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2021年03月28日
人生は学校である 〜 Life is a School 〜 連載(第8回)
多くの人々は次のように言って先延ばしにすることが多いです。
「今は瞑想する時間がありません。いい時期がきたらやります。」
ある人が言いました。
「私が何かをする時は、きちんとやります。ですから、定年を迎えて年金暮らしになった時にお坊さんになります。そして、森の中へ入り修行に身を捧げます。今やってもいい結果は得られないと思うので、瞑想しても意味がありません。」
しかしながら、年金をもらうまで生き延びるという保証はありません。
もし、長生きしたとしても自分が想像していたようには修行ができないかもしれません。
今、ここで、できる限り修行しようとするほうが「いい時期」を待つよりも効果がでるでしょう。
今努力をしないで、言葉だけを言っている人は、本当に修行しようとはしていません。
今、この瞬間が一番大切な時間です。
将来のことばかり考えて、この今の時間(present)を無駄にしないでください。
「手の中の鳥は、茂みの中にいる鳥よりも価値がある」ということを忘れないでください。
将来をよくしたいという望みには終わりがありません。
今の瞬間を楽しめないのは人間の弱点です。
未来の時間や場所のことを考えるのではなくて、たった今ここで始めましょう。
気づきながら、できるだけ瞑想をしながら生活することで自分の心が分かってきます。
本当にブッダの瞑想を理解すると、「時」を選ばなくなります。
どこにもいい場所、いい時間というものはなくて、いつでもどこでも実践できます。
会話していても実践できるのです。
意味のある人生を送ることは幸せになることよりも重要です。
意味のある人生とは満足感の得られる人生です。
満足感あるいは充実感というのは深いレベルでの幸福です。
幸せになることだけに一生懸命になっている人は深さがなく苦しみに出会いやすくなります。
幸せになろうと努力するほど、幸せが遠のいていき、結果的にいい人生になりにくくなります。
意味のある人生を生きたいのであれば、いつも気づきを絶やさずに生きることです。
生活も、仕事も、話す時も気づきで行うことによって、全てのことは意味あるものとなります。
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今日はここまでとします。つづきはまた次回をお楽しみに・・・♪
皆さまの毎日が幸せで満ちあふれますように・・・
2021年03月20日
人生は学校である 〜 Life is a School 〜 連載(第7回)
日ごとに自尊心が高まるような生き方をしていれば、人生に満足するでしょう。
人があなたをどのように思うのかは重要ではありません。
そのようなことを心配するのは、ただ思考が心の中に生じているだけです。
このポイントについて、私の弟子の一人の話を紹介します。
5年ほど前、彼は私に自分の経験から学んだことを話してくれました。
彼は瞑想に大変興味があり、いつでも心に生じたことに気づくようできる限りの努力をしていました。
常に五戒を守ることに熱心で、正直で、親切で寛大な人です。
しかしながら、彼にはあるこだわりがありました。
自分が五戒を守っているので過ったことをしないということを周りの人々に知らせていました。
もし、誰かが間違ったり正直でないことをしたら、何が正しくて正直であるかを説明していました。
そのようにすることがとても必要であると感じていました。
4、5か月もすると彼は瞑想が大変よくできるようになりました。
次第に、彼は自分が五戒を守っていることを他の人が知っているかどうかは必要ないと思うようになりました。
これを発見してから彼はとても心が安らかになり、自由になったと言いました。
もはや彼は自分がしている善行について人に言う必要がないと感じました。
今までは人に言うことができないと落ち着かなかったのですが、今は人が知ろうが知るまいが、自分が正しいことをすることで満足しています。
自分がした善い行いについて皆に知らせたいと思うことは大きな苦しみです。
自分の善い行いを見せたいという気持ちは欲とうぬぼれです。
自分が他の人よりも勝っていると言っているようなものです。
他の人に言う必要もなく静かに善行を行うことは自由になることです。
穏やかになれるのです。
他の人が自分の善行について知らないことを不安に感じることは穏やかではありません。
もし人に言って回っても自分が自慢していると思われることを心配するでしょう。
したがって、真剣に考えるべきことは、「他の人から偉いと思われたくて良いことをしているのか?」ということです。
いい人だと思われたくて良い行いをするならば、心が苦しくなります。
自由な心で、心から行う行為のみによって、幸福と成長と智慧がもたらされます。
ですから、常に自分の態度を確認することが必要です。
善行をする時は、いつも自分の希望や期待に気を付けることです。
瞑想をすることで深く反省することができます。
自由で寛大な心でやっているのか、それとも希望や期待に支配されているのか?
