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2021年03月06日
人生は学校である 〜 Life is a School 〜 連載(第5回)
レッスンはきちんと学ばなければ試験には合格しませんので、再び同じレッスンを繰り返し受けることになります。
私たちは様々な状況において人生が提示してくるたくさんのレッスンを学ぶ必要があります。
もしきちんと学ばないのなら、何度も同じような困難に直面します。
ある人々は経験から学ぼうとしません。
彼らは同じような困難を何度も、また何年も経験するのですが学びません。
彼らは見方や行動を変えようと努力せず、ただ単にそれは運命だとか悪い過去の業であると思います。
業のせいにするのは、変化したくないためです。
自分自身の責任を取りたくないのです。
自分の弱さは自分の責任ではないと言っているのです。
もし変わりたいと心から思うのであれば、変われます。
私の弟子から聞いた実際の話を紹介します。
彼は教養もあり、暮らしも不自由することがない人です。
彼は読書が好きなので図書館によく行きます。
ある日、図書館でとても読みたかった本を見つけました。
残念ながら、その本は図書館から持ち出すことができず、コピーを買うこともできませんでした。
ある日、彼はその本をこっそりバッグに入れて図書館から持ち出しました。
家に向かう途中で運転中に二度も事故に遭いそうになりました。
彼の心の中は混乱し、穏やかさを失い、正常でいられなくなっていたのです。
運転に集中できないままでしたが、なんとか無事に家に着きました。
家に着いてから、部屋のテーブルに本を置きました。
時間がある時はいつでも本を読みました。
しかしながら、毎回自分の部屋に入り本をみる度に怯え、何かにとりつかれているように感じました。
心は落ち着かず、穏やかではありませんでした。
それもそのはず、図書館の本を許可なしに持ち出してしまったのですから。
彼は本を見る度に気分が悪くなり、自分自身が嫌になりました。
他の人々から尊敬されなくなることはそれほど悪くありませんが、自分自身への誇りを失うことは大きな損失です。
彼は本を見る度に、本が自分にこのように言っているように思えました。
「私はあなたのものではありません。私を盗んでここに連れてきたのです。あなたはずるい人で正直ではありません。それはするべきことではありません。」
後で私に彼の心がそのように言っていたと話しました。
もしあなたが自分の心を見る方法を知っているのなら、何が正しくて間違っているかを敏感に感じ取ります。
そのような心の状態では偏った判断がなくなり、正しい判断ができるのです。
嘘をつくことはできません。
本来、彼は悪い人ではありません。
むしろ彼は日ごろから規則正しい生活をおくり、毎日瞑想もしていました。
そして、できる限り心に気づく努力もしていました。
ですから、彼はこれらの考えや落ち着かない感情に気が付いたのです。
とうとう、彼はストレスに我慢できなくなりました。
この状態をこれ以上続けることはできないと感じました。
もちろん、誰一人彼が本を持ち出したことは知りません。
しかし彼はその事実が苦痛でした。
穏やかな心を取り戻すために行動しなければならないと思いました。
そして、本を図書館へ戻しました。
本を返すや否や、再び穏やかな気持ちがもどってきました。
同時に彼は重要な決意をしました。
これからは何物も決して許可なしに持ち出さないということを決めました。
彼は本当に自分の過ちから学んだのです。
過ちを犯さない人はいません。
過ちから学び、繰り返さないことが重要です。
過ちを犯すほど、苦しみます。
過ちから学ぶのであれば変化し、智慧が成長します。
この弟子は彼の心の中で起きていることに気が付いたので、学び変わることができました。
どのように気づいたらいいか分からない間は、欲が大きくなり同じような過ちを繰り返すことになるのです。
試験に合格したら、次の試験の準備ができます。
その時はさらに難しい状況に対しての準備ができていて、さらに上のレベルの深い智慧をもたらします。
理解できた時にすばやく行動することでさらに智慧を得られます。
何もしないままでは、何も学べません。
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今日はここまでとします。つづきはまた次回をお楽しみに・・・♪
皆さまの毎日が幸せで満ちあふれますように・・・
2021年02月27日
人生は学校である 〜 Life is a school 〜 連載(第4回)
善い考え方をし、善い言葉を話し、善い行動をする人は時間はかかっても必ず良い結果が待っています。
でも、その良い結果を急いではいけません。
いつも自分の目で見える限りの距離を見ること、長い目で見るようにすることです。
気づきと智慧と共に生きていて、自分の心の状態をよく知っているならば、物質的に豊かになったり社会において地位を得ても不注意になったり無関心になったりすることはありません。
自慢したり、威張ったり、うぬぼれることはありません。
条件が良かったために有利な結果になったということを理解するため謙虚でいられるのです。
このように理解する人は誰でも気づきを向上させるよう努力するので、ほとんど失敗をしなくなります。
そのような人は自分の思考、言葉、行動の中で過ちを犯した時はいつでも自分を修正します。
また、批判に対して寛大です。
友達が過ちを指摘しても決して怒ったりしません。
反対に感謝し、学び、改善しようとします。
富や地位がある人々はそれを他の人のために利用できます。
他人を助けられるということは大きな喜びです。
満たされた人生にしたいのであれば、他人にできる限りのことをしましょう。
十分な気づきや智慧が無い人は自分のもっている冨や地位にうぬぼれます。
「自分は何でもできる。自分がいなければ上手くいかない。誰も自分がもっているような能力や才能はない。他の人の意見は気にしないし、誰も私に命令はできない。」
そのようなうぬぼれの感情があると、人々は過ちを犯しやすくなり、トラブルに巻き込まれます。
そのような心は明晰でもなく、高尚でもありません。
冷静でもなければ落ち着きもありません。
なんという大きな損でしょうか!
