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2019年10月06日

孤独死は自分にも起こり得る。

若年孤独死に関する記事を目にする機会があり、
思ってしまった。

若年孤独死は自分にも起こり得る。



一人暮らし、家族と疎遠、
一部の親戚とは連絡を取っているが、
家が離れているので訪ねてくることはない。

発見されにくい環境、条件がそろっている。



事故物件には絶対したくない。

生き続けることに対して
そこまで執着はないけど、

終わり際、終わった後にまで
誰かに迷惑をかけるのだけは避けたい。



事故物件にしないために
何を気をつけていればいいだろう。

外部と繋がりを持っておく、
連絡を取れる環境を持っておく、

無理やりにでも食べて体力を保っておく。



幸い僕にはバスケという
外に出て人と繋がれる理由と機会がある。

障害や生活保護のことを
腹を割って話せる人はいないけど、
何かあった時に連絡できる友人がいる。



孤独死がものすごく怖くなったり、
死に方を選びたいと思ったわけではないけど、

環境的に何となく自分にも当てはまるので、
一度書いてみてもいいかなと思った。

まだ、あまり思うところは多くないけど、

今の時点で一番大きな思いは、
悲惨な後始末を自分のためにさせたくないってこと。

本当に追い込まれたらそれどころではないのに、
自分ではなく賃貸住宅側のことが心配。

我ながら、一体何のプライドなんだろう。


posted by 理琉(ワタル) at 01:05 | TrackBack(0) | 人生観

2019年10月05日

【オリジナル歌詞】『帰りたい場所』

紺碧の空の色映した 青白く輝く雪原
足跡1つな無いその上 1人寝転がって夢を見る

自分の鼓動だけが やけに大きく聞こえる
そびえ立つ雄大さに ただ息を呑み 見とれるだけ

  額縁に飾ってある 幼い頃の写真は
  願っても叶わない永遠を その笑顔に閉じ込めて
  変わらない しわくちゃな微笑み 今年もまた
  出逢えてよかった ここが僕の帰りたい場所



ほのかな薪の香り 古ぼけた薪ストーブも
階段のきしむ音も モノクロに彩られてく まぼろし

  あと何度その微笑みに 巡り逢うことができるだろう
  願っても叶わない永遠を それでも祈ってしまう
  蝦夷富士の峰にかかる 真っ白な雲の彼方
  青空吸い込まれ 辿り着く未来 重ねる



  額縁に飾ってある 幼い頃の写真は
  願っても叶わない永遠を その笑顔に閉じ込めて
  変わらない しわくちゃな微笑み 今年もまた
  出逢えてよかった ここが僕の帰りたい場所




ーーーーーーーーーー



⇒過去作品
【オリジナル歌詞】『命の物語』

【オリジナル歌詞】『ハイイロノソラ』





posted by 理琉(ワタル) at 00:01 | TrackBack(0) | 歌詞

2019年10月04日

【アダルトチルドレンと父親像】父の怒声「しゃべれ!」〜敵意を抱かなくていいお父さんがほしかった〜。

僕の父は、きわめて一方的な人だった。

幼少からそれを実感した僕は、就学前に
父とのコミュニケーションを諦め、心を閉ざした。



しゃべらない僕に、父は「しゃべれ!」と怒鳴る。
それに意地になった僕は頑なに口を閉ざす。

そんな悪循環の中で、僕の父親像は歪んでしまった。



”お父さん”とは、関われば関わるほど
やり場のない怒りが蓄積する人のことを指すの?