若い頃はたくさん学ぶことがありますが、歳をとってからでも学ぶことが多くあります。
生活は常に変化を続け、新しい状況で新しい知識やものの見方が必要となります。
人生の苦難(ロッカダマー)は全てレッスンなのです。
苦い体験は学びであり、良い体験も学びです。
若い時の試練は一つの経験であり、年老いてからの試練はまた別の経験となります。
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今日はここまでとします。つづきはまた次回をお楽しみに・・・♪
皆さまの毎日が幸せで満ちあふれますように・・・
2021年03月13日
人生は学校である 〜 Life is a school 〜 連載(第6回)
常に学ぶことがあります。
私たちは死ぬまで学び続け、智慧を育てていかなければなりません。
マインドフルネスを行う時はやる時間を限ったり、一時的にやるべきではありません。
朝起きてから眠りにつくまでの間、気づきと共に生活することを習慣にするよう努力をしなければなりません。
即席のマインドフルネスは意味がなく、妄想(モハ)があるだけです。
モハがあると智慧は育たないので、そのレッスンから学ぶことができません。
ですから、私たちは常に自分の体と心に起きている現象に気づきながら生きる努力をしなくてはなりません。
一瞬一瞬、命が尽きる最期の瞬間まで努力を続けます。
私たちが経験することは全てダーマ(自然の法則と現象)であり、全てはアナッター(無我)であり、無常であります。
私たちは何一つ満足することはないと理解して人生を生きなければなりません。
そして、死ぬ瞬間のことをしっかりと考えるべきです。
どうしようもなくおびえながら死ぬのはいいことではありません。
人生は最高の教科書です。
体は最高の教科書です。
心は最高の教科書です。
最高に深い知識は人生からのみ得ることができます。
毎日自分に問いかけてください。
「今日はどのような知識や智慧が身についたか?」
智慧を身に付けず、ただ食べて、飲んで、泣いて、笑って過ごす日は無駄になります。
そのような日は死に一歩近づいたというだけで、何も変わりません。
寝床に入る時も同じです。
眠りに入る前に体と心に何が起きているかに気づいてください。
心をクリアーにして落ち着かせて、穏やかに眠りに入ってください。
目覚めた時もすぐに何も考えず一日のことを心配せずに、瞑想を始めてください。
マインドフルネスの練習を始めてください。
穏やかな心で一日を始めることは良いことです。
一日中どこにいても心をこめてマインドフルネスと共に生活することを養ってみてください。
2、3年間継続して行えば、心と精神が成熟していることに気が付くでしょう。
正しい態度が身につき、心が大きくなります。
気づきながら生活することが習慣になると、考えもなくつまらないことをして過ごすことができなくなります。
あなたがどんなに歳をとっていようが、若かろうが関係ありません。
ある人々は20歳あたりから始める人もいます。
興味があるかどうかはおいておいて、とにかく続けていると、ある日自分の態度や物の見方や望みにおいて以前よりも誇りが持てて威厳があることを発見します。
それは成長したということです。
結果としてもっと心を込めて行うようになり、不注意でなくなり、怠けなくなります。
他の人に自慢したり、見栄をはることをしなくなります。
自分がすること全てにおいて心を込めて全力で行います。
何かをする前には深く考えます。特に重要な事柄については慎重に考えます。
上手くいかない場合には、それに気づきすぐに修正します。
重要なことについて話す時は、何を言うか、どのように話すかを慎重に考えます。
それが正しく聞こえるかどうか、ふさわしいかどうかを何度か考えるでしょう。
その場合、気づきと共に生活している人にとってはそれほど時間がかかりません。
かかってもほんの2、3分ぐらいです。
周りの人々はそのように上手く話せる人を少しずつ尊敬し始めることに気が付きます。
もしあなたが尊敬されたいのなら、いつも智慧と気づきでもって話すことです。
このように生活を続けたら、周りから尊敬されるだけではなく、自尊心も育ってきます。
後者のほうがより重要です。
ある人々は全く反省しません。
彼らは自分をよく見せようとする人に囲まれていることに慣れているので、馬鹿にされることがとても怖いのです。
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今日はここまでとします。つづきはまた次回をお楽しみに・・・♪