地位や冨は智慧が成長することを妨げます。
善い心や落ち着いた心は育ちません。
人生は意味が無いものとなります。
実のところ、人間が提供する貴重な機会を無駄にしてしまっています。
あなたが死ぬときは、つま楊枝一本でさえ持って行くことはできないのです!
人生が一度きりであると思う人々は、人生の真の価値を楽しむことができません。
しかし、ある人々はさらに狭い見方をします。
多くの人々はお金があって、健康で、若いことに酔いしれます。
しかしながら、歳をとると人生は意味が無いと感じます。
精神的に不安定になり、つまらないことをして時間を無駄にします。
冨や地位がある人々は、正直な気持ちで家族や友達と交流することが難しくなります。
パートナーにも誠実でなくなり、結婚に幸せを見出すことができません。
地位が高い人ほど、善い友達や知り合いがほとんどいないようです。
同時に、いいことを言って彼らに近づこうとする人たちも出てきます。
彼らの周りには誠実で尊敬できる人はほとんどいなくなります。
ですから、非現実的なものの見方をしたり、本当は悪いことを善いことと考えてしまい、簡単に自分を見失ってしまうのです。
地位が高い人であるほど、本当に正直で誠実な友人を数人持つことが重要です。
お金持ちの人についても同じことが言えます。
そのような人は冨の力でやりたいことは何でもできるという気持ちになるからです。
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今日はここまでとします。つづきはまた次回をお楽しみに・・・♪
皆さまの毎日が幸せで満ちあふれますように・・・
2021年02月20日
人生は学校である 〜 Life is a school 〜 連載(第3回)
何かが起きた時や上手くいかない時は、それがなぜ起きたのか自分自身にきいてみましょう。
そうすれば一歩を踏み出せるし、次にそれが起きないように必要な準備ができます。
自分の過ちをよく観察して理解し、また次も起こらないように必要な準備をすることは、自由になることでもあります。
同じように良い経験をした時は、なぜそれが起きたのか、なぜ良い経験となったのかを知ろうとしてください。
最も深く、最高の智慧というのは失敗や苦しみを通して得られるものです。
賢者となった人々はみな多くの失敗をしてきました。
彼らはなぜ失敗したのかを理解し、失敗から学んだので賢い人々になりました。
失敗しない人はいません。賢い人々は単に失敗が少ないだけです。
過ちを犯さないのはとても難しいことです。
でも、誰でも過ちを少なくすることはできます。
そして同じ過ちを何度も繰り返さないよう努力するべきです。
自分の間違いをよく理解し必要な変化を起こすなら、智慧が成長します。
人生は終わりのない実験です。
そして、正しい状態になるまで挑戦し続ける必要があります。
過ちは出来る限り修正していく必要があります。
過ちを見つけない人たちもいます、見つけても変えようとしない人たちもいます。
そのような人々は智慧が育ちません。
私たちは自分自身の経験だけにたよってはいけません。
他人の失敗からも学ぶべきです。
誰でもある物質が死をもたらすことを知っています。
同様にそれを体に取り込まなくても副作用があることを知っています。
他人の失敗から学ぶ人は過ちや苦しみが少なくて済みます。
気づきや智慧を備えている人は困難から学びます。
そしてさらに智慧を身につけ良い行動を起こします。
正しい態度でいることで正しい決断ができるので、逆境においても良い結果をもたらします。
困難な状況のなかで誤った決断をする人々は結果に苦しみます。
そして状況はさらに悪くなります。
自分の誤りから起きる苦しみは、他人の誤りから生じる苦しみよりも大きくなります。
頻繁に過ちを犯す人々は間違った態度であるため、他の意見やモノの見方を受け入れられなくなっているのでしょう。
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今日はここまでとします。つづきはまた次回をお楽しみに・・・♪
皆さまの毎日が幸せで満ちあふれますように・・・
2021年02月12日
人生は学校である 〜 Life is a school 〜 連載(第2回)