敵意を抱かなくていい、安全な父親がほしかった。


ー目次ー
  1. 父への冷笑と敵意、無言で睨むだけの抵抗
  2. 百貨店、公衆の面前で怒鳴られる
  3. 歪む父親像、関わると怒りが積もるのが”お父さん”?
  4. おそらくコミュニケーション障害がある父
  5. 大人になり知った、あの夫婦の教育方針
  6. 敵意を抱かなくていい父親がほしかった

1.父への冷笑と敵意、無言で睨むだけの抵抗

「話を聞く」という概念がない父への冷笑、
しかし敵意は剝き出し。

そんな態度の僕に、しばしば怒声が飛んでくる。

「言いたいことがあるならしゃべれ!」



恐怖に背中が震える。
だけど僕は震えながらも、ずっと待っていた。

怒鳴り終えた父が背を向ける瞬間を。
なぜなら、背を向けた父を睨みつけるチャンスだから。




当時の僕はこんな方法でしか、
父への怒りを表せなかった。

その怒声の後で平手が飛んできたのは、
祖母の家で餅つきをしているさなかだった。

唯一の、手を上げられた記憶。

2.百貨店、公衆の面前で怒鳴られる

父は人前だからといって、
声のボリュームを下げたり
話題を選んだりすることができない。


だから、外出先であろうと、
僕が敵意を見せれば同じような反応をする。



それがわかったのが、
家族で百貨店に出かけた時。

僕は大勢の買い物客がいる前で
「しゃべれ!」と怒鳴られた。



どうして人前で
子どもを辱しめるようなことができるんだろう


そんな驚きの次に襲ってきたのは、

恥ずかしさ、悔しさ、怒り、
そしてどうしようもない父への諦めだった。



この怒りはどこに向かえばいいんだろう
僕の中には、無限に怒りが積もるんだろうか


それが怖かった。

3.歪む父親像、関わると怒りが積もるのが”お父さん”?