皆さまの毎日が幸せで満ちあふれますように・・・
2021年03月06日
人生は学校である 〜 Life is a School 〜 連載(第5回)
レッスンはきちんと学ばなければ試験には合格しませんので、再び同じレッスンを繰り返し受けることになります。
私たちは様々な状況において人生が提示してくるたくさんのレッスンを学ぶ必要があります。
もしきちんと学ばないのなら、何度も同じような困難に直面します。
ある人々は経験から学ぼうとしません。
彼らは同じような困難を何度も、また何年も経験するのですが学びません。
彼らは見方や行動を変えようと努力せず、ただ単にそれは運命だとか悪い過去の業であると思います。
業のせいにするのは、変化したくないためです。
自分自身の責任を取りたくないのです。
自分の弱さは自分の責任ではないと言っているのです。
もし変わりたいと心から思うのであれば、変われます。
私の弟子から聞いた実際の話を紹介します。
彼は教養もあり、暮らしも不自由することがない人です。
彼は読書が好きなので図書館によく行きます。
ある日、図書館でとても読みたかった本を見つけました。
残念ながら、その本は図書館から持ち出すことができず、コピーを買うこともできませんでした。
ある日、彼はその本をこっそりバッグに入れて図書館から持ち出しました。
家に向かう途中で運転中に二度も事故に遭いそうになりました。
彼の心の中は混乱し、穏やかさを失い、正常でいられなくなっていたのです。
運転に集中できないままでしたが、なんとか無事に家に着きました。
家に着いてから、部屋のテーブルに本を置きました。
時間がある時はいつでも本を読みました。
しかしながら、毎回自分の部屋に入り本をみる度に怯え、何かにとりつかれているように感じました。
心は落ち着かず、穏やかではありませんでした。
それもそのはず、図書館の本を許可なしに持ち出してしまったのですから。
彼は本を見る度に気分が悪くなり、自分自身が嫌になりました。
他の人々から尊敬されなくなることはそれほど悪くありませんが、自分自身への誇りを失うことは大きな損失です。
彼は本を見る度に、本が自分にこのように言っているように思えました。
「私はあなたのものではありません。私を盗んでここに連れてきたのです。あなたはずるい人で正直ではありません。それはするべきことではありません。」
後で私に彼の心がそのように言っていたと話しました。
もしあなたが自分の心を見る方法を知っているのなら、何が正しくて間違っているかを敏感に感じ取ります。
そのような心の状態では偏った判断がなくなり、正しい判断ができるのです。
嘘をつくことはできません。
本来、彼は悪い人ではありません。
むしろ彼は日ごろから規則正しい生活をおくり、毎日瞑想もしていました。
そして、できる限り心に気づく努力もしていました。
ですから、彼はこれらの考えや落ち着かない感情に気が付いたのです。
とうとう、彼はストレスに我慢できなくなりました。
この状態をこれ以上続けることはできないと感じました。
もちろん、誰一人彼が本を持ち出したことは知りません。
しかし彼はその事実が苦痛でした。
穏やかな心を取り戻すために行動しなければならないと思いました。
そして、本を図書館へ戻しました。
本を返すや否や、再び穏やかな気持ちがもどってきました。
同時に彼は重要な決意をしました。
これからは何物も決して許可なしに持ち出さないということを決めました。
彼は本当に自分の過ちから学んだのです。
過ちを犯さない人はいません。
過ちから学び、繰り返さないことが重要です。
過ちを犯すほど、苦しみます。
過ちから学ぶのであれば変化し、智慧が成長します。
この弟子は彼の心の中で起きていることに気が付いたので、学び変わることができました。
どのように気づいたらいいか分からない間は、欲が大きくなり同じような過ちを繰り返すことになるのです。
試験に合格したら、次の試験の準備ができます。
その時はさらに難しい状況に対しての準備ができていて、さらに上のレベルの深い智慧をもたらします。
理解できた時にすばやく行動することでさらに智慧を得られます。
何もしないままでは、何も学べません。
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今日はここまでとします。つづきはまた次回をお楽しみに・・・♪
皆さまの毎日が幸せで満ちあふれますように・・・