この文は人間の存在意義を美しく比喩的に表しています。
そして非常に深い意味を持っています。
もし人生を学ぶ機会が得られる学校だと考えるなら、私たちはそれを最大限に活用するためにできる限りの努力をするでしょう。
もし私たちがレッスンを学ぶことが人生において一番重要であると考えるなら、日々の体験全てに注意を払い学ぼうとするでしょう。
食べ物がきちんと消化されなければ、栄養を体に送ることはできません。
同様に、人生のレッスンをきちんと学ばなければ、消化不良となり智慧は生じません。
消化不良は胃の病気を引き起こします。
人生のレッスンを理解しなければ、精神的な問題につながります。
この学校には週末はありませんし、休日もありません。
時間割はありません。
学校は始まりの時間も終わりの時間も決まっていません。
人生は私たちにレッスンを与え続けます。
一つ一つの経験がレッスンであり、テストです。
私たちがどれだけ理解しているかがいつも試されています。
人生のレッスンをより深く学ぶためには、気づき(サティ)と智慧(パンニャ)が必要です。
もし人生を軽く扱ったり、冷淡で不注意に生きるなら、ただ歳をとるだけで賢くなりません。
心は成長せず、優しさが育たないでしょう。
最も深い智慧は人生の経験を通してのみ得ることができます。
本から学ぶことはできません。
人生のレッスンはどのような本から得られるものよりも深いものなのです。
もしあなたが毎日熱心にマインドフルネス(サティパッターナ)を行うなら、年ごとに智慧が成長し態度が変わってきます。
マインドフルネスを習慣にしましょう。
いつでも、どこでも、常に自分の体に生じたこと、自分が見ること、聞くこと、感じること、味わうこと、触ること、思うこと、計画することなどに気づくようにします。
マインドフルネス(サティ)は心を探求するための一番の方法です。
それはまるで虫メガネで小さな物の細部を見るように、サティは心の中の最も微妙な部分をみることを可能にします。
次第に、サティによって心と体の性質が深く見られるようになり、因果の法則が理解できるようになります。
あまり賢くない人にとって重要でないと思われることは、賢い人にとっては非常に重要な意味を持つことがあります。
植物一つをとってみても、それがただの雑草となるか薬草となるかはその人の知識によります。
知識が足りない人は、本来は薬草として使える草を摘んで捨ててしまうでしょう。
植物の専門家は全ての植物には薬になりえる成分が含まれていると言っています。
人生において経験する一つ一つの出来事には、智慧を得ることができる要素が含まれているのです。
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今日はここまでとします。つづきはまた次回をお楽しみに・・・♪
皆さまの毎日が幸せで満ちあふれますように・・・
2021年02月05日
人生は学校である 〜 Life is a school 〜 連載(第1回)
今日からお坊さん(Sayadaw U Jotika)の本を紹介したいと思います。
本のタイトルは「Life is a school(人生は学校)」です。
この言葉はこれから人間として生まれる人に向けられたものです。
人間に生まれ変わるということは体を授かるということです。
しかしながら、私たちは誰一人自分の体を自分で選んで生まれることはできません。
どんな体であってもそれは既に定められた法則によって起きるのです。
誰一人自分の望みどおりの体を形づくることはできません。
どの体も過去の条件によって形づくられるのです。
その条件が良い場合は、結果も良くなります。
その条件が良くない場合は、結果も良いものにはならないのです。
この文章の意味をよく考えてみてください。
この体は一時的にはあなたものですが、永遠に持ち続けることはできません。
多くの人は自分の体を本当の自分であると考えます。
それは死ぬことが怖いという執着があるからです。
執着がなければ恐れもありません。
もし過去の自分の体を全て「これ」も「あれ」も「私」であると見ることができたらどんな気分になるでしょうか?
もし自分が違った時代、文化、人種に生まれていたら?
ある人生では男性で、ある人生では女性で、いろいろな宗教などに生まれていたら?
