2015年03月30日
長崎から戻りました
今回泊まったホテルがネット環境も無い安ホテルだったんで、長崎滞在中に更新できませんでした。そのため土日のネタを書こうかと思いましたが、ちょっと疲れもあるんでざっくりと。
これは前日に当たる土曜の夜、彼に所縁のある人間で飲んだ後に別のところで書いた文章。「思い出話と言う名の悪口、馬鹿話の対象であるヤツが居ないと言うこと、日頃から気に掛けてる訳でもないクセに、事実を認識しなければならない今、何とも言えない虚無感がある」
そして今日、その事実を認識することとなりました。さすがに遺影を見た時は"何とも言えない"どころではない
彼を知り、ここを見ている人も少ないと思いますんでホンネベースでイロイロ書きますと…正直なところ、ヤツって生前よりも人望があるんじゃねぇ?って軽口を叩いてしまいましたが、それでもこれだけ人が集まったか…って感じました。
皆、それなりに責任ある立場になり、家庭を持つなどでフットワークが悪くなる年代。それを考えるとよく人が集まったと思います。いや、前にも書きましたが故人である彼とは生前、衝突することも少なくなく、それでいていがみ合ってると言うほどでもない程度の間柄、無理して足を延ばすほどでもないのでは?と言う気持ちがなくもなかったのですが、やはり行って良かった。
そして学生時代に撮った写真の中でたまたま彼と一緒に写っていた写真、集合写真をFacebookに載せていたのですが、それを遺族の方に見せたところ学生時代の写真が少なく、ぜひプリントアウトしてほしいと頼まれました。
これ、せっかくなのでたった2枚とは言わず、この文章を読んでいる方で彼の学生時代の写真をお持ちでしたらご連絡ください。できればスキャナー取り込みなどをしてファイルにしてもらうとありがたい。写真プリントとUSBメモリ(今は300円くらいで手に入るし)を同封して郵送しようと考えています。
最後に冗談っぽく「次に集まるときは…」と言ってましたが、できれば順番と言う事で私の番であることを願います。それが何年後になるか分かりませんが、つくづく自分の事で自分より年上の人間に喪服を着せることが無いように思いましたが、こればっかりは…
何となく取り止めのない文章になりましたが、私が懇意にしてもらっている御隠元から頂いた言葉で締めくくりましょう。
「生は偶然、死は必定」
生きていることが当たり前で死は偶然に訪れると思いがちな日常生活。しかし、人に死が訪れる事は確実な事であり、生きている事こそ偶然の上に立っている。この言葉を思い出しながらも、明日からはまた怠惰で惰性の生活に戻って行くんだろうなぁ。
これは前日に当たる土曜の夜、彼に所縁のある人間で飲んだ後に別のところで書いた文章。「思い出話と言う名の悪口、馬鹿話の対象であるヤツが居ないと言うこと、日頃から気に掛けてる訳でもないクセに、事実を認識しなければならない今、何とも言えない虚無感がある」
そして今日、その事実を認識することとなりました。さすがに遺影を見た時は"何とも言えない"どころではない
彼を知り、ここを見ている人も少ないと思いますんでホンネベースでイロイロ書きますと…正直なところ、ヤツって生前よりも人望があるんじゃねぇ?って軽口を叩いてしまいましたが、それでもこれだけ人が集まったか…って感じました。
皆、それなりに責任ある立場になり、家庭を持つなどでフットワークが悪くなる年代。それを考えるとよく人が集まったと思います。いや、前にも書きましたが故人である彼とは生前、衝突することも少なくなく、それでいていがみ合ってると言うほどでもない程度の間柄、無理して足を延ばすほどでもないのでは?と言う気持ちがなくもなかったのですが、やはり行って良かった。
そして学生時代に撮った写真の中でたまたま彼と一緒に写っていた写真、集合写真をFacebookに載せていたのですが、それを遺族の方に見せたところ学生時代の写真が少なく、ぜひプリントアウトしてほしいと頼まれました。
これ、せっかくなのでたった2枚とは言わず、この文章を読んでいる方で彼の学生時代の写真をお持ちでしたらご連絡ください。できればスキャナー取り込みなどをしてファイルにしてもらうとありがたい。写真プリントとUSBメモリ(今は300円くらいで手に入るし)を同封して郵送しようと考えています。
最後に冗談っぽく「次に集まるときは…」と言ってましたが、できれば順番と言う事で私の番であることを願います。それが何年後になるか分かりませんが、つくづく自分の事で自分より年上の人間に喪服を着せることが無いように思いましたが、こればっかりは…
何となく取り止めのない文章になりましたが、私が懇意にしてもらっている御隠元から頂いた言葉で締めくくりましょう。
「生は偶然、死は必定」
生きていることが当たり前で死は偶然に訪れると思いがちな日常生活。しかし、人に死が訪れる事は確実な事であり、生きている事こそ偶然の上に立っている。この言葉を思い出しながらも、明日からはまた怠惰で惰性の生活に戻って行くんだろうなぁ。