父はほぼ毎日、徹夜で仕事をし、
ほとんど寝ずに学校へ出勤していた。

子どもながら、過酷さだけは理解できた。



だけど、僕はその過酷さを
どう受け止めればいいかわからなかった。


ストレスのはけ口なのか
僕が敵対的に口を閉ざすからなのか
一体どうすれば怒鳴られないのか

わからないまま、怒りだけが蓄積されていった。



「”お父さん”とは、関わるほどに
やり場のない怒りが増える人のことを指すんだろうか?」

そうやって、僕の父親像はどんどん歪んでいった。


4.おそらくコミュニケーション障害がある父

父のコミュニケーションの取れなさ、
場をわきまえない一方的な言動。

状況証拠にすぎないが、
少なくとも僕よりも重い発達障害、
コミュニケーションの苦手さがあるかも知れない。


いわゆる「アスペルガー症候群」のそれに
当てはまる特徴がとても多い。

一方的な父のASD特性。



ただし、それは「しゃべれ!」の免罪符にはならない。

「お父さんはコミュニケーションが苦手だから仕方ないんだよ」

などとフォローされていたら。
理解できても納得はできなかっただろう。

5.大人になり知った、あの夫婦の教育方針

僕が高校生になったあたりから、
父は丸くなり始めた。

「しゃべれ!」と怒鳴ることも減った。

父の母校に進学したからか、
それなりの成績だったからか、わからない。

中学生までとの対応に違いに、僕は戸惑った。



大人になってから、あの夫婦の教育方針を知った。

子どもが小さいうちは厳しく、
大きくなるにつれて少しずつ緩くしたかったそうだ。


理解できた。
理解できた一方で、こうも思った。

「そんな教育方針は知ったことではない」と。



なぜなら、

僕はただ、怖かったから。
ただ、ぶつけようのない怒りが積み上がったから。

それだけが事実だから。


6.敵意を抱かなくていい父親がほしかった

街を歩くと、たくさんの”優しいお父さん”を見かける。

子どもを抱っこし、手をつなぐお父さん。
公園で子どもと楽しそうに遊ぶお父さん。

そんな”優しいお父さん”を見るたび、
心がざわつく。

僕の歪んだ父親像と、かけ離れているから。




「安全なお父さんは実在する」

その証拠を見聞きしてもなお、僕は違和感を覚える。



敵意を抱かなくていいお父さん、ほしかったなぁ。



ーー父親とは何なのか、父親とどう向き合うかを考えるーー

posted by 理琉(ワタル) at 00:19 | TrackBack(0) | 家族

2019年10月03日

生活保護前の売却大会。

来たるべき生活保護の申請に備え、
今日も部屋を引っ掻き回しての断捨離大会。

売れるかも知れない衣類はもうないと思ったら、
最終的に紙袋1つ分になった。



今回の目玉は、新品で購入し
一度しか使わなかったスキーウェア上下。

メルカリに出品すれば幾らか高く売れたんだろうけど、
すべて無くした状態で申請するんだから
何百円も何千円も同じだと思い、
リサイクルショップに売却。

1500円くらいにはなるだろうと踏んでいたのに、
上下で300円になった時はショックだったけど、

手元から無くしてすっきりすることを優先したから
まぁいいか。



高校入学時に買った
学校指定ジャージの下も売却。

※私服の高校だったが、
 体育用のジャージは指定だった。

理由は高校入学時より身長が7センチ伸びて、
丈が足りなくなったから。

上は冬の防寒着としてまだまだ健在なので
取っておくことにした。

16歳の時の服が未だに着れるのは、
自分の体形が変わってないということなので、
そこは喜んでおいた。



4年前、デスクワークの仕事で
ストレートネックになってしまい、
頚椎椎間板ヘルニアをやった時の装具。

これは迷ったけど取っておいた。

今は幸い、リハビリと姿勢矯正で完治したけど、
首や肩周りはすぐに凝るので、

万が一の再発に備え、
この首輪みたいな装具は残した。



今は着ていない、サイズ感がよくなかった
KERAの服もいくつか売却。

KERAの服は新品以外では
もうネットでしか手に入らないので、
もったいない気持ちとの格闘がやや長引いた。

しかし、いずれも1〜10円だったので、
この手の服は本当に需要が減ってるのかと
少し寂しくなった。



モノをどんどん手放して、
家の中がすっきりしていくのが
少し楽しくなってきている。

同時に、好きな服を買えない現実に
惨めな気持ちにもなる。

KERAの服を新品で気軽に買えるようになりたい。

家がすっきりするのもいいけど、
大好きなファッションを思いきり楽しめるようになりたい。


posted by 理琉(ワタル) at 16:08 | TrackBack(0) | 生き方

2019年10月02日

食の選択肢が狭いとどうなるか。

好きなものを食べられない
食べたいものを買えない時期が続くと、
もちろん精神的に追い詰められていく。

具体的にどう追い詰められていくか、
段階を追って書いてみる。



まず、食べたいもの、好きなものを
食べられない、あるいは我慢し続けると、

本当は食べたい気持ちを押し殺してしまい、
食べたいものがわからなくなる。

→「食べたいものがわからなくなる時。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/144/0



何を食べたいか、ぱっと思いつかなくなるので、
とりあえずスーパーに行けば何か思いつくだろうと、
現地で決めることにする。

スーパーに行き、いろいろ見て回ると
最初はこれとこれが食べたいと思える。

だけど、それを買わない、買えないまま、
お腹が膨れるものを優先してしまうと、

次第にスーパーをうろついても
これだというものが見えなくなる。



食べ物が売っている場所に行っても
どうにも思い浮かばないようになると、

お腹が空いた時に、ただ「お腹空いた」
としか思えなくなる。

最初は、

「お腹空いた、●●が食べたい」
と、食べたいものが具体的に出てくるが

次第にただ「お腹空いた…。」だけになり、
●●の部分が発想から消える。



本当に食べたいものは
心の奥底に封印されてしまったが、
消えたわけではないので、

スーパーに行くと
どうしようもなく惨めな気持ちとなって表れる。

こんなに食材が並んでいるのに、
ほとんど選択肢がない自分への無力感も募る。

→「食べたいものを食べられるようになりたい。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/310/0