ある人生では白人で、ある人生では黒人、茶色い肌、黄色い肌で生まれていたら?と想像してみましょう。
実は、それらのどんな体で生まれても「あなた」ではないのです。
もし、たまたま美しい体を持って生まれた人で、「これは私の美しい体だ」と思うなら、その体に執着します。
そのような人は歳をとることや美しさを失うことを恐れます。
私たちは輪廻(サムサーラ)の中で数えきれないくらいの回数で男性や女性に生まれ変わります。
男性に生まれても、女性に生まれても、智慧ある人になるために努力する必要があります。
「学ぶこと」が人生の全てです。
あなたが好きでも、嫌いでも、学ぶことがたくさんあるのです。
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今回はここまでとします。つづきはまた次回をお楽しみに・・・♪
皆さまの毎日が幸せで満ちあふれますように・・・
2021年01月30日
瞑想の効果
ミャンマーのあるおばあさんのお話。
そのおばあさんはとても元気な方です。
どう見ても75歳か80歳の間にしか見えないのですが、実際の年を聞いたところ、「101歳ですよ。」とのこと!
お肌はツルツルだし、しっかりとした足取り、ハキハキと話しています。
どう見ても101歳には見えない様子に周りの人々はびっくりしたとのこと。
実はそのおばあさん、毎日瞑想しているとのことでした。
瞑想が身体にいい効果があるということは科学的にも証明されています。
瞑想すると幸せホルモンとも呼ばれる「セロトニン」が分泌されます。
セロトニンは精神を安定させたり、頭の回転を速くする作用があるようです。
瞑想するだけで、美容効果やボケ防止などの効果もありそうです。
すごいと思うことは、現代で科学的に証明されていることを、お釈迦様は科学なんてまだなかった2500年以上前にそれを実践しすでに分かっていたということです。
しかし、お肌がツルツルになるというのは「おまけ」であって、それは別に大したことではありません。
それから、瞑想すると神秘的な体験をしたり、何か特別な能力が身につく人もいますが、それも目的にしてはいけません。
瞑想は心を育てる方法です。
瞑想は「清らかな心」「正しいものの見方」「幸せになる道」を得るためにサポートしてくれるものです。
人間の外側をきれいにすることは高級クリームや化粧品を使えばある程度までできますが、内面(心)をきれいにするにはどんなにお金を使っても実現することではありません。
清らかな心をつくるには、自分で心を育てるしか方法がありませんとお釈迦様がおっしゃいます。
「自分を救えるのは、自分自身です」
皆様の毎日が幸せで満ちあふれますように・・・
2021年01月23日
心の病院
風邪をひいたら近くのクリニックや病院へ行きます。
病院では、お医者さんが診察してくれて、ふさわしい薬を処方してくれます。
精神的にダウンした場合でも、精神科があって専門のお医者さんがカウセリングしてくれてお薬をくれることもあります。
しかし、心の病気に関してはそう簡単に治療できないのが、体の病気と異なるところです。
風邪はきちんと薬を飲めばすぐに治ります。
心が病気になった時は、薬を飲んでもなかなか治りません。
その薬は少し眠れるようにしてくれますが、目が覚めるとまだ治っていないのです。
佐々木閑教授(※)は、仏教は「心の病院」だとおっしゃっています。
(※ 佐々木閑(ささきしずか)花園大学文学部仏教学科教授。文学博士。専門は仏教哲学、古代インド仏教学、仏教史。)
お釈迦様の教えの中に、「苦・集・滅・道」という四聖諦の教えがあります。
「苦」・・・生きることは苦しみである
「集」・・・苦しみがあるのは原因があるため
「滅」・・・苦しみはなくすことができる
「道」・・・苦しみをなくすための方法
誰でも生きている間には、病気や災害などに会って「生きることの苦しみ」を体験します。
それは、普通に健康に生活していた人が急に病気になって苦しむようなことです。
それが「苦」です。
そして我慢ができなくなって病院へ行きます。
病院ではお医者さんが病気の原因を調べます。
それが「集」です。
そして、病気にあった治療法を考えます。
それが「滅」です。
決まったら実際に治療を行います。
それが「道」です。
仏教はこのように苦しんでいる人を治す、まるで病院のような存在です。
病院ですから、健康な人は行かないし、無理やり外から病院へ引っ張ってくることはしません。
実はこれが仏教が他の宗教と異なるところであり、仏教が無理に布教活動をしない理由でもあります。
もちろんできれば病院にはお世話にならない方がいいのですが、でもこの世に全くなにも問題がなくて幸せであるという人は果たしてどれくらいいるでしょうか。
