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2021年02月27日
人生は学校である 〜 Life is a school 〜 連載(第4回)
善い考え方をし、善い言葉を話し、善い行動をする人は時間はかかっても必ず良い結果が待っています。
でも、その良い結果を急いではいけません。
いつも自分の目で見える限りの距離を見ること、長い目で見るようにすることです。
気づきと智慧と共に生きていて、自分の心の状態をよく知っているならば、物質的に豊かになったり社会において地位を得ても不注意になったり無関心になったりすることはありません。
自慢したり、威張ったり、うぬぼれることはありません。
条件が良かったために有利な結果になったということを理解するため謙虚でいられるのです。
このように理解する人は誰でも気づきを向上させるよう努力するので、ほとんど失敗をしなくなります。
そのような人は自分の思考、言葉、行動の中で過ちを犯した時はいつでも自分を修正します。
また、批判に対して寛大です。
友達が過ちを指摘しても決して怒ったりしません。
反対に感謝し、学び、改善しようとします。
富や地位がある人々はそれを他の人のために利用できます。
他人を助けられるということは大きな喜びです。
満たされた人生にしたいのであれば、他人にできる限りのことをしましょう。
十分な気づきや智慧が無い人は自分のもっている冨や地位にうぬぼれます。
「自分は何でもできる。自分がいなければ上手くいかない。誰も自分がもっているような能力や才能はない。他の人の意見は気にしないし、誰も私に命令はできない。」
そのようなうぬぼれの感情があると、人々は過ちを犯しやすくなり、トラブルに巻き込まれます。
そのような心は明晰でもなく、高尚でもありません。
冷静でもなければ落ち着きもありません。
なんという大きな損でしょうか!
地位や冨は智慧が成長することを妨げます。
善い心や落ち着いた心は育ちません。
人生は意味が無いものとなります。
実のところ、人間が提供する貴重な機会を無駄にしてしまっています。
あなたが死ぬときは、つま楊枝一本でさえ持って行くことはできないのです!
人生が一度きりであると思う人々は、人生の真の価値を楽しむことができません。
しかし、ある人々はさらに狭い見方をします。
多くの人々はお金があって、健康で、若いことに酔いしれます。
しかしながら、歳をとると人生は意味が無いと感じます。
精神的に不安定になり、つまらないことをして時間を無駄にします。
冨や地位がある人々は、正直な気持ちで家族や友達と交流することが難しくなります。
パートナーにも誠実でなくなり、結婚に幸せを見出すことができません。
地位が高い人ほど、善い友達や知り合いがほとんどいないようです。
同時に、いいことを言って彼らに近づこうとする人たちも出てきます。
彼らの周りには誠実で尊敬できる人はほとんどいなくなります。
ですから、非現実的なものの見方をしたり、本当は悪いことを善いことと考えてしまい、簡単に自分を見失ってしまうのです。
地位が高い人であるほど、本当に正直で誠実な友人を数人持つことが重要です。
お金持ちの人についても同じことが言えます。
そのような人は冨の力でやりたいことは何でもできるという気持ちになるからです。
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今日はここまでとします。つづきはまた次回をお楽しみに・・・♪
皆さまの毎日が幸せで満ちあふれますように・・・
2021年02月20日
人生は学校である 〜 Life is a school 〜 連載(第3回)
何かが起きた時や上手くいかない時は、それがなぜ起きたのか自分自身にきいてみましょう。
そうすれば一歩を踏み出せるし、次にそれが起きないように必要な準備ができます。
自分の過ちをよく観察して理解し、また次も起こらないように必要な準備をすることは、自由になることでもあります。
同じように良い経験をした時は、なぜそれが起きたのか、なぜ良い経験となったのかを知ろうとしてください。
最も深く、最高の智慧というのは失敗や苦しみを通して得られるものです。
賢者となった人々はみな多くの失敗をしてきました。
彼らはなぜ失敗したのかを理解し、失敗から学んだので賢い人々になりました。
失敗しない人はいません。賢い人々は単に失敗が少ないだけです。
過ちを犯さないのはとても難しいことです。
でも、誰でも過ちを少なくすることはできます。
そして同じ過ちを何度も繰り返さないよう努力するべきです。
自分の間違いをよく理解し必要な変化を起こすなら、智慧が成長します。
人生は終わりのない実験です。
そして、正しい状態になるまで挑戦し続ける必要があります。
過ちは出来る限り修正していく必要があります。
過ちを見つけない人たちもいます、見つけても変えようとしない人たちもいます。
そのような人々は智慧が育ちません。
私たちは自分自身の経験だけにたよってはいけません。
他人の失敗からも学ぶべきです。
誰でもある物質が死をもたらすことを知っています。
同様にそれを体に取り込まなくても副作用があることを知っています。
他人の失敗から学ぶ人は過ちや苦しみが少なくて済みます。
気づきや智慧を備えている人は困難から学びます。
そしてさらに智慧を身につけ良い行動を起こします。
正しい態度でいることで正しい決断ができるので、逆境においても良い結果をもたらします。
困難な状況のなかで誤った決断をする人々は結果に苦しみます。
そして状況はさらに悪くなります。
自分の誤りから起きる苦しみは、他人の誤りから生じる苦しみよりも大きくなります。