そして投げやりになる。

明日の心配ばかりして
「どうせ買えないから」とその場を立ち去る。

気軽にカゴに入れられない自分に対する
惨めな気持ちが再び襲いかかって来る。

ここまで来ると完全に値段に支配されているので、
最終的にはもやし3袋に落ち着く。



苦しい時こそ、なおさら食べることを
疎かにしてはいけないと、わかってはいる。

わかっていて、
何とか自分の欲求に従おうとするも、

我慢し続けて心の奥底に追いやられてしまった
食べたいものをなかなか掘り出せない。

お腹は容赦なく空くのに、
量で満たしたところで虚しさは消えず、

結局何が食べたかったかわからないままとなり
お腹がすくこと自体に嫌気が差してくる。



自由に食べられないと本当に追い詰められる。

こうなってしまったのは自分のせいなのかと、
自分を責め続けるようになったら更に悪循環。

好きなものを好きなだけ食べられる日々は
果たして来るんだろうか。

それは、これからの自分次第なんだろうか。


posted by 理琉(ワタル) at 18:59 | TrackBack(0) | 生き方

2019年10月01日

人生を語ることは承認欲求なのか。

友達が心配だと言っていたことで、
一つ、僕がすごく共感したことがある。



自分の人生の一片を語る時、
人によっては承認欲求と捉えられるのではないか、

自分はこういう状況だから構って、気にかけて
というアピールと捉えられるのではないか。

だとしたら自分は生きてきた道のりを
人に話してもいいのだろうか。

そういうことを心配していた。



正直に言うと、僕にも同じ思いはある。

こうやって自分が持つハンディや
ポジティブとは言えない状況を隠さず書いてるけど、

人によっては「わかってほしいの?」と捉えられたり、
アピールと解釈されることもあるだろう。

そしてそれに対する怖さ、罪悪感と、
もし批判された時、心が潰れてしまうのでは
という恐怖も大いにある。

事実に主観を交えて語る以上、
ポジティブに解釈してくれる人ばかりではないと
わかっていても怖いものは怖い。



このブログの中で、
僕の発達障害について書いた最初の記事では、

確かに自分にも「構ってアピール」や
辛い主張をしたい感情があり、
それも隠さず吐き出すと書いた。

自分にはこういうハンディがあって、
そのために今までこういう経験をしてきて、
だから辛い、理解してほしいという思いは僕にもある。

→「僕の発達障害。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/3/0

程度の多少はあれど、いわゆる「悲劇のヒロイン」に
なりたい気持ちは多くの人が持っているだろうし、

承認欲求は人間の自然な欲求だから、
本来は何ら不思議ではない感情のはず。



文句や愚痴っぽく言ってしまうと、
人生の語りではなくアピールと捉えられる可能性はある。

自分は悪くない、周りの誰かや環境が悪い、というように
犯人捜しをしようとする姿勢で語ると、

ネガティブな解釈の確率が上がるのかな、と思う。

表現の仕方はすごく難しいけど、
誰かのせいにするスタンスの話よりは、
純粋にその人の考えを聞きたいと僕は思う。



僕は個人的には、誰かの人生の一片を
アピールや承認欲求だなんて思わない。

決して平坦でなかった自分の道のりは
信用できる人にだけ話してくれるもので、

自分のアイデンティティの一部を
僕に対してさらけ出してくれたことは嬉しく思う。

自分の親が人の話を聞けない人間だからか、

僕は人の話を聞いて受け止められる人間になろうと
決めたことが、嬉しさに繋がっているのかも知れない。



構ってアピールや承認欲求と捉えるかどうかは
きっと「人による」という結論になるんだろう。

そしてそういう人は離れていくし、
次に出逢う人の話を聞いても同じように捉えるんだろう。

だけど僕は、
誰にでも言えるわけでない自分の大切な一部を、
僕を選んで話してくれることを嬉しく思う。


posted by 理琉(ワタル) at 19:11 | TrackBack(0) | 人生観

2019年09月30日

生活保護の申請日が決定。

障害者相談室の担当さんと話し、

10月某日、生活保護の受給を