心を健康に保つためにもブッダはさまざまな智慧を共有してくださいます。
皆様の毎日が幸せで満ちあふれますように・・・
2021年01月16日
今すぐに幸せになる方法
特に子供をからかう時に大人が言う言葉です。
例えば、少し前まで気に入らないことがあって泣いていた子が、友達と遊び始めたらコロッと気分が変わって楽しくなっている様子を見て言います。
一般的に子供は大人より感情表現が素直です。
よく子供は「無垢」であると言いますが、無垢の意味は「けがれがなく純真なこと」とあります。
仏教語では、「煩悩のけがれを離れて、清浄なこと」とあります。
子供は大人のように長い間思い悩んだり、あれこれ考えたりすることが少ないのは無垢だからかもしれません。
人間は年齢を重ねるにつれて様々な煩悩がついてしまうようです。
そういう意味で、子供は楽しくなることにかけては大人よりレベルが高いと言えます。
今すぐに楽しくなれる能力があります。
しかし、大人になっても子供のような無垢な心を持つことはできます。
お釈迦様は「智慧とは明るさです」とおっしゃっています。
智慧がある人は「今すぐに幸せになる」ことができるのです。
周りを見渡せば、楽しいことがきっと見つかるはずです。
皆様の毎日が幸せで満ちあふれますように・・・
2021年01月13日
いい言葉は伝染します
どうしてかというと、そのもらった言葉で幸せな気持ちになるからです。
いい言葉は伝染します。
人から人へ幸せをリレーしていきます。
「いい言葉をかけてもらっていない」という人は、自分がいい言葉を人に言っていないのかもしれません。
自分が幸せになりたいのなら、まず他の人を幸せにしてみましょう。
自分が幸せをあげると、その幸せをもらった人は嬉しくなってまたお返しに幸せをくれるかもしれません。
お釈迦様の教えでは全ての善行為を「功徳」といいます。
相手が嬉しくなるような言葉をかけることも功徳です。
功徳は増えれば増えるほど、人生が豊かになっていきます。
現世だけではなくて、次の人生(来世)もよくなります。
今生きている人生も、死後も、来世もよくなるように、功徳はたくさん増やしていきたいですね。
それは苦しみから離れる生き方で、幸せへの道です。
功徳が増えると、幸せバンクも自然に大きくなっていきます。
皆様の毎日が幸せで満ちあふれますように・・・
2021年01月09日
体験することが大事
私がお釈迦様の教えに親しみを覚えるのは、「自分で実際にやってみて発見してください」とおっしゃるからです。
英語だと「Come and see 」という感じになります。
それが、他の宗教と仏教が大きく異なるところです。
つまり、「幸せになりたいのであれば自分でつかみ取るしかありません。」とはっきりと断言しています。
そういう意味で、仏教は厳しい教えだと言われています。
それがよく分かるお釈迦様の言葉を紹介します。
「自分自身を島とし、自分自身を拠り所として生きよ。
それ以外のものを拠り所にしてはならない。
ブッダの教え(法)を島とし、ブッダの教えを拠り所として生きよ。
それ以外のものを拠り所にしてはならない。」
これはお釈迦様が涅槃(※)に入る前に弟子たちに言った言葉とのことです。
(※涅槃「ねはん」とは一切の苦しみから解き放たれた最上の幸福のこと。解脱とも言います。仏教徒にとっては涅槃がゴールになります。)
お釈迦様の言葉はほとんどが出家者(弟子)に向けて言われているので、在家者にとって厳しく感じるのは当たり前かもしれません。
しかし、お釈迦様はご生存中はどんな人々にも差別することなく、あらゆる相談にのったりアドバイスをあげたりと活動していたようです。
現代で言えば、お釈迦様はカウンセラーやコーチングのようなことをしていたようなイメージです。
それを2500年以上も前に行っていたのですから、人々の悩みや苦しみというのは昔も今も変わらないのかもしれませんね。
お釈迦様が悟った(ブッダとなった)のは35歳の時だと言われています。
そして、誰に頼ることもなく自分の力で悟りを開きました。
お釈迦様の教えはとても現実的です。
幸せになりたいのであれば、善い行いをすること、規則正しく生活すること、嘘をつかないこと、盗まないこと、など当たり前のようなことを言っています。
仏教徒ではなくても、そのようなことは人として道徳的な行動なので誰にでも受け入れられる教えです。
それも仏教に親しみを感じる理由です。
お釈迦様の教えの中で一番難しいのは、正しい精神統一(瞑想)をすることです。
瞑想ができるようになると智慧が身について、自分の身に何が降りかかってきても動じることなく、いつも穏やかな心をつくることができるそうです。
そうなれたら本当に幸せでしょうね。
幸せになるための修行はまだまだ続きます。
明日も皆様の一日が幸せで満ちあふれますように・・・