頻繁に過ちを犯す人々は間違った態度であるため、他の意見やモノの見方を受け入れられなくなっているのでしょう。
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今日はここまでとします。つづきはまた次回をお楽しみに・・・♪
皆さまの毎日が幸せで満ちあふれますように・・・
2021年02月12日
人生は学校である 〜 Life is a school 〜 連載(第2回)
この文は人間の存在意義を美しく比喩的に表しています。
そして非常に深い意味を持っています。
もし人生を学ぶ機会が得られる学校だと考えるなら、私たちはそれを最大限に活用するためにできる限りの努力をするでしょう。
もし私たちがレッスンを学ぶことが人生において一番重要であると考えるなら、日々の体験全てに注意を払い学ぼうとするでしょう。
食べ物がきちんと消化されなければ、栄養を体に送ることはできません。
同様に、人生のレッスンをきちんと学ばなければ、消化不良となり智慧は生じません。
消化不良は胃の病気を引き起こします。
人生のレッスンを理解しなければ、精神的な問題につながります。
この学校には週末はありませんし、休日もありません。
時間割はありません。
学校は始まりの時間も終わりの時間も決まっていません。
人生は私たちにレッスンを与え続けます。
一つ一つの経験がレッスンであり、テストです。
私たちがどれだけ理解しているかがいつも試されています。
人生のレッスンをより深く学ぶためには、気づき(サティ)と智慧(パンニャ)が必要です。
もし人生を軽く扱ったり、冷淡で不注意に生きるなら、ただ歳をとるだけで賢くなりません。
心は成長せず、優しさが育たないでしょう。
最も深い智慧は人生の経験を通してのみ得ることができます。
本から学ぶことはできません。
人生のレッスンはどのような本から得られるものよりも深いものなのです。
もしあなたが毎日熱心にマインドフルネス(サティパッターナ)を行うなら、年ごとに智慧が成長し態度が変わってきます。
マインドフルネスを習慣にしましょう。
いつでも、どこでも、常に自分の体に生じたこと、自分が見ること、聞くこと、感じること、味わうこと、触ること、思うこと、計画することなどに気づくようにします。
マインドフルネス(サティ)は心を探求するための一番の方法です。
それはまるで虫メガネで小さな物の細部を見るように、サティは心の中の最も微妙な部分をみることを可能にします。
次第に、サティによって心と体の性質が深く見られるようになり、因果の法則が理解できるようになります。
あまり賢くない人にとって重要でないと思われることは、賢い人にとっては非常に重要な意味を持つことがあります。
植物一つをとってみても、それがただの雑草となるか薬草となるかはその人の知識によります。
知識が足りない人は、本来は薬草として使える草を摘んで捨ててしまうでしょう。
植物の専門家は全ての植物には薬になりえる成分が含まれていると言っています。
人生において経験する一つ一つの出来事には、智慧を得ることができる要素が含まれているのです。
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今日はここまでとします。つづきはまた次回をお楽しみに・・・♪
皆さまの毎日が幸せで満ちあふれますように・・・
2021年02月05日
人生は学校である 〜 Life is a school 〜 連載(第1回)
今日からお坊さん(Sayadaw U Jotika)の本を紹介したいと思います。
本のタイトルは「Life is a school(人生は学校)」です。
この言葉はこれから人間として生まれる人に向けられたものです。
人間に生まれ変わるということは体を授かるということです。
しかしながら、私たちは誰一人自分の体を自分で選んで生まれることはできません。
どんな体であってもそれは既に定められた法則によって起きるのです。
誰一人自分の望みどおりの体を形づくることはできません。
どの体も過去の条件によって形づくられるのです。
その条件が良い場合は、結果も良くなります。
その条件が良くない場合は、結果も良いものにはならないのです。
この文章の意味をよく考えてみてください。
この体は一時的にはあなたものですが、永遠に持ち続けることはできません。
多くの人は自分の体を本当の自分であると考えます。
それは死ぬことが怖いという執着があるからです。
執着がなければ恐れもありません。
もし過去の自分の体を全て「これ」も「あれ」も「私」であると見ることができたらどんな気分になるでしょうか?
もし自分が違った時代、文化、人種に生まれていたら?
ある人生では男性で、ある人生では女性で、いろいろな宗教などに生まれていたら?
ある人生では白人で、ある人生では黒人、茶色い肌、黄色い肌で生まれていたら?と想像してみましょう。
実は、それらのどんな体で生まれても「あなた」ではないのです。
もし、たまたま美しい体を持って生まれた人で、「これは私の美しい体だ」と思うなら、その体に執着します。
そのような人は歳をとることや美しさを失うことを恐れます。
私たちは輪廻(サムサーラ)の中で数えきれないくらいの回数で男性や女性に生まれ変わります。
男性に生まれても、女性に生まれても、智慧ある人になるために努力する必要があります。
「学ぶこと」が人生の全てです。
あなたが好きでも、嫌いでも、学ぶことがたくさんあるのです。
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今回はここまでとします。つづきはまた次回をお楽しみに・・・♪
皆さまの毎日が幸せで満ちあふれますように・・・