながるのだという。
「儲けた人からばらまけばいい」、という考えは間違っている。
中国などを見て分かるとおり、結局は一部の特権階級が多くの利益を得て、資本主義国よりも貧富の差が広がっている。

一方、『勤勉に働いて、正当に成功すること』が大切だという。
さらには、その仕事が『本当に価値あるものであるか』の確認も必要だと教えられた。
『時間こそ最高の資源』と考え、『積小為大』の考えが良いと言う。

これを教員の仕事に当てはめると、要は『地道に働け』ということだ。チャンスを待つだけの成功や、浪費ばかりの生活では、富が訪れることはないという。

「一定の給与だから、それ以上の収入は望めない」、と考えることが自己限定だ。

午後の研修では、「心を見つめる」ことを学んだ。

「自分中心の思いや行いではなく、『他の人のための人生を生きる』ことが日常でありたい」、というものだ。

教員は、奉仕の精神にあふれている人が多いとは思うが、「その言動は本当に生徒のためか」、などとチェックをしてみると、実は「自分の都合」であったり、「そうならないと自分が困るから」、「自分のため」であることは多い。

生徒たちに寄り添い、彼らの心を成長させる中に、自分自身の心を磨いてゆくのがよいのだろう。

夕方からは、学年団で二学期の生徒指導についてブレスト。
一つの方向に思いを向けると、いろいろなアイデアが湧いてくる。

私が学年主任だったときは、思いも寄らなかった企画だけに、まさに脱帽であった。

その辺の教員研修とは比較にならないほどの学びを得た充実した一日となった。








2019年08月08日

変わらぬ日常

久しぶりに雷雨となった。
梅雨明け以来、雨らしい雨が降っていないので、畑もカラカラ…。
日中の気温も、35℃にも及ぶ。

ここ数日、昼すぎに雷鳴が聞こえたのだが、雨が降るには到らなかったので、「そろそろ雨が欲しい…」、と思っていたところの待望の雨。

さっと涼しくなった。

夕方の愛犬の散歩時にも、汗だくにならずに済んだ。

ただ、川の水が濁っていなかったので、上流では雨は降らなかったのだろう。
日没後のように暗くなったが、ほんの局所的な雷雨だったようだ。

今日は母が東京に帰って行く日。
愛犬を家に入れたら、我が物顔で闊歩している。

気に入ったソファーを見つけると、そこに陣取り、居眠りを始めた。
そこは、私のベットのちょうど頭上にある。
「なんだそばにいたいのか…。」
と、声を掛けるも、何も反応はしない。

先日の逃走事件依頼、犬舎のご主人が言うように、確かに私によく懐くようになった。

夕方、久しぶりに学校に行く。

明日の研修で必要な書類を忘れてきたからである。

数多くの高3が勉強していた。
私の姿に気づいた気づかないのか、よくは分からない。

ただ、私が二日間、学校にいなくても、通常通りに日常は回っていく。
果たして、二日私がいなかったことを知っている生徒は、どれだけいるのだろうか…。

よく、定年退職は寂しいと言う。

その人が退職していなくなっても、少し経てば、同じように会社は回っていくからだ。

「本当に自分が世の中に役に立っているのだろうか。」
と、自問自答したくなる気持ちも分かる。

「どうだ、勉強、楽しいか?」
と、高3に声を掛けてみたが、笑って誤魔化された。

「楽しい…。」
と、自信を持って言えるほどの心境には、まだ達していないらしい。

毎日の受験勉強を、同じ高3の仲間たちとの集団の力で、何とか回しているようにも見える。
「一人じゃ、なかなか勉強できないのだろうかな…」、と思う。

仕事だって、組織があるから何とか回っていくのだろう。
自分一人で、こなしてゆくには、かなりのエネルギーが必要なのだろう。

ここ二日間の休日でそのこともとてもよく分かった。

私自身、「自分で仕事を進めることは、果たしてできるのだろうか」、も問われた感じがする。

学校の外では、何人もの先生が、走ったり、自転車をこいだりと、トレーニングにいそしんでいた。

夕日が赤く染まった。
何人の人たちが、この夕日を見て、心を癒やされているだろうか…。

ふと、そんなことを考えた。

2019年08月07日

味噌汁の味

休みと言っても、出掛けるのは午前中で、午後はのんびり過ごしてる。
寝転がりながら、甲子園の野球を見て過ごしているのだ。

もはや、ショーになっている甲子園での野球だが、そうだと思いながらも、見入ってしまう…。
ここまで来るまでの彼等のドラマもあるだろう。
一生懸命さもあるだろう。
陰で支え続けた仲間の存在も、親たちの努力と汗と涙を感じるのかも知れない。