申請することが決定しました。



8月に最後の失業保険給付が終わり、
それ以前からも何とか生活保護を避けようと
いろいろ手を尽くしてきましたが、

現実的にどうにもならなくなりました。



生活に困窮したための申請、
至極真っ当なことです。

だけど、何とか避けよう避けようと
言い聞かせながら過ごしてきた日々を思うと、

自分への無力感と怒りを抑えるのが難しいです。



稼ぐスキルや体調、心の健康を持っていない
自分のせいでこうなったのかという自責の念。

もっと世の中うまく渡ったり、
自分の得手不得手やキャパシティを考えたり、
過去一つ一つで何とかできたんじゃないかという後悔。

大嫌いな言葉だけど、貧困に陥ってしまったのは
「自己責任」なのかという自己否定。



自分を責める思いが湧き出て止まりません。

でも、明日の生活が、家があるかわからない恐怖と、

生活保護を申請するのか、しないのか、
回避できるのかと気をもむ不安とプレッシャーに
僕の心は耐えられませんでした。

だから今回、申請をすると決まったことで、
来るところまで来たと安堵している自分もいます。



家庭訪問に備えて家の中を整理したり、
申請当日に通帳をすべて記帳したり、
やることはいくつかありますが、

金目のもの、資産、売れそうなものが
ないことを証明するだけです。



ケースワーカーさんが家庭訪問する時、
玄関から入り、廊下を進み、居間に出るまでで、
その人の生活水準がだいたいわかるそうです。

僕の家には離婚前から残っている
一部の家具などはありますが、

古着でいっぱいの古いタンスと、
ほとんど何もないさっぱりした部屋を
一目見てもらえれば、

決して高水準とは言えない現状を
わかってもらえると信じています。



申請当日は、障害者相談室の担当さんと
二人で行きます。

水際作戦の防止、
生活相談と捉えられないための予防線、
そして市役所の対応を目撃する証人です。

市委託の相談施設の職員さんが同伴では
申請をあいまいにはぐらかして帰すといった
下手なことはできません。

就労移行支援事業所に入る前から
ずっと支えてくれている担当さんに、
今は僕の人生をお預けしています。

→「障害者の就労相談室へ。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/61/0



生活保護とは対応する機関が違うので、
まったく別の話ではありますが、

障害年金に落ちた時のような悔しさは
できればもう味わいたくありません。

障害年金、落ちた。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/99/0

今度こそ、僕は国から
生きる許可を与えられるのでしょうか。



生きる許可といえば、

自分の中では生きていたいのか、
生きていたくないのかの答えが出ていません。

何よりも明日の家と食べものが
保証される安心感を欲している今、
その答えを出そうとは思えませんが、

こうやって明日の不安を抱える限り、
僕は生きていたい思いの方が強いんだと思います。



出てくるのは自責の念ばかりでも、
その日はやってきます。

僕と同じように貧困に陥っている人、
これから生活保護の申請を考えている人が
これを読んで何かを感じてくれたら嬉しいので、

書けることはできる限り残し続けます。


posted by 理琉(ワタル) at 23:29 | TrackBack(0) | 人生観

2019年09月29日

【夢分析】気をつけたのにバスに遅れる夢。

次のバスの時間を念入りに調べ、
しきりに時計に目をやる。

今日こそは乗り遅れるものかと
入念に心の準備をしバス停へ向かう。



バス停へ向かう道は両側が草原、
天気が曇りなせいか鮮やかな緑には見えない。

バス停に向かって真っすぐ伸びた道路は
わりとしっかり舗装されている。

自然の景色が好きな僕は、
曇りではあるが涼しく過ごしやすい中、
時間はしっかり気にしながら歩く。



と、そこへ後ろから、
僕が乗るはずだったバスが追い越していく。

慌てて時計を見ると、いつの間にか
バス停への停車時刻になっている。



決してのんびりしたわけでもなく、
時間を都度確認しながら
歩いていたはずなのになぜ?

