2021年03月20日
人生は学校である 〜 Life is a School 〜 連載(第7回)
日ごとに自尊心が高まるような生き方をしていれば、人生に満足するでしょう。
人があなたをどのように思うのかは重要ではありません。
そのようなことを心配するのは、ただ思考が心の中に生じているだけです。
このポイントについて、私の弟子の一人の話を紹介します。
5年ほど前、彼は私に自分の経験から学んだことを話してくれました。
彼は瞑想に大変興味があり、いつでも心に生じたことに気づくようできる限りの努力をしていました。
常に五戒を守ることに熱心で、正直で、親切で寛大な人です。
しかしながら、彼にはあるこだわりがありました。
自分が五戒を守っているので過ったことをしないということを周りの人々に知らせていました。
もし、誰かが間違ったり正直でないことをしたら、何が正しくて正直であるかを説明していました。
そのようにすることがとても必要であると感じていました。
4、5か月もすると彼は瞑想が大変よくできるようになりました。
次第に、彼は自分が五戒を守っていることを他の人が知っているかどうかは必要ないと思うようになりました。
これを発見してから彼はとても心が安らかになり、自由になったと言いました。
もはや彼は自分がしている善行について人に言う必要がないと感じました。
今までは人に言うことができないと落ち着かなかったのですが、今は人が知ろうが知るまいが、自分が正しいことをすることで満足しています。
自分がした善い行いについて皆に知らせたいと思うことは大きな苦しみです。
自分の善い行いを見せたいという気持ちは欲とうぬぼれです。
自分が他の人よりも勝っていると言っているようなものです。
他の人に言う必要もなく静かに善行を行うことは自由になることです。
穏やかになれるのです。
他の人が自分の善行について知らないことを不安に感じることは穏やかではありません。
もし人に言って回っても自分が自慢していると思われることを心配するでしょう。
したがって、真剣に考えるべきことは、「他の人から偉いと思われたくて良いことをしているのか?」ということです。
いい人だと思われたくて良い行いをするならば、心が苦しくなります。
自由な心で、心から行う行為のみによって、幸福と成長と智慧がもたらされます。
ですから、常に自分の態度を確認することが必要です。
善行をする時は、いつも自分の希望や期待に気を付けることです。
瞑想をすることで深く反省することができます。
自由で寛大な心でやっているのか、それとも希望や期待に支配されているのか?
若い頃はたくさん学ぶことがありますが、歳をとってからでも学ぶことが多くあります。
生活は常に変化を続け、新しい状況で新しい知識やものの見方が必要となります。
人生の苦難(ロッカダマー)は全てレッスンなのです。
苦い体験は学びであり、良い体験も学びです。
若い時の試練は一つの経験であり、年老いてからの試練はまた別の経験となります。
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今日はここまでとします。つづきはまた次回をお楽しみに・・・♪
皆さまの毎日が幸せで満ちあふれますように・・・
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