以前の私は、甲子園の野球は痛々しくて見ていられなかった。
一度崩れ出すと、坂道を転げ落ちるように落ちてしまう彼等のプレーに、耐えられなかったのだ。

だが、今はあえて、その姿を見るようにしている。

私も野球を教えている身として、そうしたときこそ、よく見ておくべきだと、考えを改めたからだ。

野球をやっていなければ分からないであろう、その苦労を、私は知っている。
そのことは、甲子園を見ている多くの人は知らないかも知れないけれども、私は、せめて私自身の思いを彼等に手向けたいと思っているのだ。

アルプススタンドで応援している生徒たちの姿もテレビで流れているが、その中にだって様々なドラマがある。

良いも悪いも乗り越えた中で、甲子園での試合がある。

そう考えながらも、うとうとして、記憶がなくなってしまうのだから、あまり説得力はない。

母が来て、一番ありがたいことは、毎食、味噌汁を作ってくれることだ。

実家の味噌とは違うが、おかずがなくとも、味噌汁は欠かさない。

その味は、もう何十年も慣れ親しんだ味だ。

甲子園の球児たちだって、それぞれの家庭の味噌汁の味は懐かしかろう。

合宿生活を送って、大会中はホテル住まいだ。

だが、大会が終われば、味噌汁の味にありつけるかも知れない。

負けないチーム他ただ一つだが、味噌汁の味は、家庭の数だけある。

人と人とをつなぐ絆が、ここにもあった…。

2019年08月06日

日常からの脱出

いつものように起きて愛犬の散歩。
いつもと違うのは、そのあと部活がないこと。
そして、今日は東京から母が出てくること。

隠れ家を手に入れてから、泊まりでやってくるのはこれが初めてだ。

母に地元を案内するのではあるが、生徒と関わることなく今日、明日を過ごすのは、これまでにはなかったことだ。

私の教員人生では、必ずどこかに生徒がいた。
それが、当然であり、必要不可欠なことであると思っていた。

だが、近年、「それではいけない。時に、生徒たちと離れることも必要だ」、と感じたのだ。
他の先生方にとっては当たり前のことが、私には当たり前のことではなかったのだ。

もちろん、母が来なければ、こういう機会もないのだろう。
以前なら、なんとなく寂しく感じていたのが、この頃は違う。
「こういう時間の過ごし方も、大切なことなんだろうな」、と考えるようになったのだ。

『我武者羅』だったのだろう。
人に評価されようとは思わなかったが、あまりに人から非難されるのは嫌だった。
それが評価と言えば、評価なのかも知れないが、褒められて育った記憶のない私には、激しい非難はかなりのダメージを受ける。

確固たる自分のスタイルが確立していたのだろう。

なりたくて教員になった。

小学生の頃からなろうと思っていた職業だった。

大学生のときは、ひたすら授業のシミュレーションをした。

教員になってからは、毎日生徒たちへの話の材料を集め続けた。

一生懸命になって、親を越えようとしてしまったこともある。

そうした人生を送ってきたのが私である。

『自らを愛することができるか』
と、問われれば、否と答える。

それではいけないことは分かっているが、自分自身に対して素直にはなれないことも事実だ。

母と少し山歩きをした。

「雄大な自然ね…。」
という母の言葉に、
「人間は、一年に何回か、こういう所で美味しい空気を吸い、景色を見て、英気を養わなければいけないんだ。」
と、私。

机に向かってばかりで仕事をした気になってはいけない。

時に自然の中に身を投じて見ると、また違った見方ができるはずだ。

毎日の繰り返しの中に、油断と隙があると思う。


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