僕は焦ってそのバスを必死走り、
そのバスを追いかける。



バス停はもうすぐ、見える場所、
なのにバスに追いつけず、間に合いそうにない。

待って、まだ行かないで、乗せてと
焦り出したその時…。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



先日、バスを降り過ごす夢を見たばかりで
またバスネタとなったが、妙にリアルだった。



【キャスト】

・バス
 協調性、集団行動、現在の人間関係、現実的な未来

 バスの時間を気にする場合、
 周囲との協調性や社会的ルールを守る意識が高いが、
 個性を押し殺したり常識に囚われていることを表す

 バスに乗り遅れる場合、周囲からの孤立、
 世の中や人間関係の変化への乗り遅れや
 チャンスを逃すことへの焦りを表す

・草原
 心の状態

・曇り
 心の状態、心配事や不安が大きく出ている
 心がもやもやと曇っている

・道路
 人生そのものの象徴

 真っ直ぐな道は
 取り組んでいる物事が順調に進んでいることを表す



バスから降り過ごした時に分析した通り、
僕はまだ就職か生活保護かで迷ってるんだろうか。

→「バスから降り過ごす夢。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/308/0

正確には「就職」そのものではなく、
求人紹介所へのエントリーのようなもので、

紹介先に登録して求人を待つ、
その間に実地で経験が積めるというもの。

だから遅かれ早かれ、
生活保護を避けるのはもはや難しいかも知れない。



真っ直ぐな道は、そうやって
進むであろう進路が決まってきたことを
表してくれたんだろうか。

その上でまだ迷っている自分、
流され過ぎて「ちょっと待って」を言えない自分に
もやもやした気持ちを抱えてるんだろうか。



あるいは、通っている就労移行支援事業所で
庶務業務の担当が自分一人じゃなくなったことで、
固有の業務=個性を発揮する機会が減り、

それがバスの時間を気にするという形で
表現されたのかも知れない。

隔週での担当制になったので、
余計に固有業務から遠ざかってしまい、
二週間近くは周りと同じ作業をすることになる。

それも嫌いではないが、やはり寂しさは残る。

→「固有の役割がある安心感。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/301/0



まとめると、僕の現実的な未来は
徐々に道が定まりつつあると言える。

だけどそれに対して納得していないのか、
そうなってしまった自分への無力感や不安、
後悔、怒りが混じり、もやもやになっている。

目の前に現れた道なんだからチャンスという焦りと、
そのチャンスを選択することに煮え切らない自分。

そんな葛藤が、夢の中でバスを追いかけさせたんだろう。


posted by 理琉(ワタル) at 17:41 | TrackBack(0) | 夢の話

2019年09月28日

元補欠の視点から。

高校のウィンターカップ地区予選を
観戦しに行ってきた。



お昼から行って、第三試合から第六試合まで
じっくり観ようと思ってたけど、

やっぱり多くの音が一斉に入ってくる空間に
長くはいられず、一試合と半分観たところで
残念ながら体力の限界を迎えた。

コート上での音、観客の声、
会場全体がうねりを上げるような音と情報の渦。

必要な音だけを選択できる耳と脳を持っている人が
うらやましいと思った。

→「音が全部入ってくる。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/10/0



高校に限らず、部活生の試合を観に行く時、
僕はいつも怒鳴り散らす監督に目が行ってしまい、
一人で恐怖を感じることを繰り返してきた。

それから、自分が当時補欠だったこともあって、
ベンチ外の選手たちにも注目してしまい、

目の前の試合を素直に楽しむことが
なかなかできずにいる。

→「部活って軍隊?
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/5/0

こういうところで気をもむ必要はないのに、
元補欠ならではの視点だろうか。



今回も両校のベンチを注目して観ていると、
熱くなって選手に怒鳴りまくる監督は
減ったとはいえ健在だった。

ただ、審判がきちんと目を光らせ、
怒号や罵声を飛び散らしたりする行為を
注意したりしていた。

注意された監督はふてくされたような態度で
椅子にどっかり座ってふんぞり返るが、

しっかり注意する動きが試合の中で
多く出てきたことは良いことだと思う。

選手にとってトラウマにならない
現役生活であってほしい。



怒鳴る監督の学校にも
上手い選手はたくさんいるんだけど、

試合を観ていると監督が潰してるように感じた。

のびのびやらせたり、
選手の長所を生かしたシステムを採用しておらず、

ボスである監督が独善的に決めたスタイルに
無理やり選手を当てはめていた。

判断させるのではなく、決まった型にはめて
せっかくの上手い選手が窮屈そうにしていた。

ものすごくもったいないなと思った。



昨日と今日で、一回戦から四回戦。

一回戦から登場して勝ち上がった学校は4試合、
二回戦からでも3試合。

来週はベスト8〜順位決定戦で
やっぱり二日間で4試合。

4クォーターの終盤で
交代せず出続けている選手の何人かが
足をつって退場しているシーンがあった。

補欠にとっては実にうらやましい交代の仕方だけど、
大きなケガに繋がらないことを願うばかりだ。



多くの音が一斉に入って来て、
せっかく行った試合会場も早々と退場。

悔しいけど、これが僕の脳の特性。

自分と同じようにバスケが大好きで、
澱みのない高校生の目を見れたから、
今日はいい日になった。


posted by 理琉(ワタル) at 00:56 | TrackBack(0) | 部活

2019年09月27日

2歳までの居住地を知らない。

僕は生まれた病院を退院してから
2歳くらいになるまでの約2年間

どこに住んでいたのかを知らない。



物心がつく頃、いわゆる最初の記憶は
高校教師の父の転任先というのは知っている。

そして、物心がついた時には
すでに2つ下の妹が生まれていた。

その前、僕はどこにいたんだろう。



父が転勤になったのは僕が3歳になる前。

祖父母と母が住んでいる村の高校に
新任数年目の教師として勤務していたと聞く。

ということは、流れから考えると
僕が2歳くらいまではそのまま村に住んで、
祖父母にも手伝ってもらいながらだろう。



子どもの頃、一度だけ母か誰かに聞いた記憶はある。

だけどその時は転勤先での数年間から話が始まり、
僕の人生最初の2年間の所在は聞けなかった。

なぜ教えてくれなかったのか。

それとも、実は本当の子じゃないといった、
教えられないようなショックなことなのか。

一切が謎に包まれている分、
よからぬ想像はどんどん膨らんでしまう。



僕が0歳の時、祖父母の家で
お風呂に入れてもらっている写真は
見せてもらったことがある。

祖父母と同居したとは聞いていないので、
村内に住んでいて祖父母宅へ訪れたんだろうか。

それとも転勤先からはるばる祖父母宅を訪れた際に
撮られたものだろうか。

この写真からわかるのは、
少なくとも僕は祖父母の家では
大切にされてたってこと。

未だに祖父母の家を去る時だけ大泣きするのは、
きっと僕のルーツがそこだからなんだろう。

→「帰り際の涙。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/271/0



祖父母の家以外に、僕のルーツはあるんだろうか。

0歳から2歳まで、僕は一体どこにいたんだろうか。
生家と呼べる場所はあるんだろうか。

僕は母親に顔がそっくりだ。

だから拾われたのではないと信じている。

去る時に大泣きするような、
本当の僕のルーツは一体どこなんだろう。



posted by 理琉(ワタル) at 00:35 | TrackBack(0) | 家族
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理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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